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【現世】第9章3話 桃色 かたち

同じ頃


病院の夜勤明け


朝の廊下は

静けさに包まれていた


蛍光灯の白が

冷たい


足音だけが

遠くへ抜けていく


その途中で


茉莉奈は

理由もなく足を止めた


疲労でもない


眠気でもない


胸元の蒼石へ触れる


ひやり


冷たい


外気のせいではない


胸元の蒼石が

ギュ……と締め付けられるように

重くなった


熱いのではない


重力だけが

そこへ集まったみたいに重い


拒絶

とも違う


何かが

通り過ぎた感触だけが残る


時間感覚が

キィ……と一瞬だけ引き伸ばされる


脈ではない


体温でもない


何かが

スゥ……と通り過ぎた


問いかける言葉さえ

蒼い光の中に消える


誰かの気配だけが

残った


名前は出てこない


映像も浮かばない


探すべき理由すら

ここにはない


今は

わからなくていい


それでも


胸の奥に

小さな空白が

ぽっかり……

残った気がした


茉莉奈は

空を見上げる


嫌な予感


というほど

輪郭のあるものじゃない


恐怖でもない


不安でもない


その感覚だけが

消えない


――翌朝


コンビニの新聞棚


いつもと

何も変わらない


そのはずなのに


スポーツ紙の一面だけが

やけに派手だった


≪熱愛発覚≫

≪金城ヴィオ♡桃園鈴≫


イベント中の

ふたりのツーショット


距離はある


触れてもいない


だが

否定できない構図だけが

そこにある


熱愛か


次世代スターの共演か


見出しが

ギラ……と勝手に意味を作っていく


事実より先に

物語が走る


翔は

新聞を一度だけ折り


棚へ戻した


指先の動きは

いつもと同じだった


何も言わない


だが


沈黙の奥で

翠だけが

まだ警戒している


ヴィオは

その新聞をただ見つめた


最初に浮かんだのは


鈴じゃない


病院の廊下で

静かに笑う

茉莉奈だった


胸の奥で

何かだけが

茉莉奈を向いていた


選択も


言葉も


まだ風の中にある


なのに


形だけが

先に歩いていく


否定も


肯定も


まだ

どこにも置いていない


胸の奥に

乾いた砂が

一粒だけ落ちたような違和感


黄金は

鳴らなかった


記憶の目録に

この色は存在しない


知らないはずの熱


知らないはずの揺れ


だが


胸の内側にだけ

桃色の残響が

ひとつ残っていた


遠い場所で

蒼石が

わずかに重くなる


選んでいないものまで


形だけを持って


今日も

進んでいく

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