4
3年E組藤昇は、二学期に入ってからずっと多忙を極めている。
いきなり生徒会の3年生2人に呼び出されて何事かと思ったら、突然体育祭の実行委員長をして欲しいという前代未聞のお願いだった。
「何故僕が。帝様ではないのですか」
そう問うと、会計の森崎直樹が黒眼鏡を光らせて、こっちが聞きたい、というつぶやきと共に不本意そうに口にしたのだ。
「これは理事会からの申し出だ。理由は君自身が一番よくわかっているんじゃないのか」
そう言われてふと脳裏にある人物が浮かぶ、
(まさか、うちの婆が)
藤家はクリスティ家には及ばないが魔族の中でもかなりの勢力を誇る家柄で、昇の祖母ゆり子はクリスティ学園の理事に名を連ねていた。
彼女の意思と発言力はクリスティ一族である理事長よりも重んじられ、その理由は決して表立って口にされないが、魔族の中では知っている者も多い。
藤ゆり子は若かりし頃、現クリスティ家当主伊集院雷導の花嫁候補――番の君であり、彼の子を生んでいた。
昇と妹咲子の父、藤満は、額に直系の紋章を持っていなかったため、クリスティ一族とは認められず、ゆり子と共に本家を出されて実家の藤家に戻ったが、実質雷導の息子であり、自分達は帝と同じ伊集院家当主の孫である。
ゆり子は藤一族が集う時には必ずその事を話題に出し、昇と咲子に幼い頃から言い聞かせた。
『いいですか。公に認められていないとはいえ、あなた方は雷導様の孫なのですよ。その事を決して忘れないように』
いつでもどんな時でも魔族の頂点に立つことが出来るように心の準備をしておきなさい、と祖母は口をすっぱくして言い続けた。
本家の跡取りが優秀であるとは限らない、もし少しでも見劣りするようならその時は――と。
(婆の中に野心があるのは知っている。でも)
正直昇に帝を差し置いてクリスティ一族当主の座を狙う気持ちはない。
素直な咲子はお婆さまの事をよく慕い、彼女の言う通りにしていることは知っている。
幼い頃からゆり子は咲子を綺麗に着飾らせて魔族のパーティーやお茶会、集会などに連れまわして、その可愛らしい容姿を見せ付けるようにした。
すべては雷導の気を引くために。
いくら血も涙もない非情な当主と言われていても、雷導も人間だ。
可愛い孫娘に心が動かないはずがない。
ゆり子の思惑は成功し、雷導は時々茶会や夕食会などに咲子を呼んで同行させるようになった。
彼女宛に高価な贈り物が届くこともあるし、咲子がおねだりすれば大抵の我が侭は聞いてもらえる。
そんな様子を見て、魔族の中では藤家をぞんざいに扱えば雷導の怒りをかうかもしれないと、ゆり子に敬意を払う者たちが増え、彼女の発言力は日に日に増していき、現在に至っていた。
「僕達としては不本意だけどね、君の手腕を今回はゆっくりと見学させてもらうよ」
がんばってね、と薔薇の花片手に副会長である雅人から意味深に微笑まれ、逆に昇は背筋が冷たく凍えるような居心地の悪さを覚える。
(間違いない、この人たちは僕を帝様の敵として認識している)
何かあれば絶対に殺す、そんな捕食者の目をした2人を前にして、昇は内心震えながらおとなしく実行委員長を拝命した。
実行委員長になった日の放課後、昇はすぐ祖母ゆり子の屋敷に向かった。
(ろくでもない事を考えているのは間違いないけど、何を企んでいるのかは聞きださないと)
自分は彼女の駒の一つだ。
今回は一体どんな勝負をさせる気でいるのか。中三の身で早くも胃痛持ちになりそうである。
心の中で藤家の老害婆と思っている彼女の元へ行くためには、まず手土産が必要だった。
高級ケーキ店へ行き、出来るだけ豪華に飾られた生クリームのホールケーキを買う。
そして花屋へ行き、深紅の薔薇100本の花束を作ってもらった。
正直中学生男子としてはとても持って歩きたくない品々である。花束は幾重にもリボンを巻いて豪勢に、ケーキの箱はピンクの可愛らしいハート柄が印刷されていた。
(あとは服か)
げんなりしながら昇は携帯で検索し、今歌劇団で何を上演しているかチェックする。
ゆり子は歌劇に目がない。いや、年甲斐も無く熱中していた。
ゆえに会ってもらうためには歌劇風に演出しないと門前払いされるという、非情にやっかいなご老体なのである。
本日の装いは、ゆり子が設立した未婚の女性のみで構成されている藤の宮歌劇団の演目『ファントム』に合わせて、タキシードと黒マント、白い顔が半分隠れる仮面に決めた。
もちろん家から着て出て、通行人の目線に晒されるのはごめんだったので、スポーツバッグに衣装をつっこみ、ゆり子の屋敷で着替える予定である。
(毎度の事だから僕も衣装持ちになったよな)
ゆり子の家で何らかの催しがあるたびに、仮装パーティーですかと言いたくなるような状況になった。
呼ばれるたびに舞台衣装っぽい服を用意せねばならず、藤一族は総じて皆衣装持ちになってしまうという事態に陥っている。
(魔族の間でもカゲキ一家って呼ばれてるしなあ)
歌劇に過激なほど狂っている一族、そういう不名誉な認識をされているのだ。
着古したTシャツとジーンズにスニーカー、スポーツバッグを肩にかけ、右手には可愛いケーキの大箱、左手には薔薇100本の花束を肩に背負わせながら歩く彼の姿は、やはりアンバランスすぎて目立ったが、誰も何も言わないでいてくれるのが日本という社会なので、昇は開き直ってずんずん目的地へと向かっていった。
ゆり子の屋敷についてドアベルを鳴らすと、以前流行ったアニメキャラの執事の服と同じ物をきっちり着こなした老人に迎えられた。
「昇坊ちゃま、ようこそおいでくださいました」
「こんにちは。穂積さんもお疲れ様です」
長年ゆり子の付き人をしている執事の穂積さんに挨拶し、中に入れてもらう。
ケーキの箱を渡すと、彼は心得たように微笑んだ。
「奥様は庭においでです。今日はご機嫌もよくお過ごしになられました」
「その機嫌が良かったってのに、僕の件も入ってるのかな」
おそらくすべてのゆり子の思惑を把握しているであろう穂積にさりげなく言うと、さようでございますな、と返される。
「あーあ、今度は何をしようっていうのかな。僕は正直平和主義者で、こういうのはごめんなんだけど」
「奥様は昇様と咲子様の正当な権利を保障していただきたいと思っているだけでございますよ」
「何が僕達のためだよ。僕達を使って自分が魔族の頂点に立ちたいだけじゃんか」
「坊ちゃんは魔族の長になりたくはございませんか」
「ないね。僕は気楽な中間管理職でいい」
「その方が大変ですよ。中間管理職は気が休まることはありません」
「穂積さんも我らの太陽にして華麗なる希望の花ゆり子女王陛下と同じご意見なわけ?」
子どもの頃から叩き込まれて覚えざるをえなかった老女の敬称を口にして、大仰に昇はため息をついた。
「貴方様はなんら本家の帝様に見劣りすることはございません。立派に魔族を率いて未来をお作りになれると私は思います」
「過剰な期待、ありがとう。僕には重過ぎるけど、一応褒め言葉として受け取っておくよ」
じゃ、着替えるから、とひらひら手を振って、昇はいつも使っている客室の一つに遠慮なく入っていった。
身支度を整え、薔薇の花束を抱えた昇の背後に旧式オーディオを持った穂積が控える。
ゆり子拝謁の準備は整った。
(あーあ、行きたくない。面倒くさい)
どうして実の祖母に会うのに、こうまでしないといけないのか。
昇は深くため息をつき、大きく深呼吸して心を決めた。
庭に着く直前に穂積がオーディオのボタンを押す。
すると歌劇『ファントム』のオープニングテーマが高らかに始まった。
この歌劇はミステリアスな悲劇のため、テーマ曲も少々おどろおどろしいイメージで始まる。
その曲をBGMに昇は庭のガゼホにゆったりと座る老婦人に向かって歩き出した。
今日の彼女は相変わらずの輪っかでふくらませた赤いドレス、金色の巻貝風に高く髪を結い上げた鬘をかぶり、耳と首から重たそうな金の飾りがじゃらじゃらと揺れている。
ひじまである長手袋に重たそうな扇を持ち、その扇で半分顔を隠してこちらをちらりと流し目で見た。
(良かった。すさまじいメイク顔が扇で隠れてて見えない)
いつも過剰なほど白粉を塗りたくり、アイシャドウと口紅の色でせっかくの上品な美貌も台無しにしているのを見て、口から吹き出したくなるのを堪えるのが至難の業なのだが、今日はそんな目にあわなくてよさそうだ。
芝生にたっぷりと広がるドレスの前に昇は跪くと口上を述べる。
「おお、我らの太陽にして華麗なる希望の花ゆり子女王陛下、本日はご尊顔を拝謁出来ますこと、至上の喜びにございます。どうぞこの哀れな僕が貴方様の清き御手に触れる事をお許しください」
「我が一族の誇りにして勇敢なる騎士昇よ、よく来てくれました。あなたの日々精進しておられる姿、女王として一族の長として喜びにたえませぬ。さ、近くに来て、わたくしに顔をよく見せてくださいな」
そう言うと、ゆり子は扇をずらして白粉顔を晒し、にたりと微笑んだ。
(うっ……今日も凄まじすぎる)
いい加減メイクアーティスト交代してくれ、と言いたくなったが、ここはぐっと我慢して、昇は彼女の差し出した白手袋の手を取ってうやうやしく唇を寄せる。
持ってきた花束を差し出すと、彼女は嬉しそうに受け取り、すぐ穂積が別室に運んでいった。
「さ、堅苦しいのはここまで。あなたに大事なお話があります」
お座りなさい、と言われ、昇はやれやれとおとなしく向かい側の椅子に座る。
穂積がお茶とお菓子を持ってきて、二人の間にあるテーブルにセッティングしていく。
香り高い紅茶が昇の前に出されたので、彼はここまでの経緯ですっかり疲れた神経を温かいお茶で一息入れた。
大事な話がある、と言いながら、ゆり子も無言でお茶を飲んでいる。
早く済ませて帰宅したかった昇は、自分から話を進めることにした。
「我が女王陛下にお聞きしたいことがございます」
「質問を許します。言ってごらんなさい」
「本日僕は突然学校で体育祭の実行委員長を拝命しました。これは本来ならクリスティ一族の生徒会長が毎年務める事になっている役です。一体どういうことでしょう? 何故僕は帝様を差し置いて任命されたのでしょう」
「貴方のことをクリスティ当主雷導様がお認めになったからです」
「え?」
一瞬何を言われたのか理解するのに数秒かかった。
そして頭を整理すると、どうしてこうなったのかがおぼろげに見えてくる。
(この婆、咲子を使ったな)
ゆり子の若い頃にそっくりの美貌を持つと言われている妹の咲子。
彼女のおねだりなら雷導は何でも聞いてしまうという。
「これは当然の結果です。雷導様は帝様に対してご不満がお有りの様子。直系の紋章を持つ者ということで蔑ろにしてはいませんが、実際帝様とはお会いにもなりません。あの方が誕生したときから一度もね」
「一度も、ですか」
これには昇も驚いた。
帝は十分雷導に認められた正式な跡取りだと思っていたので、一面識もないなどとは信じられない。
「帝様だけではありません。帝様の父君である伊集院皇様。あの方とも実の父子でありながら非情な関係でいらっしゃいます。皇様はあろうことかクリスティ家当主の座から逃げ出しておしまいになりました。なんとか帝様を――額に紋章を持つ子を得る事は出来ましたが、皇様は家を捨て普通の人間となり、どこぞの女と同棲していると聞いています」
思いもよらないクリスティ家の状況を聞かされ、昇は驚きしかなかった。
「帝様は雷導様にとって真に信頼出来る存在ではないのです。これはもはやクリスティ一族――いいえ、魔族の長として皆を率いる者としての資質を疑ってしかるべき状況です。雷導様がお気にかけておられる孫は咲子一人と言っても良い。そして咲子の実兄であるあなたこそ真にクリスティ一族の頂点に立つにふさわしい者なのです」
高らかにゆり子は断言するが、昇はどんなに賞賛されても喜ぶ気にはなれなかった。
(やめてくれよ、この婆)
彼女は知らない。
学園内で見せ付けられる生徒会役員達の結束の堅さ。帝を中心に絶対的忠誠を誓う彼らの強さを。
(あれと敵対しろっていうのか……おお、怖っ。絶対ごめんだね)
さっき見せ付けられた殺気のこもった目線を思い出し、昇は胃がきりきりと痛み出した。
「恐れながら僕にそんな力はありません。それにこれは下手をすれば藤家がクリスティ一族を敵にまわすことにもなりかねない。今一度お考え直しくださいませんか、我が女王陛下」
思い切って進言したが、ゆり子は自信満々に言い募る。
「大丈夫です。こちらには強力な味方がいます。伊集院家に代々仕え、クリスティ一族に一目置かれている強力な存在があなたの後ろ盾になると申し出てきました」
「そんな人がいるんですか」
(随分物好きな。一体誰だ)
自分なんかを総帥にしたいというからには、何か思惑があるのだろう。
思いっきり不審げなまなざしを向けると、ゆり子はにたりと微笑んだ。
「心配性ですね。大丈夫ですよ。その者は雷導様の信頼も大層篤いのです。これは雷導様のご意思でもあると言っておりました。帝様は思考が短絡的で自己中心的、周囲の者を思いやる心など欠片ももたない非情な性格だとか。機嫌が悪いと無抵抗の者に八つ当たりし、うさを晴らすどうしようもないご気性だそうですね」
「まあ、そうですね。そういう傾向はあるかもしれません」
校内での帝の俺様ぶりは有名だ。
一学期はご機嫌を損ねた一年女子を魔法をつかっていじめ、楽しんでいたということは知っている。
その子が結局運でイベント通過してしまい、自分の大事な彼女にしないといけなくなったという話は、校内でもしばらく話題の中心だった。
「伊集院財閥といえば有数の企業体を持ち、その財力は日本でも指折りの存在です。当然従業員たちの生活を支え、日本の経済を支え、諸外国とも渡り合っていかねばならない。そんな重要な役目を担うには、優秀であると同時に幅広い層に受け入れられる人格を持っていなければ勤まりません。帝様では役不足だと総帥はお考えのようです」
「はあ、それで僕に一体どうしろと」
予想はついていたが、一応聞いてみた。
するとゆり子はにたりと笑んで、やはり昇の想像していた答えを返す。
「あなたの為すべきことは一つです。我が一族の誇りある騎士昇よ、女王として命じます。実行委員長の責務を見事に果たし、最高の体育祭を運営すること。来賓及び父兄、生徒たちに貴方こそが帝様以上の器であり、魔族の新たな指導者になれる資質を持つことを示すのです」
「それはまあ、まかされた以上はきっちりやりますけど」
「特に最後の種目の旗取り合戦。あなたが他の組をねじ伏せて、率いるE組を必ず優勝に導きなさい」
「それはちょっと自信がないですね」
ここで大丈夫です、頑張りますなどと見栄を張る気にはなれない。
何しろ今年は優勝候補筆頭とされる、さっき昇を震え上がらせた視線の持ち主たる直樹と雅人がいるのだ。
雅人のいるC組か直樹のいるD組か、どちらにせよ最後はこの二クラスの対決になるだろうと、校内予想は言っている。
「あの分家の小僧たちなら心配ありません。それにあなたには藤家の秘伝魔術操り人形の魔法があるではありませんか」
ゆり子は扇で口元を隠し、にたあっと意味ありげに微笑む。
「校内では慎ましく実力を隠しているようですが、あなたの力は分家たちも十分上回る。あの帝様にだって対抗出来るでしょう」
「やめてくださいよ。俺は野望とか権力とか興味ないんで。どこかで堅実に生きていければそれでいいんです」
目立って面倒事に巻き込まれるのはごめんです、とつぶやくと、ゆり子はため息をつく。
「いけませんよ。謙遜は美徳ですが、男たるものいざというときにはしっかり戦わねばなりません。今がその時なのです、昇」
(駄目だな、これは)
彼は頭の中でそう思った。
何をどう言っても説得は難しい。
(このもうろく婆の脳内では俺を使ってクリスティ一族を掌握し、魔族界の頂点に立つっていうシナリオが完璧に出来上がってる。これを書き直させるのは至難のわざだぞ)
「いいですね、しかと申し付けましたよ、我が一族の騎士昇よ」
「……」
「このわたくしを喜ばせる結果を見事出してみせなさい。期待していますからね、ほほほほ」
「わかりました」
何を言っても無駄だと言う事は、よくわかった。
(しゃあないな。適当にやって終わらせよう)
彼女の意図はよく理解したので、これ以上ここで時間を無駄に過ごしたくはない。
昇は立ち上がると、わざと大仰な身振りで手を胸に当て跪く。
「我らの太陽にして華麗なる希望の花ゆり子女王陛下。ご命令、確かに承りました。必ずや体育祭を立派に運営し、魔族の皆様から絶大な信頼を勝ち取りましょう。どうぞ心安んじてお待ちください」
「なんと嬉しい言葉でしょう。昇よ、しかと頼みましたぞ」
「ははーっ」
最後はなんだか騎士というより侍の返事のようだなと思いながら、昇は何とか頭を下げて庭からさっさと退散した。




