【現世】第19章2話 赤 芯
数年後
オーガは
アメリカのドラフトへ指名された
拍手
フラッシュ
祝福の声
だが――
胸は妙に静かだった
心の炎だけが
奥でかすかに燃えている
ゴゴゴ……
空気が重い
夢が叶ったはずなのに
何かが
まだ始まっていない感覚だけが残る
捕手は
その違和感を放置しない
そこで出会った
ベテラン捕手
レオン
レオンは
ブルペンの隅へ立つだけで
空気を静かに締める
誰も騒がない
誰も近づきすぎない
ただ
視線だけが集まる
レオンは
ミットを鳴らしながら言う
「キャッチャーは
頭でやる」
短い
冷たい
「感じるな」
一拍
「――考えろ」
さらに短い
「……それだけだ」
励ましはない
慰めもない
だが――
迷いもなかった
レオンのノートは
角が擦り切れていた
何度も開かれた跡
何度も
負けを潰してきた跡
合理だけでは辿り着けない
重さがあった
レオンは
配球を説明しない
代わりに
質問だけ落とす
「今の投手は
何を怖がってた?」
――答えられない
「打者は
何を待ってた?」
――沈黙
「お前は
何を観察してる?」
淡々としている
だから逃げられない
オーガの喉が
小さく強張る
答えが曖昧だと
キャッチャーミットの
鈍い音が鳴る
――パン
芯を外した
逃げ場のある音
レオンは怒鳴らない
ただ
目を細める
その視線だけで
背筋が凍った
夜明け前
霧が
低く漂うグラウンド
ミットはもう
革の匂いじゃない
汗と血の匂いだった
指は腫れ
爪は割れ
握るたびに
骨が軋む
――パン
軽い
逃げている
レオンが言う
「怖がるな」
一拍
「――それだけだ」
投手か
打者か
――違う
自分だ
打たれる未来を恐れている
失点の責任を避けている
オーガは
そこで初めて
自分の怖さの名前を知った
脳裏へ
負け試合の音が蘇る
崩れた投手
沈んだベンチ
俯いた背中
守れなかった
その熱だけが
胸の奥で
赤黒く燻っていた
奥歯が軋む
拳が
無意識に強く握られる
震える膝を
強引に止める
次の一球
外角低め
理由を
頭の中へ並べる
感情を切る
怖さじゃない
順番で考える
――パンッ
芯を食う音
まだ足りない
レオンが短く言う
「次」
オーガは
深く息を吸った
配球を先回りする
打者の呼吸
肩の開き
足の重心
来る
――今だ
――パンッ!!
空気が裂けた
重い音
投手の迷いが
ミットへ吸い込まれる
逃げない
責任を引き受ける
初めて
守るじゃなく
前へ出た
音が変わる
ミットの芯へ
熱が残る
もう
逃げていなかった




