27
帝はずっと父兄席をめぐっていたが、ついに足を止めた。
(遅すぎる)
斎が屋上に上がってから、一刻が経った。
いくら直接声を送れないとしても、何らかの反応はあるはず。
(何かあったな)
熟考した上ので考えではなく、これはいわば直感だ。
だがその判断は間違いではないと帝は思う。
(あいつはおそらく失敗した。今回は直接相手と対峙したわけだしな)
斎の戦闘能力を、帝は知らない。
そもそも誰かと戦った経験など、皆無に等しいのではないだろうか。
(一応あいつも分家代表だ。それなりに魔法の訓練は受けていると思う)
だが訓練と実戦は違う。
帝は、それを身に沁みて知っていた。
(相手の双子を鍛えたのは、おそらく雅人の奴だろう。だとしたら斎には、直接対決は荷が重過ぎる)
やはり自分が行くべきだったと、彼は改めて後悔した。
彼自身、幼い頃より一番対決してきたのは雅人である。
魔法自体は家庭教師件世話係としてつけられた大和に習ったが、実際それをぶつけた相手はいつも雅人だった。
今思えば雅人はわざと彼をからかい、自分を本気でする戦闘の相手として帝を鍛えてくれていたのではないだろうか。
彼との何度もの対決と、それに伴って培われた戦闘経験は、帝が後に魔獣とやりあって捕縛したり、他の魔法使いと対峙して撃退する事に大いに役立ったのは間違いない。
(あの双子も俺と同じように鍛え上げているのだとしたら、相当やるぞ、あいつらは)
あの雅人をして優秀だと言わしめる北原兄弟。
直樹すらも手玉に取る明晰な頭脳と、自分たちを翻弄するほどの精密な魔法の数々。
(一体何のために、あいつらを鍛えた。あんな優秀な連中をどうして準備したんだ)
帝は思わず足を止め、校庭にいる二人の先輩たちに目を向けた。
今、雅人と直樹はそれぞれクラスの陣地にいて、造り上げた砦の中央で旗を守っている。
二人ともその表情から、一体何を考えているのかはわからない。
これから始まる戦闘の事はもちろん、更にその先までも彼らの脳裏に奥深い計画があるのではないだろうか。
(北原兄弟、あいつらは一体何だ。何故こんなにも俺達に敵意を向ける)
わざと反抗的になるように、自分たちに対抗出来る魔法使いを育てた。
(何故だ。何故あんな連中を、今俺の目の前に出現させた)
本来クリスティ一族は、本家に絶対服従を幼い頃より叩き込まれる。
なので今までどんなに幼い子どもでも、本家次期総帥たる自分に反抗的な態度を表立って取る人間は、一族に存在しなかった。
(ただ対峙しているだけじゃない。確実にあいつらは、この俺に敵意を向けてくる。俺だけじゃなくて直樹や他の奴らにさえ容赦してない)
午前中からやりあうことで、帝は相手がぶつけてくる魔法作戦の奥に本気の闘志を感じていた。
まるで一族ではない、むしろ反対勢力とでも対決しているかのようなこの違和感。
(この態度は一族に向けてのものか。それともまさか)
帝個人に対してのものか。
(可能性はある。一族ではなく俺自身に含みがあって、向かってきているのか)
ふと暗殺者という言葉が頭をよぎった。
(いざというとき俺を排除出来るように、優秀な人間を用意していた可能性はある)
彼を排除するためには、側近として横にいる者たちとも対等にやりあわないといけない。
その実力を、あの双子達は十分に備えていた。
(俺を始末する)
帝は心の奥でその事を考える。
自分を次期総帥の座から引きずりおろす事はあるだろう。
彼がその役目を将来十分に果たせないと判断されたら、一族は彼に対して容赦することはない。
(そもそもこの体育祭、それ自体が不可解だ)
帝はふと茉理が以前漏らしていた言葉を思い出す。
不安だと彼女は言っていた。
――何かわからないけど、最近変な感じがする。
朝の登校時、彼女はそう言って帝に問いかけたのだ。
『帝先輩、最近何かありましたか』
あれはまだ9月の始め。
ちょうど帝たち生徒会が直樹の提案で体育祭実行委員長を他の生徒にまかせることを決めて、すぐあとのことだ。
――時々嫌な感じがする。
気のせいだろうと彼女は笑っていたが、今思えば漠然とした聖魔巫女の勘が働いて、陰謀めいたドス黒い意思のようなものを感じ取っていたのかもしれない。
もっともらしい理由だったため体育祭実行委員長を他者に委ねることに同意したが、そもそもあれ自体が何かの策謀の始まりだったのではないだろうか。
(雅人、直樹、お前達は一体何の作戦を遂行している)
自分にも知らされていない何かが起きている。
それはおそらく彼が知っては、まずい事なのだろう。
ふと心の奥に潜むもう一つの人格が、彼に何かを訴えかける。
(これ以上は危険だ。彼女を巻き込むな)
その意味を察し、帝は意を決して校庭に思念を送った。
『雅人、直樹』
呼ばれて二人が反応する。
『どうした』
『君からの熱いラブコールが来るなんて嬉しいね。どうしたんだい、帝』
あいかわらずの声。
いつもならとても安心して頼もしいと思っていたが、今はそうは思えなかった。
『斎の存在が消えた。おそらく双子に何かされたのだろう』
『あらら、もうギブアップかな』
雅人のからかうような声に、帝は冷静な返事を返す。
『茉理は今、あの双子が守っているのだったな。あいつらに伝えておけ。巫女姫を何があっても守りぬけとな』
思念の奥で通じている二人が、一瞬動揺しているのが伝わってきた。
帝はそれを無視して続ける。
『お前達が何を考えているのか、何をしようとしているのか知らないが、これ以上あいつを巻き込むな』
思念の先の二人は沈黙したままだ。
『わかっているだろうが、今この状況下にいること事態が巫女姫にとっては毒でしかない。あいつが人の負の感情に一体どういう反応をするのか、お前達はよく知っているはずだ』
この場の嫌な気を、この俺でさえ感じるのだから、と最後に付け足して、帝は思念会話を打ち切った。
屋上を振り仰ぐ。
そこには先ほど変わらぬ位置に、茉理の姿があった。
(あそこにまだ彼女が見えているということは、斎はきっと別な場所に飛ばされたに違いない)
今度は帝を誘っているのか。
屋上まで来いと。
(誘いに乗る気はない。それより今は)
斎が戦闘不能になり、英司は動けない。
当然直樹や雅人もだ。
(つまり今、俺は一人ということだ)
この陰謀の本当の標的が自分自身である可能性は極めて高かった。
(慎重に行動すべきだ。俺はまだ死ぬわけにはいかない)
そう思った帝は一旦茉理探しを中断し、周囲に目を配りながら動くことにする。
父兄たちの間に不審な動きをする者がいないか、魔法で視力と聴力を最大限に上げて探索した。
すると――。
「帝様もこれで終わりですな」
「我ら昇様の世が訪れるというものです」
父兄の中に見逃せないささやきを耳にする。
そっと気配を消し、気取られないよう最新の注意をはらって声のする方に集中した。
顔を見たことのある魔族の男2人が、こそこそと会話している。
「なんでも帝様の総帥候補降格は、現総帥である雷導様のご決断だとか」
「帝様を支持する一派も一族内にかなりいると聞きます。その連中にも納得の行く形で昇様の実力を示さなければいけませんからね。この体育祭は良い機会というわけです」
(あれは確か藤家の者だったな)
なんどか顔を見たことがある。
本家主催の催しなどで一族の代表と共に出席していたはずだ。
帝に聞かれているとも知らず、男二人は話を続ける。
「そのために分家代表がこの旗取り合戦で昇様に膝を屈するという形を取るのですからな」
「何、別にわざと負けなくとも、昇様の実力なら十分勝てるでしょうに」
「そこはそれ。大事を取ってのことですよ。あと帝様ではない、昇様に忠誠を捧げるという代表の意思を示すものともなります」
「帝様もお可哀想に。最も信頼していた側近に裏切られるのですからな」
「それは本人の自業自得というものです。仕えるに足る主であることを示せなかったのですから、当然の結果ですよ、ははは」
得意げに話す二人は、満足そうに笑いながら旗取り合戦を観戦している。
だが帝の心はそれ以上聞くことが出来ず、全身が金縛りにあったように動けなくなった。
(雅人、直樹)
心の中で二人の名を呼ぶ。
(どういうことだ。今の話が本当なら、お前達は)
二人は自分ではなく藤昇を選んで、この競技で彼に勝利を捧げるというのか。
(俺ではなく、あいつに……まさか)
考えなかった話ではない。
心の片隅に、本当はいつだってあった。
帝自身への嫌がらせが行われていた時、何度も思ってみたことだ。
(彼らは俺自身ではなく、次期総帥に忠誠を誓っているかもしれない。だとしたら俺が総帥候補からはずれたとしたら、それでも側にいてくれるのだろうか)
漠然とした不安。
そんなことはないはずだと心の奥でその可能性を打ち消してきた。
でも冷静に考えたら、ありえない話ではない。
自分が完璧な人間ではないことぐらい、人格が二つになってしまっている時点で帝自身が認めたくなくてもよくわかっていた。
全身に寒気のようなものが這いのぼり、体中の震えが止まらない。
もう茉理探しどころではなかった。
急に世界のすべてが彼を拒絶しているような虚無感に襲われ、帝はあわててその場から瞬間移動して誰もいないであろう生徒会室に逃げ込む。
誰の視線も気にすることがない場所で、体を両手で抱きしめてしゃがみこんだ。
(どうしたんだ、俺は)
こんな誹謗嘲笑に屈するほど弱い人間ではなかったはずだ。
普段から培われた帝王のごとき自尊心を持って、あんな陰口など笑って気にする必要はない。
だが二学期が始まってからの出来事や、それに付随して忍び寄る何かに対する不安が、自分でも知らぬうちに心に蓄積されて土砂のように堰を切って彼の魂に向かって押し寄せて飲み込まれる――そんな感覚に襲われた気分だ。
校庭から歓声と拍手が沸き起こる。
どうやら戦闘開始の合図が出たらしい。
聞き覚えのある魔獣の咆哮や風を切って届く闘志と攻撃音。
それらが背後で響く中、彼は生徒会室で静かに座り込んでいた。
――ふがいない自分自身を律するために。




