第33話 今私の唇見てたー、やーらしいんだー
雨の中、花火が上がる。それはとても幻想的な光景で……でも、長くは続かなかった。
「あっ……雨、やみそう」
「え」
視線を空に向けると、雲模様は変わらないものの……聞こえる雨音は、確かに小さくなってきている。
二人きりの、外界と遮断された空間。だから随分長い間ここに居た気がする。
次第に、雨は完全にやんだ。
「これからどうします?」
雨はやんだとはいえ、ぬかるんでいる地面の上を歩くのは……俺はともかく、詩乃さんにはきついのではないか。
なんせ下駄だし。
「まだ、お祭りやってるのかな」
「まだ、やってると思いますよ」
花火と同じで、豪雨でもない限り中止にはならない。もしくは、一時間を超える雨の場合。
だから、まだお祭りはやっているはずだ。
「だったら、もう少しだけ楽しみたいかな」
「……大丈夫ですか?」
「確かに地面は濡れちゃってるけど、土の上を歩くわけじゃないんだし。それに……」
参道を歩く最中、前を歩いていた詩乃さんが俺の手を取る。
何気ないその仕草に、ドキッとする。しかも、振り向きざまに嬉しそうな表情を見せてくれるおまけつき。
「もし転びそうになったら、またこうして守ってくれるでしょ?」
「……それは、もちろん……」
神社を出て、舗装された道を歩き会場に戻ってきた。
既に屋台は再会されている。人の数も、先ほどよりは減ったものの賑わいには充分だ。
雨で冷え込んだ空気は、祭りで盛り上がった熱気を程よく和らげてくれる。
「じゃあ詩乃さん、今度はなに……を!?」
なにを頼もうか……考えている間にも、繋いだ手を引っ張られる。
「すみません! これください!」
どこへ向かったのかわからないまま、足が止まる。
軽く息を整えている間に、詩乃さんは注文を済ませてしまい……
ぷしゅっ……!
「んぐっ……かはぁーっ! んまぁーーーっ!」
「……」
屋台で買った缶ビール片手に、ぐいぐいと飲み込んでいく。
うん、知ってた。
「くあぁあ、これこれぇ!」
わかってたよ? だってさっき、自分で言ってたもん。ビールが飲みたいって。
だからって……まさか、いきなりとは。
「やっぱ、外で飲むビールは格別ぅー!」
「そ、そうですか……」
その姿は、先ほど神社で麗しかった雰囲気の欠片もない。
ただ、これが詩乃さんらしいとも思うわけだ。
ビール片手に喜ぶ、無邪気な姿。最初は驚いた姿も、実俺しか見ることのできない特権と思えば優越感がある。
あっという間に一本飲み干して、二本目を購入。
「かぁー、おいちー! ……ん? どーしたの甲斐くぅん、私の顔じっと見ちゃって」
「え……うわっ」
見ていたことがバレてしまったようで、詩乃さんは怪しげに俺を見た。
そしてそのまま、肩に腕を回してくるではないか。
すると、当然……お互いの距離も、近くなってしまうわけで。
「あー、もしかしてお酒飲みたいのー? ざーんねん、未成年にはあげれませーん」
「い、いりませんよ」
「あぁー、じゃあ、口移しで飲ませてあげよっかー?」
……は、い!!?
「くっ……っ……もしかしてもう酔ってます?」
な、なんてこと言うんだこの人! 惑わされるな俺。これは酔っ払いの戯言だ。
だいたい、言動はめちゃくちゃだ。お酒ダメなのに口移しなんて。
……くち、うつし……
「あー、今私の唇見てたー、やーらしいんだー」
「み、見てません!」
……本当に、もう酔ってんのか? まだ缶ビール二本目に突入したばかりだぞ?
なんで酔ったんだこの人……
「ささ、もっとお祭りを楽しみましょー!」
「わっ」
ただ、考えても意味がないことは確かだ。
上機嫌な詩乃さんは、ぐいぐいと俺を引っ張っていく。
……仕方ない。こうなったらとことん付き合うか。
――――――
「うぅん……」
「寝ちまった……」
現在俺は、詩乃さんをおぶって歩いている。酒を飲みながらあちこち回った結果、酔って寝たのだ。
酔いつぶれた人をこれ以上歩かせるのは危険と判断し、祭りも充分楽しんだので帰ることに。
足取りも怪しかったので、おんぶすることになったわけだが……背中にいろいろ当たるわけで。
「むにゃあ……」
変なこと考えそう……いかん、煩悩退散。
女の人を軽々抱えたい。と言いたいが……さすがに、年上で身長もあまり変わらない上に脱力している人は、重い。
「……あれ?」
会場はもう遠く、アパートまでの道に人もあまりいない。この公園を抜ければ、もうすぐだ。
そう思い、ふと気配を感じた。
「……姉ちゃん?」
少し離れた自販機の側に、知った顔を見つけたのだ。
向こうは気づいていない。辺りは暗いし、誰かと話しているっぽい。
……姉ちゃんめ、よくも約束を破りやがって。いや、おかげで詩乃さんと過ごせたけど……それはそれとして、だ。
「ふぅ……」
約束を破るのはよくない。一言文句を言ってやろうと、一歩踏み出そうとして……
「……ぇ」
……足が、止まった。
姉ちゃんは笑いながら、しかし照れくさそうに相手と抱き合い……
お互いの顔が、重なったように見えた。
「……」
それを見た瞬間、文句とか、背中に感じる重みとか柔らかさとか、いろいろなものが吹き飛んでいった。
……そういや、姉ちゃんが来なかった理由は彼氏と行くから……なんだっけ。
じゃあ、あの人が彼氏ってことか……
「……っ」
見てはいけないものを、見てしまった。そう理解した瞬間、足早に公園から抜け出した。
高鳴る鼓動は、きっと早足のせいだ。詩乃さんを背負っているせいだ。
「はぁ、はぁ……」
アパートにたどり着く。
詩乃さんは寝たままなので、仕方なく俺の部屋へ……そのまま、ベッドへと寝かせる。
べ、別にやましい気持ちなんかない。詩乃さんの部屋の鍵なんて持ってないし、鍵を探すために勝手に荷物を探るわけにもいかない。
「すぅ……かぁ……」
浴衣姿で眠る詩乃さんは、俺がさっき見たものなんて、知る由もないんだろうな。
そう、さっき見たもの……
「すぅ……」
「……」
……って、なにを俺は詩乃さんの唇を見てんだよ! 煩悩退散!
起きたら水飲ませて帰らせよう。姉ちゃんのことは……とりあえず、忘れよう。
はぁ、せっかく楽しかった祭りだったのに。よりによって姉ちゃんの……
「すやぁ……む」
「……」
「甲斐くぅん……」
いや、ほんと、詩乃さんにはなにもしてないからね。しないからね。変な気分にはならないからね。
……うそ。寝顔を写真に撮った。




