第二話 レイテツ教師は素直で天然
翌日。シュウマはいつも通り、休み時間にクラスメイトに絡まれていた。
「夏野ぉ〜!また数学の宿題写させてくれぇ〜!」
「また?これで何回目だよ」
「夏野っち、あたしもあたしも〜!」
「おい、俺は便利屋じゃないんだぞー?」
冗談めかして苦笑しながら、シュウマは机の上に自分のノートを広げる。男子生徒一人と女子生徒一人が、餌を与えられた子犬のように一心不乱にその中身を写し始めた。シュウマがどこか呆れたようにそれを見ていると……ふと、視線を感じた。
「……げっ」
顔を上げてみると、授業の準備をしていた霧谷レイカと目が合う。レイカは無言で、一切瞬きせずにシュウマ達の方に視線を向けていた。
(いや怖っ)
避難めいた視線を向けてくるのならまだしも、一切瞬きせずにガン見となると違う意味で怖い。だがこちらに来る様子はないことから、別に咎めるつもりではないのだろう。だがだとしたら、なんでこっちをじっと見てくるのだろうか。
(……マジで意図が読めん)
レイカに向かって怪訝な視線を向けていると、彼女はシュウマの視線に気づいたのか、何事もなかったかのように視線を逸らした。その際も、彼女は無表情だった。
「ん?夏野、どうかしたか?」
「……ん、なんでもないよ。というか三鷹、昨日も宿題忘れてなかったか?そのうち霧谷先生にどやされるぞ」
「平気だって。だって霧谷センセーって、やってるやつには確認しないじゃん」
「だよねだよねー。なんかこう、レイテツ、っていうか?やることだけ済ませてちゃっちゃっと終わらせるタイプだよねー」
「冷徹の意味知ってるのか、愛川」
「知ってるよぉ!あたし、これでもブンケイなんだから!」
言葉の節々から「わかってない感じ」を滲み出す女子生徒に苦笑しながら、シュウマは再びレイカに視線を向けた。……彼女は教材に視線を落としたまま、微動だにしていなかった。
――――
――昼。シュウマは昨日と同じように弁当片手に屋上に続く階段へと向かっていた。……そして案の定。
「「……あっ」」
シュウマが目的の場所に着くと、そこには昨日と同じように霧谷レイカが座って食事を取っていた。シュウマは思わず、その場からUターンしようと……
「待ってください」
Uターンしようとして、レイカに手首を掴まれた。今すぐにでも振り払いたかったが、意外にも強い力で掴まれているので、やむなく断念した。代わりに、彼女に向かって言葉を紡ぐ。
「……なんでしょうか」
「ここは夏野君の行きつけの場所なのでしょう?昨日も中途半端に昼食を終えていましたし、遠慮せずに腰掛けてください」
「……いや、俺は一人で食べたいんですが」
「安心してください。私は空気になることに徹するので」
できればそのままご退場願いたかったが、そう言われてしまってはこのまま去ってしまうのも気が引けた。仕方なく、シュウマはレイカから距離の離れた場所に腰掛けると――
「……は?」
思わず素の声が出てしまったのは、しょうがないと思う。何故なら、いつの間にかレイカがシュウマ隣に座っていたのだから。彼女は然程気にした様子もないように、弁当を無心に食べている。
「あの、なんで隣に座るんですか?」
「夏野君、私は空気です。空気に話しかけられても返事をすることはできません」
「ばっちり返事してるわけですがそれは」
「聞こえません。私は空気なので」
どうやらシュウマの意見は無視されるらしい。思わず額に青筋を立てそうになったが、シュウマはすんでのところで食い止めた。教師にブチギレたとなるといささか体裁が悪い。諦めて、シュウマは弁当の蓋を開いた。昨日は和食メインだったが、今日は洋食メインの弁当だった。スパゲッティやらハンバークなどが目に入り、彩りも豊かだ。
「じーっ……」
……何故だろうか。隣で「自分は空気だ」と告げたはずの人物が、シュウマの弁当に視線を向けている。しかも前のめりで。シュウマはジトッとした視線を向けながら、レイカに声をかける。
「……あの」
「なんでしょうか、夏野君」
「そんなに見られてると、食べにくいんですけど」
「お構いなく」
「いや構うだろ」
ついにシュウマの素の口調が出てしまった。シュウマは慌てて誤魔化すようにコホンと咳払いをするが、レイカが若干目を見開きながらシュウマを見ていた。どうやら手遅れだったようだ。
「……あの、今のは」
「――凄い……」
「は?」
謝罪の言葉を口にしようとしたシュウマは、レイカの言葉を聞いて間の抜けた声をあげた。レイカは自分の弁当に箸を置くと、何を思ったか、シュウマの手のひらを自分の手で握った。
「ちょ!?何してんですか!?」
「先程の遠慮のない口振り。そして教室での人当たりの良さ……夏野君、あなたはもしや……」
レイカがボソボソと何かを呟いているが、美人に手を握られるという思春期男子垂涎もののシチュエーションに狼狽してしまったシュウマには届かなかった。シュウマは顔を真っ赤にして、レイカに大声で訴える。
「もしや、なんですか!?ていうか手を握らないでくださいよ!セクハラですよセクハラ!」
「えっ」
シュウマの必死の訴えに、レイカはあっさりと手のひらを離した。シュウマは息を荒げながら、手に持っていた箸で弁当の中身を口に入れた。ハンバークの肉汁の旨みが口に染みた。
「はぁ……はぁ……」
「すみません。少し興奮してしまいました」
聞こえてきた声に視線を向けると、頭を下げたレイカの姿が目に入った。それを見て若干冷静になったのか、シュウマは罰が悪そうに視線を逸らす。
「……まぁ、別にいいですよ。じゃあ、俺はこれで」
「あ……」
「心配しなくても、後でちゃんと食べますって」
レイカの心配の声を背に受けて、シュウマはその場を後にする。結局、その日も弁当を昼時に食べることは出来なかった。
――――
――翌日の昼。
「……いや、空気になるんじゃなかったんですか?」
「事情が変わりました。今の私は空気ではなく壁です」
「なら壁に張り付いていてください」
今日も隣に座ってこちらを見てくるレイカに、シュウマは辛辣な言葉を投げかけた。既に素を少し晒してしまっているので、シュウマはもう取り繕う意味がないと考えたのだ。
「今日のお弁当も、美味しそうですね」
「……まぁ、美味いのは否定しませんけど」
「昨日のも美味しそうでした。私では、あのようなお弁当は作れません」
「大げさですよ。冷凍食品を詰め込んだだけだって妹も言ってましたから」
「妹さんが作っているのですね。素敵です」
そう言って無表情のまま目を輝かせるレイカ。……シュウマの弁当は、現在絶賛反抗期中の妹が作ってくれているのだが、その度に毎回「兄貴のは冷凍食品を詰め込んだだけだからな。手作りとかじゃないんだからな」と言われるのだ。どう見ても冷凍食品の出来ではないのだが、まぁ、あまり思春期に刺激を与えるのも良くないので、シュウマは触れないことにしている。閑話休題。
「私の作ったお弁当はどうも、不格好でして」
「……なるほど」
シュウマはレイカの弁当箱に視線を向けて、気まずそうに呟いた。よくよく見てみるとレイカの弁当の中身は、焦がしたせいか所々が黒くなっており、まるで元々の弁当に墨をぶっかけたかのような見た目をしていた。
「あ……すみません、なるほどとか言っちゃって」
「構いませんよ。事実ですので」
迷いもなく言い放ったレイカを見て、シュウマはより申し訳ない気分になった。するとレイカが無表情でそれを自分の口に運び――野菜炒めのようなものだった――シャキシャキと音を立てて咀嚼する。そしてそれをゴクリと飲み込むと、きっぱりと告げた。
「苦いですね」
「苦いんですか」
「食べてみますか?」
「……遠慮しておきます」
レイカがすかさず野菜炒めを箸に掴んでこちらに向けてくるが、シュウマは首を横に振って遠慮した。断じて「あーん」と食べさせてくれるシチュエーションを避けたいという理由ではない。苦い野菜炒めを食べたくなかっただけだ、とシュウマは自分に言い聞かせた。――箸を下げたレイカは、自分の手元にある野菜炒めとシュウマの弁当を交互に見て、ボソリと呟いた。
「……夏野君のお弁当は、美味しそうですね」
「…………」
……先程も同じような事を聞いたが、その言葉が孕んでいる意味は違うように聞こえた。声のトーンが切ない響きを込めている。……これはあれだ。ひもじい子供が食べ物を見て「いいなぁ」と呟くのと同じやつだ。とシュウマは思った。そして、シュウマはそれを無視する程の鬼畜ではなかった。
「……あの、よければちょっと食べます?」
「いいのですか?」
一瞬で食いついてきたレイカを見て、なんだかシュウマまで切ない気持ちになった。それを表には決して出さずに、シュウマは口のつけてない具材を探して、それを手で指さした。
「このコロッケ一個どうぞ」
「コロッケ……!?そんな贅沢なものを、受け取っていいのですか……!?」
「贅沢」
レイカは無表情ながらも目を輝かせて、箸を持ちながら葛藤している。きっと彼女は自分の作る弁当にまともな揚げ物を入れたことがなかったんだろう。何故だろうか、シュウマの瞳に涙が滲みそうになった。
「……あの、まだ口つけてないんで、もう一個あげましょうか?」
「いえ、十分です。私とて教師の身の上。生徒の模範たるべき存在が、そのような過剰な施しを受けるわけには」
「涎拭いてください」
一口サイズのコロッケ二個で涎を垂らし始めた女教師に、シュウマは顔を引きつらせた。レイカは無表情のまますぐにハンカチで涎を拭き取ると、箸をシュウマの弁当箱に向けた。
「では……いただいてもよろしいのですか?」
「いらないんだったら俺が食べますよ」
「いただきます」
素直にコロッケを一つ箸で取ったレイカは、恐る恐るといった様子でコロッケを口に運んだ。これがコロッケでなければ、高級食材を初めて口にする場面になるのだろうが、残念ながら食べているのはコロッケである。レイカはじっくりと味わうようにコロッケを咀嚼すると、ゆっくりとそれを飲み込んだ。
「…………ごくん」
「……どうでした?」
「……夏野君」
「はい、夏野君です」
「――これは、なんと美味しいコロッケでしょうか」
「はい?」
無表情でそんな事を言うレイカを見て、シュウマは首を傾げた。レイカはそんなシュウマを意に介さず、コロッケへの賛辞を語っていく。
「油のくどくないあっさりとした味付け。程よい分量で加えられたお肉……そして芋本来の味わい。これは私の人生の中でも、最上位に君臨するコロッケです」
「最上位」
「夏野君の妹さんは、最高の料理人……いえ、料理の神なのですね」
「料理の神」
ぶっ飛んだワードが次々と出てきて、シュウマはオウム返しをする他なかった。自分の妹が褒められて嬉しい反面、大げさすぎて素直に受け止められない自分がいた。
「……ありがとうございます。妹に言っておきますね」
「いえ、名も知らない人から褒められたと聞いても、妹様が怖がるだけでしょう。私は例え認知されなくても、その人を影から推していきたいタイプなので、伝えなくても大丈夫です」
「あ、はい」
早口で告げられた言葉に生返事をするシュウマ。レイカの中で評価が鰻登りに上がっていく自身の妹を脳裏に思い浮かべ、シュウマは複雑な表情を浮かべるのだった――




