落ち着かない部屋
「ここや」
客間の扉を開けると、広い室内には豪華なシャンデリアが天井からぶら下がり、足元には丸ごと一頭の虎の毛皮が敷いてある。
木目調に統一された壁からは、隙間が見当たらないほど剥製にされた動物の頭が突き出している。
部屋の隅にも剥製が飾られてある父さんの自慢の部屋で、お客さんを招いた時は必ずここに招いて驚かせている。
その部屋の真ん中に1本の屋久杉から削り出したという、大きくて立派な机が置いてあった。
「うおっ! なんだこの部屋は」
「この剥製、みんな本物なの?」
鈴乃ちゃんの問いかけに、磐拝くんはコクッとうなずく。
「父さんの趣味なの……私は好きじゃないけど」
弓香さんが出て行ったあと、とにかく椅子に座り、ゴソゴソと教科書やノートを取り出す。
「……仁狼ちゃん、範囲はどこ?」
「ここから……ここまでだ」
「うわ、広い」
「とにかく始めるぜ。分からねぇところが出てきたら頼む」
私と天凪くんが教科書の問題に取りかかる。落ち着かない雰囲気を感じながら無言で問題を解く。
鈴乃ちゃんや磐拝くんは特に話をするわけでもなく、私たちの様子をながめていた。
磐拝くんなら、剥製を見てまわるかと思ったけどそんな様子はない。
15分たった。
誰も口を開かない。
落ち着かない雰囲気がますます強くなる。
30分が過ぎる。
時々、教科書をめくる音とシャーペンが走る音しか聞こえない。
「かあぁ! うるせえ! 分かってるぜ。おう、もう我慢できねぇんだと! 俺もこの部屋の雰囲気はガマンできねぇ!!」
40分が過ぎようした時、天凪くんが意味の分からないことを叫んだ。
「佳月、とにかく部屋変えようぜ。おまえらどうだ?」
「う、うん。できればそうしたい」
2人ともうなずく。もちろん私も賛成。
「変わりたいけど、どこにいこう?」
鈴乃ちゃんが心配そうにいった。
「佳月の部屋がいいそうだ。あそこは雰囲気良かったからな」
「でも、テーブルが……」
テーブルがなかったから、ここに来たのに。
「持っていくぜ、コレ」
目の前の机を指さす。
「どうやって……とても持ち上がりそうにないよ」
「大丈夫だ。順崇は椅子を運んでくれ。鈴乃はドア開けてくれ」
「うん。待ってて」
どうするつもりなんだろう?
確かこの机を設置する時、クレーンを使っていたはずだけど。
「仁狼ちゃん、開けたよぉ」
鈴乃ちゃんが、両開き式になっている客間の扉を全開にして、閉まらないようロックをかける。
「じゃあ行こうぜ。佳月は自分の部屋のドアを開けておいてくれ」
そういって机の下に手を入れたとたん、ヒョイと、まるで発泡スチロールで作られているかのように、簡単に肩に担いだ。
驚きで声がでない。
「何してんだ? 佳月」
何でもないような天凪くんの声。他の2人も当たり前のことのように、この光景を見ている。
なぜか、階段での出来事が頭の中で重なった。
「ゴメン、佳月ちゃんも椅子1個持って」
鈴乃ちゃんの声にようやく我にかえった。
今度は4人で私の部屋に向かう。
廊下は充分広いので、机をどこかにぶつける心配はないけど、それにしても同じ大木から削り出したというこの椅子もけっこう重い。
磐拝くんが2個、鈴乃ちゃんと私が1個ずつ持っている。椅子だけでもこれだけ重いとすればあの机はいったい……。
「お、お嬢さ」
途中で擦れ違った与根山さんが、口を開けたままぼう然とこの光景を見送る。
「な……な、な?」
また永瀧さんに会った。口をパクパクさせて言葉にならないうようだ。
「やはり私の部屋を使いますので、少しのあいだ机をお借りします」
できるだけ平静を装って告げると永瀧さんは目を見開いてガクガクと小刻みにうなずく。
部屋に着くと磐拝くんがサッと真ん中にあった小さいテーブルをどけて天凪くんがそっと机を降ろし、椅子を並べると、3人は何でもなかったかのように座った。
「さぁて、始めるとするか」
さっそく天凪くんが宿題を再開する。机の件はひとまず置いて、私も教科書を開いた。
「……そうそう順崇ちゃん、この間貸してくれた本すごく面白かったよ」
隣の2人はすぐに話を始める。
「鈴乃、ここ分かんねぇ」
「どこ?」
「47ページの問6」
「あ、私も教えて」
本当は客間にいた時から分からなかった問題だけど、まわりの雰囲気に押されて、話しかける気になれなかった。
鈴乃ちゃんのおかげで、まだ習っていないところもスムーズに進んだ。私が理解できないところも、何かに例えて説明してくれて、すごく分かりやすい。
あと少しで終わりに近づいた時、ドアをノックする音が聞こえ、返事をする前にドアが開いた。
「うわ、アホや! ほんまに持ってきとる」
弓香さんだった。
「佳月ちゃんヤバイで、永瀧さんが旦那に連絡しとったわ。もうスグ帰ってくるみたいやで」
「え! そうなの? みんな、ゴメン。父さん帰ってくるみたいだから終わりにしない」
「あ、机使うんだ」
「そうじゃないけど、もし動かしたことが気に入らなかったら、みんなが怒られるかも知れない」
私はいいけど、みんなを巻き込みたくない。
「じゃあみんなで怒られましょう」
鈴乃ちゃんが平気な顔でいった。
「おう、俺たちが帰っちまったら佳月が1人で怒られるかも知れねぇからな」
磐拝くんは天凪くんの言葉を肯定するように、私に向かって微笑んでうなずく。みんなそれが当たり前……そんな雰囲気に、なんだか嬉しかった。
宿題が終わったちょうどその時、部屋の外が騒がしくなってドアが勢いよく開き、不機嫌そうな顔をした父さんが永瀧さんと2人の秘書を連れて入ってきた。
「あ、お父さま、お帰りなさい。少し机をお借りしています」
何かいいだす前に、こちらの方から拍子抜けした言葉をかける。感情的なところはあるけど、すぐ冷静さを取り戻す人だ。
事実、表情からも不機嫌さが消えた。
「あ……ああ、ただいま」
「この人たちは、今の学校での友人です」
「すみません、こんな時間までおじゃましてます」
鈴乃ちゃんがニコニコしながらおじぎをする。
「おじゃましてまーす」
「こんばんは」
2人もそれに続く。
「そうか、いらっしゃい」
そういいながら永瀧さんに手を差しのべて、レポートを受け取った。