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第5話 家族アプリ

第5話 家族アプリ


「これ、入れてみる?」


金曜の夜、ファミレスのドリンクバー前で恒一がスマホを見せてきた。


画面には、カラフルなアイコンが並んでいる。


『ふたり家計』

『共有カレンダー』

『家族TODO』


いかにも“丁寧な暮らし系”の名前だった。


文香はアイスカフェラテを注ぎながら眉を上げる。


「なにそれ」


「夫婦向けアプリ」


「へえ」


「美優さんに言われたんだよね」


「なんて?」


恒一は少し苦笑した。


「『あんたたち、生活感なさすぎ』って」


文香は吹き出した。


「あー、言いそう」


「だから少しは夫婦っぽいことしてみようかなって」


その言葉に、文香は少しだけ考える。


先日の体調不良以来、自分の中にも小さな変化があった。


別居でもいい。


でも、“家族感”は少し欲しい。


そんな曖昧な感情。


「……まあ、やってみる?」


「やる?」


「合理的なら」


「そこは変わらないな」


二人は笑った。


その日の帰り道、早速アプリを入れた。


共有カレンダーには、


『金曜 映画』

『恒一 歯医者』

『文香 月末締め』


など予定を書き込む。


家計アプリには、


『ホテル代』

『外食』

『交通費』


を入力。


さらに買い物リストまで共有できた。


「なんかすごいね最近のアプリ」


文香はベッドに寝転がりながら呟く。


『便利だな』


通話越しに恒一が言った。


『これなら夫婦感あるかも』


「かもね」


そのときは、本当にそう思った。


最初の数日は楽しかった。


『今週会える?』

『この店気になる』

『次ここ行こう』


共有カレンダーに予定が増えるたび、少しだけ距離が近づいた気がした。


だが。


一週間後。


文香は会社の休憩室で、無表情にスマホを見つめていた。


『燃えるゴミ、水曜』

『ホテル代精算まだ』

『来週金曜19時集合』

『電気代送金した』


会話履歴が、ほぼ業務連絡だった。


「……なんか違う」


思わず漏れる。


隣でサンドイッチを食べていた篠田が振り返った。


「なにが?」


「あ、いや」


文香は慌ててスマホを伏せる。


「旦那とのLINE」


「ラブラブじゃん」


「全然です」


「なんで?」


文香はスマホを見せた。


篠田は数秒見つめ、それから爆笑した。


「なにこれ!」


「ひどくないですか」


「いやだって! 業務アカウントじゃん!」


「……やっぱそう思います?」


「夫婦の会話って普通もっとあるでしょ」


「例えば?」


「『会いたい』とか『好き』とか」


文香は真顔になった。


「そんな頻繁に言います?」


「言わないにしても、もうちょい温度あるわよ!」


休憩室に電子レンジの音が響く。


コンビニパスタの匂いが漂っていた。


文香は小さくため息をつく。


その日の夜。


文香は自室で、共有カレンダーを眺めていた。


色分けされた予定。


青が自分。


緑が恒一。


綺麗に整理されている。


無駄がない。


完璧だ。


完璧すぎるくらいに。


スマホが震えた。


『来月のホテル代ちょっと上がるかも』


文香は返信する。


『なんで?』


『金曜、連休前だから』


『あー』


『どうする?』


文香は少し考えた。


普通の夫婦なら、こんな相談するんだろうか。


「泊まる?」とか、「来る?」とか、もっと感覚的に決まるものじゃないのか。


でも自分たちは違う。


全部、調整。


全部、確認。


全部、共有。


それが安心だったはずなのに。


『ビジホ高いならネカフェでもいい』


送ってから、少し嫌な気持ちになった。


数秒後。


『さすがにそれは嫌』


その返信に、少しほっとする。


「あ」


文香は気づく。


嫌なんだ。


恒一にも、ちゃんと。


その頃、恒一は自室でコンビニ弁当を食べていた。


パソコンの画面にはエラーコード。


疲れた目でスマホを開く。


共有カレンダー。


共有家計。


共有TODO。


通知だらけだった。


『洗剤買う』

『次回支払い』

『週末予定』


便利だ。


確かに便利。


でも、なぜだろう。


以前より“夫婦っぽさ”が減っている気がする。


金曜に何食べるとか、映画どうだったとか、そういう会話が減った。


代わりに増えたのは確認事項。


まるで共同プロジェクトだ。


恒一は小さく笑った。


「会社みたい……」


その瞬間、スマホが鳴る。


文香から通話だった。


「もしもし」


『ねえ』


開口一番、文香が言った。


『私たち、最近変じゃない?』


「変?」


『会話、全部事務連絡になってる』


恒一は少し黙った。


エアコンの風がカーテンを揺らしている。


「……まあ、たしかに」


『夫婦感出そうとしてるのに、逆に他人っぽい』


「わかる」


『なんでだろ』


恒一はベッドに倒れ込んだ。


白い天井を見上げる。


「たぶん」


『うん』


「ちゃんとしようとしすぎなんじゃない?」


文香は黙った。


電話越しに、かすかに呼吸が聞こえる。


「俺たちさ」


恒一が続ける。


「夫婦っぽくなろうとして、管理増やしてる気がする」


『……ああ』


「でも、本当に欲しかったのって、そういうのじゃないんじゃない?」


文香は答えなかった。


代わりに、小さく笑う声がした。


『なんかさ』


「うん」


『会いたくなった』


その一言に、恒一は少し目を見開く。


『今週まだ火曜なのに』


「珍しいな」


『だって最近、ずっとアプリと会話してる気分』


恒一は吹き出した。


「それはわかる」


『ねえ』


「ん?」


『今度、予定とか決めないで会わない?』


その言葉に、恒一は少しだけ胸が温かくなる。


管理でも、効率でもなく。


ただ会いたいから会う。


それはたぶん、自分たちに足りなかったものだ。


「いいよ」


『ほんと?』


「うん」


窓の外では、遠くで雷が鳴っていた。


湿った夜風がカーテンを揺らす。


スマホ画面には、相変わらず無機質な通知が並んでいる。


それなのに今だけは、ちゃんと人と繋がっている気がした。



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