中編1
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「つまり、鈴太さんのおじいさんと艶さんは、昔、恋仲だったのねえ?」
「いや、どうしてそうなるんですか。そんなこと言ってません」
「え? 昔のゆかりで、今、引き取ってお世話してるんでしょう?」
「ずっと昔にわが家のご先祖と艶さんにいきさつがあったと言ったんです」
「それはどんなラブロマンスなのかしらあ?」
「山口さん、お酒ぐせ悪いですね」
「あら、そう? だから鈴太さんも、いい思いができたんじゃない? 未遂だったけど」
「うほん、うほん」
「あら。天子さん、お風邪かしら? 帰って寝たほうがいいわね。鈴太さあん、もう一杯ついで」
「きさまと鈴太を残してこの家を去ることなどできようはずもない。きさまが帰るがよかろう。鈴太、わらわに酒をつげ」
「いいわね、その古めかしい言い回し。あなた、ほんとはけっこう年がいってるでしょう? いつ生まれ? 平安時代?」
「ぶほっ」
「あらあ、鈴太さあん。だいじょうぶかしらあ」
「べたべたとさわるでない。鈴太も何をうれしそうにしておるのか」
「う、うれしそうにしてません」
「では、その胸の膨らみを引きはがせ」
「ところで、ここに置いてる陰膳、いつのまにかなくなっておかわりしてるのは、どういうわけなのかしらあ?」
それは童女妖怪の席です。あなたにみえないだけで、さっきからせっせと鍋を食べてます。と言うわけにもいかないので、この質問には答えようがない。
「それにしても、どうしてこの顔ぶれで鍋を囲んで酒を飲んでおるのじゃ?」
「だからあ。秋の絶品キノコが手に入ったのよ。そして、とあるばばあが〈香露〉を送ってくれたからよ」
「うまい酒じゃな。じゃが、ここに持ってこずともよかろう」
「だって、萬野のばばあが、この酒は鈴太さんと飲むようにって、送ってくれたのよ。あたし一人で飲んだなんて報告、絶対にしたくないわ。鈴太さあん、もう一杯ついで」
「その何とやらのばばあは、鈴太が十八歳じゃと知っておるのかえ? 鈴太、もう一杯つげ」
「あ、ない。すいません。すぐにつけてきます」
「疾く行け」
「熊本では鈴太さんは二十五歳なの」
「意味がわからぬ」
「キノコもおいしいでしょ」
「キノコもうまい。じゃが、ここに持ってこんでも、きさまが一人で食べれば、それですむ話ではないか」
「一人で鍋を囲めっていうの? ひどい人ね。わびしすぎるでしょ」
「ならば、キノコと酒を置いて、きさまが帰ればよい」
「鈴太さあん。天子さんが、あたしをいじめるの。しゅうとめのいびりよ」
「誰がしゅうとめじゃ、誰が。鈴太」
「は、はいっ」
「熱燗はまだか」
「つ、つきました。今お持ちしますです」
「うむ。ほれ、つげ」
「了解であります」
「こぼすな。もったいない」
「油揚げは入ってないけど、そこそこ美味しい鍋なのです。鳥肉とネギとキノコを入れて味噌仕立てにすると、こんなにいい味になるとは、驚きなのです」
「黙って食え」
「あら、それ、あたしに言ったの? それとも、天子さん?」
「いえ、独り言です」
「ふふ。でもほんとにおいしいわ。おだしが利いてて、味噌仕立てが芳潤で、そしてこの小豆島醤油をほんの少したらすと……もう!」
「木桶で作ってるらしいですよ、その醤油」
「あら、そうなの」
「丹波の豆を使ってるそうです」
「鈴太さあん」
「はい?」
「鈴太さんも社会人なんだから、一杯ぐらいはいけるわよねえ?」
「い、いえ。やめておきます」
「これ、鈴太を酔わせてどうするつもりじゃ」
「あらあ。鈴太さんは、おちょこ一杯の酒でどげんかなるような、なさけなか男しじゃろか」
「鈴太は、情けないのが持ち味じゃ」
「ひどおい。鈴太さあん、あたしの杯を持ってくれる」
「は、はい?」
「あ、これ。つぐな」
「じゃあ、口移しのほうがいい?」
「わらわに貸せっ」
「あ、飲んじゃだめ」
「キノコの追加、鍋にいれてもいいですかなのです」
「キノコが空中遊泳してるみたいにみえるのは、酔いのせいかしらあ?」
「酔いのせいです」
「老眼かの?」
「ひどおい。鈴太さあん。天子ばばあが嫁いびりするのお」
「誰が嫁じゃ」
「それはそうと、鈴太さんが飲んでくれないと、あたしの立場がないの。一杯だけ飲んでえ」
「え?」
「そらっ」
「うぐ」
「あ、飲ませるなというに」
「あたしにも、もう一杯ついでちょうだあい」
「わらわにもつげ」
なんかもう、カオスだった。
「ああ、今日はほんとに楽しかった。おいしかったわあ」
「ほんとにおいしかったです。ありがとうございました」
「うふふ。ほんのり頬をピンクいろに染めて、かわいいわあ。ちゅっ」
「あ、これ。わらわの目の前で何ということを」
「あらあ。鈴太さんは、天子さんのものなのかしらあ」
「わらわのものじゃ」
「まあ、大胆ね。でも、あたしのものでもあるの」
「とっとと帰るがよい」
「帰るわよお」
「もう来るでない」
「いいじゃない。配達はしないっていうから、しかたなくあたしのほうがキノコとお酒を配達したのよ」
「わけがわからぬ」
「わからないのが人生なのよ」
「それはそうかもしれんのう」
「うふふふふ」
「ふっふっふ」
なんか意気投合してる。目が笑ってないけど。
ふらふらと楽しそうに、山口さんは帰っていった。
結局ぼくはおちょこに三杯ほど熱燗を飲まされ、ほろ酔い気分だ。
くさくさした気持ちなんか、どこかに吹っ飛んでしまった。
それにしても、あのキノコ。
色とりどりの、とてもおいしいキノコ。
秋の絶品キノコだと、山口さんは言っていた。
あれはたぶん、いやきっと、ご主人のキノコノートにあったキノコだ。
そして絶品キノコの生える場所といえば、幽谷響と対決した、あの古木の生えた場所なんじゃないだろうか。
山口さんは、あそこにもう一度行ったんだろうか。
それは、とても勇気のいることなんじゃないんだろうか。
何のために?
たぶん、自分の過去に立ち向かうためだ。過去を乗り越えるためだ。
そうか。
山口さんも、前に進もうとして頑張っているんだ。
今日の鍋には、その元気が詰まっていたんだろうな。だからあんなにおいしかったんだ。
「口をすすいでまいれ」
「えっ?」
「口紅を洗い流してまいれ、と申しておる」
「は、はひひひひっ」
ぼくは唇をごしごし洗い、何度もうがいをした。
「清めてきたかの?」
「はい」
「少し身をかがめよ」
「はい?」
突然、天子さんが、ぼくの首に抱きついてキスをしてきた。そんなに長くもないけど、ちょっと強烈なキスだった。
「口直しじゃ。ではの」
「あ」
そして天子さんも帰っていった。
童女妖怪も、いつのまにか姿を消している。
ええっと。
とりあえず、この散らかりまくった食卓を片づけないといけないや。




