弓香さん
「弓香さん、いつもどおりでいいよ。ほら、この人たちが以前にいってた、天凪くんに鈴乃ちゃんと磐拝くんだから」
「ふふーん、やっぱりそうなんや。佳月ちゃんが初めて友だち連れて来たゆうて、みんな大騒ぎしてんねんで」
「弓香さんにしか教えてなかったからね」
「そやな。よう! わたしはここで働いとる八嶌弓香や。よろしゅう頼むで」
彼らに向かって、お盆を持ったままの右手を挙げて、いつもどおりの弓香さんに戻った。
「おう、こっちこそ。俺は天凪仁狼だ」
「か、神流原鈴乃です。よろしくお願いします」
「磐拝順崇」
鈴乃ちゃんだけが弓香さんの話し方の変化に動揺している。
もの静かでキレイな人……が第一印象だった彼女のそんな姿を知ったのは、初めて紹介されてから4日目のことだった。
夜遅くなっても、なんとなくお腹が空いて眠れなかったので、家で働いてもらっている人たちのキッチンに向かった。
私の家族とお客さん用の厨房もあるけど、部屋から遠いし、こっちの方が手軽に食べられるものが入っていて、時々ないしょで夜食をもらったりしている。
でも次の日には、お返しに何か入れておくようにしている。
うす暗がりの中で冷蔵庫を開けると、周辺が明るい光に照らしだされ、リンゴを1つ取り出したところに後ろから大声がした。
「誰や! ぬすみ喰いしてんのは!」
心臓が飛び出しそうになった。
そこには金属バットを握りしめ、メガネをかけたパジャマ姿の弓香さんがいた。
「ご、ごめんなさい。少しお腹空いて……」
「え、あれ? お嬢様! 申しわけございません! わたし、こんなものまで持ちだして」
あたふたとバットを背中にまわす。
「お、お嬢様が夜中にこんな所に来るなんて思わなかったものですから……で、でもお腹が空かれたのでしたら、わたしたちにひと言いって下されば」
「う、うん。でもこんな遅くからお願いしちゃ悪いと思って……」
まだ心臓がドキドキしていた。
「それにしても驚いた。あんな大声出すなんて」
「あれは……その」
「そのバットはどこにあったの?」
「コレは……わたしのです」
だんだんおかしくなってきた。
「ぷ、あははは……」
弓香さんは呆気に取られていたけど、すぐに一緒になって笑いだした。
「あー、驚いた。それにしてもお嬢様だって分かった時、どうしようかと思いました」
「私も。驚いて心臓が止るかと思った」
そういいながら皮つきのリンゴを丸ごとかじる。
「そういえば与根山さんが、時々冷蔵庫の食べ物が入れ替わるっていってましたけど」
生真面目な家政婦長の与根山さんの、不思議そうな顔が思い浮かぶ。
「ごめんなさい。私が犯人なの」
「それにしても、こんなこといっていいのか……お嬢様ってあまりお嬢様らしくないですね」
弓香さんが遠慮がちにいった。
「うん。本当は、お嬢様って呼ばれるのも好きじゃないんだけど」
「ついこの前まで働いていた所では、そう大したこともないのにすごかったんですよ。ひと月で辞めましたけど」
彼女の目がつり上がっているけど……何があったんだろう。
「ねえ八嶌さん。これから私と話す時は、敬語はやめて、友だちみたいに話してくれない?」
「え? でも立場上そういうわけにはいきません」
「じゃあ、他に誰もいない時ならどう? 実は私、家に帰ると息が詰まりそうになるの」
「本当によろしいのですか?」
「うん。私も弓香さんって呼ぶから」
「でしたら早速。ぷっはぁ、苦しかったぁ。ほんまゆうたら敬語ってどーも苦手なんや。舌もつれそうになるねん」
いきなり弓香さんの話し方が関西弁に変わる。そういえば、さっきの大声もそうだった。
とたんに壁が消えたように、彼女の雰囲気が変わった。
それは、よく知ってる雰囲気……天凪くんとよく似た雰囲気。
「あれ? 佳月ちゃんあんまし驚いてへんな。ここの人らでも、初めはびっくりしとったのに」
「うん。弓香さんみたいな人がいるから」
「へぇ、わたしに似てんの? どんなやつ」
「友だちの1人で天凪くんっていうんだけど……」
それから朝方近くまで会話が盛り上がってしまい、次の日はおたがい寝不足で辛かった……。
「そやから、みんな興味深々でな、どんなやつか見て来いゆうてな。佳月ちゃんが初めて怒ったんもあるし、わたしがいちばん聞き出しやすいやろて」
そういいながら遠慮なく彼らをジロジロ見る。
「うりゃあ!」
天凪くんが叫び声を上げて、変なポーズをとった。
「アホか。そこまでサービスせんでもええんや。ホンマ佳月ちゃんのゆうてたとおりのやっちゃな」
呆れて笑いながらも、手が天凪くんにツッコミを入れている。
「弓香さんは大阪の方ですか?」
鈴乃ちゃんが尋ねる。
「ちゃうちゃう、実家は京都なんや。そやけど学校は高校から大阪に通よとったんやで」
「なあ、関西じゃ、うどんがご飯のおかずに出てくるってのはホントか?」
天凪くんがとんでもない質問をする。
「またそれかい。あんたはラーメンライスも全面否定するんか?」
「いや、そういう訳じゃ」
「宿題は?」
磐拝くんのひと言でみんなが我にかえった。
「そうだった。うお! もう30分たってるぜ」
「テーブルやったな……わたしらの食堂がいちばんええんやろけど、永瀧さん許さへんやろし……客間使たらええんちゃう? どうせ旦那は夜まで帰ってこうへんし」
「うーん。あの部屋、落ち着かないんだけど」
この家にはお客さん用の寝室など数えきれないほどの部屋がたくさんある。
そのいくつかになぜか落ち着かない部屋があって、客間もその1つだ。
「他にないんだったらしょうがねぇだろ」
「そうだよ、どんどん時間が過ぎてっちゃうよ」
2人が賛成する。
「しょうがない。そうしようか」
弓香さんを先頭に、ちょうど私の部屋と反対の場所にある客間に向かった。
途中で永瀧さんと擦れ違う。
「お嬢様どちらへ?」
「私の部屋のテーブルでは小さいので、客間を使わせていただきます」
うむをいわせない口調でいった。
「そうですか。ごゆっくり」
何かいいたそうだったけど、何もいわずに立ち去っていった。
弓香さんを見ると肩を震わせて笑っている。




