第11話 名前が出る瞬間
会議室の空気が、重かった。
中央長卓を囲む文官たちは、皆、視線を伏せている。
誰もが、今日の議題が「厄介」だと理解していた。
「第五区の件に続き、第七区でも遅延が出ています」
宰相補佐の報告に、低いざわめきが走る。
「補給の優先順位が錯綜しており、現場が混乱しています」
「またか……」
誰かが、思わず漏らした。
エドワードは、腕を組んだまま黙っている。
表情は険しいが、怒りというより困惑に近い。
「原因は?」
短く問う。
宰相補佐は、一拍置いた。
「……全体を通して見る者が、不在です」
その言葉に、室内の空気がさらに張り詰める。
「これまでは、自然と調整されていました」
別の文官が、続けた。
「部署ごとの判断は、以前と変わっていません。
ですが――」
言葉が、そこで止まる。
誰もが、同じ名前を思い浮かべていた。
だが、それを口にするのは、
これまでの判断を否定することでもある。
「……以前は」
年配の会計官が、ついに口を開いた。
「レティシア様が、最終的に全体を見ていました」
一瞬で、空気が凍った。
視線が一斉にエドワードへ向く。
「彼女は、正式な役職についていなかった」
エドワードは、即座に言った。
「個人に依存した体制など、健全ではない」
反論としては、正しい。
だが。
「おっしゃる通りです」
宰相補佐は、慎重に頷いた。
「ですが……現実として、
彼女が抜けた穴は、まだ埋まっていません」
沈黙。
誰も、それ以上言葉を続けなかった。
*
その頃、レティシアは補助執務室にいた。
最近、ここに来る人は減っている。
意図的に距離を取られているのを、感じていた。
「……」
机の上の書類は、以前より少ない。
それでも、頭の中では常に城全体の動きが浮かぶ。
――今頃、第五区の説明が遅れている。
――第七区は、調整不足で摩擦が出る。
考えるだけで、胸が痛んだ。
扉の外で、足音が止まる。
ノック。
「……どうぞ」
入ってきたのは、若い文官だった。
どこか、緊張している。
「あの……これは、正式な依頼ではないのですが」
彼は、書類を差し出した。
「確認だけ、していただけないでしょうか」
レティシアは、書類に目を落とす。
一目で、問題点が見えた。
「……このまま通せば、衝突します」
思わず、そう口にしていた。
文官は、ほっとしたように息を吐く。
「やはり……」
だが、次の瞬間。
「……すみません」
彼は、慌てて頭を下げた。
「やっぱり、いけませんよね。
レティシア様に頼るのは」
その言葉が、胸に刺さる。
「今は……殿下の方針で」
彼は、最後まで言わなかった。
レティシアは、静かに首を振る。
「いいえ」
声は、落ち着いていた。
「私に、正式な権限はありません。
これは、あなた方の仕事です」
それは、拒絶だった。
文官は、深く頭を下げ、去っていった。
*
夜。
アレクシスは、王城の回廊を歩いていた。
宰相から聞いた会議の内容が、頭を離れない。
「……名前が出たか」
小さく、呟く。
想定より、早い。
それだけ、歪みが大きかったということだ。
彼は、立ち止まり、窓の外を見る。
城の灯りは、まだ整っているように見える。
だが、その内側は、確実に揺らいでいる。
「……もう、戻れないな」
誰にともなく、そう告げた。
断罪への流れは、
すでに、動き出している。




