82粒目
広く、広く、広がる草原は、つらつらと小川が緩く蛇行し、雪はどこにも見当たらず、白く見えるのは、小さく丸っこく咲いている花たち。
鳥の姿もあるけれど、金具を付けた鳥はおらず、目的地に向けて弾丸のように飛ぶ小鳥の姿なども見えず。
あの湖から数日、淡々と低い山々を越えた馬車。
狸擬きはたまに馬車から降りて、先へ行ってみたり、周りをうろちょろしては、異常ははないと戻ってくる。
山の夜もそう気温が下がらず暖かいためと、天幕を張れる環境も広さもなく、敷物の上で食事の支度をする。
(虫が来ないのは良いの)
葉物の野菜に塩胡椒した焼いた肉を乗せ、酢の様な酸味のあるソースをさらりと掛け、パンを軽く焼いたものと、何か豆のポタージュ。
それに赤飯おにぎり。
「ぬぬ、今夜もまたご馳走の」
「そういってくれると嬉しいよ」
手を合わせ、ありがたく頂くことにする。
「大変に美味の♪」
「……♪」
狸擬きも尻尾を振っているけれど、前足に持っているのはおにぎり。
男はぶれないなと笑い、
「彼は、昼間の池の事を何て言っている?」
と聞かれたけたけれど。
「???」
大きく首を傾げる狸擬きも、やはり謎のままらしい。
大満足な食事を終え、狸擬きは、久々の再会になる折り紙を大事そうに箱から取り出すと、うっとりと眺め、狸擬きのために蝶々を折ってみたけれど、夜空に飛んで行くこともなく。
「ここも久しぶりの」
荷物が増え少し狭くなった。
「やはり君をここに寝かせる罪悪感は残るな」
「今更の」
それに、巣穴のようで落ち着く。
狸擬きは仰向けになり腹に折り紙を乗せて、代わる代わる前足で取っては、爪先で浮かせてみたりしているが、
「それは飛ばんの」
男に髪を梳かされながら、
「それに飛んだら、きっとお主の許には戻らないの」
そして、雨にでも降られたら、それで仕舞い。
狸擬きは飛んで欲しいような、そうでもないような表情を見せながら、尻尾をゆっくり振り、後ろ足をパカーッと開いては閉じている。
『……』
どうやら、複雑な気持ちの現れらしい。
淡々と山を超えつつ、木の実をもいだり、食材となる兎を狩り、運良く小鹿も、山を越えるまでに2体も狩れた。
「あむぬ」
そして血塗れの指先で、心臓を口に運ばれる。
小雨の上がった昼過ぎに山を抜け降りると、空は広く、濃い青で染められ、地上は、ただただ海のようにひたすら広い草原が広がっていた。
男が進む方向は、
「多分正しい道」
らしい。
とにかく広すぎて遠すぎて、やはり人が通り抜けることはないらしい。
人の匂いも記憶も何もない。
ぐー……
と狸擬きの腹が鳴り、前足で腹を押さえてこちらを見上げて来たため、その視線を受けて男を見上げると、
「そうだな、食事にしようか」
地面が平らな場所を見つけ、遅めの昼。
薄く切った燻製肉と野菜を重ねて蒸したものと、おにぎりにお茶。
風もなく、ふと空を見上げると。
(のの……)
高く高くに、雲に擬態した鯨と蛇が空を泳いでいた。
(とてもとても、高い場所にいるの……)
狸擬きも、じーっと見上げているけれど、男には、高い位置にある雲にしか見えていないらしい。
鯨と蛇だと教えると、男はじっと目を凝らしていたが、苦笑いで、
「難しいな」
と笑い。
食事を終えると、荷台から何か取り出してきた。
それは、庭球か、羽球用と思われる太めのラケットで、木枠の内側には荒い網が張られている。
それに、コルクを丸く削ったものに、鳥の羽根が刺さったもの。
やったことは?
と、視線で訊ねられ、かぶりを振ると、狸擬きが、
「♪」
男に前足を伸ばして、ラケットをねだっている。
(経験があるのだろうか)
トテトテと慣れた様子で男から離れ、フンッフンッと鼻を慣らし、ラケットをブンブン振っている。
遊び方は知っているらしい。
(博識の)
男が羽球を狸擬きの方へ投げ、狸擬きは落ちてきたそれを、ラケットで爽快に、
「フーンッ!」
と振るものの。
(……のの?)
羽は見事に狸擬きの頭に落ち。
「???」
首を傾げる狸擬き。
あの狸擬きの無駄な自信は一体、どこから来るのだろうか。
男に、もう1本のラケットを渡された。
「お主は?」
「スケッチと、一服したい」
「ふぬ」
狸擬きが、羽根を二、三度空振りしてから飛ばし、我からは大きく離れた方向へ飛んで行くため、
「のっ……」
トテトテ急いで向かい、
「ぬんっ」
ブンッと打ち返したつもりだが。
「……ぬ?」
飛んで行くはずの羽根が見当たらない。
(空振り?)
我も、狸擬きのことを言えぬの、と、内心苦笑いしたけれど。
『……』
「……」
「……ぬ?」
ふと不意に緩く吹いた風に、ふわりと羽根の残骸と、粉砕されたコルクが、まばらに散っていく。
どうやら力を入れすぎたらしく、飛ぶ前に、網に千切りにされた。
「ののっ」
力加減が難しい。
「ぬ、すまぬ……」
壊してしまった。
「羽根はまだあるから気にするな」
新しい羽根を受け取り、
「こうかの?」
下からラケットを振り上げると、今度は木枠に当たってしまい、
「のっ?」
『……フンッ!?』
「おおお……」
羽根は空へ向かってロケット花火の様に飛んで行き、偶然にもかなりの上空を飛んでいた鳥が、餌だとでも思ったのか、嘴でキャッチすると、そのまま山の方へ飛んでいってしまった。
「……凄いな」
素直に感心されるも。
「度々、申し訳ない……」
こんな遊戯は初めてとは言え、立て続けの失態。
男は、
「落ち込む君は珍しいな」
珍しいものを見たと言わんばかりに、なぜか少し面白そうに頭を撫でてくれる。
「……の」
しかし狸擬きが、フンフン、フンフンと身振り手振りで、男に何か伝えている。
「ん?」
男が、
「彼は、何を言っている?」
と、我を見て来た。
「ぬぅ……」
(このへっぽこ狸め……後で覚えてろの)
ニマリニマリと目を細める狸擬きを一睨みしてから、
「……その、お主がいなくなった時も、我の元気はなかった、主は落ち込んでいた、と言っておるの」
渋々伝えると、男は目を見開き、
「そうか」
満面の笑みで、両腕を伸ばし我を抱えると、
「のっ?」
「嬉しいな」
抱っこされて、強く抱き締められた。
(ぬぬぅ)
そんなこと。
「聞かずとも、解るだろうに……」
溜め息が漏れるけれど。
「そうでもない」
そうなのか。
男は、しばらく我を抱いて離してくれなかった。
そんな男にしがみつき、ひたすらに続く草原を見渡す。
元の世界では、周りを見渡しても、山、山、山だった。
(遠い遠い別の国には、このような場所もあることは知っていたけれどの……)
どんなに居場所を追われようと、生まれたあの国から離れる気は起きなかった。
けれど、今は。
自分の意思ではないとはいえ、この世界に飛ばされ、遠く遠く、見知らぬ場所を旅して、色々な景色を見ている。
狸擬きが1匹で器用にポンポンと羽を飛ばして遊び始めたため、今度はだいぶ力加減をして、
「ふぬっ」
「フーン♪」
「ふぬぬっ」
「フーン♪」
加減が掴め、ポーンポーンと打ち合いが続くとなかなかに楽しい。
狸擬きは、羽の落ちる場所には、ラケットを咥えて駆けていく。
男は敷物の上にあぐらをかき、煙草を咥えながらスケッチをしている。
「ぬ……、へたってきたの」
力加減が掴めても、羽根もだけれど、やはりコルクがぼろぼろになってしまう。
「羽根とコルクも買ってある、作ってみようか」
2人と1匹で、先の丸く削ってあるコルクの、平らな面に羽根を刺していく。
バランス良く刺さないと軌道も変わるため、嫌でも慎重になる。
しかし。
「お主ら、器用よの……」
男も狸擬きも、売り物の様に均一な羽根の刺し方をしている。
男が、
「実は、もう1本ある」
とラケットを持ってきて、のどかな草原で、のどかな笑い声が響き渡る。
何気に一番白熱したのは、我の作った、どこへ落下するか読めない羽根で、
「のわっ?」
「そっちか!」
「フーンッ!?」
時間を忘れて、羽根が使えなくなるまで遊び倒す旅の途中。
「ふぬー」
「ふー……」
「フーン……」
机を退かし、2人と1匹で敷物に横たわれば、そよそよと抜けていく風が心地好い。
流れていく雲を眺めながら、春先でも、陽射しの眩しさに目を閉じると。
「……」
睡魔が、ここぞとばかりに近付いて来た。
隙あらば現れる、なかなかに勝てない強敵。
けれど。
まぁ。
(今は、気分がいいからの、潔く負けを認めるの……)
両脇を男と狸擬きに挟まれ、草原の中での昼寝も、乙なもの。




