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9月第二週の水曜日は何事もなく過ぎた。
木曜日に入り、ちょっとした事件が持ち上がる。
昼休み。
それぞれのクラスに体育祭で着るクラスTシャツが配られたのだが――。
C組とD組のTシャツデザインが、あまりにも他の組と違っていたのだ。
体育祭ではそれぞれのクラスに決められた色があり、その色のTシャツを着ることになっている。
応援合戦で着る衣装やポンポンなどの応援グッズ、クラス旗なども当然その色であった。
A組は赤、B組は黄色、C組は白、D組は緑、E組は青である。
昼休みに自分のクラスで、斎はTシャツを受け取った。
それは薄い空色で、前と後ろに大きく濃い青でEの文字が入っているシンプルな物。
中学初めての体育祭に参加出来るのが嬉しくて、斎は思わず笑みを浮かべる。
初等部の時は魔力のコントロールがまだ難しくて時々体が透明になってしまい、運動会の途中で消えてしまって最後まで参加出来なかったりした。
中学になってやっと自分で増えた魔力をコントロール出来るようになってきたので、今は予期せず消えるということはなくなった。
なので今年は最後の閉会式までちゃんと参加する予定である。
その嬉しさを手にしたTシャツで実感して内心喜んでいると、どうもクラスメイトたちのささやきがおかしい。
「絶対あのTシャツは直樹様の作ですわ。D組がお気の毒としか言いようがありません」
声高に言う声は、早川響子のものだ。
彼女は校内でも名の知れた名門魔族の家の令嬢で、いつも周囲に彼女を崇拝する取り巻きの女子達がいる。
「でももしかして何か特殊機能とかついてたら、D組だけお得かもしれない。どう思いますか。響子様」
「まったくですわ。でももしそんな機能があったとしても、あのTシャツはグロすぎて着たくないですね」
響子と取り巻きたちが話しているのは、どうやらD組のTシャツらしい。
「C組なんてもっと可哀想。どうしてあんなお笑い芸人のようなデザインなのかしら」
「あれ、全員で着たら、絶対笑いが取れると思うわよ。うちはまともなTシャツでほんと良かったわ」
(一体どんなTシャツなんだろう)
好奇心が芽生えて席を立つ。
ふと先週生徒会室で、雅人と直樹が得意げに今年のクラスTは自分達がデザインをして注文したと言ってたことを思い出し、嫌な予感が頭の中を駆け巡った。
案の定、D組とC組はそれぞれ渡されたTシャツを持って、絶望的な顔をしている。
C組のTシャツは白地の背中に大きな白い羽がついていて、身動きするたびパタパタと揺れた。
(雅人先輩、確か着れば天使になれるとかなんとか言ってたな)
生徒会室で彼が得意げにはしゃいでいたときの台詞を思い出し、斎は痛むこめかみに指を当てる。
(先輩みたいに金髪のイケメンだったら、これ着てエンジェルっぽく見えるかもしれないけど、普通の男子にこれはきついよ)
体の良い生徒もいるし、強面の顔した男子だっている。
筋肉隆々の男がこれを着て、羽をバタバタさせながら走ったら、確かにお笑い芸人が無理やり天使やってみました状態になるだろう。
D組はC組よりデザイン的にはシンプルでましだったが、問題はTシャツの素材である。
(あれってあの魔法薬だ)
斎はD組を覗いて、すぐに気がついた。
以前直樹がどんな物でも緑色のプルンとしたゼリー状態に出来る魔法薬を開発し、岩で出来たゴーレムをゼリー化したことがある。
どうみてもその魔法薬で出来たゼリーのような素材で、そのTシャツは出来ていた。
着れば緑色の分厚いプルンプルンのゼリー人間になることが出来る。
一見涼しそうだが、上半身をこれで覆いたくはないしろものだった。
(完全に趣味嗜好を優先させすぎです、先輩たち)
斎は心の中で文句を言う。
どうみても皆嫌がっていた。
(あとで直談判の手紙を書こう)
そう思っていた斎の目に、ある光景が飛び込んできた。
(後野さん)
どうやら評判を聞いて、彼女もTシャツを見にきたのだろう。
思念を送ろうかと思ったが、茉理の顔がどんどん怒りMAXの表情になり、ついに走っていってしまった。
(後野さんもあれはひどいと思ってくれたんだ)
斎は胸の奥が温かくなる。
きっと先輩たちに文句の一つも言いに行ったのだろう。
だがすぐに彼女は一人で戻ってきた。
今度こそ思念を送ろうと思ったが、次の瞬間帝が茉理の横に現れる。
茉理が必死にTシャツを変更して欲しいと訴え、帝が青筋を立てて抗議に行った。
二人のやり取りを遠くから眺めて、自分の出る幕はなさそうだと思った斎は、静かに自分のクラスに戻る。
(放課後、雅人先輩は大いに荒れそうだな)
そんなことを考えながら、斎は自分のTシャツを鞄に大切にしまった。
放課後。
斎は母に携帯でメッセージを送り、特別に焼いてもらったレモンパイを片手に生徒会室に行く。
(雅人先輩、これで機嫌が直るといいけど)
パイはまだほんのりと温かい。
無理を言って、焼きたてを瞬間移動させてもらった。
母には急遽生徒会室で帝先輩を囲んで大事なお茶会をすると言ってある。
(本当は雅人先輩と直樹先輩の慰労のためなんだけど)
心の中で嘘をついたことを母に誤りながら、そっと生徒会室の扉を開けると、予想通りの光景が広がっていた。
「ひどい、ひどいよ、帝。君がそんな薄情な人だとは思わなかった」
雅人の悲劇に満ち溢れる台詞と共に周囲はさっと薄闇になり、どこから照らしているのかわからないスポットライトが床に跪いて悲しみにくれる金髪の貴公子を照らす。
「ああっ、この僕がC組全員を体育祭で天上を華麗に飛び回る高貴な天使にしようと思っていたのに。僕の崇高な天使計画を打ち砕くなんて。僕達の翼はもぎ取られ、平凡な人間と成り果ててしまった。僕達C組はもう天高く舞い上がることはかなわない。地面を這い回る爬虫類のように、地に足をつけて生きなければいけないのだ。これ以上の悲しみがあろうか」
「お前のは天使計画ではなく堕天使計画になった恐れがある。阻止されてむしろ良かったんじゃないか」
黒眼鏡を妖しく煌かせ、直樹が冷たい声で言い捨てた。
「雅人の計画をつぶしたことは理解する。だが帝、この俺の研究成果まで否定するのは納得がいかない。何故あの保冷剤もたっぷり入った<熱気を鎮める冷え冷えゼリーシャツ>を変更した」
(うわっ、直樹先輩の方が声が怖くて迫力ある)
斎はパイを円卓に置いて、思わず息を飲み込む。
帝は怒気も露わに二人にくってかかった。
「やかましい。体育祭は全校生徒あげての祭典だ。お前たちだけのものじゃない。Tシャツだって同じ素材、同じような物を着るべきだろう。なんだ、あの特殊で怪奇きわまりないデザインは。父兄と来賓の目に、あんなものをさらすなど言語道断だ」
「あんなものとはなんだ。この俺が体育祭のために苦心して研究したTシャツをあんなものよばわりされる覚えはないっ」
「ああ、そうか。わかったよ、帝。君はあの美しくて清らかなデザインに嫉妬していたんだね。そうだ、君の言う通りこれは全校生徒あげての祭典。同じ物を着るのは当然だった。C組だけにあれを着せようとした僕が浅はかだったよ。全学年同じ天使になるべきだったのだ。僕の過ちを許しておくれ。そして今から全員天使の羽を身にまとって体育祭で天空を目指そう」
「えーっ、あれを全員で着ろっていうんですかっ。絶対嫌です」
英司が拳を握って反対する。
「赤い羽も黄色い羽もあっても良かったのに、僕は何故羽は白という概念にこだわっていたんだろう。安心しておくれ、英司君。君には特大の黄金の羽がついたTシャツを特注で作らせてプレゼントするよ。それを着て大空を飛ぼうじゃないか、僕と一緒に」
「冗談じゃありません。先輩は俺の風で墜落してもらいます」
「いい加減にしろっ、お前達」
帝がどんっと拳を円卓に叩きつけた。
「とにかく羽もゼリーも体育祭には不要だ。わかったな。またこんな馬鹿な提案をしてみろ。二人ともすぐに帰ってこれない異次元に転送してやる」
その場はしーんと静まりかえる。
「わかった。お前がそう言うならあきらめよう」
「王様が気に入らないんじゃ、しょうがないよね」
先輩二人はさっきまでの態度を瞬時に改め、椅子に座りなおす。
斎はほっとして、英司に思念を送った。
『母が焼いてくれたレモンパイを持ってきたんですけど、お茶にしませんか』
「おおっ、それはいいな」
英司はすぐ満面の笑みになる。
「帝、斎のお母さんがレモンパイを焼いてくれたそうですよ。食べましょう、一緒に」
「それはいいね。静叔母さんのパイは絶品だからね。僕が美味しいお茶を入れてあげよう」
雅人はたちまち機嫌を直し、お茶の支度を始めた。
帝はパイの箱を見て、軽くため息をつく。
「気を使わせたな、斎。静叔母さんにパイのお礼を言っておいてくれ」
斎はうなずいた。
帝の瞳に彼への謝意があるのを見て、自分が気を使って先輩二人のためにこれを持ってきたのを帝は見抜いているのだと悟る。
お茶のカップが配られ、パイが分配されてその場はたちまちお茶会になった。
「美味しい。斎のお母さんって料理上手だな」
パイをほおばりながら英司が言う。
「このパイほど絶品のお菓子に僕は出会ったことがないよ。このレモンソースの絶妙な甘酸っぱさ。パイ生地のサクサク感。最高の一品だと言わせてもらうよ」
雅人が上品にフォークで切ったパイの欠片を口に運びながら微笑んだ。
「確かに上手いな。レモンは苦味が出やすいのだが、うまく甘味料と合わせてある」
直樹が満足げに語る。
帝は何も言わなかったが、パイを食べる口元には優しい笑みが浮かんでいた。
(良かった。喜んでもらえて)
帰ったら母に伝えよう。
斎は温かい気持ちになりながら、自分の分のパイを口に入れた。
このままなごやかにお茶会をして解散出来れば良かったのだが、そうもいかなかった。
パイを食べ終わり、二杯目の紅茶が入った時、直樹が帝の方に向き直る。
「報告が二件ある。どちらも見過ごしに出来ない案件だ」
「なんだ」
帝の顔が警戒を露わにしたものに変わった。
「まず一つ。今回の体育祭実行委員長のことで、藤家が増長し始めている」
「なんだと」
「藤昇を実行委員長に推薦した理事長の真意はわからない。だがこの事態にかこつけて、藤ゆり子が次期伊集院家の跡取りは自分の孫だと親戚縁者に吹聴しているらしい」
「あーらら、随分だねえ、それは」
雅人が薔薇の花を手元で回しながら、合いの手を入れる。
「先週の土曜日に藤家ではパーティーをやって一族を招いたらしいんだが、その席でゆり子は藤昇がクリスティ一族の次期総帥であると皆に発表したそうだ。念のためにと思ってこっちの手の者をパーティー会場に侵入させておいたんだが、その報告によればゆり子は藤昇を舞台上に立たせて挨拶をさせたとか」
「えーっ、自分が次の総帥になります、とか言っちゃったんですか、あの藤先輩」
「挨拶のくわしい台詞はわからないが、特にゆり子の言葉を否定しなかったと報告には上がっている」
「へえ。つまり自分は次の総帥になってもいいと。全然野心のなさそうな顔しといてやるね」
雅人は皮肉を織り交ぜた発言をした。
帝はこの不快な発言に一言も言わず、黙って続きを直樹にうながす。
「もう一つの案件は、今朝の職員会議で上がった内容だ。体育祭の職員側の総括をしている芳賀先生のノートパソコンに誰かが悪戯をしかけたそうだ」
「悪戯だと?」
帝は不思議そうに聞き返した。
「悪戯にあったのは体育祭のプログラムデータだ。芳賀先生が作った体育祭プログラムの種目順を、誰かが故意に入れ替えてデータを作成した。気がついたからすぐに修正したが、犯人は誰で何の目的でそんな悪戯をしたのかは一切不明だ」
「何だってそんな意味不明なことをしたんでしょう」
「さあな。ただの悪戯だと思うが、問題はここからだ」
直樹は黒眼鏡のフレームを少し治しながら言う。
「単刀直入に言うと、この意味不明な悪戯の犯人候補として、俺たち生徒会が疑われている」
「はあああっ、何で俺たちが」
英司は素っ頓狂な声を上げた。
「へえ、つまり僕達が藤昇をやっかんで嫌がらせをしたというわけだね」
「その可能性ありと言われているらしい。俺たちにはクリスティ一族分家代表という肩書きがあるから、今のところ表立って追及してくる者はいないが、一応頭に入れておいてくれ」
「うわあっ、なんだか面倒な事態になってますね。こんなことなら大人しく実行委員を俺たちでやっといた方が良かったかも」
「それは今更だろう、英司」
帝が冷静な声で応じる。
「どんなに疑われようとも、こちらに非がなければ問題ない。そう騒ぐな」
「ううっ、わかりました」
(思ったより冷静だ、帝先輩)
斎は意外だと思った。
いつもならもっと熱く感情的になって、藤家をぶっつぶせとか職員会議に殴りこみをかけるとかしそうなのに、彼はそんな事は言わない。
それゆえに彼の態度は不気味ですらあった。
雅人と直樹も、すごく奇妙なものを見る目になって帝を注視している。
「なんだ、お前達。俺が暴れて手がつけられなくなるとでも思っていたのか」
全員の視線を受けて、帝は憮然とした。
「俺だっていつも感情的になるわけじゃない。今はそんなことをしても何の意味もないしな」
そう言うと、彼は紅茶を飲み干す。
「報告の案件は了承した。他に何かあるか」
「いいや、これですべてだ」
直樹が言うと、帝はうなずいた。
「ではこれで今日は解散しよう。各自、さっきの案件は心に留めて、何か気付いたことがあれば報告してくれ。以上だ」
そう言うと彼は席を経ち、さっさと生徒会室を出ていく。
残された4人は、いつもと違う彼の姿に唖然として、出て行く彼の背中を見送った。




