68粒目
「……?」
気付いたらテーブルに突っ伏して眠っていた。
昼寝の習慣はないけれど、雨の日は確かに眠い。
身体を起こし掛けて気づいた。
背中に布が掛けられており、猟師がまた刃物の並んだテーブルの正面で、字の練習をしていた。
「寝てしまったの……」
音を立てないようにしてくれていたようで、猟師は起きた我に気付くと立ち上がり、水場から手鍋を持ち上げて何か飲むかと身振りで示された。
頷くと、狸擬きが足許で、ちらとこちらを見上げていた。
「のっ?」
いつの間に。
石鹸の香りをまとわせて、若干はしおらしくしているため、
「猟師に礼を言うのの」
もう言ったと言わんばかりに、尻尾を緩く振られる。
「森には何かあったかの?」
『……』
主はだいぶ前に老衰で地に帰った様だと教えてくれる。
ほぅ。
「もう主は生まれぬのの?」
『……』
あの滝で、我の許へ逃げてきた若鹿があるいはと言う。
「では、猟師にあの鹿は狩らぬように教えなければの」
あまり飲みなれぬ香りの茶を淹れてくれた猟師は、
「甘いものがなくて悪い」
と謝られたけれど、こちらは世話になってる身。
初めてここに招かれた時に出してくれたクッキー、あれは今思えば姫の手作りだったのだろう。
姫には口を滑らさないようにしないと。
猟師にかぶりを振ってから、鹿のことを書いて話すと、興味深げに聞いてくる。
そう言えば、ここの鹿は淡い茶色だった。
湖に、大きな大きな黒い鹿がいたことや、狸擬きが蜂蜜をくすねようとした話などを書いてみせると、猟師は楽しげに笑う。
そんな猟師に、
「お主は、ずっとここで過ごすのの?」
訊ねて見れば、少し躊躇った顔で、
「……そのつもりだ」
と答え、
「でも今は、花の国の街中に少し興味がある」
と書いて教えてくれる。
「ぬぬん」
良い国の、と書くと、じっとこちらを見てくる。
「我好みの甘味が多いの」
クレープの絵を描けば、猟師は、なるほどと納得した様に笑い、
「一度行ってみるか」
と書きながら、顎に手を当てている。
「もし山へも行くなら、2匹の兎擬きに注意の、あれは人を嫌っておる」
我と言う獣も含めだけれど。
「何かあったのか?」
「知らぬ、一方的に敵意を向けられたの」
今考えれば、あの2匹のあれは、八つ当たりに近い気がする。
風が強まり、姫の誕生日は春嵐になりそうだ。
猟師が今まで花の国に興味を抱かなかったのは、父親の影響もあると、呟くように書く。
「街の端で事足りると言っていたけれど、今思えば、あえて行かなかった気もする」
と。
猟師の父親が、あの国を、国々をどう思っていたのかは、それは我の与り知らぬところ。
「旅は楽しいか?」
と猟師に聞かれた。
「ぬ?」
楽しい?
ふぬ。
一番楽しいのは、小豆洗いだけれど。
我は、我自身の感情に、酷く鈍く疎い。
けれども。
「楽しい気がするの」
頷き、
「お主はどうの?」
おとなしく隣に座っている狸擬きを見れば、尻尾をくるくる回している。
楽しいらしい。
「お主もだいぶ長いこと、同じ場所に居たらしいからの」
雨風の強まる中、猟師の作る、また肉肉しい肉料理を食べ、腹を満たし。
ベッド脇の敷物の上で足を拭いてやった狸擬きが、ベッドにポーンッと飛び乗った瞬間。
ベキッ!
と狸擬きの真下から音がし、
『……!?』
狸擬きがベッドの上で固まる。
「お主の……」
狸擬きが、高速でブンブンとかぶりを振っている。
「音からして、多分もう木が傷んでいたんだろう。布団は干したけれど、ベッドは気にしていなかった」
猟師が布団を避けると、板が見事に割れていた。
耳と尻尾を落とす狸擬きに猟師が慰めるように声を掛け、しかしそのまま、困ったなとでも言うように頭に手をやる。
「我はどこでも構わぬ」
猟師は、我を屋敷に連れて行くことも考えたらしいけれど、外は相変わらずの雨嵐。
布団を敷ける余分な部屋もなく、結局、猟師の部屋で一緒に寝かせてもらうことになった。
物は少なく、まさに寝るだけの部屋。
狸擬きはベッドの足許で丸くなり、眠くなるまで俯せになり、猟師と書き文字で話す。
「君の連れに申し訳ない」
「我は幼子、何も気にしないの」
しかも狸擬きもいる。
「でも、たまに、とても大人に感じる」
確かに、無駄に年だけは重ねている。
「ベッドは直すのの?」
「そうだな……」
迷う横顔。
ふと思う。
「お主は煙草は吸わないのの?」
「手に入りにくい」
なるほど。
「君の連れは吸うのか」
「吸うの」
「若いのか?」
「知らぬ」
驚かれた。
男には旅の途中で拾われたと書くと、なぜか笑われる。
「の?」
なぜ笑う。
「楽しそうでいいなと思った」
「男は気苦労が多そうの」
更に笑われ、ベッドが揺れる。
「君となら、さぞかし楽しい旅だろう」
どうなのだろう。
去り際に見せていた、あの苦しげな表情を思うと。
「……どうなのだろうの」
春嵐は、朝方まで続いた。
ベッドを直すか迷っていた猟師は、しかし朝食後からガタゴト始め、
「また君が眠りに来るかもしれないから」
と。
「ふぬ」
ならば。
「我も手伝うの」
と猟師に続いて外に出ると。
「ピチチ……」
と小鳥が飛んで来たと思ったら、男の肩に留まる。
「……?」
猟師は筒から手紙を出すと、小屋に戻り、紙に何か書いて筒に仕舞う。
朝の残りのパンを与え小鳥が飛び立つと、
「城の従者から、姫の帰り道の安全を確認するための馬車が、早朝まで続いた嵐のお陰で、屋敷のだいぶ手前、地面の泥濘が酷く、車輪が落ちて動かなくなってしまった。時間が掛かってもいいから手伝いに来て欲しい、と」
それは大変の。
猟師は我を見下ろし、酷く気掛かりな顔をしたけれど、
「我はここで待たせて貰うの」
と書けば、猟師は安堵したように、手を上げて雨上がりの悪路をものとせずに、何やら大物を色々と背負って走っていった。
「さての」
我はどうしよう。
狸擬きも、泥狸になった時の我の反応が怖いのか、おとなしく部屋の中に付いてくる。
猟師が文字の勉強のために屋敷から借りてきたうちの、1冊の植物の絵の描かれた本を、狸擬きと眺めていると、屋敷の留守番のメイドがわざわざ昼を差し入れてくれ、文字を書けると言うため、少しを話してみる。
メイドからは、我の身に纏う見知らぬ遠い異国と思われるドレスの形と質、言葉は通じぬわりに、一通りはできる読み書き。
どうやら、どこぞの国の、やんごとなき身分の、
「わけあり子」
とでも思われている模様。
我自身の立ち振舞いの杜撰さから、それはなかろうと思ったけれど、あなたくらいの子ならば、それくらい普通だと。
そう答えるメイドは、自分は祖父祖母の代から花の国に支えており、待遇も良く、不満もないと微笑んでいる。
内心は到底解らぬが。
メイドに、不用意に城の花畑の事を聞くのは、賢明なことではないこと位は、我のあまり堅くない頭でも解り、花の国の街の華やかさは、通り過ぎてきた数少ない国のごとよりも秀でていたと書けば、
「えぇ、これからもっと栄えて行くでしょうね」
と嬉しそうに、可憐な花の絵を描いてくれたけれど。
そのメイドが、不意にそわそわし、雪隠に用かと思ったけれど、メイドの視線がちらちら向かうのは、メイドが持ってきた、カゴの中身の残りを、椅子に座りつつ、ジーッと眺める狸擬き。
そう、出してくれた食事の他に、パウンドケーキがあることは、とうに匂いで察しているらしい。
その狸擬きをチラチラと眺めたメイドは、
「少しだけ、そのお狸様に触らせてもらえないか」
と今までの万人受けする笑みから、少し素の恥ずかしそうな笑みになり、
「のの?」
意外な申し出に驚きはしたけれど。
(猟師に洗ってもらってもいるしの)
メイドの手やエプロンはそう汚さずに済むだろうと、そしてわざわざ、屋敷を無人にしてまで、山小屋に来た理由にも納得し。
「好きなだけどうぞの」
答えると、
『……?』
我とテーブルを回り近付いてくるメイドに、それぞれキョロキョロと視線を向けてくる狸擬き。
メイドは、重ねた箱の上に座る狸擬きの背中に回ると、その場に半屈みになると、両腕で狸擬きを囲むように抱くと、顔をもふりと狸擬きの毛に埋めた。
(のの、案外大胆よの)
狸擬きは、
『……』
とかく複雑な顔を、我に向けてきけれど。
(おとなしくしとけの、宿での我等の待遇と、目の前のパウンドケーキのための)
と視線で応えると、
『……』
狸擬きはスンと鼻を鳴らし、されるがままになる。
背中に顔を埋められ、両手で散々撫で回された駄賃として、パウンドケーキ5切れのうちの4切れは狸擬きに与え。
「こんな不便極まりない屋敷に来て不満はないのか」
と訊ねると、心底満たされた顔をしたメイドは、
「自分から志願したくらいですから」
昔から第4王女の侍女として生きてきたため、これから先も同じように生きて行くと。
その4女の姉妹たち、末っ子姫を含めた4姉妹の仲は決して悪くはないらしい。
3女と自分が仕える末っ子姫は、年頃になれば布か、小麦のどちらかへ嫁へと聞かされているとも。
長女は女王の母親に似て大変に利発。
すでに小麦の国の第一王子との婚約が決まっており、秋には盛大な国を挙げての結婚式が行われるとか。
次女は末っ子姫と同じく、おっとりのんびり気質。
3女が一番活発で、勝ち気でもあると。
しかし、その3女も、小麦の国の第2王子に「ほの字」らしく。
おぉ、あの西洋人形、蛙王子か。
「どうか、お迎えが来るまで、どうぞ姫のお相手をなさってくださいまし。普段は末っ子の立場故、妹が出来た様だと、大変お喜びになっております」
「ふぬ、我も楽しいの」
メイドがまた、狸擬きにしっかりしがみつき、顔を埋めてから出ていくと、
「我のお迎えはまだかの?」
自分の、腹の部分の毛を撫でて、
「これはそんなにいいものか」
と首を傾げている狸擬きに問いかけて見る。
『迎えには行かないのです?』
おや、口を開いた。
「港までかの」
『えぇ』
それもいい。
しかし。
少しばかり歩いてみたけれど、やはり1人の旅より、男との旅が楽しい。
『私も一緒にいますが』
「ぬ?お主はもう我の一部の、わざわざ数に入れる程でもないと言ったろうの」
『……』
「なんぞその顔」
『大変に喜んでおります』
「の……?」
お主は。
「笑顔が下手の」
なんですと、と、ぷんすこと短い前足を振り上げて怒り出す狸擬きを笑うと、
『……主様は、花の国のことを知りたがりますね』
狸擬きが、屋敷の方に視線を向ける。
「下世話な好奇心の」
ただ、行く末を知りたい。
「我のいた土地では、人の欲は留まらずの、どんどん辺りを呑み込み、また別に辺りを呑み込んで大きくなった国と争うの」
『争う』
「人と人の殺し合いの」
『……』
「見物のしごたえはあったの」
『乙女の嗜みとしては、少々悪趣味かと』
「確かに、近くの川の血が真っ赤で生臭くての、小豆は洗えず仕舞いだったの」
もう、遠い遠い昔の話。
言葉の通じぬ遠く遠くの国との戦争の時は、ひたすら山奥でじっとしていた。
他の妖怪と共に。
「懐かしいの」
『戻りたいですか』
「ぬ?」
あの世界にか。
「今はお主等がいるからの」
一緒に行くならば、いいけれど。
もうあの地に、我の居られる場所は、とても少ない。




