第9話_ノイマン家の花畑、奇跡を起こす花畑
コンコンココンのトトンとトン。
ミコは手慣れた所作でリズミカルに父と母のいる自活部屋の扉を叩いた。これ、実はきちんとマナーに則った叩き方。コンのときは骨で、トンのときは肉で叩くのがコツ。今回ミコが叩いたパターンは『火急の知らせ』。まさにうってつけの呼出しノックだった。
そしてキティとアイズの父クェンティンも社交マナーを知る男。ドア越しに「火急の知らせ? なんだそりゃ」と返事を返してきたのである。ここに来るまでに背中を押されながら廊下を歩いていたキティとアイズ。当然この場面でのやりとりも背中を押していたミコから前もって説明を受けていた。予想と推測のシミュレーション。その通りに事が運んでいるから恐ろしい。
そしてミコは事前に説明した通り、もっともクェンティンを惹き付ける詞を口にした。
「実はリバムーク、プロトタイプなんですけどとあるツテから入手できましてね。それをリバムーク欲しい欲しいって言っていたあなたにお知らせにきたんだけど……」
そう、ミコの口にした惹句とは事実と違う嘘だったのだ。だけど嘘もここまでくるとなんかいっそ清々しい。実際喋っているミコに悪びれた様子などまるでないのだ。大人というのはこういうものかと、幼い兄妹はその凄まじさを思い知る。感心の中には若干の嫌悪感もあったが。
しかしさすがミコの選んだ選択肢。効果は覿面だった。すぐに自活部屋の中がバタバタしだして騒がしくなる。クェンティンが大慌てしているのが手に取るようにわかるのだ。そうしてしばらく一分くらいだろうか経った後、封印されし扉は開き、父は出て来た。
どこも変に感じない、至って普通の格好で。
だがあの光景を見てしまった子供たちからすれば、それだけに反発反動なのか親や大人のこういうやりとりに嫌悪を感じずにはいられない。
例外は、ミコだけだ。
そんな子供基準を目に、固く口を閉ざして父クェンティンを見つめるキティとアイズ。
クェンティンもその視線に気付いたようでそれまでミコの方に向けていた目をこっちに向けてくる。その瞳にはキティとアイズは映っていなかった。眼中にない存在――そんな扱いに憤慨したキティはますます胸中に秘めた想いを激しく燃え上がらせ、激情化させる。
だがミコの方が早かった。「お花は整地させてもらったお花畑に植えてあります。行きましょう。準備はいいですね、奥様も」とトントン拍子に話を進めると話の矛先を突然、死体の母に、死んだ母ベアトリクスに向けたのだ。部屋の中へ、さも当然のようにミコは足を踏み入れ、すぐに立ち止まって影帽子のがま口チャックを横一文字に開き、中から黒い手多数とちょうど棺を載せられるくらいの荷車を取り出しベアトが寝かされていた棺を持ち上げ荷台に載せる。もちろんそんな勝手極まる行動をクェンティンは容認せず、すぐに背後から手を出そうとしたが、先んじてミコが振りかざした本人左手の裏拳一発で牽制され、一切手も足もそして口も出せない状態にされてしまった。実際には当ってもいない空を切った裏拳なのだが、感情的になっていたクェンティンを、そしてキティとアイズも萎縮させる、それほどの破壊力みたいなものがあった。逆らったら容赦しない――そんな雰囲気を拳ひとつでミコは作ったのだ。
ともあれ扱いは非常に丁重そのもので、最初怒気混じり次心配性ハラハラドキドキして見ていたクェンティンも、最終的には安堵してミコの運搬作業を見ている様子だった。現金なもんよね――キティは心底そう感じた。そう思ったのもそもそもミコの作業の丁寧さ華麗さなら自分たちの方がはるかによく知っているんだからという自負心からだった。伊達に約一月余り、姉妹ごっこに興じてない。特にキティは寝る時もお風呂もずっと一緒だったから、この点にかけては人に譲れない負けん気があったのだ。きっとアイズも少なからずそう思っているはずだ。
そんなノイマン家三者三様の思惑が蠢くのを尻目に、先陣切ってベアトの棺を乗せた荷車を押すミコは、まるで関係ないとばかりに口笛なんか吹きながら廊下を進み、ドアを開け、左右に気をつけ道を渡ってほぼ芝生となったかつての花畑に到着した。それを追ってクェンティン、キティ、アイズも花畑の中へと入る。ミコはまだ進む。目的の場所まで。三人もそれに続く。カルガモの子供のように。
そうして花畑の丘の上の手前で、ミコは荷車を停めた。後から着いて来ていたクェンティンが、停止したことから察知して、急に駆け足になって丘を駆け上がる。キティとアイズも父の速度変化を確認すると、やはり駆け足になった。だって、父の速度変化が何を意味するかなんて、考えるまでもなくわかっていたから。ここにはキティたちの方が何回も何回も、毎日足繁く通い詰めていたのだから。
そう、駆け足の先にあるのは、自分たちが植えたリバムーク・プロトタイプ。
ミコに言われて一切手を出さず、自然の御業のままに育ち花を咲かせたお花。
父を真人間に戻す切り札として、ずっと観察してきた見守ってきたお花たち。
果たして父は本当に真人間に戻るのか――払拭しきれない不安を胸にキティとアイズは走り、追いつき、父に、ミコに並んだ。立ち止まった場所から見えるのは、シロツメグサを下に敷き詰め、密集して茎を伸ばし、その先に日替わりの花を咲かせるリバムーク・プロトタイプが19輪、頭を垂れて恥ずかしそうに、もしくは照れくさそうにその花その頭を垂らしていた。しかし魅力は十分伝わり、むしろそれら全てがこそばゆい・奥ゆかしいとさえ思わせる。芽吹いた美。
これを目の当たりにしたクェンティン、果たして真人間に戻るのか?
ミコの計画は達成されるのか?
すぐに答えは出た。直立不動で震えていたクェンティンはその頬に涙を流してミコが持って来ていた妻ベアトリクスの棺に座り縋り、顔を見るため扉を開けて、死してなお美しい愛しい妻へと語り出す。
「ベアト……やったよ。リバムークだ。君の出立に最も相応しい……いいや、君の美しさには到底及ばないレベルだが、この俗世で用意できる最高の飾りが用意できたよ。待っていてね。すぐに摘み取り君に捧げるよ」
キティやミコがぬいぐるみ相手に話しかけるのとは趣が似て非なるアプローチでベアトの棺に、死体に話しかけたクェンティンは、すぐに行動に移った。すっと立ち上がりスラリとした長身を空へと伸ばすと反転してリバムークに狙いを定め、駆け出そうとして――。
足を掬われズッコケた。
その光景に驚く者2名。驚かない者2名。さて内訳は?
驚いたのは転ばされたクェンティン。その光景を予想だにしていなかったアイズ。
そして驚かなかったのは、もはやそんなことでは動じないミコと――。
クェンティンに足を引っかけて転ばせた犯人当人張本人、キティだった――。
「なんの真似だキティ! 父に対するこの無道は! 言え! 返答次第じゃ容赦しないぞ!」
「キ、キティ……?」
荒々しく問い詰めるクェンティンに、妹の行動がわからなくて当惑している様子のアイズ。しかしキティは平然とした顔で、見え透いた態度で答える。
「なんの真似? 見てわからないの父様。父様のリバムーク摘み取り行為を妨害したのよ。事実を知ろうともしない父様に、腹が立ったものですから」
「はあ? お前、何を言ってる」
「あそこに咲いているリバムーク・プロトタイプは姉様が買った種を一月前にここに蒔いたものです。姉様が自活部屋のドア越しに謳った文句は父様を楽に釣るため偽装した詞。それに気付かずホクホクしている父様の姿、正直見苦しくてしょうがありません」
「なに。それは本当か!」クェンティンは鋭い視線でミコを睨む。ミコはとってもわかりやすく肩を竦めて嘆息し、「ええ、キティの言う通り」とあっさり認めた後、この一月の経過をざっくばらんに説明する。心底面倒臭さが詞の端々に見えた解説だった。どうやらミコにとってはとんだ流れ弾だった模様。でもやってしまった以上決着を着けないわけにはいかないので(ノイマン家の家訓にあるし……)、キティは本気で悪いと思いつつも、ミコの説明を止めずに喋らせ続けた。
ミコがこの一月、自分がどこからやってきてどうして貴重なリバムークの種を渡したのから始まり、墜ちたノイマン家の風評回復に加え、母を死なせた花畑の浄化の後、リバムーク・プロトタイプの種を蒔いたことなどをとくとくとクェンティンに聞かせるミコ。クェンティンは黙々とその語りを聞いていたが、終わるとすぐに立ち上がり、キティに対して食って掛かって来た。
「お前達の言うノイマン家再生計画とやらにはこのリバムーク・プロトタイプを俺に見せ、献上することが盛り込まれているじゃないか。なるほど確かに野ざらしの花は今までに見たこともない類の美を俺に見せつける。だからこそベアトの棺に相応しいと俺は思うね。母さんをやっと安らかな眠りにつかせてあげられる。それが為されれば俺もお前達の子育てに戻れる。いいこと尽くしじゃないか! さすがは気象一族元レインの案じた計画だ! それを邪魔する理由があるのか? キティ、この花はもう俺のもんだ!」
「誰のものにもさせない! このわたしがいる限り!」
クェンティンの主張を真っ向から否定するキティの怒号。途端、その場は一気に静まり返った。場違いな静寂――それもこれもキティの吐いた詞の凄まじさにある。迫力に呑まれ、誰もが詞を失った。ただミコだけは、その展開も予想していたのか泰然自若を崩すことはなかった。キティの方を向き、話に耳を傾けようとしてくれている。それだけでキティは勇気100倍。水を得た魚のように喋り出す。
「お花に惹かれるのは生物常備の本能です。早い話が虫も人も同じってことですよ。そう、お花が美しいのはある種ある意味当たり前。その中でどれが一番とか、もうその時点で父様は鬼畜なエゴイストだわ! そしてこの花リバムーク・プロトタイプ19輪は姉様の説明にもあった通り、わたしたちの手を借りず、自分たちの力だけで自然の猛威、天候の脅威、外敵の危険という過酷な運命にも打ち勝ち花を咲かせた奇跡の証! ゆえにその花実に所有権などありはしない。だって生き物を我が物として摘み取るような行為を、社会は罪と呼ぶんでしょ? ね、姉様」
「そーいえばそんなこともベッドで吹き込んだ憶えがあるわねー」
ミコは顎を腕組みした右腕の人差し指一本で持ち上げ、記憶を回想しながら曖昧に肯定する。だけどそんな事実というより情報の存在自体がクェンティンにとっては逆鱗スイッチだったらしい。キティに掴み掛かろうとズケズケズンズンと迫ってくる。まさにその瞬間。
チリン……チリン。
鈴か風鈴のような音がなった。場違いなその音だけならなんでもないことなのだが、音を聞いたミコが慌てて影帽子のチャックを開けて、中でなにやらガサゴソとやり出したので、迫るクェンティンも構えたキティも、そしてキティの助太刀に入ろうとしていたアイズも皆一様に固まって、ミコの様子を伺ったのだ。
ミコは滅多に見せない慌て顔でなんと帽子を頭から降ろし、開いたがま口チャックを上に影帽子を腕で抱えて胸に抱き、必死でなにかを探している様子だった。ミコが影帽子の中の物を探すのにここまで悪戦苦闘しているところをキティはこれまで見たことがない。アイズも同様。なにをそんなに焦っているのか、全く理解ができなかった。
だが、答えはもたらされるもの。ほどなくしてとうとうミコは探していた物を取り出したのだ。
それは……葡萄のように見えるけど、違うもの。
だって、実のところが全部鈴になっているから。
だからアイズがミコに訊いた。一人腑に落ちた顔をして影帽子も被り直したミコに。
「姉上、その鈴のようなモノ、なんですか?」と。
するとミコは「ああ、これ?」と前置きし、わざわざリアクションまでして言質をとってから説明した。
「奇跡報知器『鈴葡萄』。みんなが奇跡って呼ぶ現象の予兆を感知して、鈴の音の音色や音律なんかでどんな奇跡が現れるのか教えてくれる便利道具よ。どうやらあなたたちに奇跡がやってくるようね。楽しんでくるといいわ。じゃあね」
「じゃあねって姉上、姉上は一緒じゃないのかってうわ!」
「きゃっ!」
「なんだ!」
他人事のように話すミコにアイズが突っ込もうとするより、ミコの言う奇跡の発現の方が早かった。周り一面芝生と花から光が、黄金色の光が一斉に宙に舞い始め、それは一定量その場に溜まると、パッと閃光を放ったのだ。
「うっ!」「うおっ!」「まぶしっ!」
アイズ、クェンティン、キティの三人が眩い閃光に視界を塞がれる。
ようやく目の痛みが引き、瞼を明けてみると――。
目に入ってきた景色は、全くの別世界だったのだ。
いや、細かく言えば全くというほどでもない。キティが下を見るとそこは変わらず芝生とシロツメグサ、そしてリバムークの花畑。
ただ上が、空が、異様だった。綺麗だった。
天空から降り注ぐ太陽の光ではなく、あのとき芝生や花から舞い上がった黄金の光に空が染まり、黄金色の空になっていたのだ。夜でもない昼でもない黄金の空。それは大気中を舞う光の粒と合わせて、黄金の花畑とでも表現すべき、夢のような光景。それこそミコが言っていたように、奇跡のような光景だった。
「ってあれ? 姉様は?」
キティはきょろきょろ首を左右に振って詞を洩らす。そこにミコの姿はなかった。
が、背後から驚くべき人物の声が、代わりに聞こえてきたのだった。
「ここは我が家の奇跡。仮初めの姉は所詮部外者。ここはノイマンの姓を持つ者のみに用意された奇跡の場よ」
その声は、懐かしく、かつもう聞くことはないはずの声。
確かめたくて振り向くと、見間違いじゃない本人がいた。
絹糸のように柔らかく風に靡く金髪。芯の強さを形作る眼差し。きつく結んだ唇に、赤い貴婦人衣装。
ベアトリクス=ノイマンが、自分の棺の上に腰掛けて、こちらを見ていたのだ。




