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96粒目

草原の途中、おやつ休憩でビスケットと紅茶と珈琲。

男に教わりながら絵を描き、薄暗くなるまで、先へ先へ。

男が食事の支度のために敷物を広げ、我は馬の天幕を用意する。

何を言ってるのかは解らぬが、馬がそこら辺を走って来たいと訴えているくらいは理解でき、

「気を付けの」

馬たちを見送ると、男のいる敷物へ駆け寄り、まだ昼間に握ったおにぎりがあるため、

「我も手伝うの」

「お願いしようかな」

我が頼み卵も持って来てもらっている。

「お、卵スープか」

簡単なものを作ってみたけれど、男は卵が苦手と聞いている。

「食べられるかの?」

「君の作ったものだからな」

「無理せずとも、……」

言いかけ、微かな気配に口を噤むと、

「どうした?」

男の硬くなる声。

「蛇の」

馬車の、荷台の向こう側。

草色をしているけれど、頭をもたげた小さめの蛇。

気配を消しているが、何が目的か。

「……」

我ら、ではないらしい。

近くに川があるし、荷台の下に蛙でもいるのかもしれない。

小さな蛙くらいだと、我でも気配を探るのは難しい。

それでも。

「ふん」

毒蛇ではなさそうだけれど、小豆を当てて頭に貫通させると、僅かな音を立てて、蛇が草むらに頭を倒す。

「一度、食べてみたいの」

こんな小さなものではなく、もっと太くて食べごたえのあるものを。

「……」

男が笑みを浮かべたまま固まる。

(こっちの世界は、食べ物に関して大変に保守的の)

蛇など食べなくても済むせいだろうけれど。

男は、どうやら、

「食べ応えありそうな蛇が見付からないといいな」

と内心で祈っていると思われる。

「……」

今、我等を空から見渡せば、何もない草原に、小さな灯りと小さな食卓が見えるだろう。

そして、気を取り直し、また少しばかり躊躇した後にスープに口を付けた男は、

「……うん?うん、美味しいな」

そう世辞でもなさそうに、匙を掬っている。

「それはよかったの」

夜は鶏を蒸したものがメインになり、

「ふぬ。……比べるのは大変に野暮で不粋だけれど」

「?」

「やっぱりお主の料理が、何よりも美味の」

素直にそう思う。

「あぁ、嬉しいよ」

男の、作ったものではない、蕩けそうな笑顔が見られ、こちらも口許が弛む。

「ぬー、ぽんぽんいっぱいの……」

「俺もだ」

食べ過ぎた。

でも今日はもう移動もない。

テーブルを迂回して、その場に仰向けになる男の隣に寝転がると、小さな灯りがある中でも。

「相変わらず星が凄いの」

無意識に片手を空に伸ばすと、

「……」

その手をそっと取られる。

「……の?」

「そのまま連れられて行ってしまいそうだ」

「くふふ、何にの?」

「何だろうな……」

困った顔で笑う男に、

「我は、お主と共にここにいるの」

男に向き合うと、男もこちらを向き、包まれた手を、男の唇を運ばれ、小指に唇を触れられる。

唾液の催促か。

唇に含み、唇に当てれば。

「……」

足りないと視線で促され。

何度も。

小指がふやけそうな程舐められ。

「終わりの」

と指を引けば、男はそれでも名残惜しそうに我の頬を包み、親指の腹で唇をなぞってくる。

「我の唾液は甘いの?」

「花の蜜の様に甘い」

男は、我の額に額を当てると、

「俺は」

「の」

「あの日、君に声を掛けて良かったと、自分の幸運に感謝している」

目を閉じて、囁く男。

「のの……?」

(あぁ……)

あの、ほんの一欠片も、浪漫ちっくでない出会いのことか。

でも。

「そうの」

真似して目を閉じると、

「お主に声を掛けられたの事は、我の幸運でもあるの」

我の頬に触れる男の手に手を重ねる。

「……少し警戒している君もよく覚えているよ」

と、思い出す様に笑う。

まぁ確かに。

「珍しがられはしていたけれど、あんな風に声を掛けてきたのは、お主が初めてだったからの」

「好奇心に勝てなかった」

「くふふ」

実にこの男らしい。

「食べることが好きなのか、とも思ったな」

「の?」

「パンを広げて悩んでいただろう」

そうだ。

食べる用と明日に残す用と。

「真剣に悩む顔が可愛かった」

「ぬぬ」

男が更に何か言い掛けたけれど。

「さすがに冷えるな」

「の」

草原の地面は冷たい。

軽く片付けて、灯りを持って小さな川に皿などを洗いに行き、荷台で互いに背中を向けて身体を拭く。

男の背中を拭き、髪を梳かしてもらう。

男が三つ編みを練習し、されるままに男の指先を感じていると、どこまで行ってたのか、若干の夜目は利くらしい馬たちが天幕に収まる気配。

彼等を守る我等が荷台に収まったため、大人しく戻ったらしい。

(良い子たちであるの)

それにしても。

「お主は器用よの」

女学生の様に編まれた髪。

「うーん、やっぱり耳の上で2つ結びがいいな」

聞いておらぬ。

「もう寝るだけだから2つ結びは明日の」

髪をほどき、布団に横たわる。

灯りを落とした男が隣に滑り込み、我の片手を包んでくる。

「……さっき散々飲ませたの」

「足りない」

荷台に敷いた布団の上。

「欲張りの」

「欲張りだよ」

まだ唾液をまぶしていない小指を口に含まれる。

「お主も狸擬きに似てきたのかの」

「君の唾液に関しては」

引き抜かれ、薄暗りの中、男の唾液で濡れた小指を口に咥えると、

男の唾液を隈無く舐めとると、男に手首を取られ、口に含まれる。

男が、甘いと目で伝えてくる。

(知らぬ)

目を伏せると指を引き抜かれ、男に胸に強く抱かれた。

あぁ。

「温いの」

春はまだ夜は冷える。

男が風邪など引かぬようにぴたりとくっつくと、夜の空を飛んでいく、鳥の鳴き声が聞こえた。


曇り空の下、今日も来た道をまた進む、進む。

今朝は、馬が「蹄鉄(ていてつ)」を替えて欲しいと2頭が並んで、我等の食事の後にやってくると、前足を片方上げて伝えてきた。

「あぁ。ちょっと待っててくれ」

男が荷台の外に付けた木箱に回り込む。

荷馬車の修理道具と共に必ず常備しているものらしい。

「……ふーぬ。やはり太くて立派な足の」

正確には、向こうの馬と同じではないのだろう。

元の世界では、蹄鉄はもっと頻繁に替えるものと本で読んだことがあるし、蹄に付けるのも玄人が行っていたはず。

けれど、こちらは、蹄鉄の形をしているものを、ペンチに似たもので外し、蹄に新しい蹄鉄をコツコツコツとトンカチらしきもので釘で打ち付けているだけ。

当然隙間もあるし、形は大雑把にしか合っていないけれど。

「蹄鉄が少し柔らかく、徐々に馬の蹄に噛み合っていく」

と。

「ほほぅ」

なるほど。

2頭は4つ足に新しい蹄鉄を付けられ、その場でご機嫌で跳ねている。

「あぁ、片付けを任せてすまない」

少し眺めていたけれど、我にできることはなさそうで、テーブルや敷物を片付け洗い物も川で済ませた。

「なんの。こちらこそありがとうの」

次は我も馬の蹄に蹄鉄を付けてみたい。

「次は教えよう」

「楽しみの」

進む草原の雲は重く。

(花曇りであるの)

曇り空のわりに、生温い花の匂いを纏わせた風が吹き、淡々と変わらない景色を、眺め続ける。

男が煙草を咥え、

「我も」

とせがんでみるけれど。

「あとでおやつにしよう」

吸わせては貰えない。

ベンチに持ってきていた画板と紙で今日も絵を描く。

「雲か」

「狸擬きの」

「あぁ、とても上手に描けている」

「ふふん」

亀の歩みだけれども、少しずつ上手になっている。

はず。

きっと。

お絵描きが終われば、集会所にあった貴重な絵本を持たせて貰えたため、本を音読し、男に読み聞かせる。

「その、ふたりは、こはんで、しばらく、みずにあしを、ひたしていた」

女の子2人が、昼ご飯を作り、父親と母親に振る舞うお話。

「の」

「ん?」

新しい煙草に火を点けた男に、

「この世界の避妊事情はどうなっているのの?」

「……」

肺活量が凄いの、と感心する程にいつまでも煙草の煙を吐き出してた男は、

「……ん?」

作り笑顔で空耳をかましてきた。

(の……)

聞き方が悪かったか。

「街中は勿論、田舎でも子供が多くても一家族に2人程度の」

男は今度は考えるような長い沈黙の後、

「君のいた国では、避妊しなければ、その、言葉は悪いが、無制限なのか?」

質問を返された。

「少し前まではろくに避妊具などもなかったし娯楽も少なかったからの。4~5人は当たり前にゴロゴロいたの」

海を越えた遠い国なら、今も、そうなのだろうけれど。

男が驚いた後に教えてくれる。

男の知る限りでは、子供は多くても2人。

3人目は奇跡。

だからあの花の国の4女の姫も、3女含め、国王女王のどちらかの血はないのではないと。

「ほほぅの」

少しびっくりした。

子供に恵まれない夫婦もいるけれど、望まない夫婦もいる、それは滅多なことでは周りは触れない。

出産後に行為があっても、生まれることは2人目ならゼロに近い確率でないと。

「ふむーぬ」

この世界は、人体を、子供を生む「りそーす」を、魔法の方に回しているのか。

そういえば。

「お主は子供が欲しくないのの?」

男は何とかして、顔にも身振りにも出さない様にしているけれど、手綱の弾き手の動揺に気付いて、馬が不安がっている。

煙草を探る様に胸ポケットを探った男は、しかしさっきのがポケットに詰めた分は最後だったらしい。

紫煙ではない息を吐き出すと、

「子供は、君がいるからいらない」

横顔を見せたまま呟いた。

ふぬ。

その言葉に、嘘も偽りもないのは解る。

しばらく、正確には男の動揺が馬に伝わらなくなり、馬がまた爽快に歩きだしてから。

「……抱っこの」

「おいで」

おや。

股がるように正面から男の膝に乗り、顔を上げると、男が額に唇を触れてきた。

「のの、馬が嫉妬するの?」

「蹄鉄を替えてやったばかりだから大丈夫だ」

確かに2頭とも、今はご機嫌で闊歩している。

しかし。

「お主は我を子供として好きの?」

「子供としても、好きだ」

即座に言い切られる。

ふぬ。

「我も好きの」

顔を胸に押し当てると、

「嬉しいよ」

頭を撫でられる。

「……」

視線を上げると、男はこちらを見ていないけれど、目許が赤い。

(のの)

照れているのは知っている。

「むーふー」

男の胸に顔をぐりぐり押し付けて両手でしがみつくと、

「くすぐったい」

男の身体が揺れ、我も笑う。



「この辺りかな」

「の」

「頼めるか?」

「ふふん、任せるがよいの」

牽引荷台の柵を下ろすと、よいしょと言うほどでもない岩を持ち上げると、地面に下ろす。

岩を下ろしたのは、あれから2日後。

荷物も少なく、地図の印もそうそう付けるものがないため、思ったよりだいぶ早く、誤差はあるだろうけれど、真ん中過ぎと思われる辺りに、到着した。

岩の後ろに土を掘り、甘い小白桃の木を植えてみる。

ここは山でもないし、すぐに枯れるかも分からぬけれど。

「ないよりは遥かにいいさ」

「の」

とりあえず一仕事終わった。

手を洗い、

「お茶にしようか」

「ぬふー♪」

馬たちを休ませ、敷物だけ敷き、コンロで湯を沸かしてお茶を淹れていると、男が木箱を2つ取り出してきた。

「のの?」

「量が少ないから、岩を置けた時にまで取っておいたんだ」

少しばかり漏れている冷気。

もしや。

「アイスクリームの!?」

「そう、君が居なければ出来なかった仕事だから。小さいけれど、ご褒美として受け取って欲しい」

それは。

「慎んで受け取るの」

小さな小鍋に入っているのは、チーズアイスクリーム。

一体、いつの間に。

「あーん?」

「あーむ。……ぬふふ」

ぺたりと座り込む我の口に運ばれるのは、冷たくて甘くて口の中で溶けていく、甘美な甘味。

(頬が弛む程に美味の)

しかし。

狸擬きが今にも駆けて来そうな気がして、やってきた方に視線を向けるも、男も笑いながらまた口にアイスクリームを運んでくる。

「んふー♪」

好きなものが、縦並びではなく横並びで一等賞が増えていく。

(好きなことは小豆洗いくらいしかなかった時に比べると、やはり、遠く遠くに来たものの……)

しみじみ思う。

アイスクリームはまた明日のお楽しみに、半分は残しておく。

お茶の後は、煙草を吹かす男の膝枕で今日も花曇りの空を見つつ、男の髭をさすると、くすぐったそうに煙を吐き出す。

「の、しばらくはあの村で世話になるのの?」

「そうだな。……あの旅人もまだ留まるらしいから、その間に言葉を教わろうと思っている」

「南の?」

「あぁ」

少し言葉が違うらしい。

「あやつは本は持っておらぬかの」

「本か……」

南は特に識字率が低いと聞いているなと、男はううんと呻く。

「ではやはり絵を勉強しなくてはの」

言葉が通じなくても、絵なら通じやすい。

「……君は勉強熱心だな」

「そうの」

全ては、

(お主のための……)

髭から頬に指を滑らせると、男に手を包まれる。

その手の平に唇を触れられ、気持ちが読まれた気がした。

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