32
ついに体育祭最終種目、旗取り合戦が終了した。
最後に燃え立つE組のエリアは、直樹がすばやく水魔法で沈静化する。
そこにあったのは、たくさんの燃えカス。
当然旗三本もすべて燃え尽きた。
判定の結果、優勝はE組と決まる。
最後まで闘志を失わず戦い抜いた生徒達に、本来なら賞賛と健闘を讃える拍手が贈られるはずであった。
しかし。
あまりにも不可解な雅人の行動に、芳賀先生が勝ち組を宣言しても誰一人拍手する者はいなかった。
「どうなっているの」
「あれ、絶対わざとだよな」
「D組の直樹様も……わざと水から落ちたんじゃないのか」
五角形の旗取り合戦陣地を囲む防御壁は撤去され、競技に参加した中三の生徒達はクラス別に並ぶ。
「おーっほほほほっ、最高に素晴らしい競技でしたわっ。皆様、ご覧になりましたでしょう、我が孫の実力。藤昇こそ真のクリスティ一族の後継者にして、魔族の頂点に立つべき人間でしてよ」
朝礼台より誇らしげな声が校庭に響いた。
ゆり子は今や世界のすべてを手にいれた女王のように、満足げな笑みを浮かべて立っている。
しかし昇の心中は荒れ狂っていた。
(どういうことだ。あれって絶対わざとだよな)
直樹の時は運よく向こうがミスってくれたと納得も出来たが、雅人は違う。
明らかに敗者となることを選んだ。
わざとだ。
(なんでだよ。なんでそんなことを)
ふと心の奥に、嫌な予感が忍び寄る。
思わず高らかに笑う朝礼台のゆり子を見た。
(お婆の奴、まさか)
自分の妹咲子の事が思い浮かぶ。
最近はずっと顔を見ていない。
今年に入ってから彼女は雷導の住むI県に引越し、共に本家の別邸に住んでいると聞いている。
雷導はいたく彼女を気に入り、そのおねだりは何でも聞いてしまうとか。
自分が体育祭実行委員長などという大層なお役目をもらったのも、元はと言えば咲子が雷導にねだったからだ。
(こんな風に勝ったって、ちっとも嬉しくないよ。なんてことしてくれるんだ、お婆)
心底ゆり子が憎い。
自分だけではない。
死力を出し切って戦ってくれたクラスメイトたちも、皆すごく微妙な顔をしている。
全員勝って嬉しいというより不可解すぎると顔に疑問だけが浮かんでいた。
(くそっ、どうしたらいいんだ。この場の収拾をどうつける)
昇の頭は沸騰寸前である。
しかし何も良い考えが浮かばない。
このまま表彰されるなんて、どれだけ後味の悪い勝利だろう。
そんなことを思っていたとき、突然三年生の前に飛び込んでくる黒い影があった。
――伊集院帝だ。
雅人が自ら敗北し、E組優勝の宣言がされた時。
帝はもう黙って座っていることが出来なかった。
せめて最後に聞きたかった。
雅人に、直樹に、真実を。
だから思いのままに来賓席を飛び出し、三年生の前に立つ。
どんなにそれが無様で惨めな姿であっても、そんなことはどうでも良かった。
今までずっと一緒にやってきた。
絆があると思っていた。
でもそれはすべて彼だけが思い込んでいた幻で、雅人や直樹はそうではなかったのだろうか。
きちんと聞きたい。
他でもない、彼ら自身の口から。
「直樹っ、雅人っ、どういうことだ。お前達がなんで……なんでわざと負けた」
二人は三年生の列の中から出てきて、帝の前に立った。
だが二人ともやけに冷静である。
まるでこの時をわかっていたかのように何も動じず、雅人にいたっては微笑んですらいた。
後ろの朝礼台から、聞きたくもない声が響く。
「実力もない小物のくせに、大声で吼えるなんて何てみっともないんでしょう。これだからどこの女が生んだかもわからない卑しい子犬は駄目なのよ。ちゃんとした血筋の家の出でないと」
帝は唇を噛んだ。
悔しいが言い返せない。
彼は母親の事を何も知らなかった。
どんな魔族の家の出で、どういう女性なのか、誰も彼に教えてくれる者はいなかったのだ。
「ゆり子様、そのぐらいにしてください」
彼が黙っていると、今度は藤昇が列から前に出てくる。
昇自身も納得していないという顔で、ゆり子に対し、意志の強い瞳を向けた。
「あら、我が藤家の誇る勇者昇よ、今日の働きは見事でしたわ。褒めてあげましてよ、ほほほ」
「それはどうも。というか、ちょっと黙っててもらえませんか、おばあ様」
昇は怒りをあらわにしながら、ゆり子をねめつける。
「あなたが余計な事を言うと、話がこじれるので」
「まあ、わたくしに対して何て言葉でしょう。昇っ、今すぐ改めなさいっ」
「いいえ、本当にもういい加減にしてください」
彼はそう言うと、真っ直ぐに直樹と雅人を睨んだ。
「僕の方が聞きたいよ。なんでわざと負けたんだ、君達は」
二人はそれまでの冷静な表情を消し、瞬時に昇を睨み返す。
まるで射殺しそうなその眼力に、昇はぞっとした。
憎しみと殺意を同時に二人分受けたのだ。
「それをお前が聞くのか、藤昇」
「そうそう、君にだけは言われたくないんだけどね」
直樹と雅人は怒りと憎しみを込めた視線で、昇を射抜く。
二人とも本気で彼に手を出しそうで、後ろの本部席や来賓席にいた者たちは皆、一斉に緊張した。
そんな二人に怒りをぶつけられ、昇は当惑する。
「なんだよ、僕が何かしたとでもいうのか」
「白々しい。心当たりがないとは言わせないぞ」
直樹が低い声に憤怒の情を滲ませながら言う。
「おじいさまから命令が来てね。体育祭でわざと負けて、君を勝たせろってさ」
「なっ」
雅人の言葉に、昇よりも帝の方が反応した。
雅人に飛びかかり、胸倉を掴み上げる。
「おいっ、何でだ。なんで総帥は」
「悪いな、帝。これは事実だ」
直樹が横から帝の腕を静かに雅人から引き剥がす。
「俺達にとって本家の意思は絶対なんだ。すまないな」
「不本意だけどねえ、勝負事にわざと負けるって僕の主義に反する美しくない行いだし」
「そんな……」
帝はその場に膝をついた。
これがどういう意味なのか、わからない彼ではない。
自分で自分の体を抱きしめ、彼は怒りで震えていた。
「おーほほほっ、雷導様はお前なんかよりわたくしの孫を選んだのよ。潔くあきらめなさい。お前にはもう何の価値もないということよ」
「俺は……俺は」
帝の顔から苦渋に満ちた声が漏れる。
(やはり僕では駄目だったのか)
彼の心の奥から、悲しい声が聞こえた。
(僕がいるから、弱い僕が存在しているから……僕は誰にも認められないし、強くなれない)
それでも心は叫ぶ。
(でも僕は消えたくない。たとえ弱くても、誰も傷つけられなくても、それが僕なんだから)
だけど存在する限り、誰かに必要とされ、認められることはないのかもしれない。
突然目の前が真っ暗になった。
辺りがすべて闇と化す。
次期総帥ではない自分。
弱くて戦うのをためらう自分。
ゆり子にあざ笑われたように、誰にも必要とされない、好きになってもらえない、孤独な自分。
何の価値もない存在。
帝はすべてに絶望し、混乱して、もう何がなんだかわからなくなった。
(闇、何も無い世界。これが僕の生きていくべき場所)
何もかも滅び去り、無と化した世界。
今、この足元からつながっている世界は、すべて無になるべきもの。
(消さなきゃ……僕一人、生きる世界を作らないと)
彼の中の魔力が、行き場を失ってあふれ出す。
(何のためにあるんだ。この誰にも必要とされない魔力は)
彼の瞳が、真っ黒に染まっていった。
もう外部の言葉など聞こえない。
だって自分のいるべき世界は孤独な所。
誰もいない、声も音も何もない静寂と虚無のみがある世界。
直樹や雅人が帝の異変に気付き、手を伸べようとしてくるが、もうその手は彼には届かなかった。
体からあふれ出た魔力は闇色に染まり、彼自身を守るように球体に変化して彼を包む。
そしてその球体から更なる黒い魔力があふれて周囲に広がった。
心が闇に落ちた帝の魔力は、呪いと破壊に満ちた闇魔法と化している。
彼自身どうしたらよいかわからないほど、帝は自分を完全に見失っていた。
帝の全身が闇の魔力に覆われた。
もう手を出す隙が見つからない。
(まずいな、これは)
直樹の手は震え、汗までも滲み出る。
いかに知略にすぐれた彼でも、帝がここまで自身を追い込むとは思っていなかった。
(どうする。このまま帝が闇の魔力そのものになってしまったら)
最悪本気で帝を排除しなければならない。
並外れた彼の魔力を抑えるためには、こちらも全力で彼の命を消すしかなくなるだろう。
(俺にも予想外の展開だ。一体どうすればいいんだ)
帝のあふれ出す魔力が校庭中に広がり、その場にいる人間すべてに害を及ぼしそうになった時。
まぶしい光が突然現れて、横に居た雅人と昇は思わず目を覆った。
白い光は迷うことなく黒い球体――帝の魔力を突き破り、よりいっそう輝きを放って彼の腕を取る。
(何だ、一体)
直樹は黒眼鏡をかけていたので、その存在を直視出来た。
突然現れたその姿は、彼の想像をはるかに超えていた。
(まさか……後野さん)
すべてが闇に包まれていくはずだった。
そんな帝の腕に、突然優しいぬくもりが触れる。
(何だ)
それは彼の手をしっかりと握り、そこから温かい光が伝わってきた。
「帝先輩」
聞き覚えのある優しい声。
はっきりと全身に伝わって、帝の心が動き出す。
(帝先輩、お願い。わたしの声を、想いを聞いて)
温かなぬくもりは、ただひたすら帝の事を思う。
彼の名を呼び、彼の魂に触れてくる。
(大丈夫だから。あなたは決して駄目じゃない。総帥になれなくても、一族の長でなくてもいい)
自分らしくあればそれでいい。
そのままの貴方でいて欲しい。
(わたしは貴方が財閥の跡取りだから、クリスティ一族の次期長だから、強い力を持つ魔族だから、貴方の事を好きになったわけじゃないです)
今ここにいる貴方が貴方だから好きなのだと、繰り返し強い想いは彼を包み込んだ。
彼女から流れ込む白い聖なる光。
「ま……つ、り……」
(なんて温かいんだ)
帝は彼女の名を口にしながら、その想いにひたる。
自分の事を好きだと言ってくれる熱い感情。
全身に広がって満たされて、幸せな気持ちになる。
(君は、こんな僕を好きだと言ってくれるんだね)
心の奥に眠らせている、もう一つの人格が微笑んだ。
(君が必要としてくれる。それだけで僕はいい)
誰に必要とされなくてもいい。
本当に大切な君が僕のことを大切だと言ってくれるなら、それだけで生きていける。
帝の目が正気を取り戻す。
彼は跪いたまま、顔を上げて彼女を見つめた。
「帝先輩」
午前中からずっと求めていた姿が、今目の前にある。
彼女は優しく微笑むと、そっと帝を抱きしめた。
温かな温もりが彼を包む。
(僕は……一人じゃない。今、君が側にいる)
帝の体から溢れていた闇の魔力が徐々に治まっていった。
先ほどまでの無力な自分ではなく、その目には強い意志の光が戻る。
一刻の後。
すべてが何事もなかったかのような校庭に戻った。




