7
9月第一週はあわただしくも平和に過ぎようとしていた。
招待状は準備が終わり、来賓の家に発送される。
体育祭実行委員会が発足し、そのメンバーを1階エントランスの掲示板に張り出して告知。
耳栓も発注し、体育祭に関する生徒会の雑用と準備はもう終わったも同然だった。
(今年は本当に楽でいいな)
昼休み、英司はのんきにそんな事を考えていたのだが、そうは問屋がおろさないのが人生の常である。
『やっほー、英司君。今どこにいるのかな』
厄介事を持ち込みそうな雅人の軽快な思念が送られてきて、英司は思わず身構えた。
『昼食べ終わって、一応生徒会室に行こうかと思ってたんですけど』
そう正直に答えると、それは上々とご機嫌な返事が返ってくる。
『生徒会室じゃなくて、温室の方に来てくれないかな』
『温室ですか』
嫌な予感がして、思わず場所の確認をしてしまう。
特館の庭の奥にある温室は薔薇が植えてあり、雅人が管理している場所だ。
彼の領域と言っても良い。
そこに咲く薔薇たちの中には特殊効果を持つものも多く、特に防御と防音に優れた結界機能を付与された花たちが植えられていた。
(そんな所に呼び出しって、きっとろくなことじゃない)
しかし行かなければ、ほぼ強制的に魔法で連行されるはめになることはわかりきっている。
『そう、温室だよ。じゃあ待ってるから30秒以内に来てね』
(拒否権なしってか)
しかも30秒以内。
これは瞬間移動魔法を使うしかない。
あきらめて英司は温室に瞬間移動した。
色とりどりの薔薇に囲まれて、金色の髪と翡翠の瞳を持つ長身の貴公子が微笑んで立っている。
(ビジュアルだけ見たら、美術部が喜びそうなんだけどな)
彼をモデルに絵を描きたい。
何度もそう申し込まれ、雅人が美術部に時々出入りしているのを知っていた。
(何しろ特異体質になってからは、ほとんど俺が行ってるしなあ)
女子に悲鳴をあげられたら、雅人は蛙に変化してしまう。
そのため普段クラブの助っ人や女子と会ってしまいそうな場所では、英司が雅人に変身して身代わりを勤めていた。
(君の変身魔法の良い練習だね、なんて言われてもさ)
面倒なだけで、ありがたくもなんともない。
それこそ体育館の裏庭定番である告白から運動部の助っ人、果ては先生の呼び出しに至るまで、本人が出たくないあらゆる場面において、身代わりとして出なければならかった可哀想な自分を思い出し、英司は深くため息をついた。
(あの微笑みが悪魔の呼び出しに思えるよ)
いそいそと近づいていくと、金の髪の悪魔は愉快そうに彼にプリントを渡す。
「何ですか、これ」
英司は覗き込んで書かれた文面を読み、思わず顔をしかめた。
「これは君へのささやかなプレゼントだよ。さあ、今日からこの台詞を覚え、僕に変身して投げキッスと薔薇の飛ばし方の練習だ」
「えーっ、そんな。遠慮します」
「駄目だよ。体育祭当日は、君には完璧な僕になりきってもらわないといけない。そのためには今から練習しておかないと」
「別に普段どおりにやればいいんじゃないですか。どうせ競技に夢中になって、みんな気にもしませんよ」
英司がそう言うと、雅人は甘いっと手に持つ薔薇の花を彼の顔の前に突き出す。
「当日、あのレディたちが悲しむじゃないか。僕を讃え、僕を愛してくれる彼女たちの期待を裏切るなんて絶対にあってはいけないことだ。この世の悲劇だよ」
「あのレディたちって……ああ、雅人先輩の追っかけやってる子たちですか」
「追っかけ? 彼女たちは慎ましくも美しい団体名を持っている。その名もプリンス・ソロリティ!」
雅人は薔薇の一厘を高々と天井に向かって誇らしげに上げた。
「この世界で最高の美貌と知性を持つ僕を讃え、心を捧げることほど崇高な活動があろうか。いや、ないっ」
「いや……あの子たちって完全に名前負けしてますよ。ただ先輩にきゃあきゃあ言うだけの集団じゃないですか。意味わかってるんですか、ソロリティの意味を」
「もちろんさ。礼節を守り、清く正しく美しく、僕を賛美し、僕を讃える。彼女たちは素晴らしい活動家だよ」
「……絶対何か間違ってると思うんですが」
素直に追っかけでいいじゃないですか、と英司はぼやいたが、雅人は聞く耳を持たなかった。
「とにかくそんな練習はごめんです」
当日はちゃんと身代わりやりますから勘弁してください、と消えようとした英司を、さっと雅人は捕まえた。
「駄目だよ。もう君は僕の分身なんだから、きちんとお仕事しないと。絶対逃がしてあげないからね」
「いーえ、逃げます」
「無理だよ。この僕から逃れるなんて」
「無理でもなんでも」
英司は腕を振りほどき、すばやく瞬間移動する。
「ふふっ、この僕と追いかけっこする気だね。英司君くーんっ、逃がさないよ」
面白そうに目を輝かせて、雅人も英司の後を追って瞬間移動した。
英司と雅人が瞬間移動鬼ごっこをしている間、体育祭実行委員たちは数倍の忙しさで動いていた。
職員室の横の応接室は、今体育祭実行委員の実務部屋と化している。
「藤先輩、応援団長、副団長2名が全組決まりました」
「入場門と退場門のデザイン図が美術部から届きました。確認お願いします」
「会計の森先生から連絡です。体育祭での応援団衣装に関する申請を来週水曜日までに出して欲しいそうです」
「体育祭種目プログラム、今日の放課後までに出してほしいと芳賀先生が言ってました」
「……」
一度に4人の実行委員から違うことを立て続けに言われ、一瞬昇は頭が混乱した。
落ち着いて深呼吸し、一つ一つ考えながら指示を出す。
「応援団長と副団長を校内放送で放課後呼び出してくれ。場所はこの応接室だ」
「はい」
「門のデザインはこれで良いと思う。製作に必要な材料を一覧表にして来週の月曜日までに出して欲しいと美術部に連絡してくれ」
「わかりました」
「衣装に関する予算は偏ってはいけない。森先生に去年と一昨年、幾らぐらい衣装代がかかったのか教えてもらってきてくれないか。今年の参考にしたいからね。衣装の事は、放課後応援団長たちと話し合うよ」
「了解です」
「藤間さん」
昇は自分の右横にいる眼鏡をかけた女生徒を呼ぶ。
彼女は2年C組 藤間由美。藤家の親戚筋出身で昇の幼馴染。実行委員の中で最も気心の知れた存在であった。
「放課後までに応援団の練習場所と練習日を一覧表にして欲しい。練習開始は来週からで、時間帯は早朝、昼休み、放課後とし、場所は体育館、校庭を真ん中で二つにくぎって右と左、1階のエントランス、屋上の5箇所だ。それぞれ均等に場所を割り振って表にしてくれ。あとで応援団長たちにくじ引きでもしてもらって決めることにしよう」
「わかりました」
由美は微笑んで請け負う。
「あと当日のプログラムも、種目の順番を決めて放課後作ってほしい。頼めるかな」
「はい。そっちは放課後やればいいんですよね」
「そう。応援団の場所の割り振りの方を先にしてくれ」
「わかりました」
軽やかに了承の返事をし、彼女は紙とシャーペンを持って作業に取りかかった。
先生に連絡事項を伝えたり放送室に行くために、他の実行委員は応接室を出て行く。
昇は一気に物事があふれ、一気に治まったので、ほっと肩から力を抜いた。
(やれやれ、来週もこんなのばっかりかな)
正直平凡な学生生活が恋しくなってくる。
クラスメイトや先生から意味深な言葉を言われたり影でささやかれたりする有名人みたいな事態は、今回が初めてだ。
(出来るだけ目立たず普通に堅実な人生を歩みたかったんだけどなあ。なんでこうなったんだ)
すべてにおいてやる気はほどほどに、何をするにも平均が一番だ、がモットーの自分なのに、まさか校内一の注目株になるなんて思わなかった。
(婆の野心は昔から知ってたけどさ。まさか実行するとはね)
所詮口で言うだけ、クリスティ一族に真っ向から喧嘩をふっかけるとは思ってもいなかった。
(おやじの奴も今頃あわててるんじゃないか)
昇の父親は確かに遺伝子上は伊集院本家の出だ。
しかしそれがゆえに目立つことなく静かに生きるよう最新の努力をはらっていることを、昇は知っている。
(出る杭は打たれるっていうし、ここは無害な小物を装って自由を手に入れるのが一番だろう)
へたに自分の出自を誇示し、権利を要求するなんて馬鹿な真似をすれば、一族お取り潰し決定なのだから。
(社長がクリスティ一族だったし、おやじ、会社で嫌味とか絶対言われてるよな。へたすりゃ辞表を書いてるかも)
自分がまだ中学生でこれから大学まであるというのに、一家の大黒柱が失業とか最悪だ。
(うちって借家だしなあ。僕が高校からバイトして稼ぐしかないか)
高校生のバイト代で、一家を養えるのかどうなのか。
そんな身もふたもないことを悶々と考えていた昇の表情は、かなり険しいものだったらしい。
横に座っていた由美が心配そうに声をかけてきた。
「あの……藤先輩、大丈夫ですか」
「ん? ああ。大丈夫じゃないかもね」
「ええっ、何が大変なんですか」
「いや、ちょっと、バイトするなら何かいいかなーなんて思ってさ」
「は? バイトですか」
由美は眼鏡の奥の瞳をパチパチとさせる。
「私達、中学生ですよね。バイト禁止だと思うんですけど」
「まあ、そうだけどさ。ほら、来年僕は高校生だろ。卒業したらすぐバイト探そうかなって」
「お金は大事ですもんね。わたしも高校になったらアルバイトしようと思います。先輩だったらやる気出したら何でも出来るんじゃないですか。バーガー屋でもコンビニでも」
「うーん、そうだね。その辺が無難かなあ」
そんな日常っぽい会話をしていると、気持ちが落ち着いてきた。
「出来ました」
由美は声をあげて、A4用紙を差し出す。
「おーっ、早いな」
「これぐらいは書くだけですから。確認してください」
「どれどれ」
昇は紙を覗き込む。
そこにはきちんと表が出来ており、左端は体育祭までの日付が、横の欄は五つに区切ってそれぞれ均等に場所名が入っていた。
「これでどのラインの練習表にするかを、くじ引きで決めてもらえばいいと思います。あとは備品のチェックですね。校庭や体育館、どこを使うにしてもオーディオ設備はいるでしょうし」
「旧式の魔道MP3オーディオがあったはずだ。5つあるか確認しないとな。体育館は放送設備を使ってもいいけど、あんまりいじると嫌がる先生もいるだろうし。応援団員個人の家から持ってこさせるのも揉めそうだ」
「そうですね。確認してきます」
「ああ、いいよ。もう昼休み終わるし、放課後よろしく。出来たらオーディオは誰かと一緒に応接室に運んでおいてくれ。応援団長たちに今日渡してしまおう」
「わかりました。では他になければわたしはこれで」
由美は立ち上がると筆記用具を片付け、教室に戻っていく。
(僕も戻ろう)
時計を見ると、あと5分でチャイムが鳴る時間だ。
昇はうーんっと両手をあげて伸びを一回すると立ち上がり、応接室を出て行った。
普段どおりに5時間目と6時間目が終わる。
ホームルームと挨拶、掃除が終わった放課後の応接室は、いつにもまして活気立った。
各組の応援団長と副団長2名ずつがそろい、それぞれ練習場所の割り振りを決めたり、衣装について話し合ったり、オーディオを受け取ったり。
応援合戦がある為どの組も目の色を変えていて、他の組には絶対負けないという気迫がみなぎっていた。
(うわっ、やる前から怖いねえ)
昇は若干気持ちがひいてしまったが、それを顔に出さないよう笑顔を貼り付け、どの組からも文句が出ないよう気を配りながら進行していく。
ずべて終わって全員出て行った後、体中から力が抜けて大きなため息がもれた。
(やっと終わったか。本当に疲れたよ)
「藤先輩、体育祭のプログラム種目の順番表出来ました」
由美が頭をひねって決めた種目の順番表を持ってくる。
「悪いけど、僕はもう気力がない。そのまま芳賀先生に提出しておいてくれ」
「確認しなくていいんですか」
「君が決めたのなら大丈夫でしょ。もう疲れた。さっきの話し合いでライフはゼロだ。家に帰ってゲームする」
「はあ」
「活力を補完しないとね。週末は遊ぶぞーっ」
「確か明日は、藤家ゆり子様主催の秋の舞踏会があるのではなかったでしょうか」
「……嫌な予定、思い出させないでくれよ。君、行くの?」
「はい。というか今回の主役は藤先輩だと思うんですけど」
「何が舞踏会だよ。どうして藤家は社交ダンスなんか小さい頃から必須で習わないといけないんだ。今時の日本男子に、まったく必要ない教養だと思わないか。社会人になっても踊る機会なんてないだろうに」
「しかたありませんよ。ついでに言わせてもらえば女子にもあまり必要ないと思います」
「あーあ、全部うちの老害婆のせいだ。早くおやじに代替わりしないかな」
「ゆり子様、まだまだご壮健そうですもんね。あのお歳で凄いです」
「はああっ、ほんと悪いね。うちのお婆のせいで親戚一同に迷惑かけて」
昇はなんだか申し訳ない気分になって、応接室の机につっぷす。
「ちなみに明日は舞踏会というより決起大会だろうって、うちのお父さんが言ってました」
「決起大会? 何の?」
「それはもうアレです。藤先輩を総帥にしよう後援会発足の」
「何それ。どうして親戚までそのノリに……」
「先輩があまりやる気ないのは知ってますけど、こうなった以上明日は親戚一同の前で挨拶するしかないと思いますよ」
「挨拶? 一体なんて言えばいいんだよ」
「それはもう。普段学校の委員決めとかでやってるあれでいいんじゃないんですか。やる気ないけど推薦されちゃってしかたなく前に立つ人の台詞で」
「……」
「えー、この度は藤家当主藤ゆり子様に推薦され、クリスティ一族総帥に立候補することになりました藤昇です。よろしくお願いしますって言えばそれでいいかと」
「ぜえったい嫌だ!」
「でも明日は無理やり引っ張り出されると思いますよ。仮病も居留守も、あの有能執事である穂積さんに通用すると思ってるんですか」
「うーっ、無理だよな。あの人、執事の威信をかけて僕を捕まえて仮装させるだろうし」
「明日はどんな衣装を着るんでしょうね、藤先輩。楽しみにしています」
「由美ちゃーん、何気に楽しんでない?」
「他に舞踏会ならぬ大人の野心を満足させよう決起大会で楽しめる要素があるとでも?」
「薄情者―っ。いいよ、じゃあ、僕のファーストダンスの相手は君にしよう」
「それも無理です。あきらめてゆり子様に一番最初に申し込んでください。そうしないと会場が木っ端微塵になると思います」
「もう嫌だ。こんな人生」
へなへなと気力を失い、昇は全身の力を抜いてため息をつく。
「なんで藤家の長男に生まれちゃったかなあ。もっと平凡で普通の家庭に生まれたかった」
「きっとそれは藤先輩だけが思ってることではないと思いますよ」
「そうかな」
「特に魔族界の重鎮として注目されてるお家の人たちは、みんなそう思ってるんじゃないでしょうか」
「かもねー」
そう言うと昇は顔をあげ、帰り支度を始めた。
「嘆いていても時間がもったいない。僕に許された自由は限られているんだ。さっさと帰ってダンジョン攻略しないと」
「わたしも帰ってゲームします。丁度推しキャラのメインイベントまで来たし」
まるで本物の彼氏とデートするかのように嬉しそうに頬を染める由美を見ながら、君は平和でいいよねえ、とぼやいて昇は応接室をあとにした。




