第四話 男にもいろいろあるんだよ
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「兄貴、朝だぞ――」
「おはよう、美咲」
翌朝。部屋に入ってきた妹を見ながら、シュウマは制服の上のボタンを止めた。そのままネクタイを着けてブレザーを着ると、どこに出しても恥ずかしくない男子高校生が完成した。
「は……?なんでもう着替えてるんだ?」
「そりゃ、昨日美咲に怒られたからな。俺だって学びはするさ」
「そ、それにしても、私が起こすよりも早く起きてるなんて……」
「おいおい、俺を舐めてもらっちゃ困るな。その気になれば、美咲が起きる時間に目覚ましなしで起きられるんだぞ」
「…………!」
「ま、こんな所で駄弁ってないで、朝飯を食べようぜ」
「あ……」
何故か様子のおかしい妹が何かを言いかける前に、シュウマは足早に食卓に向かうのだった――
――――
――朝食時。席に着いたシュウマと妹は、昨日と同じく無言で食事をしていた。
「…………」
「…………」
互いに静かに箸を進め、会話の一つも交わすことはない。そんなある意味ではいつも通りな光景には、少し、見慣れないものがあった。
「……美咲、なんか手震えてね?大丈夫か?」
「う、うるせぇ!じろじろ見るなよ変態兄貴!」
そう言いながら、茶碗を持つ手が震えている妹。明らかに不審な様子を見て、シュウマは眉をひそめる。
「……あー、昨日のアレ、まだ怒ってるのか?」
「……っ、そんなんじゃねぇし。そもそも、兄貴に女友達がいようと、私には関係ないし……」
「いや、いないんだけどな……」
シュウマは箸を進めながら切ないつぶやきを漏らす。しかし妹の耳には届いていないのか、何故か顔を俯かせていた。
(……昨日は結局、帰ってからも口聞いてもらえなかったしな……よくわからんが、そんなに俺に友達がいるのが気に食わないのか?)
昨日は帰ってすぐに、レイカとの約束を済ませようと思ったのだが、予想以上に妹が意固地になってしまっていて、会話の一つもままならず、結局約束を果たすことが出来なかった。
(……あからさまなご機嫌取りも、効果ないかぁ……)
今までの妹なら、先程のように言われたことを完璧にこなしていれば、くどくどと文句を言うことはなくなるのだが、今回ばかりは、どうも事情が違うようだった。
「はぁ……」
思わずため息を吐いてしまう。これではレイカとの約束を果たすのは、相当先になりそうだ。盛大な啖呵を切っておいて少し格好悪いなと思っていると、ふと、それまで顔を俯かせていた妹が、ボソリと呟いた。
「……兄貴、さ」
「ん?」
「カノジョ、とか……いるの?」
「え、なに急に」
恋愛とは一切無縁なシュウマに突如出された恋愛的な話題。それもまさかこの毒舌な妹の口から「カノジョ」なんて単語が出てくるとは。あまりの急展開に、シュウマは首を傾げることしか出来なかった。次いで、極めて平静な声で言葉を返す。
「いや、いないけど」
まさか妹相手にこんな悲しいことを告げることになるとは思ってもみなかった。――あれ、おかしいな。目から水が流れそうだ――なんて思っていると、目の前の妹がジトッとした視線を向けてきているのが見えた。
「……嘘だ」
「嘘じゃねぇよ。お前これ以上俺を惨めにさせる気か?」
妹、まさかの否定である。そんな事をされてしまっては、シュウマは彼女がいないのに「彼女いる」と言い張る悲しい奴になってしまうではないか。そんなシュウマの内情もお構いなしに、妹は鋭い視線を向けている。そして、顔を真っ赤にしながらこう言った。
「だってこの前兄貴のシャツを洗った時、女の香りがしたもん!」
「はぁ!?そんなわけないだろ!?」
「したもん!丁度三日前、兄貴のシャツの袖の辺りに微かな女の香りが!」
「三日前……?」
そんな香りをつけられたことがない、とシュウマが過去の記憶を掘り返していると、ふと、思い当たることがあった。丁度三日前……レイカに突然手を握られた、あの時――あの時……?
(……えっ、あれなのか!?マジで!?でも霧谷先生ってそんな強い香水とか使ってたか!?匂いが移るって相当だぞ!?)
実際触られたのは手だけだ。その際にちょっと袖にレイカの手が触れたのかもしれないが、それだけで匂いが移るとは考えがたい。シュウマも一切香りは感じなかったし。
(……てことは、美咲の嗅覚がやばいってことか……?)
ほんの僅かな香りで女と接触したと判断できるレベルとなると、最早犬と大差ないのではないか。シュウマはその事実に戦慄しながらも、妹の説得を試みる。
「……美咲、落ち着いて聞いてくれ。その香りとかいうのには心当たりがあるが、その人は決して彼女なんかじゃないぞ」
「言い訳なんて聞きたくない!所詮兄貴も、クラスの発情猿共と同じ男なんだ!」
「いや、マジで違うから。あと、朝から大きな声で発情猿とか言うの止めて?」
「私知ってるんだからね!兄貴が、大きい胸の美人な人がタイプだってこと!」
「風評被害だ。どっから来たんだその情報は」
「友達が言ってたもん!男は顔と胸にしか興味がないって!」
その友達とやらは流石に偏見が過ぎるのではないか、とシュウマは思った。確かに思春期の男なんてそんなものなのかもしれないが、それが全てではないと思いたい。ちなみに、シュウマにはこれといってタイプというものはない。初恋すらまだだというのに、好みのタイプなどできるはずもなかった。
「美咲、俺はそのカテゴリには当てはまらないから。彼女なんて出来たこともないし、作りたいとすら思ってないぞ」
「……本当に?」
「ああ、本当だ。それに、もし彼女が出来たら美咲に真っ先に紹介するしな」
「ぐはっ」
「えっ」
フォローをしたつもりなのだが、何故か妹は胸を押さえて蹲ってしまった。余程ショックを受けたのか、妹の綺麗な瞳はハイライトを失い、昏い光を宿している。
「私に……カノジョが出来たことを、報告……?無理無理、そんなの絶対正気を失う――」
何やらボソボソと呟き始めたのを見て、シュウマは妹がまともに会話ができる状態では無くなったと悟った。心の内でレイカに謝罪し、シュウマは遠い目をしながら食事を再開するのだった――
――――
なんとか地獄の朝食を乗り切ったシュウマは、若干疲れた様子で教室に入った。朝早いからか、教室の中にはまばらな人数しかいなかった。
「おはよう、夏野君。今日は早いわね」
「星宮。おはようさん」
教室のドアの直ぐ側の席に座っていた眼鏡をかけた女子生徒に挨拶を返すと、席に向かって乱雑に荷物を置く。それを見た女子生徒は、読んでいた本を閉じてシュウマの元に歩いてきた。
「随分と荒れているじゃない。何かあったの?」
「妹とちょっとな。宥めるのが大変だったんだ……」
「へぇ、意外ね。夏野君って、揉め事とは無縁だと思っていたのだけど」
「俺だって人間なんだから、誰かと揉めたりするさ」
「ふふ、確かにね」
軽口を叩くと、女子生徒がくすくすと笑う。すると同時に教室のドアが開かれ、「あ、委員長ー」「おはよう委員長」「夏野っち、いいんちょ、おはよー!」と賑やかな声が聞こえてきた。その内の大半は眼鏡の女子生徒の方に向けられたものだったので、女子生徒は穏やかに挨拶を返す。……シュウマのクラスの学級委員長である彼女は、クラスの皆に慕われている人気者なのだ。見た目は特別派手というわけではないが、大人びた雰囲気と穏やかな物腰から、頼れる人物として名を馳せている。
(……あと、見た目的にも同じ高校生とは思えないよな)
朝の妹との会話が脳裏を過って、思わずシュウマの視線が女子生徒の首から下に向けられてしまう。意外にも発育のよいそれが、シュウマの視界の端に写った。
「……夏野君、どうかしたの?」
「っ!いや、なんでもない」
目の前の女子生徒が怪訝な顔をしてこちらを見てきたので、慌てて視線を逸らして誤魔化す。――危なかった。これでは妹の言っていた「発情猿」発言を否定できなくなるところだった。とシュウマが内心胸をなで下ろしていると、再び教室のドアが開く音が聞こえてきた。視線をそちらに向けると、そこには見覚えのある黒髪ショートの女性の姿が。
「皆さん、おはようございます」
女性――レイカが無表情で挨拶をすると、近くにいた生徒が気まずそうに「おはようございまーす……」と小さく呟いた。ツカツカと歩いていたレイカが教卓に辿り着くと、彼女は手に持っていた出席簿を教卓に置いて、それを開く。
「席についてください。朝のホームルームを始めます」
冷たい声に聞こえるその呼びかけを聞きながら、クラスメイト達はそそくさと自分の席に座った。シュウマはそんな周りを見て、どこか気だるげに席に着くのだった。
――――
昼前の四限。そろそろお腹が空いてくるであろうこの時間帯に、シュウマは黒板に書かれた数式をひたすらにノートに写していた。四限はレイカが担当の数学だったのだ。
「では、この問題を誰かに解いてもらいましょう。では、芝田君」
「うへぇ……俺っすか?」
「宿題をやっていればできる範囲です」
「はーい……」
シュウマの二つ前の席に座っていた男子生徒が、渋々といった様子で黒板に向かう。確か彼は今日もシュウマの宿題を写していたので、きっと自分でできる自信がないのだろう。そんな事を考えながら、シュウマは黒板の前に立ったクラスメイトに目を向ける。
「……そこの式、間違っていますよ」
「あ、すんません……」
「ここはこの公式を使うのです。ほら、このように」
レイカは無表情で、男子生徒の書いていた式に文字や式を付け加える。彼はそれを至極どうでもよさそうに見ていた。
「まぁ、答えとそれ以外の式は合っていたので、よしとします。しっかり復習をしておくように」
「へーい」
男子生徒は気のない返事をすると、足早に自分の席に戻っていった。辺りに視線を向けると、何人かの生徒が「またか……」というような表情を浮かべていた。レイカは板書を書く作業に戻ったので、そんな彼らの表情を見ていなかった。
(……いつも通り、冷たい雰囲気の授業だな)
シュウマは板書を写しながら、そんな事を思う。新学期に入ってから、レイカの授業はいつもこんな感じだった。予習復習が当たり前で、宿題をやらなければ手酷い指摘を受ける。そのためこの授業は、クラスの中でも人気ワーストトップの授業と化していた。
「……もっと上手くやりゃいいのに」
無言で板書を書いていくレイカの背中を見ながら、シュウマはボソリと呟いた。




