第10話 善意の代役
第五区の件は、「小さな行き違い」として処理された。
表向きは。
だが、その裏で、王城の空気は確実に変わり始めていた。
*
第一王子の執務室では、リリアが机の前に立っていた。
「殿下、私にできることがあれば……」
少し緊張した様子で、そう切り出す。
エドワードは一瞬考え、頷いた。
「そうだな。
最近、文官たちの動きが鈍い。
君が間に入って、現場の声をまとめてくれ」
「私が、ですか?」
驚きと同時に、嬉しさが顔に浮かぶ。
「はい。できる限り、頑張ります」
彼女は本気だった。
誰かの役に立ちたい。
殿下の力になりたい。
その気持ちに、嘘はない。
*
数日後。
リリアは、各部署から上がってきた要望を一つにまとめていた。
「ええと……こちらは急ぎ、こちらは少し余裕……」
机の上には、色分けされた紙束。
一見、整理されているように見える。
だが――。
「……あれ?」
同じ案件が、別部署からも上がってきている。
しかも、優先度が食い違っている。
「どっちが正しいんだろう……」
悩んだ末、リリアは“より困っていそうな声”を優先した。
それが、善意の判断だった。
*
その結果。
騎士団の補給が一日遅れ、
代わりに急ぎでない文書整備が先に回った。
「なぜだ!」
詰所で、団長が声を荒げる。
「補給の再計算が必要になりました」
「誰が決めた」
「……リリア様が」
一瞬、空気が止まった。
だが、次の瞬間。
「殿下のお許しがあるなら、仕方ない」
そう結論づけられる。
誰も、彼女を責めなかった。
*
第一王子は、報告を受けて眉をひそめた。
「少し、手際が悪いな」
「申し訳ありません……」
リリアは、すぐに頭を下げる。
「ですが、現場の方々はとても感謝していました。
話を聞いてもらえた、と」
その言葉に、エドワードは表情を緩めた。
「そうか。それならいい」
結果よりも、姿勢。
彼は、そこを評価した。
*
一方。
レティシアは、遠巻きにその様子を見ていた。
直接関わっていない。
ただ、報告の断片が耳に入るだけ。
「……補給が遅れた?」
小さく、眉を寄せる。
遅れるべきでないものが、後回しにされている。
だが――。
彼女は、何も言わなかった。
自分が口を出せば、
また“当たり前”として処理されるだけだ。
*
その夜。
宰相室で、アレクシスと宰相が向かい合っていた。
「……代役には、荷が重い」
宰相は、率直だった。
「ええ」
アレクシスは頷く。
「彼女は悪くない。
だが、あの役割は“善意”では務まらない」
「では、どうする?」
少しの沈黙。
「……崩れ切るまで、待つ」
冷たいようで、必要な判断だった。
*
レティシアは、自室で灯りを落とし、窓辺に立っていた。
王城の明かりが、静かに揺れている。
「……私が、いない方が」
そう思おうとする。
けれど。
今日一日で起きたズレが、
頭の中に、いくつも浮かぶ。
――これが、“代わり”の現実。
善意は、確かに尊い。
だが、それだけでは、国は回らない。
レティシアは、目を閉じた。
崩れ始めた歯車は、
もう、戻らないところまで進みつつあった。




