第6話:ゼネコン営業の「空中泥縄(どろなわ)交渉術」
中堅建設会社の営業一筋5年、猪狩(27)は、ある新築オフィスビルプロジェクトの現場事務所で頭を抱えていた。
原因は、施主であるIT企業の社長からの、あまりにも軽い「仕様変更」の電話だった。
『あ、猪狩さん? エントランスの壁さ、やっぱりコンクリート打ちっぱなしじゃなくて、全面イタリア製の高級大理石に換えてくれない? 来週の月曜までに。じゃ、よろしく!』
「来週の月曜までに全面大理石……!?」
猪狩の背中に冷や汗が噴き出す。今日はすでに木曜日だ。
今から資材を発注して、職人を手配して、施工が間に合うわけがない。何より、現場を仕切るコワモテの鬼頑固所長、大河内(58)にこれを言えば、確実に「バカ野郎!」と怒鳴り散らされる。
猪狩は決死の覚悟で、ヘルメットを被って現場の大河内所長のもとへ向かった。
案の定、図面を睨んでいた大河内は、猪狩の提案を聞くや否や、地鳴りのような声をあげた。
「大理石ぃ!? 猪狩、お前現場の工程表が見えねえのか! もう下地作っちまってんだよ! 来週月曜なんて絶対に無理だ、帰れ!」
ここからが営業職の腕の見せ所である。
猪狩はすかさず、懐から「幻の銘酒」と呼ばれる芋焼酎の一升瓶を取り出し、デスクの端にそっと置いた。大河内が大の焼酎好きであることを、猪狩はリサーチ済みだった。
「所長、そこをなんとか……! この大理石への変更が通れば、社長は次の第2ビル建設も我が社に発注すると約束してくれたんです。そうなれば、また大河内所長に現役最高峰のビルを建てていただきたいんです!」
「……ふん。お前、口だけは達者だな」
大河内はチラリと焼酎に目をやり、ふう、と大きなため息をついた。
「……おい。京都の石材屋に、前の現場で余った極上の大理石が少し眠ってるはずだ。腕のいい職人も、今夜飲みに誘って頭を下げてやる。ただし、追加費用は1円もまからんぞ。社長にきっちり請求しろ!」
「所長……! ありがとうございます!!」
首の皮一枚で繋がった猪狩は、その足で今度は施主の社長へ電話をかけた。
「社長! 通常では不可能なスケジュールですが、我が社が誇る『伝説の現役最高峰・大河内所長』が、社長の熱意に打たれて特別に動くことになりました! 最高の大理石を確保しました。つきましては、特別超特急費用として、追加で200万円ほど頂戴することになりますが……社長の美学のためなら、安いものですよね?」
『おお、猪狩くん話が早いね! 200万、決済回しとくよ!』
電話を切った猪狩は、現場事務所の裏で小さくガッツポーズをした。
職人と顧客の機嫌を取り、不可能を可能にする。猪狩の胃壁は今日もすり減っていくが、街に新しいビルが建つ日を夢見て、彼は次の現場へと走るのだった。




