80粒目
翌朝。
早起きし、無謀にもあやとりの大技に挑戦しようとしていた狸擬きが、前足と後ろ足にまで紐を盛大に絡ませ、
「……フーン」
仰向けの姿で、涙目になってこちらを見ていた。
『……』
「……まぁ、反省してるならよいの」
昨夜よりも見事に絡まり、男と2人がかりで何とかほどいていると、早起きな猟師が、扉を軽く叩いてきた。
朝から花壇に水やりをしている住人がちらほらおり、宿を出て向かった組合の前には、少し懐かしささえ感じる、見覚えのある荷馬車が停まっており、久々に会う馬たちも繋がれている。
男が組合の中へ入って行き、猟師が何かよれた紙に、文字を書いて見せてきた。
紙には、
「ありがとう」
と一言。
「こちらこその」
と答えてると、男は驚いた顔で、
「話せるのか?」
と屈んで我と視線を合わせてきた。
それでも猟師の方が上になるけれど。
「今、聞こえるようになったの」
猟師は驚いた顔のままでいたけれど。
「あの狸や、行商人と話している時から思っていたが」
「の」
「その愛らしい見た目を裏切らない、とても澄んだ可憐な声だ」
真顔で褒められた。
なんと。
「ありがとうの」
嬉しくもあり、多少の気恥ずかしくもある。
猟師が言葉を続ける。
「俺は、君と出逢えた」
そうの。
「だから、また、いつか会おう」
真剣な、深刻とも言える眼差しで、我の瞳を見つめてくる。
「良いの。お主にされる抱っこは、より視界が高くて新鮮で楽しかったの」
猟師は我の返事に声を出さずに笑うと、
「少しいいか?」
と両腕を伸ばしてきた。
「ぬ?」
抱き上げられ、今は留め具の外れた荷台の縁に座らされ、
(のの……?)
身を屈めた猟師が、左膝に唇を触れさせてきた。
「の?」
「父親から教わった、大事な異性への約束の仕方だ」
初めてしたけれど、と、はにかむように笑い、
「これは再会の約束になる」
ほほう、こちらの習わしか。
「では、我も、お主との再会を楽しみにしているの」
「あぁ」
「……」
まだ、男が出てくる気配はない。
「紙を1枚所望するの」
「……?」
男がくれる荒い紙で小さな封筒を折り、髪を1本意識的に引き抜くと、唇に滑らせてから、封筒に落とし、
「餞別の」
猟師がじっと我を見つめてくる。
「ほんの、些細なお守りの」
猟師が何か言う前に男が出てきた。
男が組合から出てきた。
組合からも知らぬじじと、若い女が出てきて見送ってくれる。
男に抱き上げられて、こちらも久しぶりに見る、我の尻を包むクッションの置かれたベンチに乗せられ、狸擬きも隣にポーンッと乗ってくる。
男と猟師が握手をし、
「行こうか」
男が隣に乗り、微笑む。
「行くの」
猟師に手を振ると、狸擬きも前足をフリフリしている。
「またの」
次にこの国を訪れる時、もうこの国は、名ばかりの小さな「国」ではなく、他の2国も飲み込み、文字通りの、
「花の国」
となっているだろう。
そして。
そう。
外交なども増えれば。
もっと我が好む魅力的な甘味も、たんまりと増えているはず。
ここの甘味は我の舌を喜ばせるものばかりだった。
花の甘味大国になることを祈りつつ、また新たな旅先で出会えるであろう甘味に期待をすることにした。
あの猟師は、あのまま山小屋へ帰ると話していたけへど、我等は街で買い出しをしてからの出発となる。
店は朝から開いており、男の、
「今、店にあるだけ、全て頂けますか」
の言葉にいちいち驚かれながら、買い物を済ませ。
街が本格的に動き出す前に、城と、城の囲いを横目に、街を抜ける。
左手は畑。
それも終わり、しばらくは穏やかな草原が続き、花たちが一面に咲き始めている。
どこからか来た、花の国に向かう馬車とすれ違うことが多く、その度に男は馬車を停め、挨拶と、二言、三言と言葉を交わしている。
我は、狸擬きにせがまれてあやとりをしていたけれど、男が馬車を停めたまま、轍から外れた先の森を指を差した。
「あの先の森の中に、小さく綺麗な湖があるらしい」
「のの」
確かに、沢もありそうである。
「行ってみようか」
ほほぅ、解っておるではないかと頷くと、そこで食事もしようかと言う男の提案に、フンフンッと力強く返事をするのは狸擬き。
そう言えば朝食もまだだった。
道を外れ進み、パッと見、そうとは分からない森の小道へ進みながら。
「……?」
男の袖を摘まむと。
「どうした?」
「湖があることは、さっきの旅人から聞いたのだろうの?」
「あぁ」
「その割りに、長年人が通った気配も、そもそも馬車の車輪の後がないの」
「……」
男が馬車を停める。
狸擬きは、前足に紐を掛けたまま、辺りを見回しているけれど、異常は分からないと、我を見て小さく鼻を鳴らすだけ。
特におかしな気配はないらしい。
ふぬ。
「あの男は、
『知ってはいたけれど、今回は足を運ばなかった』
だけかもしれないの」
男は、
「よし、引き換えそう」
硬い声を出し、しかし狸擬きが、
『……』
奥から、春葡萄の香りがすると伝えてくる。
「春葡萄?」
名の通り春真っ盛りの甘い甘い葡萄で、果物を食べ飽きた狸擬きですら、食べてもいいと思える果物だと告げてくる。
たまにしか見掛けない貴重なものだとも。
「のの、それは食べてみたいの」
『……』
我と狸擬きの4つの視線に、男の諦めた溜め息。
狸擬きに先導を頼み、まだ地面の湿る道をだいぶ進むと、
「の?小さいの」
湖ではなく、池で良いだろうと思う小ささ。
もしくはこちらでは、
(水溜まりことは、全て湖と呼ぶのかの?)
水はことさらに澄み、美しくはあるけれど。
「湖……?」
男も首を傾げていると。
不意に。
『人の形をした獣?』
声がした。
「の?」
『ううん、獣でもないわね』
「……誰の?」
若い、幼い、我ほどではないけれど、若い少女の声。
「どうした?」
男の怪訝な声に、聞こえていないのかと狸擬きを見ると、狸擬きすら、
「?」
池の前で、ボケッとした顔でこちらを振り返るだけ。
しかし、なにかを察したのか、さっとこちらにやってくると、隣に飛び乗ってきた。
「気のせいの」
『気のせいじゃないわ』
頭上から聞こえ、
(ぬぬん。男に心配を掛けたくないのだけれどの……)
その辺の鳥にでも話しかけられたと言おうと、
「何か用の?」
顔を上げると、池の真上に、水が、小さな妖精の姿を象り(かたどり)、浮いていた。
『私は、この湖そのものよ』
得意気な声を出されても。
「我は、何用かと聞いておるの」
『随分せっかちね、悠久を生きる「まがいもの」の癖に』
湖を名乗る、ちんまいお池のお主こそ、まがいものであろうの、と思うけれど、安い挑発に乗る気はさらさらない。
「我は今、人と共に時を過ごしているのの、多少はせっかちにもなる」
『珍しくお話が出来そうな「何か」が現れたから呼んでみたのに』
我に気付き、あの通りすがりの旅人の1人に、無意識の言伝てを頼んだと。
器用なことをする。
我には到底出来ぬ芸当。
(ぬぬん……)
一応我も、男と旅をしている間に若干の「情け」と言うものを身に付けたのだ。
「まぁ、少し話に付き合う程度なら構わぬの」
男も納得してくれるだろう。
『えぇ、ほんの少しよ』
「ちなみに、お主の少し、とはどれくらいの」
『あの木が朽ちる程度ね』
水の一部、指先と思われる先が、つと伸びた先にあるのは、何の変哲もない木々の中の1本。
何の木かは分からないけれど、せいぜい80年程度の寿命と思われる。
男にも狸擬きにも水の塊は見えており、どうやら声も聞こえているらしい。
視界の端で、ちらと男の眉が寄る。
「それは無理の。では我等は、葡萄を少し頂いて退散するの」
我が言うのもなんだけれど、やはり感覚が違いすぎる。
情けは無用であった、話は終わり。
「他を当たってくれの」
かぶりを振れば。
『……お話して、くれないの?』
声がすぅっと低くなり、ずん、とその場一帯の空気が、重く深く濃くなった。
馬がそわそわと落ち着かなさそうに身動ぎを始め、狸擬きはぼわっと毛を一層膨らませ、男は険しい顔で、我を庇うように片手で肩を抱いてきたけれど。
「大丈夫の」
これしき、なんの脅威にもならない。
しかし液体状のそれには、小豆は貫通して終わりだろう。
「……お主は、悪霊の類いの?」
『わたしは湖そのものよ』
そう嘯く(うそぶく)が。
以前、世話になった、あの大きな湖とは、全く違う。
ここらの主でもなし、獣達が水を飲みに来ている気配もなし。
それは、こやつのせいではないのか。
「……」
両手を伸ばし、見えない重い空気を、いつかの白い霧を掴むように引き寄せて見ると、
(あぁ、ちゃんと手応えがあるの)
『……え?』
戸惑う声。
「出し抜けだけれどもの、たった今、我は、お主を悪霊と判断したの」
『え、待って……何……?』
「お主がなぜここにいるか、元は何者か、なぜこのちっぽけな池を湖と呼び自身だと名乗るのか、我は知らないし、しかと興味もない」
我が興味があるのは、春葡萄だけ。
『……ね、やだ、何をするの?』
震える声。
「我は巫女の。口寄せも祈祷も出来ぬが、ちんけな悪霊退治程度なら朝飯前の」
『私、何も悪いことはしてないわ』
何を言う。
「馬が怯えておるの」
我らの貴重な移動手段であり、何より借り馬なのだ。
怯えて歩けなくでもなったら、どうするつもりだ。
馬肉にでもするしかないではないか。
「……」
(……馬肉)
一瞬心が揺れたものの、いや、食用ではないからきっと美味しくはないはず。
知らぬけれど。
そして、手の平には、確かに掴めている。
柔く実態のない、ひんやりとした、何かを。
それを纏めていくと、確実に宙に浮く、妖精の形をした水の塊が歪み、酷く喚いていたけれど、徐々に言葉も発せなくなり。
「……いやっ!!」
必死に抵抗する素振りを見せながらも、我の手の平に引き摺られる様にやってくる。
すると、
(核……?)
水の塊の中に氷の様なものがあり、ギリギリまで、両手が届く位置にまで引き寄せると、
「お願いいやよ、待ってぇ!!」
と最後に何か聞こえたが、両手を広げ、蚊を潰すように、
「ふぬんっ!!」
パーンッ!!
と両手を合わせると、何やら醜い絶叫と共に、
「おわっ!?」
『……フンッ!!』
「ののっ!?」
小さな水の塊からとは思えない水が、我の頭上から一面に飛び散った。




