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9月1日。
暦の上では秋の始まりであり、二学期最初の日でもある。
(遅い)
私立クリスティ学園の校門前。
黒髪、黒い瞳の少年が、苛立つ心を鎮めながら校門前の桜木の下に立っていた。
「おい、帝様だぞ」
「どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら」
「自家用車がパンクして、今日は徒歩で登校とか」
「しいっ、滅多な事言うなよ。聞こえるぞ」
通りすがりの学生たちが、意味ありげな視線とささやきを彼に向けては通り過ぎていく。
(聞こえてるぞ。まったくうっとおしい)
好奇心旺盛な目線やひそひそ声が、待ち人来たらずの彼の神経に障ってしょうがなかった。
クリスティ学園 中等部2年A組 伊集院帝。
日本でも指折りの財閥である伊集院家の跡取りであり、中等部の生徒会長という肩書きも持っている。
更にこの国にいる魔族を束ねるクリスティ一族の長の孫でもあり、後継者。
遥か昔、ヨーロッパ大陸にいた魔族アルツール・クリスティという男が、一族を引き連れてこの日本に移住。人に混じって暮らしている日本の魔族たちを圧倒的な力で束ね、その長として君臨した。
帝はそのアルツールの子孫であり、本家と呼ばれるアルツールの長男イジュールの直系である。
アルツール・クリスティには5人の息子がいたが、長男の家系を本家とし、他の4人の弟の家系は分家として、今も延々と子孫たちが先祖から受け継いだ伝統と習慣を守り、後世に引き継いでいた。
クリスティ学園を創設したのも彼らクリスティ一族であり、日本にいる魔族の若者たちの学び屋として今日に至るまで運営されている。
学園の広大な敷地の横に、更に大きな敷地を要するクリスティ本家の邸。
伊集院財閥の権威を示すかのごとく建てられた豪邸が帝の住まいだが、いつもはそこから自家用車で校門を通り、中等部の校舎まで乗りつけるのが彼の登校スタイルだった。
だが今日はわざわざ校門で降りて、この桜木の下で大切な人を待っている。
いつもと違う行動を、何故今朝になって思いついたのかわからない。
だが朝起きた時、一番に彼女に会いたいと思ったのだ。
誰よりも一番最初に彼女に会いたい。
クラスメイトより生徒会の連中より先生たちより一番先に、彼女が校門をくぐるとき、最初に会う人間が自分でありたいのだと思った瞬間、即効で身支度と朝食を済ませ、いつもの時間より早く登校した。
(これはつき合っている男として間違いない行動だ)
彼には現在つきあっている少女がいる。
一つ年下の中一で、後野茉理。
魔族の子孫たちが集い、全員学生が魔族であるこの学園に、何故か魔力ゼロで入学を許可された稀有な女学生である。
伊集院本家には先祖代々受け継がれてきた魔力があり、それを子孫に必ず伝授することが当主の義務となっていた。
帝は現当主伊集院雷導の孫で直系であるため、当然先祖から受け継いだ特別な魔力を持っている。
それを継がせる魔族の跡取りを、彼は必ず儲けなければならない。
そのためには魔族の人生でたった一人いるという伴侶『運命の相手』と俗に呼ばれる女性を探し出し、婚姻しなければならなかった。
その女性とでなければ、額にクリスティ一族の紋章を持つ子が生まれない。
しかし一体運命の相手とやらがどんな女性で誰なのか、子どもを授かってみなければまったくわからないという難問があった。
ゆえに代々の本家直系の跡取りは12歳からこれはと思う女性と一年ずつおつきあいし、16歳になった歳から本格的に伴侶探しをしないといけないというとんでもない掟に縛られている。
帝もその掟に則って、今年は後野茉理とつきあうことに決めたのだ。
相手との交際期間は一年。
5月末にやった相手を決めるイベントで勝ち抜いた彼女とつきあい始めて、三ヶ月が過ぎた。
(残る期間は七ヶ月か)
桜の木を見上げて、帝はそんな事を思う。
選ばれた少女との交際は一年のみ。
来年も彼女をと思うなら、自分が申し出れば可能だ。
だが果たして自分は、本当にそれを望むのだろうか。
(よくわからん)
彼は正直自分の気持ちを持て余していた。
去年相手として選んだ同学年の円城寺美奈子とは、こんな気持ちになったことはない。
彼女は模範的なお嬢様という感じの少女で常に帝に気を使い、彼のやること成すことすべてを肯定し、受け入れた。
いつも笑顔を絶やさず、嫌な顔一つせず、彼が提案すればどこにでもついてくる。
彼女とはこういうものだと思っていた帝は、それでいいのだと満足していた。
しかし今年も美奈子と継続して交際したいという気持ちにはまったくなれず、彼女との期間は終了させた。
そして今年選ばれたのは茉理である。
だが彼女は帝の予想をすべて覆す少女だった。
去年美奈子が喜んだように高価な贈り物を買い与え、毎日登下校は高級車で共にし、週末は邸に呼んで一緒に過ごす。
ドラマや恋愛小説の男主人公のように甘い言葉をささやいておけば、それが彼女というものへの正しい行動だと思っていた。
しかしそのすべてを、茉理はことごとく拒絶したのである。
贈り物は受け取らず、家まで迎えにいけば脱兎のごとく逃げ出してしまった。
甘い言葉をささやくたびに、気持ちの伴わない言葉なぞいらないとすげなく拒否される。
これ以上どうしたらいいのか、正直帝にはわからなかった。
実際つき合っているはずなのに、これでいいのかと思う自分がいる。
(どうせ一年だけの女に、振り回される必要などないはずなのに)
だがどうしてか最初に感じた彼女に対する嫌悪感や憎しみといった感情は、どんなに反抗されても拒絶されてもわかなかった。
むしろそんな彼女を好ましいとさえ思う。
自分に真っ直ぐな気持ちをぶつけてくる相手など数えるほどしかいない。
ものめずらしいからそうなのか、それとも他に理由があるのか。
(まさか本気であいつのことを好き……なわけじゃないよな)
ふと頭にそんな感情が浮かんだが、あわてて打ち消した。
(馬鹿な。俺は魔族の頂点に立つクリスティ一族の長となる身だ。魔力ゼロで何の取り得もないあんな女に本気になるはずがないだろう)
所詮一年だけの相手だ。
来年の春にはきっぱり別れて、別な少女を選ぶ。
(それが正しい伊集院本家の跡取りとしての態度だ。今は一応彼女としているから、こうしてつきあっているだけのことだ)
そう自分に言い聞かせ、彼は茉理の姿が見えるのを辛抱強く待ち続けた。
待ちくたびれて、魔法を使って彼女の所まで瞬間移動しようかと思っていたところに、やっとお下げ髪を揺らす少女が姿を現す。
「帝先輩」
どうしてここに、と目を丸くして声をかけられ、それまでイライラしていた気持ちがすべて吹き飛んだ。
とにかく誰よりも一番に顔が見たかった。
見れたのだから、あとのことはどうでもよい。
待っていたと言うと、少しだけ彼女の頬が赤く染まった。
どこに視線をやったらいいのか戸惑う表情に、胸の奥が何故か熱くなる。
腕を伸ばして彼女を引き寄せ、これから毎朝ここで待つと言ってみると、彼女は拒否しながらも温かい笑みを向けた。
(明日も明後日もここで待とう)
茉理と並んで校舎に向かいながら、帝はそう強く思う。
昇降口の手前で、彼女は突然気分を害して、彼を置いて先に教室に走っていってしまった。
(またか)
自分の言葉の何かが彼女を傷つけたらしい。
そんなつもりはなかったのに。
(ほんとうに難しい奴だ。俺にどうしろというのだ)
さっきまで嬉しそうな顔をしていたのに。
(まったく何を考えているんだかわからん)
ため息をつき、でもそんな彼女を嫌いには決してなれない自分がいる。
(しかたない。帰りに聞くか)
そんな事を思いながら、帝は自分のクラスに向かった。
今日は二学期最初の始業式なので体育館に集まって校長の挨拶を聞き、クラスで担任から連絡事項を聞いたら終了である。
(せっかくだし茉理を昼食に誘うか)
学校横の邸は彼の家で、今日もそれなりに豪華なランチが用意されていることだろう。
(だがあいつは、あまり格式ばったことは嫌いだったな)
ならばサンドイッチなどの軽食を作らせて、涼しい庭の木陰か風のよく通る二階のテラスか、などと考えていた帝の脳裏に軽快な思念が響いた。
『やっほーっ、僕の可愛いみ、か、ど。二学期もまた君と過ごせるなんて、僕はなんてラッキーなんだろう。そうは思わないかい?』
『……用件は手短に言え』
従兄弟にして生徒会副会長、クリスティ一族第二の分家代表でもある3年C組 伊集院雅人。
いつも大仰な言葉と美辞麗句を並べ立てる彼のトークに、帝は憮然とした顔で結論をうながす。
『ふふっ、せっかちさんだね。そういう君も魅力的だよ』
『うるさい。もう会話を切るぞ。俺は忙しい』
そう言うと、あわてて待って待って、と止められた。
『だから何だ』
『今日の午後、生徒会のみんなで集まってさ。ちょっとお茶会をしないかい』
『茶会だと』
『そう。可愛い君達と薔薇の花に囲まれて、最高級の紅茶をいただくひと時を僕は過ごしたい。そして君たちのひと夏の体験をぜひ聞かせて欲しいんだ。特に恋の物語は大歓迎だよ。夏の燃える太陽の下、熱くほてる体を寄せ合って語らいあう恋人たちの愛の言葉は、最高に心が燃え上がることだろう』
『却下だ。貴様一人の自己満足のために割く時間などない』
そう思念で答えると、帝は茉理を誘うべく1年A組に瞬間移動した。
ひと足遅く、茉理の姿は教室にはなかった。
(雅人の奴、余計なことしやがって)
彼に話しかけられなければ、もっと早く彼女を誘っていたのに。
心の中で文句を言いながら、帝は彼女の姿を探す。
幸いすぐに見つかった。
「帝先輩」
図書室の中にいた茉理は、いきなり現れた帝に驚く。
「どうしたんですか、突然」
驚く彼女の腕を掴んだ。
またいつ背中を向けて、逃げ出されるかわかったものではない。
「これから時間はあるな。一緒に昼を食べるぞ」
「ちょっと待ってください。本を借りようと思ってたので」
彼女がを離して欲しいという顔をしたので、しかたなく帝は手を離す。
「早くしろ」
「えっ、何か急ぎの用事ですか」
「いや……別にいい。だが急げよ」
結局どっちなのかわからない返事をして、帝は本を物色する彼女の姿を見守った。
彼女が借りたい本を探している間に、思念で邸の厨房にサンドイッチを用意するように指示を送り、帝は茉理が来るのを待つ。
「お待たせしました」
少しは急いだのだろうか。思ったより彼女は息を弾ませていた。
手に持つ本を鞄にしまい、彼に向かって笑む。
「ちょっと家に電話しますね。おばあちゃんが待ってると思うので」
「ああ」
携帯を出し、家への電話をかけてから、再度彼女は帝の側に来た。
「これで大丈夫です。で、どこでお昼を食べるのですか」
「俺の家だ」
「帝先輩の家ですか」
茉理は一瞬なんともいえない顔をする。
「安心しろ。お前でも食べやすいようにサンドイッチにしておいた。カトラリーはいらないだろう」
「そうですか」
ほっと顔をほころばせ、彼女はまた微笑んだ。
「じゃ行きましょう」
二人は並んで校門まで歩く。
昼前なので、太陽は容赦なく照りつけた。
「まだ夏ですね」
この日差しは、と茉理がつぶやくと、帝も天を振り仰ぐ。
「そうだな」
帝の高級車が待つ校門の前まで来たとき、また彼の脳裏に思念が響いた。
「帝先輩?」
帝の顔が一瞬変わったのを見て戸惑う茉理を車の後部座席に乗るよう誘導すると、彼は苦虫を噛み潰したような顔で届いた思念に応対する。
『今度は何だ』
『その様子だと雅人がまた余計な事を言ったようだな』
『直樹か』
帝の顔が真剣なものに変わる。
3年D組 森崎直樹。
クリスティ一族第三の分家代表で、生徒会で会計を担っている彼は、雅人と違い余計な事は一切言わない。
本当に用事がある時しか連絡を寄越さない彼からの思念に、何事かと意識を集中させた。
『昼食を済ませてからでいい。午後に生徒会室で会議をしたい』
『緊急の要件か』
『そうだな。二学期の体育祭について、全員で話し合いたい案件がある。他の連中にはもう通達しておいた。後野さんとのランチタイムが終わったら、彼女を送ってすぐに来てくれ』
『……わかった』
何も言っていないのに、彼が茉理を誘うことなどお見通しなのだろう。
(相変わらず先を読む)
彼の才に感心しながら、帝は茉理と楽しい昼食を取るため、車に乗り込んだ。




