17
何事もなく開会式が終わり、三年生を残して一、二年生は退場した。
雅人として三年生の列に並んで、英司はそのまま校庭に留まる。
これから徒競走だ。
三年生から始まって、二年生、一年生と続いて走る。
個人戦のため、終わるまでに少々時間がかかるが、体育祭を見に来た父兄たちは自分の子どもが数秒でも個人で走るのを見たいと思うだろう。
スタートラインの前に各クラスごと1列に並びながら、雅人(中身は英司)は遠くのゴールで係りがテープの準備をしたり、1位から5位までの旗を立てて並べているのを見た。
一度の走者はA組からE組まで一人ずつ、五人同時に走ることになっている。
「きゃーっ、雅人様っ、がんばってーっ」
クラス席の方から声がして、雅人(中身は英司)はそちらを見た。
手を振って声をあげ、応援している女子の集団がある。
その手には紙で作った薔薇の花をたっぷりと糊付けしたうちわがあり、うちわの真ん中にはピンクのマジックで『雅人様 勝利』と描かれていた。
アイドルの推しグッズみたいなうちわを見て、雅人(中身は英司)は一瞬うっと身を引いたが、あわてて自分の役目を思い出し、散々特訓させられたとおり笑顔で手を振った。
(つ、疲れる……)
今日一日、こればっかりしないといけないのかと思うと、走る気力すら無くなってくる。
しかし自分の番が来たので、とにかく前だけ見て必死に走った。
「雅人様―っ、ファイト」
「フレーフレー、ま、さ、と。キャーッ、雅人様―っ」
後ろから黄色い応援が飛んでくる。
ゴールテープを一番に切ったとき、拍手と共にキャーッという歓声が響き渡った。
「雅人様が1位よ」
「さすがね。雅人様―っ、素敵」
(やっと終わったよ)
雅人(中身は英司)はほっとしながら1と書いてある旗の後ろに並ぶ。
このまま三年生が終わるまでじっと待っていればいいので、考える余裕が出来た英司は、すかさず帝に思念を送った。
『帝、そっちはどうですか。後野さんはいましたか』
『……まだだ。まだ見つかっていない』
『えっ?』
もうとっくに余裕で生徒会室に連れていったと思っていたのに、どうやら難しかったようだ。
(あの帝が逃すなんて、一体何があったんだろう)
英司は驚きと共に、しばらく疑問が頭から離れなかった。
話は開会式終了直後に戻る。
帝はクラス席に着くや否や、1年A組に瞬間移動した。
「茉理」
見覚えのあるお下げ髪の後姿。
すぐに彼女の右腕を取る。
「おいっ、ちょっと一緒に来い」
そのまま瞬間移動しようとしたのだが――。
「えっ、帝様?」
お下げ髪の少女が振り向く。
彼女の顔を見て、帝は驚いた。
髪型は同じだ。だがその顔は茉理ではない。
「なっ、お前は誰だ」
「誰って……1年A組の星野です」
目を瞬かせながら少女は名乗る。
「くそっ」
帝は彼女の手を離し、周囲を見回した。
だがお目当ての茉理は見つからない。
(どこに行ったんだ)
あせって更に周辺を見ると、ふとA組父兄席の後ろの方に見慣れたお下げ髪の少女を発見した。
(あそこか)
あわてて瞬間移動して、その子の手を掴む。
「おいっ、あんまり動くな」
そう言って彼女を見ると、なんとまた別人だった。
いつの間にかまた間違えたらしい。
今度の子は、お下げですらなかった。
「帝様? どうされましたか」
「くそっ、なんでもない」
乱暴に彼女の腕を離すと、帝はまた人の波の中から茉理を見つけようと目を凝らして探す。
(どこだ、茉理)
見つけられず、あせる彼の脳裏に、英司の思念が響いた。
『帝、そっちはどうですか。後野さんはいましたか』
『……まだだ。まだ見つかっていない』
『えっ?』
英司の驚く声に、彼は舌打ちする。
帝自身も信じられない気分だ。
(一体どうなっているんだ)
確かにクラス席に戻って、すぐに瞬間移動したはずだ。
それ以前に茉理がクラス席まで行進していく姿も、ちゃんと視界に入っていたのに。
(いきなり消えるなんてありえない)
混乱している帝の脳裏に、別な思念が響く。
『おい、帝。そろそろタイムリミットだ』
直樹が彼に三年生の徒競走が終わり、もう二年生が入場してスタートラインに並んでいることを告げる。
『英司は無事に変身を解いて、二年生の自分のクラスに並んでいる。お前も早く来い』
自分の競技種目をさぼって探すことはペナルティだ、という直樹の言葉に、帝は一旦あきらめて、校庭の自分のクラスの列まで瞬間移動した。
すぐ横に並んでいる英司に、不機嫌な顔を見られて更に苛立ちが募る。
「見つからなかったんですか」
「……ああ」
他に言いようがなく、帝は苦虫を噛み潰したような表情で肯定した。
「今、斎に思念を送りました。僕達が走っている間、彼に探してもらいましょう」
「そうだな」
帝はそう答えると、意識を切り替えて徒競走に臨んだ。
1年生は徒競走のために入場門に並んでいたが、その中に斎の姿はなかった。
(後野さん、どこだろう)
帝が見つけられなかったと英司から思念が来たとき、斎はなんとなくやっぱりだと思う。
(先輩たちはすぐ終わるって思ってたみたいだけど、そうはいかないみたいだ)
相手は小学生とはいえ、あの雅人や直樹でさえ一目置いている二人組である。
簡単に終わらせてはくれないだろうと、なんとなく思っていた。
彼はそっと校舎の影に入ると、静かに目を閉じる。
心の中で呪を唱え、全体探索の魔法を発動させた。
校庭にクラス席、来賓の座るテントや父兄席、それに校舎にまで、彼の魔力の波動を行き渡らせて茉理の気配を探る。
(嘘だ。まるで気配を感じない)
いくら探っても、自分の探索網に茉理らしき存在は引っかからなかった。
(後野さんがいない? いや、そんなはずはない)
しかしどれだけ魔力を研ぎ澄ませても、探索範囲を広げても彼女らしき気配は微塵も感じられない。
(馬鹿な。どうして後野さんがいないんだ)
まさかルールを破って、双子が彼女を学園の外に連れ出したのだろうか。
一瞬そう思いかけた斎だが、すぐにそれはないだろうと思い直す。
(多分後野さんは、校内のどこかにいる。もしあの双子がルール違反をしたら、雅人先輩や直樹先輩が黙っていないはずだ)
手出しはしないと言っていたが、おそらく自分たちの行動を観察しているに違いない。
斎たちにしても双子にしても、決まりごとを破ればすぐに飛んでくるだろう。
(だとしたら僕の探索網に引っかからない場所に、わざと後野さんを隠したということか)
校内のどこにそんな場所があるだろう。
一生懸命考えている斎の脳裏に、思念が届く。
『斎、俺達徒競走終了だ。今、一年生が入ってきてる』
英司の声だ。
『競技には参加しないとペナルティになるらしいぞ。早く来い』
『先輩、後野さんいますか』
斎ははっと気付いて問う。
一年生の徒競走なのだ。
当然茉理がいるはずだ。
『……うん、A組が並んでる列にいるよ』
(後野さん、いつの間に)
斎はあわてて瞬間移動する。
校庭の中央より少し右側に設けられたスタートライン。
その後ろに一年生が列を作って並んでいる。
茉理の姿もちゃんとあった。
(双子もきちんと後野さんを競技に参加させてる)
自分たちと共通のルールが小学生組にも課せられているのだろう。
『とにかく徒競走がんばれ。後野さんは徒競走が終わって、クラス席に来たらすぐに俺達が捕まえるからさ』
『わかりました』
斎は今度こそ大丈夫だろうと確信し、徒競走に意識を集中させた。
結果から言ってしまうと、徒競走のあとも彼女を捕まえることは出来なかった。
退場したあとクラス席に戻らず、英司と帝は二人とも退場門の前で待機する。
「今度こそ大丈夫です、帝」
「ああ」
二人そろって待ち伏せしているのだ。
万が一にも見失うという事はないだろう。
茉理は1位になれなかったらしく、退場門から見たら2位の旗の後ろにいた。
前の方から10番目ぐらいで、真ん中にいる。
しっかりと彼女の位置を二人とも確認し、目を離さないように集中した。
『やっほー、英司君。君、そろそろ出番だよ』
軽快な雅人の思念が、英司の脳裏に響く。
『次は三年男子による障害物競走だ。もう皆入場門の前で整列してるよ。早く僕に変身して参加してくれ』
「あ……そうだった」
英司はがっくりと肩を落とす。
「どうした」
「すみません、俺、次の種目出ないといけなくて」
「ああ、雅人のか」
帝はうなずいた。
「行ってこい。俺一人で大丈夫だ」
「じゃあ、まかせましたよ」
そう言って、英司は入場門に近い校舎の入り口まで瞬間移動する。
人目がないのを確認してから雅人に変化し、入場門まで近づいた。
「きゃーっ、雅人様よっ」
「雅人様―っ、がんばってえ」
「応援してますーっ、雅人様、ファイト」
すぐ入場門にて待機していた雅人の親衛隊――通称プリンス・ソロリティの女子たちに囲まれてしまい、英司は一瞬目を回して頭が混乱する。
「こら、お前達、下がりなさい。雅人様、早くこっちへ」
三年の担任が入場門の側にいて、群がる女子たちを散らして雅人(中身は英司)を助けてくれた。
「すみません。ありがとうございます」
「いやいや。人気者は辛いね、雅人様」
にやりと嫌味っぽくささやかれ、英司はうっと返事につまる。
(確かこの先生も、あの名簿に名前があったよな)
斎が手に入れた藤推しの職員名簿。
クリスティ一族にあまり良い感情を持っていないのかもしれない。
そう思うと、素直に助けてもらって感謝ですというわけにいかなかった。
複雑な心境を抱えて、雅人(中身は英司)はクラスの列に並ぶ。
(いけないいけない。競技に集中しよう)
とりあえず入場が始まり、雅人(中身は英司)は気を落ち着けて、目の前に広がる障害物に意識を集中させた。
徒競走が終わり、駆け足で一年生は退場する。
帝はA組の列から茉理が退場門に駆けてくる瞬間を待った。
しかしいくら待っても、彼女の姿がない。
(何だと)
一年生は全員退場門を通過したのに、茉理の姿は影も形もなかった。
退場してきた斎もクラス席に戻らずに帝の側に駆け寄ってきたが、茉理の姿が消えたことに驚きを隠せない。
(ありえない。俺はずっとここにいた。あいつがどこか他に行くなんてこと、あるはずがないのに)
信じられない事だが、彼女は一瞬で姿を消した。
(馬鹿な。あいつらにそんな魔法は使えないはずだ)
直樹からもらった双子のデータには、瞬間移動魔法を使えるとは書いていなかった。
むしろ頭が残念なために、爆裂火炎の攻撃魔法しか出来ないという。
(どういうことだ)
狐につままれた気分でいると、斎が帝の袖をひっぱり、校舎の方を指差した。
「なっ」
いつの間にそっちへ行ったのだろう。
お下げ髪の赤Tシャツを着た少女は、校舎の中に走っていった。
「トイレか」
帝は斎と目を見合わせ、同時に瞬間移動する。
1階の女子トイレの前に、二人は姿を現した。
(まったく。あまりうろつくなと昨日言っておいたのに)
イライラしながら帝は、廊下の壁に背を預けて茉理が出てくるのを待つ。
だが一向に彼女はトイレから出てこなかった。
(遅い。何してるんだ)
流石に遅すぎると思うほど時間が経ったが、いくら帝でも女子トイレの中まで押しかけていくのは気が咎めた。
丁度別な1年女子がトイレにやってきたので、彼女に声をかけて茉理を呼んでもらうことにしたのだが――。
用を済ませてトイレから出てきた女子は、誰も中にはいませんでしたと衝撃的な返事をした。
(そんな馬鹿な)
帝と斎は驚きを隠せない。
(一体どうなっているんだ。何故あいつは見つからない)
そんな風に考えていると、帝の頭に英司から思念が届いた。
『帝、どこにいるんですか。後野さん、いましたか』
『いや、まだだ』
『ええっ、そんなあ』
障害物競走で自分の番が終わった英司は校庭で所定の位置に並んで座りながら、予想外の結果に思わず身が固まる。
『そっちは終わったのか』
『はい。俺も一緒に探します。次は二年女子のダンスですし』
今、退場です、と英司は言って、思念を打ち切った。
校庭から拍手の音が響く。
三年生男子が障害物競走を終えて、退場したのだろう。
「ここに突っ立っていてもしかたない。外に戻るぞ」
帝の言葉に斎は白い顔でうなずき、二人は校舎から外の校庭に戻った。




