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ミコの影帽子 夢心背話(ゆめうらせばなし)  作者: 心環一乃(ここのわ むの)
第9話 夭折した母の残した詞――思い出したいつかの誓い
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第9話_ノイマン家の花畑、ミコによって変わる

「材料の配分には気をつけて。生地ができたらよーく捏ねて伸ばすのよ」

 ミコのノイマン家家訓を無視した料理指導……もといお菓子作り指導。年端もいかない少年少女に、実にテキパキ指示を出す。でもキティの心に不満などない。むしろ今まで全く未経験だった料理に対する真摯な興味からミコの言付けはよく守りつつ、安全に気をつけながらもその指示のもとできあがる料理やお菓子に兄妹揃って目を輝かせる。昨日の夕食に初めて自分たちで作ったカレーのおいしさは忘れられない。そういう経験があるからこそ、キティもアイズもミコの料理教室に積極的に参加するのだ。

 と、料理に夢中になっていたキティだが、突如不穏な気配を感じた。例えるならそう、嵐の予感、みたいなものだろうか。しかしそれはドンピシャの表現だった。窓に目を向けてみると晴れ間はすっかり雲に隠され、暗雲立ちこめ雨がぱらぱら……どころではない。すぐに雨は本降り大降り豪雨となったのだ。当然キティは心配を隠せない。

「ね、姉様!」

「ん〜にゃーにぃー?」

「いや窓の外見てください。雨です雨。しかも物凄い大雨です!」

「あら……ほんとね」

 キティの早口詞顔負けの滑舌も、ミコにかかれば暖簾に腕押し。大至急事態を把握してほしいキティの意図に反して、ミコはへーぜんしたり顔。促されてゆっくりと顔を窓に向け、雨が降ってる様子を見ても、まったくもって驚いた様子がなかった。窓に余所見も浮気もせずに、クッキーを焼いている窯の方だけを見ていたミコ。気付いていない疑惑さえおこさせる態度。

 なのでキティはもう一度声をかけた。

「姉様」

「うん? どうしたのよキティ。そんな怖い顔して。ダメよ、キティは笑顔が一番可愛いんだから」

「そうじゃありません! 外! 雲行きが怪しいって言ってるんです!」

「わかってるわよ〜それくらい。だってわたしが呼んだんだもの」

 ――はい?

「ど、どういうことですか? 姉様……」キティは可愛いとミコに言われた笑顔からは程遠い、訝しげな顔をして尋ねる。

 するとミコもミコの方で「えっ……?」となにやら思案顔。ぶつくさ一人言を呟いていたと思ったら突如、「しまったぁっ!」と絶叫したのだ。突然の大声に、キティだけでなく、キティの後ろにいたアイズも、兄妹揃ってビクッてなった。

 そしてさらに奇異なことに、ミコはその場でキティとアイズになんと土下座したのだ!

「ゴメンなさい! 言ってなかった昨日から。今になって気付いて恥じる。わたしね、昔気象一族のレインだったのよ。気象一族は抜けたけど、現在も雨とは契約中なの」

「ドォォォォォォーン!」

 キティとアイズは吹っ飛んだ。兄妹仲良く吹っ飛んだ。天井向かって吹っ飛んだ。そしてぶつかりしりもちついた。尻から落ちてしりもちついたのだ。

 それくらいの衝撃、ビックリ、インパクト。驚いたから吹っ飛んだ。飛んで落ちてしりもちついた、要はそういうことである。しかしノイマン兄妹にとって、否、普通の人間なら誰でも驚くことであるとキティもアイズも揃って思った。だって気象一族といえば、伝承楽団より有名かつ畏れ多き連中である。それを丸一日経ったこのタイミングで告白されたら、吹っ飛びたくもなるだろう。

 正直な所、遅すぎるでしょと突っ込みたかったくらいだし。

 ……まあ、できなかったわけですが。だってこのザマだし。

 それでもキティたちのショックのほど、ミコにはちゃんと伝わったらしい。いや、それは正しい表現ではないだろう。なんせミコは告白の際、キティたちに対して土下座しまず謝罪の詞から始めたのだから。姉も姉で自分の不覚を、非をわかっていたのだろう。そうでなければあれほど真っ正直に土下座などできようはずもない。

(むしろだからこそなのかしら、わたしたちが突っ込めずに吹っ飛ぶだけで終わったのは)

 キティはそんなふうに思い直す。それならここが落としどころ。ミコもそれを感じたようで、双方これ以上この話題には触れず、元の体勢に戻っていく。恨みっこなし、これ当然。

「まだクッキーが焼き上がるまで時間もあるし……ちょうどいいわ、話しておくわね。わたしが姉としてあなたたちに強いる今回の花畑の育て方を」

 そう言ってミコは窯の近くに部屋の中でも紐で括り付けている影帽子から3つの黒い椅子を取り出すと、自らそのひとつに座り、キティとアイズにも残る2つに座るよう、声なき仕草で促した。キティとアイズは目を合わせてから頷き合って椅子というよりクッションみたいな「それ」に腰を落とし、そして預ける。木製や金属製、樹脂製でない時点で予め警戒していたのだが、やはりそれは正しかった。布製の椅子の中にはおそらく高級品の低反発素材が入れられているようで、腰を落とした瞬間、まるで身体ごと取り込むかのように凹み沈み纏わりつくのだ。あ〜やっぱり、心地良すぎるぅ〜――キティは遠のく意識の中、懸念通りの展開となったことを少しだけ恨めしく思いつつも、すぐに慣れて意識もハッキリに戻した。ここらだけは育った家に感謝である。

 そうしてキティとアイズの準備が整うと、ミコは無防備な体勢、姿勢で語り始めた。

 それは、ミコの持論であり心であり、ノイマン家にはなかった、新しい捉え方――。

「今回の計画に際しては、リバムーク・プロトタイプも周りに蒔いたシロツメグサも、そして一面に敷き詰めた芝についても、これ以後一切手入れなどはいたしません。禁止よ、禁止」

「なっ! なんですかそれは! 花を育てるのに手入れ禁止だなんて。姉様何様のつもりなんですか!」

 ミコが一方的に通告したお手入れ禁止命令に、当然のごとくキティは反発した。反発しすぎて叫ぶと同時に立ち上がってしまったほどだ。それもこれもミコが非常識なことを言うからである。それは直ちに訂正し修正すべきものである。しかし感情が爆発した自分では「説教」になってしまうので、キティはこの役をアイズに譲るべく視線を送って暗に促す。こういうときのための兄である。少しは役に立つだろう。アイズも上目の目つきでキティの視線を確認すると静かに頷き、ミコに目を合わせて話しだす。キティはそこまで聞いてようやく奮い立った身体を収め、また椅子に腰を落とした。

「姉上……園芸にはこれまで人類が培ってきた技術というものがあります。水やり雑草抜きそして時には病気で腐った葉や花の間引きと、綺麗な花を咲かせるために歴史はマニュアルを残しているんですよ? 姉上の掲げるノイマン家再生計画、父上の心を取り戻させるためにはなによりも綺麗なリバムークの花を咲かせることが重要です。そのためにも手入れ禁止命令の撤回を。どうぞご英断をお願いします」

(おー上出来。兄様もやれるところは器用にこなせるのよねー)

 キティはアイズの「説得」に高評価を与えつつ、ミコの反応を伺う。

 ところがミコは反応を見せる云々以前にピシャリと返答を返してきたのだ。

「却下論外なってなーい。その手の思想はウンザリよ。そもそも今の説得のつもり? 35点かそれ以下ね」

「な……」アイズは詞に詰って絶句してしまう。キティも同じだ。絶句した。35点の低得点もそうだが(そもそもミコなら100点中でなく1000点中とか万点中とかいう恐れがある)、なにより今の詞で浮き彫りになった思想=価値観の違い。ミコはノイマン家のやり方を否定したのだ。

 さすがにそれは容認できない問題である。キティは口を出そうとしたのだが、ミコの方が早かった。そして悠々とした調子で語り出したのだ。それは失敗であり、同時に成功でもあっただろう。

 なんてったってここでミコが持論を先に言ったことで、キティもアイズも完全にミコの色に染め上げられてしまい、そしてノイマン家再生計画の成功を確信してしまったのだから。

 そんなミコの持論は、こんな感じだった。

「花も草も、木も葉も枝も! それは全て尊重すべき一個の生命。生命は意思や心の有無に関わりなく『己が為』を是とするだけの資格と権利があるわ。人間が花を育てる? お門違いも甚だしいわよ。花は自らの力で種から芽を出し、天へと育ち、花を咲かせて次を成す。わたしはね、人間が介入することで花が綺麗に育つことや病気のリスクを回避できることを否定しているわけじゃない。ただどうしようもない好みの問題でね、わたしは野ざらし無防備裸一貫でこの惑星の環境に晒された弱き小さな生命が! 周りを取り込み逆境に抗い、そうして苦闘の末に花を咲かせた“結果”を見るのが好きなのよ。誰の助けも借りないで、自分だけの力で花を咲かせるその健闘を称えたい! まあ、ひねくれているっていわれればそうだと認めるミコちゃんですが、でもこの回路・感性はみんなの中に眠っていると思うのよねーわたし。人の手の及んでない自然の花畑を見たりしたときなんか、きっとわたしと同じような感動を得ると思うんだ。それがわからない奴は感性見る目が埋没してるタイプ。残念ながらこのノイマン家もそのクチ。だから呼び覚ましてあげないとって思ったのよ。今降っている雨をわたしが嵐に変えたのは、あなたたちへ見せしめ目覚まし、そして今日蒔いた種たちへの最初で最後のお節介。いうならばわたしなりの挨拶&合図ね。これからがあなたたち植物の本当の闘いよって。雨に宿せば伝わるのよ。さっきも言ったと思うけど、だってわたし、レインだし。そして花が咲いたとき、その逞しく凛々しい光景をあなたたちのパパに見せてあげれば多分違いに気付くでしょう。その瞬間こそ付け入るチャンス。正気に戻す突破口。ノイマン家のやり方ではありえないその花を見た時のクェンティンのショックガクガク壊れ顔を想像してごらんなさい。そういうときほど他人の主張を摺り込みやすくできるでしょう? つまりはそういうこと。あなたたちノイマン家とは違うやり方で咲いた花がもたらすオーラを切欠助け舟追い風にしてわたしたちはあの変態パパを正気に戻す。これこそがわたしの提唱するノイマン家再生計画の概要でござい。だからあなたたちもこの計画を通してお花の世話とか一切しないわたしのやり方を学びなさいな。観察することは許すからさ、日々の成長の記録とかノートに綴ってごらんなさい。年相応の子供らしく、ね?」

「……でも、もしリバムークが全滅したら、どうするの姉様?」

「そのときはそのときよ。屍だって見てて悪いもんじゃない。それは今のパパを見ていて十分に理解しているんじゃない? ま、全滅の心配をするあたりさすが我が妹よと褒めてあげたい気持ちがありますが……でもやっぱりお子様ね。わたしは信じるなんて詞が大嫌いだから『少しは花の生命力を信じなさい』とは言わないわよ。でもね、『花の底力というものはあなたたちが思っている以上に強いわよ』とは助言しとく。大体ノイマン家のやり方でやっていた園芸の果てがあの壊発腐眠症発症かつお母様の死だってこと、忘れたわけでもないでしょう?」

「ぐっ……それを言われると手も足も出ません。やりますね、さすがは人生三周目の姉様だわ」

 キティが固唾を飲みながら返答すると、ミコはキティとアイズに気を使うように繋げて締めた。

「騙される方が悪い、信じる方がバカなんだ――とか散々世間で揉まれてきて、人の詞に対してめっきり疑い深くなり、信じることをやめたわたしだから、わたしがなにを言おうが信じなくてもいい。ただわたしは花も草も自分と同じ、同じ惑星を生きる仲間として認識しているわ。これは該当情景を眺めて素直に心が感じ取った結果、会得した心得。何せ植物は詞を発さないからね。そういう意味でも正直なものよ。それを知っているからこそ、今回わたしはこうしているの。逆らう男気があるなら遠慮なくやんなさい。わたしも全力で阻止するだけ。叱って褒めてあげましょう」

 まるでミコの言付けに反することを促すような挑発文句で終わったミコの語り。だがキティもアイズも全然その詞には靡かなかった。ひとつめふたつめ、ミコの詞にコテンパンに打ちのめされてしまったからだ。特にノイマン家のやり方の結果が母の死に繋がったという指摘は強烈な一撃だった。忘れていたこと……いや、忘れたかったことをミコに平然と蒸し返されたショックもあったが、ミコの話を聞いていると自分たちは忘れることで目を背けようとしていたのではないかとさえ思わされるのだ。それを意識してしまった時点で、負けなのである。

 それに聞いてて思うところも感じるところもあったキティとアイズはその場でこくりと頷き返答した。

「わかりました。姉様のお好きなようになさってください。わたしと兄様はただただそれに従います。以後従順に。ノイマン家の名に誓いましょう」

「あらいい返事〜♪ ちょうどクッキーも焼き上がった頃よ。食べましょ♪」

 そう言って椅子から景気よく飛び出したミコは窯を明けて黄金色に焼き上がったクッキーを取り出す。その芳しさがなんとも言えず、キティとアイズは溢れる涎を飲み込んだ。

 その後のことはもっぱら家族ごっこに夢中だった。みんなで作ったクッキーを頬張り、ちょっと三人姉弟姉妹でゲームをし、夕飯を食べ、お風呂に入り、そしてベッドに転がり込んだ。昨日同様ミコはキティと一緒のベッドだ。嵐は収まっていたが、雨はまだしんしんと降り続いていた。寝間着の上からミコに髪を梳かして貰っていたキティは、一日の終わりにこんな詞を。

「姉様、まだ雨を降らせているの?」

 するとミコは苦笑し、「これはもう自然の雨よ。わたしの小細工はとうに終わっているわ。生きていれば『どうしてこんな』って思いたくなるような不運続きもあるものよ。リバムークやシロツメグサにとっては、これが最初の試練なの。もっとも、まだ芽も出てない状態ですから、潤してるだけかもしれない気がしないでもないんだけどねー」と答えてくれた。その答えがおかしくて、キティは苦笑してしまう。ミコという仮初めの姉様の厳しさ優しさ不器用さをひしひしと感じるからだ。それがなんだかわからないけどこの上ないほど愛おしい。

 まるで姉妹ごっこなどではなく、本当の姉妹になったかのようで。

 それは決して叶うはずのなかった、夢のような出来事だからこそ。

 キティはミコに髪を梳かし終えてもらうとミコに飛びつき抱きついてその勢いのままベッドに飛び込む。せっかくミコが整えた髪の毛が6割方台無しになったが、そんなこと美容に無関心の少女キティには問題ではない。

 それよりも心に芽生えた愛しさを行動で持って表すこと――こっちの方がキティにとっては大切だった。もちろんキティもバカではない。大人になれば愛情表現にもいろいろあることは知っている。でもキティは少女である。幼女と言ってもいいのである。そんな子供にできることはやはり子供らしいことなのだ。だからキティは想いっきり子供っぽく、ミコに抱きつき好意を伝える。

 そんなキティをミコもまた抱きとめてくれる。そのままシーツの中に潜り、二人はその日、眠りについた――。

 二人が出会って二度目の夜、園芸を始めた最初の夜はそうして終わり、雨が、雲が、風が、そして星が、二人のことを見守っていた。

 そして翌日から、決して干渉しない観察だけの園芸生活が始まった。

 それは、花の成長を観察し絵に描き感動する、楽しい毎日の始まり。

 芽が出たとき。我を忘れるほど興奮し、ミコと手をつないで踊った。

 葉っぱが増えたとき。湧き上がる気持ちでペンを走らせ絵に描いた。

 陽射しで萎びたとき。雨をねだっては断られ、自然の雨に歓喜した。

 茎の先に蕾ができたとき。とうとうここまでとの思いが込み上げた。

 そして草枕(くさまくら)の月の末。ついにリバムーク・プロトタイプは開花した。

 19個の種から19本の茎が延び、一本につきたったひとつ、全部で19輪の花を咲かせたリバムーク・プロトタイプとその足元で存在感を示すシロツメグサの絨毯。とても当たり前で普通なはずなのに、幻想的な魅力を感じてしまうのである。まだ白い花を咲かせずに、三つ葉のクローバーでいるシロツメグサを下に。そこから伸びたリバムーク・プロトタイプの空より濃く、海より薄い青色と雲みたいな、波しぶきみたいな白色が織り成す個性溢れる花模様の魅せている光景が、非常に絵になっているのである。

 それだけでも「もう十分」と考えたキティとアイズだったのだが、そこは姉に窘められた。ミコは「次の日が勝負よ」と二人の兄妹の耳元で囁きかける。次の日――それは鍵詞ならぬキーワードとして、キティたちの頭に重要なことを思いださせる。喜びはひとしお。されど最上の喜びは翌日におあずけ。朝だというのにもう翌日の楽しみができたキティとアイズはその分しっかりじっくりと咲いた花の模様に至るまで詳細に絵に描いた。写真も撮った。そしてカラスがカーカー夕方のお迎えを知らせると、はやる気持ちを抑えながら、三人揃って家に戻る。そして寝入って夜は更けて、勝負の日!

 三人は喝采し雄叫びを上げたのだ!

「しゃああああぁぁぁぁぁ!」

 興奮上がりっ放しのガッツポーズ。肘を曲げた両腕をふんごふんごと振り回す三人。もちろん呼吸は鼻息噴射である。これもエンジョイマナーに登録されている喜び方の様式美。

 さて、そろそろ引っぱるのもやめにして、キティたち三人が何に換気しているかというと、昨日咲いたリバムーク・プロトタイプ。翌日また花を開いたのだが、その色彩が、その模様が昨日とは変わっていたのである。思い出していただけただろうか、リバムーク最大の特徴は日ごとに花の模様を変化させる、その一点にあることを。昨日無事に咲いた花を見て、そして今日見事に花の模様を変えてみせた、リバムークの名に違わないその系統を証明してのけた19輪の花たちを見て、キティたちは歓喜したわけなのである。

 同時にそれは来るべき時の到来を告げる。そう、未だずっと妻の部屋でひきこもっている父クェンティン・ノイマンを真人間に戻す時節の到来を。キティにとってもアイズにとってもあの日、ミコが姉妹ごっことしばしの滞在を告げにクェンティンに会ったとき、目の当たりにした光景に付き添っていた幼い兄妹は心傷もののショックを受けた。もう動かない母の朽ちない死体との屍姦症行為、あれは10歳にも満たない兄妹にはショックだった。キティなんて一年前まで赤ん坊はコウノトリが運んでくると思っていたくらいだからなおさらだった。裏を返せば一年前には男女の営みというものを知ってはいた――のだが現実にその現場を見せつけられたショックは大きい。あれから一月余り、母ベアトリクスの自活部屋からクェンティンは閉じこもったままだ。同じノイマン家屋敷に住んでいているはずなのだが、全然顔を会わせることがない。出会わないのだ。まるっきり。

 そんな超引きこもりネクロフィリアパパをようやくまともに戻せるだけの材料がここにある。まったく人の手を借りずに育ち咲いたリバムーク・プロトタイプ19輪。あのダメパパが今の母にふさわしいと狙って入手することのできなかった最新の品種、餌としては申し分ないだろう。いよいよこのときが――はやる気持ちは抑えられないほど膨れ上がっている。

 が、あえてそこを抑えておいて、キティは今日の日課をこなす。まずすべきこと、この一月余りずっと続けてきたこと――観察手帳に今日の分の絵を描くことだ。種を植えてからほぼ毎日、欠かさずこなした観察は、いつしか日課の枠を越えて、キティにある感情を芽生えさせていた。それは、ミコの、姉様の提唱するノイマン家再生計画に真っ向から異議を唱えてしまう身勝手な思いなので、そっと胸の内にしまっておく。

 そうこうしつつも描く手は停まらず、今日の分も無事描き終わった。

 すると後ろから覗いていたミコが顔を持ち上げて、パンと手を叩く。

「いよいよ終わったわね。さて、これをあのバカパパに献上するときが来たわ。早速呼びに行きましょう」

「はい、姉上」「そう……よね。行きましょ、姉様」

 アイズははきはきと、キティは視線を逸らしどこか澱みを含ませた声色でそれぞれ賛意を表明する。二人の背中をミコが柔らかく押して、三人の仮初め家族はノイマン家屋敷へと歩を進めた。咲いた花には背を向けて。

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