69粒目
暗くなる前に猟師が帰ってきた。
先行する馬車も無事に泥濘も越え、姫の乗る馬車も屋敷に到着し、その姫に、我を連れてくるついでに一緒に夕食をと、誘われたらしい。
猟師に連れられて屋敷に向かいながら、この男も大概丈夫だのと、とかく太い片腕に抱かれて思う。
汚れた服を脱ぎ、急ぐからと、初春のまだ冷たい井戸の水を頭から被り、髪を魔法で乾かし、洗いざらしの服に着替えて、我に手を伸ばしてきたのだ。
「……」
なんとなくスンスン匂いを嗅いでしまうと、
「……っ?」
猟師がまた太い首を伸ばし、顔を離しながら何か慌てた声を出す。
「我の習性の」
と笑ってまた嗅ぐと、洗い晒しの服から残るのは、土と葉の臭い。
狸擬きと似て非なるは、僅かな、血と金属の匂いが混じること。
猟師が落ち着かなさげに早足になり、それがおかしくてまた笑ってしまうと。
「……」
「のの?」
屋敷の中に入るなり腕から下ろされてしまい、何か変な物でも食べたような顔をしている猟師を出迎えた姫が、
「?」
と笑顔で出迎えてくれた。
普段より更に豪華な夕食後。
姫は、猟師にまだ屋敷に残って欲しそうな空気を出していたけれど、猟師ではなく姫の顔に、さすがに疲れの陰が見え。
猟師もそれに気付き、
「明日も来る」
的なことを言ったのだろう。
我と狸擬きに手を振り、執事に渡されたランタンを片手に帰って行く。
広間には、まだ馬車から下ろしたばかりの、姫への貢ぎ物や贈り物の大きな木箱や布箱が、たんまりと積まれている。
姫は、
「明日またお話してね」
と書いた紙を我に見せ、メイドと共に寝室のある2階へ消えて行き。
昼間に山小屋に差し入れに来てくれたメイドが、
「城から運ばれてきた甘味がありますが」
と客間で、紅茶と共にシューケットなるお菓子を出してくれた。
小さなシュークリームの皮に、砂糖をまぶしてサクサクに焼いたもの。
「ぬふん♪」
サクサクとした食感がなかなかに美味。
このメイドは、メイドとして姫に付き従わないのは、逆に屋敷を1人で任せられると、一番信頼されてのことと教えてくれた。
そのメイドは、今は狸擬きの隣に座り、早々とシューケットを食べ終えた狸擬きの前足を手に取り、
「……」
無言で肉球をふにふにと揉んでいる。
『……』
狸擬きは、また丸い瞳を半目にして、我を見てきたけれど。
(美味しいお菓子の対価の、我慢せよ)
美味しいものに、犠牲は付き物なのだ。
翌日。
今日もまた豪華な朝食の後。
「絵本と、こっそりね、私の昔の服を持ってきたの」
と、まさにお姫様な、豪華でありつつも清楚なドレスを着せられる。
まぁそれくらいは、宿代と思えば安いもの。
しかし、狸擬きまで白いふりふりのヘッドドレス、そう、頭に被せると言うより、乗せる、あのボンネットとやらを被せられている。
姫の子供の時のものではなく、元はお人形のものと察せられる小さなボンネット。
姫だけでなく、メイドたちも、きゃっきゃっとはしゃぎ、我と共に囲まれる狸擬きは。
『……』
「その、なんの、美味しい食事の対価と思えの」
『……』
「その、よく似合っておるの」
『……』
「……失言だったの」
『……』
しっかり寄った眉間の毛の流れは消えない。
我と狸擬きでの着せ替え人形遊びに満足したのか、姫が絵本を手渡してくれた。
「のの、ありがとうの」
1階の客間で開こうと階段を降りると、朝から兎を狩り、すでに肉だけになった数羽を片手に、猟師がやってきた。
姫も客間に居たそうな顔をしたけれど、何やら城の方から課題らしきものを出されたらしく、メイドに連れられて渋々部屋へ戻って行く。
我は、客間で隣に座る猟師に両手を伸ばし、
「抱っこの」
と口にすれば、その身振りで通じたのか、そのまま膝に乗せられた。
(ふぬん)
狸擬きは拗ねているのかむくれているのか、ボンネットを頭に付けたまま、隣で丸まって動かない。
絵本を膝に乗せて、猟師と一緒にページを捲る。
「魔法を1つも持たない男の子は、魔法を探す旅に出ました。
困った人を助け、時には助けられ。
食べて遊んで眠り歩き、遠い遠い異国の地。
出会った人に教えられたのは、聖堂なる建物。
男の子は聞かれました。
『魔法は必要か』
と。
男の子は、
『必要ない』
と答えると、父と母の待っている家まで帰り、また幸せに暮らした」
(ぬ……これだけかの)
どうやらお話よりも、目を惹く旅先の風景、デフォルメの効いた人物像、色の華やかさが、この絵本の売りらしい。
「ぬぬん」
(もし我ならば、魔法は必要だと答えるけどの)
そしたらまた、
「引き続き旅をせよ」
との神託でも貰うのだろうか。
(「無い物ねだりはやめよ」という教訓話かの)
釈然としないまま、絵本を閉じる。
猟師は絵本程度ならもう楽々と読めるらしく、
「お主、凄いの」
相当頭がいい。
そして気になるのは。
「の、実際、聖堂なるものはあるのの?」
「?」
この小童に神託を託した者の様な、実際に崇められている者はいるのかと訊ねると、
「そうだな、俺の父親は、山の主的なものには敬意を払っていた」
と教えてくれる。
ふぬ。
……ふぬ?
(では我も、青のミルラーマの神様かの)
内心、ふふんと鼻に掛けかけたけれど、
(ぬ、それだと、今隣で、頭に過剰な程にレースの付いたボンネットを着けられて不貞腐れて寝ている間抜け狸も、神様になるの)
「……」
名ばかりの神の称号は諦め、詳しいことは姫に訊ねた方がよさそうだ。
昼は猟師の狩ってきた兎肉が、丁寧に焼かれ、何やら濃厚なソースが掛かっている。
(大変に美味の)
目の端で、狸擬きのボンネットが小さく揺れている。
(我等のことは、とうに城には伝わっているのだろう)
と改めて思う。
それでも何も介入もない。
初日以降、話を聞かれることもない。
「……」
少しは気になるけれど、気にしたところでどうなるわけでもない。
屋根のある部屋、柔らかなベッド、美味な食事。
ただただ、
(有り難い限りであるの)
心からそう思い、
「あーむぬ」
最後の肉の一切れを、口に放り込んだ。
午後。
猟師は客間で熱心に勉強している。
食後は、姫も同じテーブルに着くと、小説の文字だけではなく、猟師に、敬語に値する言葉なども教えているらしく、猟師は真剣に聞いては覚えている。
途中、大きくふーっと息を吐く猟師に、ニコニコしている姫。
「楽しいのの?」
猟師に訊ねてみれば、筆を取った猟師は苦笑いで、
「楽しい。……」
と書き、何か続きそうなその筆は、けれどぴたりと止まり。
「……?」
猟師を見ると、猟師は、なんでもないとでも言うように肩を竦め、また姫に言葉を文字を教わっている。
狸擬きは、昼の後はボンネットを着けたまま山へ散歩へ行き、しかしお茶の時間にはしっかり戻ってきた。
(のの、そうの)
姫に、国にも『聖堂』なる場所や、神的な何かを崇め奉る(あがめたてまつる)存在はいるのかと問うと、
「お隣の2国は国王がそのまま、うちは女王の母親がそれに近い扱いになるけれど、神様が別にいる国も普通にあるそうよ」
そう教えてくれる。
ほうほう。
どんな「神様」なのだろう。
旅の途中、1人の時は勿論、あの男といた時でも、それらしき建物が目にすら留まらなかったのは、男がこれと言って信仰しているものがないせいと、仕事でも関係がないからだろう。
(それっぽい建物も、あったようななかったような……)
きっとあったのだろうけれど、興味もなく、目にも留まらぬせいで記憶もあやふや。
それに、絵本を読む限りでは、そこいらの神とやらに会ってたとしても、魔法が手に入るわけではさそうである。
お茶の時間に紅茶と共に出されたのは、小さな溝の付いたバケツの用な形をした、濃い蜜と共に焼き上げられた、表面は濃い茶褐色の菓子。
(これは知っておるの、『カヌレ』と呼ばれる菓子の)
いつか、逞しい狩人、ではなく旅する菓子職人の女が、物々交換で箱に入れてくれたもの。
香りは濃く芳醇で、
(ラム酒が効いておるの)
「ふぬん」
かりかりともちもち。
美味だけれども。
(腹に溜まるの……)
「腹ごなしの散歩へ行くの」
立ち上がると、猟師が付いてくると言うため、手を繋いで外に出ると、狸擬きが被るボンネットの色が、いつの間にか淡い桃色のものに変わっていた。
『……』
「ののぅ……」
しかし遊ばれることにも慣れたのか、もう気にした様子もなく、先を跳ねる様に歩く狸擬きに続いて滝の方まで向かうと、変わらずに水飛沫を上げる滝。
片手で掬って一口、喉に流し込んでいると、狸擬きはトコトコと山の奥へ消えていく。
「の」
「?」
「なぜ、文字を覚える?」
書いて男に問うた。
猟師は文字を見て、我を見て、口を開いたけれど、我には伝わらぬ。
猟師は、平たい岩に腰を下ろすと、胸ポケットから取り出した紙を広げ、
「君の話を聞いてからだ」
と書き、我を抱き上げ隣に座らせてから見せてきた。
「ふぬ?」
正確には、君自身だと、猟師は続ける。
「とても楽しそうに、世界を俯瞰している」
「……ぬ?」
そんな風に見えているのか。
「俺も、……外に出てみたくなった」
そうなのか。
けれど。
それを。
「なぜ、姫には伝えぬ?」
姫には、本を読みたいから、とだけ伝えてるのは知っている。
「……それは」
先刻の屋敷での我の問い掛けにも、猟師は筆を止めていた。
猟師の筆が止まった時、姫はほんのり、少しだけ淋しげな笑みを浮かべていた。
姫は当然、解っているのだろう。
自分の行く末も、猟師の行く先も。
そして例え城に戻らずとも、この猟師と姫は結ばれることはない。
「お主は、先を急いでいるのの?」
「いや、少なくとも君の迎えが来るまでは、ここにいるつもりだ」
「ふぬん……」
我が、この山に屋敷に現れた事は、姫にとって、喜劇なのか悲劇なのか。
我が現れなければ、変わらない日常が、きっともう少しは、先延ばしにされていた。
「……」
猟師が筆をとり、紙を見せてきた。
「文字を覚えるのは、君と話せる様になる手段を見付けたいとも思ったからだ」
おや。
我と。
我とか。
(それは)
「獣と話せる手段を見付けたい、と言うことかの?」
猟師は、手を止め、我をじっと見つめて来た。
そして。
「けもの……?」
と、眉を寄せる。
なんぞ、これだけ敏く賢くとも気付いていなかったか。
「人とは話せぬ、けれど少数とはいえ獣と、あの狸擬きとも意志疎通ができている。……とうに察しているの思ったの」
「……」
「我は獣。……まぁ、化け物よの」
山を越えようとする春の生温い風が、鼻先を掠って行く。
目を見開き、我を見つめていた猟師は、しかし。
「俺にはそうは見えない」
猟師の口から言葉が聞こえた。
(……声が)
そして大きな手を伸ばし、我の頭を優しく撫でてくる。
「……お主は優しい男の」
笑って見せると、猟師も目を見開き、何か言い掛けたけれど。
空から、ピイッと高い鳴き声が響いた。
「?」
空を見上げると、その中型の緑色の鳥は、くるりくるりと旋回しながら降りてくると、流れるように、我等の座る岩の前に降り立った。




