5
9月も早3日目となった。
昼休み、生徒会室に白いボール紙の箱が職員室からやってくる。
「来ましたね、招待状」
英司は斎と共に、箱を開けて中身のカードを帝が座る席の前に容赦なく積み上げた。
「まあ、そんなに多くはないし、今日中に終わるさ」
がんばれ、と直樹に言われ、帝は自分の右手の親指に魔力をこめる。
普通の人間ならば指紋での捺印だが、魔族は親指の先に魔力を込めることで、自分の額に刻まれた紋章と同じ形の小さな親指サイズの印をはんこのように押すことが出来た。
これは人間の印鑑と同じような威力を持ち、魔族間での取引や書類には、必ずこの紋章印を捺印することになっている。
中二になって初めて受ける魔法の授業では、まず一番に習うのがこの紋章印の捺印魔法であった。
カードの一枚一枚に一般的な招待文と、最後に生徒会長伊集院帝とワープロ字で打って印刷されている。
自分の名前の右横に帝は親指を押し付け、一枚一枚ぺたぺたと紋章印を押していった。
はんこならば朱肉で赤色だが、魔族の紋章印は金色をしている。
せっせと招待された魔族の名を確認しながら、帝は親指を動かした。
「……ん?」
帝の手が止まる。
彼は印を押さずに、じっとカードに書かれた文面を睨む。
「英司、さっき押したのをくれ」
「え、はい」
帝が出した片手に、英司は彼が捺印したばかりのカードを乗せた。
「これは大丈夫だな。斎、次のカードを見せろ」
まだ目の前の招待状に捺印をしていない帝の行動に戸惑いながら、斎は帝の左に詰まれたカードの山から一枚取って渡す。
それをじっと睨み、帝は更にその次のカードを要求。
斎がまた渡すと、それにも目を通してため息をついた。
「どうした、帝」
彼の動作に気付き、PCに向かっていた直樹が問う。
「招待客の名前がずれてる。苗字と名前が一致しない」
さっき俺が判を押したのまでは大丈夫だと思うが、と帝はカードを直樹に見せた。
「どれ……ああ、本当だ。これはきっとエクセルのデータが印刷する時ずれたんだな」
そう言って直樹は、積んであるカードを次々開いて確認する。
「苗字と名前が合ってない。これはもう一度印刷してもらわないとな」
そう言うと、彼は印を押したカードの方も確認し始めた。
「こっちは大丈夫だ。良かったよ、気付いてくれて」
名前を間違って送ったら失礼になるからね、と言い、彼は押してないカードを箱に入れるよう斎に指示する。
「英司、お前、職員室に行け。担当の山田先生に、この箱を持っていって説明しろ。もう一度作り直してもらえ」
「わかりました」
にこっと笑うと、英司は箱を持って瞬間移動で消えた。
「斎」
直樹は一番後輩の彼を呼ぶ。
「お前、今日の放課後は生徒会室に来なくていい。帰宅しろ。いいな、帝」
斎は驚いて、目を丸くした。
今日はただの雑用で、特に魔力を使う大仕事はないはずだ。
『大丈夫です。全然やれます』
思念を送るが、直樹には伝わらない。
もどかしい思いで首を横に振ると、直樹は鞄から本を数冊取り出した。
斎は渡された本を見て、目を瞬かせる。
「魔法を使った戦闘の基本。補助魔法の基礎と応用。魔法戦術論。お前は体育祭まで少し早めに帰宅しろ。そしてこれを家で読んでおけ」
直樹は斎の顔を見ながら言った。
「お前は土系の魔法使いだ。防御や結界、探知などに長けている。攻撃魔法はある程度習ったようだが、魔法を使った戦術や戦略、補助魔法を駆使した応用などの知識はまだ学んでいないだろう」
その通りだったので、彼はうなずく。
「本来魔法は中学二年生から基礎を習う。しかしお前には今からその知識を教えるので、先に勉強して自分のものにしろ」
そう言うと、直樹は真剣な目で彼を見た。
「今から言うことをよく心に刻んでおけ。俺達は来年の春、この中等部から卒業だ。生徒会に新たな人材を入れるにしても、上級生になるお前と英司が帝を支えて生徒会を動かしていかねばならない」
斎は首を縦に振る。
「帝と英司は攻撃系――パワー型の魔法使いだ。だからどうしても力技で物事を解決しようとするし、そちらの方面に長けている。だがそれだけでは済まない事態が生じることもあるんだ。時には頭を使い、先を読み、作戦を練り上げて効率よく魔法を使わないと勝てない勝負もある」
直樹は唇のはしを上げて、笑みを作った。
「お前には二人を支えて、魔力だけではなく補助的な役割を担って欲しい。お前は十分それが出来る能力を持っている。これから卒業まで出来るだけ時間を作って、お前に俺の知る限りの補助魔法や戦略、情報の整理の仕方や分析などを教える。しっかり学んで来年、この生徒会を支えてくれ。いいな」
『わかりました。がんばります』
斎は本をしっかりと抱えて、再度うなずく。
自分がひ弱だから気を使って帰されるのではなく、これからの為の期待を担うために勉強する時間を作ってくれたのだ。
大事に鞄に本を入れると、斎は一礼して生徒会室を出て行く。
二人きりになった直樹は、帝の方を向いた。
「すまないな、帝。勝手に決めて」
「かまわない。来年のためだろう」
「ああ」
そう言うと、直樹はまたPCの方を向いた。
しばらく何か打ち込んでいたが、思いついたように手を止めてまた話しかける。
「そういえば体育祭実行委員長の事だが、理事会から推薦があってな。反対する理由もないから、本人に通達しておいた。放課後までにエントランスの掲示板に張り紙をしておくよ」
「誰がやるんだ」
押す招待状が無くなって手持ちぶたさになった帝は、所在なげに鞄から本を取り出し、ページをめくりながら問う。
「三年E組、藤昇。藤家の直系で長男だ。将来は藤家の長になるだろう」
「藤? おい、まさかあの藤家か」
瞬時に帝の顔色が変わる。
「ああ。このクリスティ学園の理事の一人、藤ゆり子の孫だ」
「……」
帝は黙って考え込んだ。
「お前も知っているな。藤ゆり子の過去は」
「ああ」
「藤昇は、お前の従兄弟だ。公式には認められていないが」
「そうだな」
帝はふうっと息を一つ吐くと、本を置き、立ち上がって窓辺による。
「おそらく今回の件は、あの藤家が絡んでいると思う。心に留めておいてくれ」
「わかった」
帝は窓の外を見た。
まだ夏の気配の残る庭園で、雅人が薔薇に水遣りをしている。
金色の髪を揺らしながら薔薇の中で作業をしている彼の姿は、本当に絵になると思った。
(あいつとも……本当に長い付き合いだ)
ぼんやりと帝は、雅人と初めて会った日の事を思い出す。
それはいつも大和によって折檻されてぼろぼろになっていた頃のことだ。
夜、寝台で傷ついてあえいでいる帝の前に、金髪の男の子が現れたのだ。
「痛い? 大丈夫?」
彼は小さな手を帝の傷口をあて、そっと魔力を注ぐ。
傷が徐々に消え、痛みも引いて帝は驚いた。
男の子は少しずつ丁寧に帝の傷を直すと、小さな手で彼の頭を撫でる。
「よくがんばったね。えらいよ、帝」
「うっ……」
こんな風に誰かのぬくもりを感じたのは初めてで、小さな帝は涙があふれ、金髪の少年の胸にすがって激しく泣いた。
少年は何も言わずに、ずっと夜中泣き続ける帝を抱きしめてくれたのだった。
朝になって目が覚めて、帝は昨夜の出来事は夢ではないかと一瞬思った。
だが夢ではなく、自分の隣に綺麗な金髪の男の子が眠っていたのだ。
帝がそっと手を伸ばして、その頬に触れると、男の子は起きて笑う。
「おはよう、帝」
「お、おはよう」
ぎこちなく挨拶を返すと、可愛いっとぎゅっと抱きつかれた。
「あ、あの」
「僕は雅人。今日から君のお兄ちゃんだよ」
「え……おにいちゃん?」
「そう。君は小さくて可愛いから、僕の弟だよ」
そう言って、彼は緑の瞳をきらきらさせながら元気に言う。
「僕がお兄ちゃんだから、君の事を守ってあげるよ」
「えっ、でも……」
帝は戸惑った。
正直、これはまだ夢を見ているのではないかと思う。
こんなに綺麗な子が、自分のお兄ちゃんなんて。
「今日からずっと一緒だよ」
「一緒……本当にずっと僕の側にいてくれるの?」
「もちろん」
そう言って、雅人はまた帝の事をぎゅっと抱きしめたのだった。
早いもので、あれからもう十年が過ぎた。
あの日から帝はひとりぼっちではなくなった。
いつも雅人が側にいて、大和の折檻も一緒に受けたりしながら、共に魔法の修行に明け暮れ、大和の目を盗んでこっそり遊んだりしたのだ。
陽気で負けん気が強く、いたずら好きな雅人は大和の目を欺くのが楽しいらしく、帝もなんだかんだと楽しませてくれた。
あとで聞いた話だが雅人の母が病気で亡くなり、父は仕事で忙しく、本邸に預けられることになったそうだ。
小学三年生になった頃、大和は雷導に呼ばれて別邸に去り、雅人も家に戻ったため、帝は家の使用人たちに囲まれて一人本邸で暮らすことになる。
だがほとんど毎日、雅人と直樹、英司が加わって、四人で学校帰りに本邸で過ごすことが多くなった。
一緒に宿題をし、面白い遊びを見つけ、一緒に夕食を食べる。
直樹の発明品や、雅人が父から教わったオペラや舞台の物語を滑稽に演じて見せてくれるのが、とても楽しかった。
その頃斎の事を知った帝は、家にいるだけの彼を学校に通わせて欲しいと願い、時々学校で会ったら声をかけるようにした。
一人ぼっちでいるのは辛い。
誰にも必要とされないのは悲しい。
幼い頃、嫌というほど身にしみて覚えている。
だから誰にもそんな目には合って欲しくなかった。
態度は大和仕込みの俺様気質になってしまったが、彼の心の奥に隠されたもう一人の優しい自分を完全に消すことは、大和にも出来なかったのだ。
そしてそれから数年が経ち、今こうして同じ生徒会室で一緒にがんばっている。
いつも横で支えてくれる、自分を孤独にしないでくれる彼らの存在があったから、今ここにいられるのだと帝は思った。
(これから俺はもっと強くなる)
いつまでも大切な仲間と一緒にいられるように。
彼らの笑顔を守れるように。
(俺を孤独な日々から救い出してくれたあいつらを、今度は俺が守ってみせる)
そのためには誰からも認められる強い一族の長とならなければいけない。
(なってみせる。最強の魔法使いに)
外の景色を目に焼きつけながら、帝は強くそう思った。
斎がすべての授業を終え、校門を出ようとしたとき、そこに佇む人影に驚いた。
『英司先輩』
生徒会室で忙しくしているはずの彼が、こんな所で何をしているのだろう。
「やあ、やっと来たね。斎君。君を待っていたんだよ」
英司は手に持つ薔薇の花を振って合図する。
『……』
斎は彼が英司ではなく、英司に変身した雅人だと気付き、あわてて走り寄った。
(雅人先輩が、僕に何の用だろう)
「ふふっ、帝のまねをして僕も桜木の下で人を待ってみたけれど、なかなかいいものだね。一体いつ僕の会いたい人が現れるのか。胸をどきどきさせながら待つ時間は、まるで舞台の幕が上がるまでの期待感にとても似ている。そうは思わないかい?」
『思います』
そう思念で送ってみるが、やはり雅人には届かない。
斎はがっかりしながら首を縦に振った。
「君が僕に答えてくれたのが、ちゃんと伝わったよ。君は本当に優しくて良い子だ」
そう言って、英司(中身は雅人)は微笑む。
「ちょっと二人だけで話をしてもいいかい? 誰にも内緒の秘密の話だよ」
斎がうなずくと、じゃあと雅人は彼の手を取り、二人は校舎の屋上に瞬間移動した。
屋上は午後の日差しの照り返しで、暑さが増していた。
涼しい影があれば良いのに、そんなものはない。
斎は自分の体があまり周囲の温度を感じないのを知っていた。
だがそんな自分でも、少し暑いなと感じるぐらいだ。
雅人(屋上では元の姿に戻った)はかなりきついのではないかと心配そうに見ると、案外彼は涼しそうな顔をしている。
「ふふっ、僕が汗をかいていないのが不思議なのかな。これは魔法だよ」
そう言うと、雅人はそっと指先を斎の目の前に出す。
わずかだが雅人の指から――いや、全身を包むように冷たい風が出現していた。
「体中を冷風の気流で包んでいるんだ。風魔法の応用だね。本来なら冷たい突風を出現させ、相手にぶつけて飛ばす魔法だけど、自分自身の体を覆って固定させることで、こんな風に暑さを凌ぐことが出来る。工夫次第で攻撃魔法も防御魔法に、防御魔法も攻撃に応用出来るということを覚えておくといいよ」
斎は目を丸くして、雅人を包む微弱な風を眺める。
「なんでもこの用途だけにしか使えない、そう思い込むべきじゃないってことさ。魔法は特にね。よく考えて使うことで、通常では得られない意外な効力を発揮する」
雅人はそう言うと、薔薇の花を取り出してそっと香りを堪能した。
斎は、じっと雅人の薔薇を注視する。
彼の目線に気付き、雅人は軽く笑い声を立てた。
「流石だね。君はもう気付いてる。この薔薇がただの薔薇じゃないってことをね」
斎はうなずいた。
(雅人先輩は、ただの薔薇好きってだけじゃない。あの薔薇には効果がある)
今香りを吸い込むことで、魔力を回復させた。
(あれは香りに魔力回復の効果が付与してあるんだ)
微弱とはいえ、ずっと体の回りに風を吹かせているのだ。
魔力が削られているのは事実。
でも雅人は他の誰にもわからないように、今薔薇の香りで魔力を補充した。
彼は普段からいつも薔薇を持っているから、皆雅人の事をただ無類の薔薇好きのナルシストだと思い込んでいる。
だから薔薇を持っている事はごく自然な行動に見えて、そこに隠された意図があるとは気付きにくいのだ。
「直樹君が言ってたように、君はやはり帝や英司よりも物事のいろんな面に気付きやすいようだ。一見無害で弱そうなのに、本当は君が三人の中で一番手ごわいかもしれないね」
雅人は面白そうに笑みを浮かべて、斎を正面から見る。
「僕達がいなくなったら、君に生徒会の事をお願いするよ。帝と英司の力になってやってくれ」
『はい』
斎は心の中でそう返事をし、小さくまたうなずいた。
「今度ゲームをするって提案しただろう。帝と英司は自分の力で軽くねじ伏せられると思い込んでいるようだけど、そうはいかない。悪いけど今の君たちじゃ、あの双子には勝てないよ」
「……」
「あの子たちは文句無く強い。今まで帝は魔獣や正面から対峙する相手とばかり戦闘してきた。だがいつもそんな相手ばかりじゃないし、むしろ今度勝負をすることになる双子たちのようなケースが多いだろう」
斎は雅人の言葉を聞き漏らさないように集中する。
たぶん彼は、これからの自分たちに大切な事を言おうとしているのだ。
それはこの魔法勝負に勝つヒント。
「常に物事は見えるものだけとは限らない。前後左右、あらゆる面から考えてみることが必要だよ。当然相手にもそれは言える。君達が勝負する相手も、常に君達のことをあらゆる方面から観察して、一番効率よく勝利を得ようとするだろう。今度の勝負は力技では勝てない。互いに互いをより深く読みあった方が勝つ」
斎は雅人の言葉を聞きながら、自分の鞄に入っている本の事を思い出した。
戦略や戦術、魔法の応用に関する書物――直樹もおそらく雅人と同じことを思い、自分にこの本を読むように渡したのだろう。
「本当言うとさ、僕も直樹も双子が生徒会に入る入らないはどうでもいいんだ。別にあの子たちがいなくても、他のクリスティ一族の学生たちから君たちが使いやすい子を入れればいい。その方が組織としてやりやすいし、面倒事も避けられる」
雅人はそう言うと、少しだけ瞳に真剣な光を宿した。
「ただこれからの事を考えたら、そういう面倒な相手との勝負経験が君たちには必要だと思うんだよ。卒業したら僕や直樹がいつも側にいて、あれこれ気を回すことは出来なくなるからね。勝負の結果がどうなろうとかまわない。重要なのは、この勝負で君たちが自分たちに足りないものがあること、それを補わないといけないことを知る事だ」
(雅人先輩)
斎は彼の言葉を聞いて、胸が熱くなる。
直樹もだが、彼らは卒業したら残される後輩――自分たちの事を心配して、卒業までの期間、出来るだけいろんな事を経験させ、教えてくれようとしていた。
その気持ちに答えたい。
先輩たちが心置きなく卒業できるように。
安心して高等部に進めるように。
斎は人指し指を出すと魔力を練り、細かい砂を出現させた。
それを空中に噴出し、文字を形成する。
[次の体育祭の魔法勝負、僕達が必ず勝ちます。どうか見ていてください]
斎の決意を秘めた瞳と砂文字に、嬉しそうな顔で雅人は笑むと腕を伸ばし、斎の頭に手のひらを置いてくしゃっと撫でた。
「斎君。君が僕の後輩で大事な従兄弟、弟分で本当に良かったよ」
[ありがとうございます。がんばります]
砂文字で返事を出しながら、斎も微笑む。
彼らとこんな風に笑って過ごす時間は、あと半年。
それまでに自分は、先輩達が望むだけの成長をしてみせる。
(まずは今度の勝負、絶対に勝とう)
気を抜くつもりは無い。
たとえ年下の小学生だとしても、雅人と直樹が用意した相手なのだ。
絶対にとんでもない魔法使いに違いない。
(必ず勝って期待に応えよう)
暑さの残る屋上で、斎は大好きな先輩を前にそう強く心に誓った。




