【現世】第11章2話 銀 観測
すずらんの夜は
騒がしい
笑い声
怒声
酒と欲が
グチャ……と混ざる
仁は
自分の店へ向かって歩いていた
ニュークラ――
高級キャバクラを
7店舗回している
今夜向かうのは
そのうちのひとつだ
その途中――
不快な声が
ギリ……と耳に刺さる
「おい! あれ……」
――笑いが混じる
「鈴の彼氏じゃねぇか」
――別の声が重なる
「まだ投げられねぇ腕で
街は歩けるんだな」
4人のチンピラ
下卑た笑い
酒に任せた悪意
絡まれているのは
CCロッカーズのヴィオと
翔だった
ヴィオの右腕は
まだ完全じゃない
それが
酔っぱらいにも
一目でわかる
翔が
一歩
前に出る
反射で
ヴィオの身体が
前へ出る
右足が
床を踏み抜く
視界が
一点に絞られる
いける
――そう判断した
その瞬間
右腕が
コンマ数秒
遅れた
ズキン
拳が
握りきれない
踏み込みの軌道が
わずかに狂う
そのズレが
踏み込むな
と命じた
ヴィオは
止まった
動けなかったんじゃない
止められた
自分の右腕に
その一瞬を
仁は見た
視線が
ヴィオに落ちる
――未完成
本来なら
それで終わるはずだった
だが
胸の奥が
チリ……とわずかに鳴った
「……その腕で
やるつもりかい」
低く
静かな声
夜の底から
上がってきたみたいな声だった
その一瞬だけ
空気が
ズレる
音もなく
位置だけが
わずかにズレる
影が動いた瞬間
ひとりのチンピラが
ドサ……と地面にキスをした
残り3人が
考える前に襲いかかる
仁は
半歩ずらす
“次”を読んでから
入る
翔が
反射で前に出ようとする
その肩を
仁が
無言で押さえた
――トン
二発目は
音が出なかった
ステップのまま
拳だけがめり込む
もうひとりへ
同じ半歩で入り
未来の拳を
先に叩き落とす
ふたりまとめて
地面にキスをした
息はある
だが
戦意は
完全に消えている
残ったひとりは
何も言わず逃げた
夜の騒音が
ゾワ……と戻る
誰も
何も見ていない
それが
この街の暗黙の了解だった
仁は
ヴィオを
静かに射抜く
「見られてから
背負うんじゃない」
一拍
「立った時点で
――もう背負ってる」
仁は
ヴィオを
一度だけ見た
夜の人波へ
スッ……と溶けた
銀が
チラ……と滲む
その軌跡だけが
一瞬
遅れて消える
影が消えたあと
空気が
わずかに整う
崩れる手前だけが
残されていた
ヴィオの喉奥が
わずかに強張る
それは
恐怖じゃない
止められなかった
動けなかった
主役になる場面でも
助ける側でもない
ただ――
未完成なまま
そこに立っていた
それだけだった
それが
一番
悔しかった
野球なら
勝てた
だが
ここは
マウンドじゃない
その事実が
ズシ……と胸に残る
スポットライトの外側には
別の重力がある
ヴィオは
それを
初めて実感していた
翔は
黙っている
だが
その横顔には
別の苛立ちがあった
守る前に
守られた
その順序の狂いが
翠の奥で
まだ小さく軋んでいた




