第五話 モテる男、業務連絡です
――その日の昼……丁度四限の終わった頃。シュウマはクラスメイトに誘われ、昼食に同伴することになった。メンバーは交流のある女子生徒二人と、同じく知り合いの男子生徒一人。シュウマを足して、男女二人ずつのグループになる。
「……それで、なんで俺は呼ばれたんだ?」
シュウマは表面上は笑みを絶やさずに、口元を僅かに引きつらせながらそう言った。クラスメイトと食事をするだけだというのに、シュウマがそんな微妙な表情をしているのには、理由があった。
「今から詩織ちゃんとうちのどっちが影山にふさわしいか勝負するんだ」
「この泥棒猫は明を誑かす可能性があるので、公平な判断のできる夏野さんにやってもらおうというわけです」
茶髪の大柄な女子生徒と黒髪の小柄な女子生徒は互いに睨み合い、そっぽを向く。勝負と言った手前から、既にバチバチのようだ。シュウマはこの状況を作った乾いた笑いを浮かべている男子生徒に耳打ちする。
「あはは……」
「おい影山、何笑ってんだ。どういうわけなんだよこれ」
「ごめんね、夏野君。二人ともどうしてもって言って聞かないんだ」
「理由を説明しろって言ったんだが」
「夏野君頑張って」
どっかの数学教師みたく、ぐっとサムズアップをしてくる男子生徒。意外にも強かなこの温厚な少年は、有無を言わさず、といった圧のある笑みを浮かべた。話すだけ無駄だと悟ったシュウマはため息を吐きながら、二人の女子生徒に向き直る。
「それで?どうやって勝負するんだ?」
「それは勿論、明への奉仕で……」
「却下。そんなのを見せつけられる俺の身にもなってみろよ」
「そうだよ詩織ちゃん。どさくさに紛れてうちに精神攻撃しようとしてるでしょ」
「ふっ。手毬さんはその無駄に大きな身体が取り柄なようですから、先に明をわたしの身体で骨抜きにして、アドバンテージを無くそうとしているだけです」
黒髪の女子生徒は嘲るような笑みを浮かべながら、茶髪の女子生徒を指差す。無駄に大きな身体、と揶揄された女子生徒は頬を赤く染め、自分の身体を抱いて身を引かせた。
「む、無駄に大きいって何さ!」
「その忌々しい胸や尻で、明を誘惑する前に……小さい子の魅力を、明に叩き込んであげます」
「え、ええ……?」
目の据わった黒髪の女子生徒にドン引きした様子の茶髪の女子生徒。勿論、シュウマと当の本人である男子生徒もドン引きしていた。
「……なぁ、桜田は何を言ってるんだ?」
「あはは……詩織はちょっと、変わってるから」
「今のところ俺的には桜田が圧倒的なマイナスなんだが、これって勝負はついたってことでいいか?」
「駄目だよ。まだ勝負が始まってもいないじゃない。お昼を食べながらでもいいから、このまま見守っててよ」
そう言って微笑みかける男子生徒を見て、シュウマは――人当たりの良いという印象を崩さないために――苦い顔をしながらも、言われたとおりに弁当の蓋を開いた。男子生徒も弁当の蓋を開けて、食事を始める。
「……影山、お前そんな可愛い弁当箱だったか?」
「これは手毬さんが持ってきてくれたんだ。お弁当を作ったから食べてほしいって言われてね」
「マジかよ、手毬って料理も出来たのか」
「結構美味しいよ。量も丁度いいし」
そう言いながら、笑顔で弁当を食べ始める男子生徒。絵に描いたようなモテ男がいるな、とシュウマは今さらながらに思った。視界の端に写る二人の女子生徒の言い合いを横目で見ながら、シュウマは自身の弁当を口に運んだ。しっかり味のついた卵焼きが、疲れた脳に染み渡る。
「……もう、手毬を選んだらどうだ?顔も良ければ性格もいい。料理だって出来るんだしさ。そうしたらこの諍いも無くなるだろ」
「そうもいかないんだよ。詩織が手毬さんに何をするか分からないからね。それに僕は今、恋愛をする気分じゃないんだ」
「難儀だなぁ……」
このモテ男も、彼を取り合う二人の女子生徒も。シュウマは今も言い争いをしている女子生徒達を見ながら、どうか次はこの変な諍いに巻き込まれないように、と願うばかりだった。
――――
放課後。帰宅部であるシュウマは、下校のために荷物の整理をしていた。途中で後ろから、「夏野君また明日ねー!」「じゃあな夏野!」「夏野っちばいばーい!」と聞こえてきたので、「じゃあな」と短く挨拶を返す。やがて荷物の整理を終えると、鞄を手に持って肩に掛けた。
「……重っ」
肩に感じるなかなかの重みに、シュウマはボソリと呟いた。シュウマはあまり置き勉をする方ではなく、毎日重たい教科書とノートを鞄に詰めていた。特に趣味もないシュウマには勉強しかすることがないので、こうして日々教科書類の入った重い鞄を持ち運んでいるのだ。おかげで運動部でもないのに大分腕の力がついた気がする。
(……さて、帰るとするか……ん?)
ぼんやりとしていたシュウマ以外のクラスメイトが教室を出て、閑散としている中……レイカは教卓を机にして椅子に座り、学級日誌に何やら書き込んでいた。おそらく日直の仕事を確認し、コメントを書いているのだろう。学級日誌には日直がクラスの一日の様子や出来事を書き込むスペースがあり、それに対して教師が返事を書くスペースもある。生徒はたまにそれを読み返したりして「先生のコメント面白い」とか「先生ってこんなキャラなんだ」と会話のネタにしたりする。まぁざっくり言えば、生徒と先生のコミュニケーションツールと日直の仕事を兼ねたものだ。シュウマは良くないとは思いながらも、レイカが今何を書いているのか気になり、何やら集中している彼女の後ろに向かい、後ろからその中身を覗き見た。
――生徒:今日は授業に寝ている生徒が大半でした。多分春の陽気に耐えられなかったんだと思います。
――レイカ:睡眠時間が不足しているのだと思います。最近はそういう生徒も多いので、皆様におかれましては、遅くても夜十一時には就寝することを推奨し――
「いや内容」
「!?な、夏野君……!?」
思わず声が出てしまい、それに反応したレイカが驚いた様子で振り返った――その際も無表情だった――。シュウマはそんなレイカのことなど気にせず、学級日誌を奪い取り、他のページを開いていく。
「うわ、ほとんど注意喚起みたいな内容じゃないですか。しかもちょっとふざけた内容にもマジレス……霧谷先生、本当に人の血通ってるんですか?」
「一応私は、人間の父と母の間に生まれた身ですが……」
「だとしても、これは冷血とかいうレベルじゃないですよ。業務報告です業務報告」
「えっ……」
歯に衣着せずに言うと、レイカがショックを受けた様子で固まってしまう。しばらく間を置いて、レイカは無表情のままがっくりと肩を落とした。
「……皆さんがせっかく書いてくれたのですから、しっかり返事を書かねばと一生懸命考えたのですが……」
「なら、もっと砕けた感じで書いたらいいんじゃないですか?」
「砕けた……?」
首を傾げるレイカに学級日誌を返すと、シュウマは鞄の中からノートとシャーペンを取り出す。ノートの中にサラサラっと返事の訂正案を書くと、それをレイカに見せつけた。
――今日は温かい日でしたし、私もついついウトウトしてしまいました。春の陽気とは恐ろしいものですね。
「こんなもんでいいんですよ。相手のノリに適当に便乗してやればいいんです。まぁ授業中寝るのは良くないですけど、そこはやんわりと注意すればいい」
「なるほど……勉強になります」
レイカは日誌に書いていた返事を消しゴムで消し――幸いにもシャーペンで書いていた――シュウマの教えの通りに、内容を書き直した。
――レイカ:私の腕前が至らぬばかりに、皆さんを春の陽気の危機に晒してしまいました。今後はもっと皆さんの眠気を覚ますような授業をすることを心がけます。
「んー……まぁ、いいんじゃないですか?」
未だ堅苦しさは拭えないが、いきなり返事の様子が変わるというのも違和感を持たれるだろう。それでも先ほど書いていた文章よりかは幾分かマシになった。そんな事を思いながらシュウマが学級日誌を眺めていると、ふと、レイカがじっとシュウマの事を見ているのが見えた。レイカは呆気に取られたような様子で、ボソリと呟く。
「……夏野君は、不思議な人ですね」
「え?」
「賑やかな生徒かと思いきや、本当は静かな所が好きで、人当たりが良いと思いきや、教師に向かって遠慮のない物言いで指摘をしたり……」
「なんですか、悪口ですか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ、こんな私に構ってくださるのが、珍しいと思いまして」
レイカは学級日誌を閉じて、教卓に視線を向ける。そこには、レイカが朝に持ってくる出席簿が置かれていた。レイカはいつもと変わらぬ無表情だったが、纏っている雰囲気が、どこか寂しいものに感じた。
「……私はどうやら、嫌われているようなので」
「……っ!……それ、は……」
シュウマが何か言葉を紡ごうとしたが、それを遮るようにレイカはこう言った。
「日々の皆さんの様子を見ていれば分かることです」
……日々の授業態度や、授業への姿勢。そしてほとんどの生徒はレイカと話そうとしない。余程鈍感でなければ、気づかないわけがなかった。それに気づいたシュウマは何故か胸が掻き乱されるような感覚を味わいながら、先ほど言おうとしたものとは別の言葉を紡いだ。
「……辛く、ないんですか」
「辛い……かもしれません。でも、どうすればいいのか、私には分からないので」
「……そうですか」
シュウマに言えたのは、それだけだった。普通の人なら、ここで慰めの言葉の一つでも言えたのかもしれない。だが、ありきたりな言葉を紡いでも、この胸の荒れようをマシにできるとは思えなかった。
(……なんだ、この気持ち)
レイカに会ってから自分は変だ。以前は学校で素を出したりはしなかったのに、レイカの前ではこうしてほんの少しだけ素の自分を出してしまっている。大人は苦手だったはずの自分が。今、その大人を害する者に感情を露わにしている。
(……なんで、こんなに腹が立つんだ)
内なる自分に聞いても、その答えはわからなかった。目の前にレイカがいなければ、持っていた鞄を地面に叩きつけたかもしれない。それ程までに、シュウマは苛立っていた。
「……俺、帰ります。さようなら」
「……?はい、さようなら。夏野君」
シュウマはレイカから顔を逸らして、口元を引き結びながら教室を出ていった。――心の中で燃える炎に、シュウマは少し乱雑に水を掛けた。




