22. 侵入者をお出迎えしましょう!
「そういえば、俺は君の目となり耳となる、と約束したね」
ふと、思い出したように、背後に立ったルーナンは言った。その笑みを含んだ声に、いい予感はしない。
「そうよ。いらないのだけれど、傍にいたいのなら働きなさい」
「では、働くとしよう」
がしり、と背後から肩を捕まれた。人の姿をしたルーナンから直接触れられるのは初めて、思わずびくりと体が震えた。しかし、これは夢のことだと気を落ち着かせる。
ルーナンはぐるりと私を回転させ、向かい合わせた。
「何かしら」
「目となり耳となる、というのは実にふんわりとした言葉だとは思わないかい?」
「貴方がふんわりという言葉を使うことに違和感を覚えるけど、まあそうね」
目の前のルーナンは、にんまりと笑みを浮かべている。私の肩においた手を外し、癖毛のような黒髪を掻きあげた。
「俺は君の有益な情報を伝えればいいと解釈している」
「私も同じような解釈だったわ」
あくまで彼の気まぐれ。全てを伝えるとは保証されていないし、誓えやしないだろう。私にその真偽を見極める術はない。それに、彼が考える『私に有益な情報』だ。それが私と一致しているとは限らない。
「だから、エリオルジオの魔道具だって教えた」
そうだ。私に有益と言うならば、ルーナンが言う時点で怪しいものではないということ。失念していた。いや、ふんわりした表現での約束だったので、そこまで把握してはいないのだが。
「ええ。分かっているわ。私の傍にいるのに、対価が釣り合わないとでも言いたいの? それならば、好きなところへ行けばいいのに」
勿体ぶったように言うルーナンに、寝不足の私はイライラした。
「違うよ。もちろん、害のある存在も教えた方がいいのかな、と思ったんだ」
「私に有益な情報だと思うのなら、教えた方がいいのではないかしら。まあ、私に危険が迫っていたとして、それが有益な情報ではないと貴方が思うのなら、それは貴方との関係をもう一度考えなければいけないわね」
危険が迫っていたとして、私がそれをはね除けられるか。事前情報があれば、何かしらの対策ができるかもしれない。でももし、私が何も知らずに危険に晒されたとしたら。持つ手駒は少なく、力も弱い。
「私を生かすのは、私にとって有益ではないと考えるならば、教えなければいいのよ」
それはそれでいい。死ぬのなら死ねばいい。物語の始まる前に悪役が消えるなら、それはきっとゲームとは関係ないことの証明となるのだ。
「死は必ずしも別れとは限らない。ずっと一緒にいられることになるかもしれないよ。あの夫婦のように」
ルーナンは目を細め、恍惚とした表情で囁いた。まるで、それを憧れるかのように。
「それを、貴方が求めるのならば、さっさと私を殺せばいい。苦しまないのなら、それは幸せなことね」
「君は、それが望みかい?」
ルーナンは意外そうに目を瞬かせる。その目は爛々と輝いていて、何かを期待しているようだった。
「死ぬことが望みな筈がないわ」
私はルーナンから視線を逸らし、ため息をつく。
望み、望みかあ。というなんとも言えない気持ちが胸を軋ませる。死にたい訳ではない。でも、どうしても生きていたいという強い思いもない。ただ、私はこの世界に生まれ落ちたのだから、生きられるのなら生きていたいとは思う。
にんまりと笑うルーナンが、ゆっくりと口を開いた。
「では教えよう。トリステン家の敷地内に侵入者がいる。恐らくただの泥棒ではないだろう。なかなかの手練れさ」
深く深くため息を吐いた。早く言えよ、という思いを込めて。
「起きるわ」
「ああ、そうだろうね」
珍しくにこやかに笑い、ルーナンが手を伸ばす。私の目を覆い、視界は闇に包まれた。しかしそれも一瞬で、一つ瞬きすると、薄暗くも月明かりに照らされた部屋があった。
一つ息を吐くとナイトテーブルに置かれていたベルに手を伸ばす。これは爺に繋がる魔法のベル。夜中に使うことなど、基本的にはない。爺は来るだろう。私の少ない手駒を連れて。非常事態だと察してくれたらいいのだけれど。
ちりりりりりん。
控えめに、でもいつもより多めに振っておく。ルーナンの言う侵入者が近くにいるかもしれない。非常事態だということを知らせなければ。
「俺は何をすればいい?」
トカゲ姿のルーナンがふわふわと浮かんでいた。寝る前よりも手足が生えているような気がする。何故だろう。
「何もしなくていいわ」
「何も?」
「ええ。貴方の仕事は私の目や耳になること。護衛は仕事外よ」
「君が望むなら、俺は」
「望まないわ。貴方ほどの強い護衛に払える対価は、私にはない。今回は手駒の能力を試してみるわ」
ルーナンが訝しげに――本当に表情豊かなは虫類である――私を見上げる。
「俺は対価を求めない」
「私が嫌なのよ。いい加減諦めなさい」
ネグリジェの上からガウンを羽織り、適当なクッションをベッドに仕込む。ごそごそとしていると、部屋の隅で寝ていたヨナルが起きてきた。
「ぐるる……。どうかしたのお」
寝惚けてます、と言わんばかりの声に、私はため息をかみ殺す。
「貴方は獣じゃないのかしら。ルーナンが言うには、この敷地内に誰か招かざる客が来たようよ。そこそこ手練れのね」
私の言葉に、ヨナルはぱちっと大きな一つ目を見開いた。ぴくぴくと耳を動かす。
「本当だわ! やだ、どうして気づかなかったのかしら。もう屋敷に入ってきているじゃない!」
それはもう時間がない。目当てが私ではないといいのだが。
「食べた分、番犬ぐらいの働きでもしたらどうかしら? 愛玩犬は必要ないわよ」
「親から野生を学ぶ前に攫ったのは人間よ!」
歯をむき出しにしてヨナルが吠える。静かにしてほしい。侵入者に気づかれたらどうする。
「今更何を言っているのかしら。まず、攫ったのは私じゃない。文句を言うなら誘拐犯と守り切れなかった貴方の親に言ってちょうだい。それに、出て行きたかったら出て行けばいいわ。私は引き留めない」
「……気配に鈍くて、人間に育ててもらった私が、親の元に戻れる筈、ないじゃない」
「ええ、そうね。貴方の種族がどうだか知らないけれど、貴方は独り立ちしてそうなほど育っているもの。私は飼い主として、責任は果たすわ。ここにいたいならいなさい。でも、食べた分は働いてもらうわ。貴方が愛玩犬を望むなら、愛玩犬を望む飼い主を探すと約束しましょう」
ヨナルは一つ瞬きすると、がくりと頭を下げた。
「貴女はそういう人だったわね。ベラ。奴隷の子達と私は同じ」
「それは違うわ。貴方には選択肢がある。あの子達にはないものよ」
「他の飼い主なんて、嫌に決まっているじゃない。選択肢なんてないわ。いじわるなんだからあ」
くーんとヨナルはあからさまに鳴いて擦り寄ってきた。私はその大きな頭をひと撫でする。
「ルーナン。侵入者はどこを目指しているか分かる?」
「残念ながらこの部屋を目指しているようだ。君の両親のいる部屋に目もくれず、イザベラの部屋に向かっている。もうすぐ来るぞ」
「爺はまだ来ないのね。仕方がないわ。ベッドの下に隠れて時間を稼ぎましょう」
私達はいそいそとベッドの下に潜り、息を潜める。
「イザベラ。侵入者は三名。特に腕の立つ男が一人。他、男女一人ずつだ」
ルーナンが言うならば、腕の立つ男というのがそれなりに強いのだろう。埃っぽい床に這いつくばりながら、どうしたものかと考える。ファーガスへの悪戯用に、少々トラップを配置はしてあるが、あくまで悪戯だ。命を奪うものはない。足止めになればいいのだが。
ぐるるるとヨナルが唸る。どうやらお客が来たようだ。
きいっと微かな音を立てて扉が開かれる。ベッドの下から見えるのは、男物の革靴が二人分と、ヒールの高い靴。それで仕事をするのか。
足音をたてずに、三人は部屋に入ってきた。迷いなく私の潜むベッドまでくると、頭上でぎしりと音が鳴った。続いてざくりという音がした。何か刃物のようなもので刺したのだろうか。
ばさっと布が動かされた音がする。ちっと舌打ちのような音も聞こえた。どうやらダミーがばれたようだ。
「いないぞ」
神経質そうな声が聞こえた。この低い声は男だろうか。
「どうするの」
女の声も聞こえた。もう一人の男の声は聞こえない。
三人はばらばらに行動し始めた。クローゼットやバスルームなどを調べている。ベッドの下を確認するのも時間の問題だろう。
どうしたものかと考えているとノックの音が聞こえた。はっとした様に、三人がドアに注目した。
ルーナンに指を一本立てて見せる。そして、逆の手で3本指を立てた。3本の指のうち一本を指してから侵入者の靴を指さす。それを3回繰り返した後、もう一度指を一本立てた。女の靴のときに指した指を折り、残り二本の指の後ろでひょこひょこ動かしてみる。
一番強いという男が知りたいのだが、このジェスチャーで通じるだろうか。
再度ノックの音が聞こえる。時間はない。声を出したら気づかれてしまう。
ルーナンはにやりと口端を上げると、クローゼットの前に立っている男を、短い腕で指示した。
伝わっているといいのだが、確認することはできない。まあ、外れていても仕方がないと腹をくくる。
ヨナルの前にも指を突き出し、クローゼットを指し示す。次に開いた自分の口を指さし、1回だけ前後に指を振った。
ヨナルはじりじりとベッドの陰から出やすい位置に移動する。
合図と同時に襲え、と指示をしたかったのだけれど、通じているのか心配である。なるようになってもらうしかない。
残りの男女二人はじりじりとドアに近づく。爺が入ってきた瞬間に襲うつもりなのだろう。
ベッド下に隠してあるトランクを静かに開ける。いいトランクを買っておいて良かった。中から取り出すのは、アンドリューに補充してもらった魔石だ。運がいいのか、ドアの傍にはトラップ用の簡易魔法陣がある。びりっとする電気を発生させるものだ。魔石を投げ込めばいいのだが、うまくいくだろうか。今のところ有効な使用方法は思いついておらず、かなり強引にいかないと発動しない。エリオルジオを参考に魔法陣の絨毯でも作成しておけばよかったと今更ながら後悔する。
「お嬢様、爺でございます。いかがされましたか?」
私の返事がないからか、爺が声をかけてくる。扉の両脇に控えた男女の侵入者がナイフを構える。
私は爺の戦闘力を知らなかった。この2人に不意打ちされても大丈夫なのか。その判断ができない。異母兄弟より強いのは知っている。この侵入者程度は余裕だろうか。
「お嬢様?……失礼いたします」
再度、爺が不審がるような声を発した。ゆっくりとドアノブが回る。
私は魔石を握りしめ、息を整える。気づかれてはいけない。じりじりとベッドの下から這い出す準備をした。
――きい。
小さく扉が開く。カンテラだろうか。柔らかい光が細く見えた。私は叫んだ。
「ヨナル!」
がるるるると、ヨナルの唸り声と、がたんばたんと何かが倒れる音が聞こえた。驚いたように扉の脇に控えていた男女が振り返る。私は自分なりに素早く這い出し、扉の近くに設置したトラップに魔石を投げつける。強く投げつけたせいか、魔石はぱりんと軽い音を立てて割れてしまった。
瞬間、眩い雷が女を包む。ばちばちばちっという音とともに、女は崩れ落ちた。魔石は割れてしまったが、魔法陣は発動したらしい。片方の男は私の叫び声と同時に壁に飛びのいたので、魔法陣の範囲から外れてしまった。
「爺!侵入者よ!」
ばんっと荒々しく扉が大きく開かれた。侵入者の男が扉にあたり、鈍い音がする。カンテラの明かりに照らされた爺とギルバート、異母兄弟が見えた。と思った瞬間、痛そうに顔を押さえた男が私に向かってナイフを振り上げる。冷たくも熱い痛みが二の腕に走った。爺が体当たりをしたせいか、私は腕にナイフが当たっただけですんだようだ。手のひらで切られた二の腕を押さえる。
ミリアーナが私の背中に触れた。その手は恐怖からか、かたかたと震えている。私はミリアーナを連れ、部屋の隅へと非難した。
「ベ、ベラ様、血が!」
「ミア、いいから」
治療しようとするミアを制し、状況を把握しようと部屋を見渡す。扉の脇にいた男は、ギルバートと爺が相手をしているようで、壁際に追い詰めていた。私が魔法陣で痺れさせた女は、気を失っているのか、ぴくぴくとしながらも起き上がらない。電流のショックで失禁したのか、アンモニアと何かが焦げたような不快な匂いが部屋に充満していた。アンドリューとディメトリが女を縄で拘束する。
「きゃんっ」
情けない獣の悲鳴が聞こえた。どさりと重い何かが倒れた音がする。部屋の奥で格闘していたヨナルが倒れていた。体のあちらこちらに爪で引き裂かれた形跡が見れる男が立ち上がる。男は顔に布を巻いており、全身黒い服装だった。まあ、ヨナルによってところどころ破けているのだが。
男は何か紙のようなものを握っていた。魔法陣かもしれない、と思っているうちに、男の手にある紙が光る。
「ディー!邪魔をして。ミアは防護壁を。アンは迎撃!」
女の元にいた二人が素早く立ち上がる。ディーは目を瞑り、ぼそぼそと何かを口にした。じわじわと男の手にある魔法陣の光が弱まってくる。顔に布を巻いた男から小さな舌打ちの音が聞こえた。逆の手で握っていたらしい大きなナイフで私に切りかかってくる。
傍にいるミアが魔法陣を取り出した。ちらりと見れば風の防護壁の魔法陣であった。魔法陣が輝いたと思えば、目の前に風の壁が出現する。男のナイフを防護壁は防いでくれたが、男のナイフに細工がしてあったのか、それとも力量故か、一撃で防護壁は破れてしまった。
男が再度ナイフを振り上げる。ひと際大きな光が背後で輝いた。ざざんと強い水流が男の足元を流れ、腕を振り上げていた男は顔面から倒れこんだ。水流に足を掬われたらしい。その背中に歯をむき出しにしたヨナルが飛び乗り、首筋に噛み付いた。みしみし、という音が聞こえる。
「ヨナル、殺してはいけないわ。今はね」
もう一人の方に視線を移せば、爺とギルバートで制圧が完了していた。ばたばたと男は暴れているが、ギルバートに押さえつけられているので、もう害はないかと思われる。
一通り侵入者は捕らえたようだ。ふう、と一息つく。
「ルーナン、侵入者はこれですべてよね?」
「ああ、そうだよ」
笑いを含んだ声が耳元で聞こえた。いつの間にか肩に乗っていたらしい。私はルーナンを叩き落とすと、未だに震えているミリアーナを連れて、寝室から出た。
長椅子に座ると、ディメトリがブランケットを膝にかけてくれた。まだ夜は深く、空気はひんやりとしていたのでありがたい。腕は切られたが、不思議と恐怖はなかった。
酷い匂いの部屋から解放されて、深くため息を吐いた。いや、まさか暗殺者的なものを送り込まれるなんて。
「ベラ様、治療しましょう……」
目を潤ませたミリアーナが私の手を握りしめた。その目は腕の傷を見つめている。
「ええ、お願い」
暖かい光が私の手を包み込む。これが治癒魔法か、とぼんやり思った。そういえば、治癒魔法を自分で受けるのは初めてである。じわじわとした痒みが傷口に広がる。それはどこか、治りかけの傷の、瘡蓋を剥がしたくなる時のようで、気持ちいいものではない。
まるで再生していくかのように、腕の傷口が消えていく。それは私の前世の記憶としては何とも気持ち悪いもので、再びため息を吐きたくなった。
お読みいただきありがとうございました。




