第54話 ありがとね。大好き
さて、眠ってしまった詩乃さんを抱きしめること数分。そろそろ、限界が近づいていた。
支える力がなくなってきた……という肉体的なものではなく、好きな人を抱きしめている精神的な限界だ。
「俺だって、年頃の男なんだけどなぁ」
こうして目の前で寝るなんて、それだけ信頼してくれている証だろうけど。
誰の前でもこうでないことを祈る。
あぁー、身体柔らかいし、あったかいし、いいにおいもするし。これ、やばい。
「起こすのもなぁ……」
ここで叩き起こすのは、かわいそうだ。
というか、それはもったいないと思っている自分がいる。
とはいえ、このままの体勢はきつい。なんとか、ベッドにでも移動させて……
むにゅ……
「……っ!?」
ま、まずい……少しでも身体を動かすと、や、ヤバい!
主に胸に押し付けられる、柔らかい二つのお山が……!
このままでもヤバいことには変わりない。さっきからヤバいしか言ってない! 語彙力低下中!
「……少し触るのは、勘弁してくださいよ」
いつ起きるともわからない。この体勢のまま耐久レースするのは、俺の限界が限界を限界してしまう。
聞こえない相手に一言断り、足に力を入れて……
「! お、おっ……」
なかなか立ち上がらない。人間というのは、脱力したら重くなるのだ。
だから、詩乃さんが元々重いわけではない。はずだ。
力を込め、立ち上がり……ゆっくりと移動する。
男として、好きな人を運ぶくらいのことはできないでどうする! 絵面が間抜けなことになっている気もするが! どうせならお姫様抱っこで運びたかった。
「はぁ……よい、しょ……!」
起こさないよう、痛くならないよう、引きずらないよう、丁寧に運び……ベッドへと、寝かせる。
その優しい寝顔に吸い寄せられそうになるのを、ぐっと抑える。
それにしても、こうしていると……あの日のことを思い出すな。
ただ、あの時とは俺たちの関係性が違う。まさか、こんな関係になるなんて思いもしなかったもんな。
「ガキの俺が社会人の詩乃さんと付き合うなんて、迷惑をかけると思ってましたよ」
すやすやの彼女に布団をかける。
詩乃さんみたいな素敵な女性に、俺じゃ釣り合わない。そんなこと、考えないわけがない。相手のことを思うなら、この気持ちは封印するべきだ。
でも……できなかった。
彼女を好きな気持ちを。抑えることなんて、できなかった。
「自分の気持ちを伝えるのは、怖かった。告白が成功しても、失敗しても……今まで通りの関係ではいられない。
でも……築野さんに告白されて、わかったんです。このままじゃいけないって。今のままが心地良いけど……それじゃダメなんだって。
……気持ちは、伝えなきゃ伝わらないんだって」
そっと、詩乃さんの髪を撫でる。
……さて、片づけでもするか。綺麗に完食してくれているし、嬉しいな。
そう考えながら、詩乃さんの側を離れようとした。しかし、袖口を掴まれる。
それは、寝ている詩乃さんの手だった。
簡単に振り払うことはできる。けれど……
「……あと少しだけですよ」
俺はその場に留まり、その安らかな寝顔を見つめていた。
――――――
「まことに……まことに、申し訳ございませんでしたぁああああ!!!」
「……」
翌日、目の前で土下座している詩乃さんの姿があった。
デジャヴュかな?
「また私は、酔っぱらって、ご迷惑を……!」
なんか懐かしいよ、この光景。
「だ、大丈夫ですから。顔上げてください。
……恋人の土下座とか、見たいもんじゃないですから」
頑なに土下座をやめようとしない彼女を説得。
すると詩乃さんは驚いたように顔を上げて……ぽっと頬を赤らめた。
なんだよかわいいなちくしょう。
「私、変なことしなかったかな?」
……多少身体を押し付けてきたくらいだ。むしろもっとやってくれても良かったが……いやいや。
健全。我ら健全。
「なにもなかったですよ」
「そっか、それならよかった。重ねて迷惑をかけちゃったのかと」
「それより、昨日の味噌汁温めちゃいますから、朝ご飯にしましょう」
「え、あ、はい」
二人とも起きたのだから、まずは朝ご飯だ。うまく話を切り替えられた。
一旦自分の部屋に戻る詩乃さんを見送り、俺も準備だ。
顔を洗って、さっぱり。歯を磨いて、着替える間に味噌汁を温め、それから冷蔵庫の中身を確認して。
買っておいた魚を冷凍していたんだよな。
ご飯に味噌汁に焼き魚。献立はこれで決まりだ。
「甲斐くーん、ただいまー」
「! おかえりなさい」
なんか今のやり取り、一緒の部屋で暮らしているみたいで良いな。
俺としては、詩乃さんに出迎えられて……ってのも憧れるんだけどな。
しばらくすると、料理を作り終えたので食卓に並べる。
「「いただきます」」
俺と詩乃さんは席に座り、手を合わせた。
――――――
「ごちそうさまー」
「はい、お粗末さまでした」
食事を終え、片付ける。
それからしばらく談笑して……時計を気にした詩乃さんは鞄を持ち、玄関へ。
「それじゃ、行ってくるね甲斐くん」
「あ、そうだ。詩乃さん」
「うん?」
近くに置いていた、包みを渡す。
それを受け取った詩乃さんは、きょとんとした表情を浮かべていた。
「……お弁当?」
そう、これは昨夜作ったものだ。詩乃さんが寝ている間に、弁当の分だけ避け、詰め直した。
やっぱり栄養のあるものを食べてもらいたいからな。
「いつもより簡単に済ませてしまって、すみませ……ん?」
……ふわりと、いいにおいがした。身体が、柔らかいものに包まれた。
それは、昨夜も感じた柔らかさ。けれど、今回は酔っぱらってではなく、彼女の意思で。
俺は詩乃さんに、抱きしめられていた。それも正面から
「あ、あの……?」
「……ありがとね。大好き」
時間にして数秒。離れた詩乃さんは笑顔を浮かべた。
それから「いってきます」と告げ、部屋を出ていった。
俺はしばらくの間、その場で呆然としていた。
鳴り響くアラームでようやく我に返り、学校に向かうために部屋を出た。




