婚約者は人前で惚気る人でした
「どういう事か、説明してもらおうか?」
「ロ、ローウェル侯爵様…」
怒りを含んだ地の底を這うような声に、私は何とも言い難い安堵感に包まれた。何故ならその声は、私が今、この世界で最も慕い信用している人のものだったからだ。
「アイザック様」
「セラフィ、大丈夫か?」
「ええ、でも、申しわけございません…せっかく贈って頂いたドレスが…」
そう、頂いたばかりでまだ数時間しか着ていないドレスをダメにされてしまって、私は嫌がらせよりもそちらの方がショックだった。パワハラセクハラに耐えてきた身としては、嫌味なんぞ大したダメージじゃぁないのよ。日本の社畜、舐めんな!ってやつだ。
でも…アイザック様から贈られた大切なドレスを汚された事は腹立たしく、とても悲しかった。せっかくアイザック様が考えて贈って下さったのに…この子達はドレスだけでなく、アイザック様のお気持ちも汚したのだ!そういうの、私は許せない派なのよね!
「貴女に怪我がなくて何よりだ。ドレスなど、また買えばいい」
「いいえ、そういう訳には参りませんわ。贈り物とは、贈って下さった方のお気持ちもセットです。それを台無しにするのは、アイザック様のお心も踏みにじったも同然ですから」
「な…」
「そ、そんな訳じゃ…」
私の言葉に令嬢達から焦りや戸惑いの声が漏れた。
でもね、いくら若いからって、高位貴族だからって、やっていい事と悪い事があるの。そして世の中、誰が誰とどう繋がっているかわからないものなのよ?自分達の身分が上だからって調子に乗っていたら、いずれもっと痛い目に遭うわよ?
直接そんな事は言えないから、私は言外にそう匂わせた。これで気付けばよし、気付かずに痛い目を見るなら、それは彼女たちの自業自得よね。
「セラフィ、ありがとう。そんな風に言って貰えると、私も嬉しい」
「いいえ、アイザック様から頂いたドレスだからです」
「貴女は…」
アイザック様がとっても優しい目を私に向けられたから、それだけで嫌がらせへの腹立ちがきれいさっぱり飛んで行ってしまった。やっぱり好きだなぁ、アイザック様…
「随分と仲がいいのですね、叔父上」
アイザック様と二人の世界に入りかけていた私達だったけれど…そこにまたしても入り込んできた声があった。明瞭で王子よりは低く、でもアイザック様より高い声の持ち主は…
「…王太子殿下」
(えええっ?お、王太子殿下…?!)
声の主の方に視線を向けると…そこにいたのは輝きを放つ金の髪と、アイザック様そっくりの青い瞳を持つ美貌の貴公子だった。彼の周りがキラキラして見えるのは気のせいだろうか…そしてその隣には、亜麻色の髪を美しく結い上げた、紫の瞳の貴婦人がいた。もしかしてこのお二人が…アイザック様が紹介したいと言っていた王太子ご夫妻…?
「婚約なさったと聞いたら、随分と仲がいいとの噂が私にまで届いておりますよ、叔父上」
「そうか」
「おや、否定されないのですね」
「そうだな、我が婚約者殿は健気にもこんな私を慕ってくれているのでな」
(ひゃぁ、アイザック様、何言っちゃってるんですか!)
冷静なアイザック様に対して、私の方は年甲斐もなくテンパる寸前だった。ここで惚気ちゃうわけ?この人、そういうキャラだったっけ?もっと寡黙で、こういう時は何も答えずに黙殺する方だと思っていたわ…いや、それよりは今のアイザック様の方がずっと好ましいけど…
「ははは、叔父上の婚約者殿は随分と初心でいらっしゃるな」
「殿下、あまり揶揄わないで頂きたい」
そう言うとアイザック様は、私をそっと腕の中に囲われた。周りから息を飲む音が聞こえたけど…
(えええ?何しているんですか、アイザック様!)
私は突然の事に頭が真っ白になりかけた。踏みとどまったのは…さすがに年のせいだろうか。でも、顔は赤くなっていそうだ。ふ、不意打ちはだめでしょ。でも…
(生きててよかった―!)
何なの、この推しに思いっきり愛されてます的展開は…私を萌え殺す気か、そうなのか…いやもう、このまま死んでも本望かもしんない…
でもこれ、冗談じゃなくそう思ったわ。元の身体と世界に戻ったら、こんな甘酸っぱい経験、二度とないかもしれないんだから。
「今日のところはお帰りになった方がよさそうですね」
「ああ、そうだな」
「ご挨拶はまた後日のお楽しみにしておきましょう」
「そうしてくれると助かる。ドレスを汚されてはさすがに我が婚約者殿も居辛いだろう」
「そうですね。ハットン子爵令嬢、またお目にかかりましょう」
「は、はい…」
何だかよくわからないうちに、王太子殿下達に帰宅を促されてしまったため、私はアイザック様に付き添われて会場を後にした。えっと…いいの、かな?王子とクローディアともまだ挨拶していなかったのだけど…
そう思って会場内に目を向けたら、二人がこちらを見ているのが見えた。王子は笑みを浮かべながら生温かい笑みを浮かべているし、クローディアも小さく手を振っていたから、これは帰ってもいいって事、かな?
本当にいいのかと思ったけど、確かに汚れたドレスでこれ以上ここにいるのも憚られた私は、その日は早々に帰宅したのだった。




