中編2
4
それからというもの、三日に一度は山口さんが夕食に押しかけるようになった。熊本女の押しの強さを、ぼくはまざまざとみせつけられた。
何回目かの夕食のあと、どきっとするようなことを、山口さんは言った。
「鈴太さあん。鈴太さんたちが、何か大切なことに取り組んでいるのは、わかってる。おおっぴらにはできないけど、ほっておくとみんなが困るような何かにね。それが何なのか、あたしは知らない。知ってもたぶん手助けできない。でもね、これだけは知っておいてちょうだい」
真剣な目つきで、山口さんは言葉を続けた。
「あなたを応援してる。そしてそれは、あたしだけじゃないわ」
心から驚いた。
いったい、山口さんは、ぼくや天子さんの何に気がついたんだろう。
どこから気がついたんだろう。
ひとつ思い出したのは、山口さんは、わりと最近にこの村に住むようになった人で、結界の影響をそう長年受けてきたわけじゃない、ということだ。だからこそみえるものもあったんだろう。
そして山口さんには、幽谷響が出たときの話をした。
わりとぼかした言い方だけど、和尚さんや天子さんが、あやしげなものへの対処法にくわしい、ということは話さざるを得なかった。
だから、ぼくたちがふしぎなもの、まがまがしいものを相手にしているらしいということは、見当がつくわけだ。
それにしても、中身も知らないのに応援してるというのは、いったいどういうことなのか。
いや。
それが本当だ。
信頼は、人間に対してするものだ。さんざん疑って確かめて、事柄の是非を問いただしてから、その人間を信じるかどうかを決めるというようなものじゃない。たとえ詳しい事柄はわからなくても、その人間を信じることはできるし、応援することもできるんだ。
「ありがとう。山口さん」
「いいのよ、ダーリン」
「それはやめてください」
5
相変わらず毎朝、童女妖怪は〈探妖〉をしている。
といっても、もう村のなかを探る必要はない。
おもに天逆毎の位置を探るのが目的だ。
同時に、結界のなかにあやしい気配がないかどうかを、一応探ってもらっている。
十月に入って、天逆毎は動かなくなった。
天逆川の、村に一番近い場所にいる。毎朝探ってそうなんだから、たぶん一日中、ずっとそこにいるんだと思う。
それと、童女妖怪は、奇妙なことを言った。
以前、天逆川から水を引く用水には妖気があふれていた。
それが今ではすっかり清浄になったんだという。
天逆川にも妖気が充満していた。
それもなくなって、天逆毎一人を除けば、川にはわずかな妖気も感じられないという。
もっとも、結界のなかが完全に清浄になったわけじゃない。
それどころか、今、結界のなかには、強い妖気がただよっている。
方相氏のせいだ。
たった一人の方相氏を倒しただけで、そこからあふれた妖気は、和尚さんや天子さんに息苦しさを感じさせるほど高い濃度で、結界のなかをひたしているらしい。
そして、十月十五日が来た。
この日のことを、ぼくは一生忘れないだろう。
その日、ぼくたちは、珍しくテレビのニュースをみながら、朝ご飯を食べていた。
「十月十四日に発生した台風二十二号は、日本に上陸することなく低気圧に変わるものとみられておりましたが、急に勢力を強めて方向を百度ほど転換し、まっすぐ岡山県のほうに向かって進んで来ております。速度は非常に速く、勢力は極めて強い、大型の台風です。じゅうぶんにご注意ください」
「これだ。これなのです」
「えっ? なに?」
「昨日の午後あたりから、とてつもなく恐ろしい気配が近づいてくるのを感じてたです。この台風なのです」
「えっ? 意味がわからないよ。おさかべ、台風が妖怪なのか?」
「そうなのです」
「何をばかな。台風がそのままあやかしであるなどと。古代の神霊でもあるまいに」
「でも、確かに感じるのです。禍々しい気配が近づいて来ます。方相氏が出たときも、こんな恐ろしい相手ははじめてだと思ったですが、今度の敵は、方相氏よりずっと恐ろしい敵なのです」
「まことなのか。長壁よ」
「ほんとなのです。これだけの距離があるのに、びんびん敵意と妖気を感じるのです」
「ここ十日ばかり、天逆毎は、動いておらなんだのう」
「はい。ずっと村に一番近い位置にいましたです」
「それに、村のなかの水路や天逆川に満ちておった妖気も消えたのじゃったな」
「はい。妖気が晴れてさっぱりしたのです」
「敵は妖気を集めたわけじゃ。集めた妖気を何に使おうとしておるのか。あるいは使うたのか」
天子さんは、しばらく思考に沈んだ。
「鈴太よ」
「うん」
「食事がすみ次第、法師どののもとに向かう」
「うん」
6
「む、む、む」
「法師どの。台風がそのままあやかしである、というようなことが、あり得るのか?」
「あり得ぬ、とは言い切れぬなあ」
そのまま和尚さんは、腕を組んで目を閉じ、長考に入った。ずいぶん長い時間のあと、こう言った。
「天狐よ」
「うむ」
「魂降ろしをやろう」
「ほう」
「術者はわし、依り代はお前じゃ」
「ということは、審神者は鈴太か」
「適任であろう」
「うむ。訊くまでもないが、降ろすのは天逆毎じゃな?」
「むろんじゃ」
「なるほどのう。鈴太の言葉の力なら、天逆毎から真実を引き出すこともできよう」
「やるか」
「やろう」
和尚さんは、ぼくに向き直った。
「鈴太よ」
「は、はい」
「これから、魂降ろしの術を行う」
「たまおろし、ですか」
「神霊やあやかしを呼び出して、依り代に乗り遷らせて話を聞き出す術じゃ」
「乗り遷らせる?」
「そうじゃ。天逆毎の生き御霊を呼び出し、天狐に乗り遷らせる。そしてお前が質問を行うのじゃ」
「えええっ?」
「天逆毎の正体を暴け。あのおかたに復讐するというが、何の復讐であるのかを明らかにせよ。どのような手で攻めてくるのかを聞き出せ」
「そ、そんな。無理です。和尚さんがやってください」
「わしは術を使う。術を使いながら質問をすることもできなくはないが、心が乱れる危険もある。心が乱れて術にほころびができれば、依り代である天狐は、ただではすまぬ」
「ええっ」
「じゃから、手ごわい相手を降ろすときは、術者と依り代のほかに、質問者を用意するのじゃ。これを審神者と呼ぶ」
「さにわ、ですか」
「あやかしなどというものは、嘘とごまかしのかたまりじゃ。じゃが、夢のなかでは、あまり嘘やごまかしはせぬものじゃ。正しい質問をし、答えの意味するところを洞察し、真実を暴き出せ」
「そんな。無理です」
「名前と居場所がわかっておるのじゃから、魂降ろし自体は、まずまちがいなく成功する。あとはきちんと問答ができるかどうかじゃ」
「問答ですか?」
「呼び出された側にとっては、夢のなかの出来事のように感じられる。つまり心に隙がある。不信感を抱かれぬよう、うまく誘導いたせ。夢のなかといえど、疑いを持たれれば、術は壊れる」
「うまくいかなかったら、天子さんに危険が及ぶんですか」
「自分の心のうちに他者を迎え入れるのじゃからなあ。もちろん危険じゃ。まして相手には知識も力もある。魂降ろしの術にかかったと気づけば、依り代を蹂躙してゆくじゃろう。それとも依り代を通して妖気を届け、わしらを攻撃してくるかもしれぬ」
「そ、そんな危険なこと、どうしてもしなくちゃいけないんですか?」
「おそらく、満願成就の日が近いことは、天逆毎には知られておる」
「あ」
「満を持して送り込んだ十二個の溜石は、無力化されてしもうた」
「そう、ですね」
「そのことをどの程度察知しておるかはわからん。じゃが、溜石を仕込んでから今日まで短くない日数がかかっており、失敗したと考えていても不思議はない」
「はい。そこまではわかります」
「じゃから、敵は最後の攻めに転じると、わしは少し前から思っておった」
「最後の、攻め」
「この次ひでり神さまが目覚めれば、今度こそ満願成就の日が来よう。じゃから、これは、本当に最後の攻防じゃ」
「は、はい」
「これは天逆毎の死力を尽くした攻撃となる」
「はい」
「どんな手でくるかと思っておったが、まさか台風がそのままあやかしとはのう。これこそ、天逆毎の奥の手にまちがいあるまいて」
「奥の手ですか」
「これをしのげば、おそらくそれ以上の攻撃はない」
「鈴太よ」
「は、はい」
「お前の声には、あやかしの心にもしみこむ不思議な力がある」
「い、いえ」
「それは、ここまでの戦いでみてきた通りじゃ」
「でも」
「お前にしかできぬ」
「ぼくにしか」
「審神者とは、神を審判する者、という意味じゃ」
「神を審判する?」
「依り代に降り立った神が、真実の神であるかどうか、その発する言葉が真実かどうか、それを審判する者を、審神者という」
「神様を?」
「その場合の神は、善神であるかもしれず、悪神、邪神であるかもしれず、鬼神であるかもしれぬ。要するに、極めて妖気や神気の高いもののことをまとめて神と呼ぶのじゃ」
「神という言葉の意味は広いんですね」
「そうじゃ。ただし、この場合、相手は天逆毎。よこしまで危険なあやかしじゃ。しかしてただの天逆毎ではない。じゃが今のところ、正体がわからぬ」
「いったい、どうやって話しかけたらいいんでしょう」
「それは自分で考えてくれ。今から儀式の準備をするから、そのあいだに考えるのじゃ。ただ一つ助言をするとすれば」
「はい」
「天逆毎の腹心の部下のようなふりをして話しかければよいように思う」
「腹心の……部下」
「本当にそんなものがおるかどうかは知らぬが、自分をたたえあがめる味方には、誰しも心を許してしまうものじゃ」
「はい。やってみます」
「頼むぞ」
「鈴太よ」
「天子さん」
「遠慮なくやれ」
「うん」
「相手が降りたとき、わらわが表に出ては、相手に気づかれてしまう。ゆえに魂降ろしの最中には、わらわはみずからの意志を髪の毛一筋ほども出すことはない。心のかたすみにちぢこまっておる」
「うん」
「おぬしがこれから相手にするのは、姿はわらわであっても、中身は天逆毎そのものじゃ。それを忘れるでないぞ」
「わかった」




