81粒目
「……おぉ」
「……フーン」
「す、すまぬ……」
2人と1匹と、馬の尻と尻尾は、どしゃ降りの雨に打たれたようになった。
そして残されたのは、手の平にある、丸く透明な、小さな小さな石。
「?」
ぱくっと口に含んでみるも、味もない。
「あっ!?」
しかし慌てたのは男で。
「こらっ!危ない!」
我の頬を両手で包むようにして、ぺちぺちしながら、
「ペッ!ペッだ!出しなさいっ!」
と慌てたように促してきたが。
(ぬぬん、こんなもの取っておいても、何の得にもならぬ)
ごくんと飲み込むと、男の唖然とした顔の後に、心底呆れ顔。
狸擬きは、雫を滴しながら、もう慣れた的な、遠くを見る目をして、小さく鼻を鳴らす。
「はぁぁぁ……」
男も大きく溜め息。
ぬぬ、なぜ我が溜め息を吐かれなければならぬ。
悪いのは、湖の主を名乗るあやつである。
馬車を降りて髪を軽く拭き、男が組立式の物干しを馬車の近くに立てると、荷台で黒のドレスに着替え、濡れた巫女装束を干された。
男は我の髪を乾かしてくれた後、狸擬きを乾かしている。
「巫女装束を乾かすのは後で良いの。先に食事がしたいの」
敷物の上で炊飯器のスイッチを押し、男が湯を沸かしてスープを作るのを、向かいに座って眺める。
街から出たばかりだから、具もたくさん入る。
「……さっきのあれは、なんだったんだ?」
「ぬ?知らぬ。狸擬き曰く、我は人でないものには大層美味しそうに見えるらしくての、それで呼ばれたのかも知れぬの」
「でも、逆に君に食われたと」
「あんなもの、食べたうちにも入らぬ」
狸擬きは仰向けで、 自分の後ろ足も使い、懲りずにまた1人あやとりを始めた。
成功したら、やはり本気で狸擬きを立役者にして、我らも大道芸の一座を立ち上げるべきか。
びしょ濡れにした詫びでもないけれど、おにぎりは男と狸擬きに与え、我はスープと共に、街で買ってきた柔らかいパンを噛る。
(ぬふん、どちらも美味の)
食べ終わる頃、ふと甘く濃い香りが鼻に届き、やっとここまで来た理由を思い出した。
敷物や鍋はそのままに、男が片手に我を抱え、片手に空きカゴを持ち狸擬きの案内で池を回り込むと、低い木々に、巨峰を、白く、少し大きくした様な果実がモコモコと実っている。
「わほー♪」
寄り道したかいがあった。
カゴを我に持たせた男は、1つむしると袖で拭き、皮を剥いて我の口に運んでくれる。
瑞々しい果肉と甘味。
酸味が少なく、鼻に抜ける香りは甘さの割りに癖がない。
「ぬぬん、美味の」
狸擬きは背伸びをして自分でむしり、そのまま食べようとしていたけれど、皮を剥く男の仕草に、なるほどと言うように爪で器用に剥いては、口に放り込んでいる。
「うん、甘いな」
デザート代わりに飽きるまで頬張ってから、たんまりもぎ取り、荷台の箱に詰め直しては、またもぎ取りに向かう。
狸擬きが、あっちに沢が流れている音がする、とても綺麗そうだと教えてくれ、そのまま向かい。
「あーずき洗おか、白葡萄食ーべよーか」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
「あーずき洗おか、なーにを食ーべよーか」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
「ぬふーぬ♪」
久々に小豆を洗い、満足すると。
「池に入りたい?」
「足を浸すだけの」
そのため、ドレスに付属している長い靴下と腰のベルトも着けていない。
男は躊躇したけれど、狸擬きも特にこれといって何も伝えてこないため、頷いてくれた。
男が煙草を吹かし、
(池も綺麗のよ……)
浅瀬に足を浸したけれど、透明度が高く目を凝らさなくても、灰色の石に混じり、
(ふぬ、思惑通り、大漁の♪)
少し底を探れば、色鮮やかな、あの小麦の国の王子の瞳のような青い石たちが、我に拾われるのを待っていた。
魚は池の大きさに合わせて非常に小振りで、食べごたえはなさそうに見える。
代わりに、石は青と水色の2色で、ゴロゴロと大きめ。
「価値のある石はあるかの?」
手当たり次第拾い、両手に広げて見せると、
「大概は売れる。特に高値はこれとこれとこれだな」
薄い水色の石と、青い石はどちらも大振り。
「わかったの、厳選して拾うの」
「俺も手伝おう」
男が裸足になり、一緒に石を拾う。
狸擬きは、敷物の上でヒックリ返っている。
しばらくすると、
「……どこへ行っても、当分は遊んで暮らせるな」
男がそう呟く位に、それくらいの石の量を拾えた。
男が拾ったものに、ほんの1つだけ、赤色が含まれていた。
長い間、あの何者かが人避けをしていたため、流れ着いた石たちか、元からそこいらにでもあったものかは分からぬ仕舞いだけれど。
これだけの恩恵を我等に与えてくれるなら、
(我の瞳の瞬きに満たない程度なら、話くらい、聞いてやっても良かったかの……)
もう遅いけれど。
「これらは山分けの」
「幾つか、実家に送ってもいいか?」
「好きにするの、半分はお主の取り分の」
特に困窮しているわけではないけれど、少しでも潤いがあればと、実家を離れた兄心らしい。
次にある組合から鳥を飛ばすと言う。
「これは取っておこう」
「ぬ?」
さっき男が拾った、ひときわ大きい、丸く透明な赤い石。
「君の瞳の色だ」
目を細めて太陽に翳す。
「……お主になら、我の片眼くらい、いつでもくれてやるの」
心からの本心だけれども。
「それは困る、君には両目で俺を見つめて欲しい」
身を屈めた男に、じっと見つめられる。
「欲しいのは、我の唾液だけの?」
「……今は、まだ」
三日月の様に細まるのは、灰色の瞳。
せっかくだし、巫女装束が自然に乾くまでは、少しのんびりしようかと決めると、狸擬きはくるりと起き上がり、
「♪」
森へ散策へ。
男は敷物の上で、新しく煙草に火を点け、我は男の、片膝を伸ばした足を枕にして寝転がり、池を眺める。
「……」
目を凝らしても、何も見えない。
(我とはまた違う、異形だったの)
しかし今日はポカポカと暖かい。
目を閉じ、無数の獣たちがサワサワと動く様子を窺っていると、そこに1匹、酷く場違いに、能天気にテンテコと森を散策する獣の気配が混じる。
狸擬きは、どうやらまた蝶々を追っているらしい。
(あやつは蝶々が好きの)
「……」
ふと、さっき飲み込んだばかりの、自称湖が頭に浮かぶ。
なぜだろうか。
「ん?」
顔を上げれば、我にはこうして、柔らかく問うてくれる男がいるけれど、あの自称湖には、誰も、いなかったからだろうか。
(ぬぬん……)
あの水には、たまに話せる獣たちとはまた違う、妙な俗っぽさを感じた。
「小さなものでいいから、紙を1枚所望するの」
男の膝から起き上がると、男がスケッチもするからと、男の手の平2枚分くらいの大きさの紙を分けてくれた。
それを半分に切り、ふっとどちらにも息を吹き掛けてから、
「……」
蝶々を折る。
蝶々と妖精は羽程度の繋がりしか知らないけれど、そもそも妖精の折り方など、我は知らぬ。
指先は柔らかく動かし、羽には丸みを持たせ。
丁寧に、丁寧に。
供養、と言うのも変だけれど、それに近いものの気がする。
2枚目に取り掛かる頃、狸擬きがトコトコ戻ってきたけれど、蝶々の折り紙を見て、
「♪」
その場で4本足をジタバタさせている。
どうやら自分への贈り物と思っているらしく、喜びのステップを踏んでいる模様。
「……」
(さっきはつい潰して、更に飲んでしまったがの、いきなり短気になるお主も悪いの)
心地よい風が吹く。
(湖に囚われずに飛んでいけば、そのうちどこか、安寧の地に辿り着けるはずの)
蝶々を、1頭ではなく2頭にしたのは、何となく。
例え分身でも、寂しさは紛れるかもしれないから。
狸擬きが、目をキラキラさせて鼻を近づけてくる。
「気に入ったのの?」
「フーン♪」
今までで一番、単純で簡単なのだけれどの。
男は湖をスケッチしているのかと思ったら、蝶々を折る我の横顔をスケッチしていた。
「……ふぬ、完成の」
気がつけば陽が随分と高い位置にまで上がり、木漏れ日が、折り紙にふわりと当たる。
狸擬きが、紙の蝶々に、そっと爪先を伸ばした時。
「……の?」
『……?』
「……浮いた?」
今は風はないのに、2頭の蝶々がふわりと浮き上がり、まるで木漏れ日からでも力を与えられたように、パタパタと舞い。
男が、
「君の力か?」
と我を見つめてきたけれど、違うと黙ってかぶりを振ると、2頭は湖へ向かい。
くるくると回りながら、空へ空へと、羽ばたいて、どこかへ行ってしまった。
(夢かの……?)
2人と1匹で顔を見合せても、
「?」
謎は解けるわけもなく。
「フーン……」
しゅん、と耳と尻尾を落とすのは狸擬き。
自分へのプレゼントと思っていたものが、飛んでいってしまったのだから当然か。
「蝶々は簡単の、ここを出たらまた折るの」
ここで折ってもまた飛んで行きそうだ。
「……そろそろ行こうか」
「の」
『……』
黙っている狸擬きも、異論はなさそうだ。
狸擬きの報告だと、森は深く深く、今だ寝ている獣も多い。
けれど、特に良さげなものもないと報告してくれる。
狐にでもつままれたような気分で片付けをし、男に馬車に乗せられ、轍道に戻る。
先へ進みながらも。
(次はむやみやたらに飲み込まず、もう少し、相手の意思を尊重してみるかの……)
長い妖生、まだまだ、知らぬことばかり。




