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ミコの影帽子 夢心背話(ゆめうらせばなし)  作者: 心環一乃(ここのわ むの)
第8話 ふかふかのぱんでみたしましょう
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第8話_ミコちゃんの姉パワータイム

「そんな偶然、ボク信じられません」

 キティ同様部屋でくたばる寸前だったアイズをキティとミコは見つけて食べさせ介抱して、事の仔細を説明した。にもかかわらず兄が妹とミコに開口一番発した台詞がこれだった。なんというわからずやの空気読めない恩知らず――キティは強い兄妹愛ゆえに、兄の詞が許せなかった。兄を愛してやまないキティだが、こと今回の言動に関しては、一切弁明の余地も、情状酌量の余地も与えない。

 怒り心頭のキティは、澄まし顔をしていた兄の頬に一発ビンタを食らわせた。8歳の少女ができる全力で兄の頬を引っ叩いた。その威力、推して測るべし――大してアイズの顔を動かすには至らなかった。ああ、それで終わりかと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。というのもビンタを食らったアイズは木枠でできた背もたれの長い木製椅子に、背筋をピンと張って姿勢正しく座っていたのだ。キティのビンタでズレたのはほっぺであり、動いたのは顔だが、それだけじゃない。打たれてもなお保たれた姿勢の良さが災いし、動いた頭部に連動して、体の芯も軸もずれたのだ。

 一から全へ。きっかけはささやか些細なビンタも、ぶった相手のコンディション次第ではどう転ぶかわからない。アイズの場合は、良家特有の躾が染み込んだ立ち振る舞い(座っているけど)が仇になったケースとなった。早い話が、身体の軸を傾けてしまった兄、アイザック=ノイマンは椅子ごと傾いてバタンと床に倒れてしまったのである。この滑稽な結果こそ、まさしく町一番の資産家ノイマン家が子供に躾けたマナー教育の賜物なのだろう。もっともぶった張本人であるキティは、こんな生温い結果に満足してはいなかった。血を分けた妹の詞を、想いを無下にした鈍感な兄への一撃――これは言わば「気付いて、兄様」との願いを込めたビンタだったのだ。もっと身体ごとすっ飛んで壁にめり込むくらいの結果が欲しかったのだが……そこは8歳少女の限界であった。

 それに一部始終を見ていたミコが「そこまでにしときなさいキティ。それ以上やったら今の楔、罅になっちゃうから」と窘めてきたのでキティは大人しく従った。一時の感情は行き過ぎた結果を求め、しかしもし本当にそうなったら、それは取り返しのつかない後悔をもたらすと――キティはなんとなく(そんなことなのだろう、ミコ姉様の言いたいことって)と察し、胸に手を当て案の定、激しく鼓動を打っていた心臓を落ち着ける。逸る心をその手で冷まし、暖かな心音に安らぎを見出すと、ミコがキティの後ろから一歩進み出て、アイズの座っていた椅子を起こして(窮屈さにも気を留めず)座り、床に倒れたアイズに話しかけ始めた――。

「別に信じなくていいわよー。でもアイズ、お兄ちゃんとして妹を悲しませちゃあいけないなあ。個人的な話だけどね、わたしも『信じる』なんて詞、嫌いだから」

「え? 姉様、それは……」

「キティ、いらっしゃい」

 ミコは被っている影帽子のがま口チャックを開き、二本の黒い腕をキティへの迎えによこした。キティは抵抗しなかった。なぜかはわからないが、怖くなかったから。すると二本の黒い腕はキティの身体をお姫様抱っこで抱えシュルルと開いた影帽子の口を移動してミコの前まで運んでくれた。そして伸ばされていたミコ自身の腕にバトンタッチして元の中へと消え、チャックも再び閉じられる。ミコの両腕に抱えられたキティはミコの膝の上に座らされる。二人がかりで椅子に座り、倒れたアイズを見下す構図。この閑話休題ともいえるワンクッション・幕間の準備作業を終えたのち、ミコは再び語り出す――。

「極めて個人的な感傷なんだけどね。わたし、『信じる』だの『信じない』だの、そういう『信用』に関する詞をこの人生の中聞きまくってきたわ。だから聞き飽きた。そういうことなの。喩えとしてはうまくないけど……心臓ってさ、生きてるときは全く休まず動いて、寿命が来たら停まるでしょ? そこまで動き続けた回数が、人の一生。斜に構えて言えばさ、心臓は動き疲れた・動き飽きたから停まる。だから人は死ぬ。そういうことだとわたしは思ってるわけなのよ。で、さっきの話に戻るけど、わたしは自分ではそういう『信用』に関する詞を一生分聞いたから、いつしか耳が拒絶反応。それが価値観にまで作用して、今では信用とか信じるなんて意味ない嫌いって思ってる方の人間ですから」

「姉様、かわいそう……この若さでそんな重い制約を課されてしまうなんて」

「ほんとよねー。なんて可哀想なのかしらわたし。でもねキティ、ついでに言うとわたし、一生分喋りつくしてもいるのよねー。ああ、今は気分がノっているから大丈夫。で、ねアイズ君、君はわたしたちの説明、こんな偶然を信じられないと言ったが、そんなのわたしとキティも既に思ったことだから素気なく却下させてもらいます。運命学を語るほどわたしはその道詳しくないけど、わたしの友達、桜島の心樹オピィが魔法でもって導いてくれた行き先がココ! オピィが魔法を使ったのはガデニアで祭が終わった後――則ちわたしがまだ顔も見てないあなたたちのお父さんが絶望した日より遅いはず。きっと魔法でここのことを感知した――そう考えれば合理的だわ」

「でも……結局は信じる信じないの問題なんじゃないですか?」

 床に顔の片面をつけて倒れたままの体勢で聞いていたアイズがそうぼやく。その物言いにムキィ〜ッとなるキティだが、ミコは沸騰しそうなキティの頭をやさしく撫でて、アイズのケチに澄ました声で答えだす。

「そうね、信じることは疑わないこと、確かなものとして受け入れること。それだけしか知らなかったら、わたしがオピィを信じたってことでしょうね。でもぉ〜、わたしはさっき話した通り、過去のせいで心が変わっちゃった。性格的にかなりひねくれたのもこの頃ね。疑わずに受け入れる? 今のわたしは全然違うわ。そんなこと笑えば善い――これがわたし、ミコ=R=フローレセンスのスタンスよ。それこそわたしは旅人だからね、いやまあ、旅人に限った話じゃないけど、世の中自分に降り掛かる幸も災難も色々あると思うのよ。信じられない程の幸運とか、受け入れ難い災難とかね。でもね、信じるとかいう行動で心を支えていてもさ、人は決して完全にはなれないからね。信じていてもどこか疑ったり、信じていたのに後悔したりってことがきっとある。わたしはもう一生分生きて続けて今は人生三周目だからね〜。そんなこと繰り返しても面白くないってこと、知っちゃった。その結果会得したのが『信じる』んじゃなくて『どんなときでも笑う』ってことよ。たとえ自分がツイてなくても、出会った他人の不幸を見せつけられても、わたしは笑う。場違いでも、笑顔でいる。その笑顔がきっと自分が、見知らぬ誰かが立ち上がるときに心を浮かせ持ち上げてくれる風になるからね」

「ミコさん……」

「そういうことよ、アイズ。人の一生、生きていればあるのよ。運命の悪戯としか思えない年でも月でも日でも時間でも分でも秒でもなく今、わたしたちが歩いている人生の道の今が重なることが。そういうのを俗に塗れた巷では『運命の出会い』っていうんでしょ? まったく皮肉……“系統樹”ではみんなの人生の道は、全天全周囲バラバラなのにね――」

「ミコ――さん?」「姉様♡」

 ミコの生き様授業を聴いてこちらに向き直り手を突き上半身を持ち上げてミコのことを見上げながら呆然と呟くアイズに、素敵な授業に感動し、ミコに甘えじゃれつくキティ。ミコはキティの顎を猫にするようにゴロゴロさせながら、影帽子のがま口チャックを展開し、中から黒い箱、さらに絹の袋を取り出し、アイズにこれ見よがしに見せる。それを目撃したアイズの目の色が変わる。

「それが、リバムーク・プロトタイプですか?」

「ええ。完成世代ではない、試行錯誤の世代のものだけど……ちゃんとリバムークの名を冠してる。余計なしっぽもついてるけどね。さてここで問題です。わたしはリバムーク・プロトタイプを持ってます。わたしはそれを蒔きたくてここまでやってきました。しかしそんなわたしの邪魔をする奴がいます。誰でしょうか? あなたでーす」

 その瞬間、ミコのアイズを見る目が変わった。鋭い視線は光……いや雨のようにアイズを打ちつけ、痛めつける。当然だ。今ミコはアイズを見下しているのだから。飼い猫が不審者の侵入に気付きびくつくようなその仕草を、ミコの首元に入り込んでいたキティはニヤリとしながら眺めていた。内心兄様可哀想だとかいう気は、まったく起こらなかった。

 それはミコのやることなすことがアイズを立ち上がらせるための『演出』なのだと、知っていたから。

 実はアイズの部屋に入るまで、廊下を歩いていた間の会話で、キティはアイズがこの現実を信じられないって拒絶すると、ミコから聞かされていたのである。理由は簡単。

『裏切られ続けたから』

 アイズは愚直で人というものをすこぶる信じている。それが結果としてキティでも詐欺とわかったのを歯牙にもかけずに父に殴られた。それでもめげずに手を尽くそうとしたことは無条件に褒めてやるべきことだ。近年稀に見る精神的タフネスの持ち主だろうね――ミコは廊下を歩いていたとき、手を繋いでいたキティに愛しい兄をまず評価してくれた。しかし続け様に今アイズ起きている変化を、ミコは見逃していなかった。それと端的に表した原因が、先の詞、『裏切られ続けたから』なのである。

 いくら精神的にタフって言っても、無限でないなら消耗し続け、いつかは底が、0がくる。そここそ人生観が変わる最大のポイント(分岐箇所)。部屋にこもっていたキティでも知っている――この2日、アイズは外に出ていない。それはつまり、底(資金)が尽きたということだと、ミコは答を導き出した。そしてキティも納得する。確かに、あの兄様とて自分の持ち金が無くなっては何もできない。家の金には道徳的にも手をつけられないのは当然。そういう躾をされているから。八方手を尽くして八方塞がりとなれば兄様とて絶望し得る。そしてミコが語るには、人間が先天的に持つ質の悪い所として、『自分が何もできなくなったとき、人はその原因を外に擦り付けたがる』と言うのだ。排他的性質――アイズのケースで考えるなら。

 

 ・人を信じて行動してきたのにダメだった→

 ・自分がこうなったのは自分の気持ちをわかってくれなかった他人のせい→

 ・極論、他人は自分を裏切り続けた→

 ・これまで自分が信じてきたことは間違い(ポイント切り替えの発症)→

 ・だから、これから行っても最初は信じないとかいうだろう(Q.E.D)

 

 そういう予想を立てて、まさにアイズが冒頭その通りの対応を見せたものだから、キティは兄に関してミコに一任したというわけ(押し付けたわけじゃない)である。落ち込んでいるときに年下の妹から励まされたら却って感情を逆撫でしてまうからとミコからアイズの部屋のドアノブに手を掛け、まさに入る直前、ミコはそう諭してくれた。キティにもその意味はわかる。たかが1歳差とはいえ、人生経験の歳月で劣る者から諭されると無条件でムカつくものだ。

 知っているから、手出ししない――。

 そういうわけでキティはミコの凍てつくような視線を浴びせられているアイズを他人事のように俯瞰していたわけである。最初の怒りとそこまでに至ったカラクリが全てわかってしまうとなんというのか……超越的な視点で物事が見れた。だからこそだろう、今だけはアイズが震えているのにも同情しないし何の感慨も抱かない。思っていたことといえば、ただ先にミコに出会ったというだけでこの差なのだから、つくづく自分は笑顔なのだろう――ということ。

 さて、そんな風にキティの無温度じみた視線が見守る中、ミコとアイズのやりとりがいよいよ佳境を迎えてくる。ミコはこれ見よがしに見せていたリバムーク・プロトタイプの種入り絹袋を無造作にアイズの懐へと放り投げたのだ。

「確かめてみたら? 自分の手、自分の目で。ここ、パソコンもあるんでしょ?」

 余裕の表情で(婉曲な言い回しながら)指図してのけるミコからは貫禄さえ感じた。そしてその余裕と婉曲な言い回しが聞いたのだろう。アイズはおずおずと手元に投げられた絹袋に手を伸ばし、手に取り、中身を確認する。9歳の少年の小さな掌に積もる、19個の瑠璃色の種。その碧い輝きが、少年の瞳に写り、光を灯す。

 それまでの体たらくが嘘のように、アイズはその場で俊敏に跳ね起きし、自分のパソコンがあるこの部屋にみっつある机のふたつめに飛び込んだ。すぐさまパソコンを起動させ、ネットの接続を確認するとすぐさまブラウザを開き検索をかける。しかしすぐにどん詰まり。これもミコの予想通り。しかし結果を出せなかったアイズが「データ、ありましぇ〜ん」と涙声泣き顔を見せたのはキティもミコも予想外で、二人は目を合わせ、素で笑い合った。

 ここでミコに抱かれているキティが、甘ったるい声でミコにせがむ。

「ねえ姉様。どうやら兄様のネトラーレベルではお望みのページさえ開けないようです。どうでしょう姉様、ここは三人姉弟ごっこ一番年上の『姉』として、半人前な兄様を助けてあげてはくれませんか?」

 キティは顔を上に向け、ミコの耳元に唇を近づけ、舐めるように囁いた。

 するとミコは「ああん」となにやら快感を感じたようで、すぐに応じた。

「わかったわキティ。実を言えばリバムーク・プロトタイプのデータを見るとすれば、この花を作った花一族のデータベースにクラッキングするしかないんだものね。適材適所。できることはできる人がすれば善い――やってあげるからアイズ、ちょっとパソコンから離れなさい。あとキティはもうしばらくこのギリギリの快感をわたしに感じさせといてね」

「喜んで♪」キティがまたしてもミコの耳元で囁き、その声でミコの耳たぶを震えさせるとミコが動いた。さっきリバムーク・プロトタイプの種を入れた袋を取り出したときから開けっ放しにしていた影帽子のチャックから三本の黒い腕を出現させた。現れた三本の内二本はアイズのいる机に向かい、アイズの使っていたパソコンを腕の先備え付けの手でダダダダカチカチと操作する。その一方で余った腕――先っぽの手にごく普通の携帯電話を持っていた腕はなにやら携帯電話を操作したのち、キティが甘えていない方のミコの耳元に携帯電話を持って来る。まるで電話係の召使いのように。それをさも当然のように受けるミコは、電話口で聞いてビックリの人物と会話し始めた。

「もちもち、スイートピー? ……あれ? コスモス? この番号スイートピーのよね? なんであなたが……えっ? スイートピー今人格改造作業中だから携帯電話預けさせられた? まったくもう、あいつ陳情受付係なのにここぞというときに繋がらないんだから。ん? 『で、ミコちゃん要件はなに〜?』って……そうね、友情育んだコスモスなら十分以上に代わりになるわね。あのね、先月そっちに行った際、わたし個人的な用事で来てたじゃん? そう、リバムーク・プロトタイプの種作り。んで一ヶ月近くこの俗世を渡り歩いてようやく『ここ!』だっていう場所を見つけ出したんだけどね……ほら、わたし旅人だからさ、蒔いて咲くまで留まるにしても寄辺がないとダメじゃん? 今電話かけているの、種を必要としてわたしも託そうって思ったあるお家からなんだけど、二人兄妹のうちのお兄ちゃんが突然都合良く現れたわたしのことを胡散臭いって言うわけ。で、渡した種がリバムーク・プロトタイプだって証拠見せてやりたいのよ。あ、わかった? そう、これから花一族の研究資料まとめたデータベースにアクセスするからさあ……誰のでもいいからIDとパスコード貸してくれない? いきなりで悪いからお駄賃として1分につき幸先金貨(さいさききんか)3枚出すからさ。どっか金欠で困ってるその辺の適当な子の……え? 自分の貸すから大丈夫? どうしたのコスモス、幸先金貨そんなにほしいの?」

『ほしいに決まってるよー! わたしに幸先金貨ちょうだーい!』

 ミコと電話先のコスモスと名乗る人物との会話、ミコの話し振りはやり手の交渉というよりは友達同士の女子トークという面が強く、それだけにその話し方ですらすら頼み事を了承させる様子は圧巻だった。そして離れた位置からようやく聞こえたコスモスと名乗る女性の声は、なんだかスイーツみたいに甘ったるくて女性よりも女の子ってイメージを強くキティに植え付けた。それにしても幸先金貨とは……色んなものを持っているミコの凄さを、少女は改めて思い知らされる。

 と、ここでキティの耳は意識の外から打鍵音のラッシュ轟旋律を聞き取った。

 何かと思い視線を向けたら、そこはアイズの机の上。アイズのパソコンを黒い両手が猛烈な速度でタイピングし始めていたのだ。そのすぐ傍にいるアイズは、押されているというよりも叩かれているという表現が正しいキーボードの高速入力に少々ビビっているようである。件のパソコンでは、ディスプレイの表示が目まぐるしく変化している。ウィンドウが現れたと思ったら消えた。と思う間もなくまた新しいのが現れた……と思ったら消えたの繰り返し。プロセッサチップは大丈夫だろうか?

 そんな心配を考えるキティの顔をミコはその手で抱き寄せ、杞憂だと答えてくれた。

 反応しようとした矢先、遠くからアイズの声が届く。「うわ! 出た!」と。

 それはつまり、熱故障する前にプロセッサチップが仕事を終えたという結果。

(なるほど、確かに杞憂だったみたい……それにしても、驚いてばっかりで姉様にいちいち手間を取らせちゃってるわたしはどうしようもなく一般人なんだろうけど、それでもいい。だってこうして驚けば、姉様はわたしを見てくれるから)

 キティは心のどこかで今興じている姉妹ごっこが『期間限定』だということ、いつかは終わってしまうということに勘付いていた。だからこそなのだろう。『自分の涎を舐める』、『自分の汗ばんだ裸を拭く』ほどの濃密な関係になってしまったキティとしてはなおさら、できるうちは甘えたくてしょうがないのだ。兄アイザックとは違う頼りがい、年上の女としての憧れ、そして芽吹いた愛しさ。それらが複利的にキティのミコへ想い・態度となっている。その変わりぶりはキティ自身も感じていた。「わたし、こんなに甘えん坊だったっけ?」とたまに思い返すぐらいには。

 ともかく今回のかまってかまってには一応の成果が出たのでキティもそっちを見ることにする。そっち……則ちアイズのパソコン画面にはリバムークそっくりの花の写真に何やら研究資料らしき文章の羅列。目はいい方のキティでも、さすがに数メートル離れた場所にあるパソコンの画面の文字(しかも文字サイズが小さすぎる)はわからず、読むこともできなかったが、そんな心配も杞憂だった。文字サイズのデフォルトを小さくした元凶、そのパソコン唯一のユーザーにしてオーナー、アイズが黙読して納得しているようだから。

 そう、実の所キティが無理にパソコンの内容を読む必要など皆無なのである。なぜか? キティはミコのチャーミングな説明で既に納得済みだから。まあ、今パソコンに表示されているのはあの花一族の機密資料らしいので、それなりに興味はあるのだが、そこは兄アイズの十八番。小さい頃町にやってきた劇団ビンタに病欠の代理キャストとして連れて行かれる程に磨き上げられた表現力は半端じゃないのだ。そう、その代理出演時にその名演技を褒め讃えられ、「匿名美少年6741面相」の称号を拝領したわけじゃない。喜怒哀楽に悲喜交々、まさに6741の感情表情リアクションをもってしてパソコンが見せている情報が兄自身を納得させている&驚かせている花一族の機密情報であることを口に身体に暴露していたのでやはり見る必要などなかった。むしろ見たくないとも思い始めている。兄のウザったい6741面リアクションの方を。

 そんな闇側の愛憎オーラパワーを蓄積しつつあったキティの耳に、不意に聞こえたアイズの叫び。まー今時「Oh NO!」は古いと思ったが、それも一瞬で捨て去れる愚考思考の通り風。原因はアイズの両脇でほんと「影」のように大人しくしていた、ミコの黒い両手が再び起動し件のページを閉じた……もとい切ったのが原因。と思いきや、残るひとつの黒い腕がミコの耳に当てていた携帯電話に、ミコは苦情を申し立てたのだ。

「ちょっとちょっと、コスモス、ページが勝手に落ちちゃったわよ。再入力してもダメじゃない」

 そういうことだったの?――キティは心中で自分の誤った認識を若干の驚きを添えて書き換えその会話に聞き入る。するとミコはこの説明はキティやアイズにも聞かせる必要があると感じたのか、携帯電話を持たせていた黒い手にスピーカーホンボタンを押させていた。その心遣いが実に自然で様になっているところが、ミコの凄いところであるとキティは感じていた。だが横道にそれるのもここまで。スピーカーホンでこの部屋にいるみんなに聞こえるようになった電話相手のコスモスさんから答えが語られる。

『あ〜やっぱり閉じちゃったー? あのねー、この前情報システム全般を改造したんだよー。ほら、あの事件のとき、ミコちゃん実演でうちのセキュリティ開けちゃったことあったでしょー? あれがやっぱり衝撃的だったんだねー、ミコちゃんが旅に出たあと花君様があらゆるセキュリティの強固化を指示したのー。IDとパスワードはわたしのものでもアクセス元の場所がはなれているからねー。そこトランスフェイクって町の郊外でしょー? まあ保って3分が限度かなーって』

「なるほど。そういうことだったのね。納得したわコスモス先生。いい解答をありがとう。さっき話した報酬の計算では1分につき幸先金貨3枚だったけど……この先のゴタゴタへの備えとあなたへの親愛の証として、幸先金貨は24枚あげるわ。アジサイとか金にうるさい連中を黙らせるのにとか、サクラちゃんと萌枝ちゃんにも1枚ずつあげといてよ。そっちは秘密裏にね。今送るから、ちょっと待ってて」

 そう告げるとミコは影帽子の開いたチャックからさらに黒い腕を取り出して、その手が中から運んできた幸先金貨の入った皮袋と黒いペン、そしておそらく送る用と思しき別の袋と黒い伝票をミコとキティの眼前に掌の上、並べ立てる。ミコはその四番目の黒い手を案の定作業台にしてまず自分用皮袋から24枚の幸先金貨を取り出し、空っぽだった別の袋に惜しげもなく入れていく。幸先金貨といえば霊験あらたかな不思議な効力を持つという滅多に御目にかかれない貴重品である。それをミコはたくさん、惜しげもなく送る方の袋に入れていった。先の通話での計算なら3分保ったので9枚が報酬なのだろうが、ミコはさらに15枚も上乗せして送るから凄い。色々言っていたが、ボーナスのつもりなのかもしれない。

 そして送る方の袋に24枚の幸先金貨を入れ終えると袋は封がされ、続いて黒い伝票に黒いペンで相手の名前――「Cosmos」と白くキラキラ輝く、白金色をした文字が書かれた。

 ミコはすぐさま伝票裏のシートを剥がし、シール面になっていた裏面を24枚の幸先金貨を入れた袋に貼付ける。するとどうだろう、ミコはその袋を地面に落としたのである。

 その突飛すぎる行動にキティもアイズも驚きを隠さないが、本当に驚くべきはその後だった。なんと落ちた袋はそのまま床に吸い込まれるようにして消えたのだ。さらにその瞬間、床全面を黒い稲光が走り、シューと何かを焦がしたような音を残して鎮まった。いったい今のはなんだったのか?――はてなの尽きないキティの耳に、その答えたる詞がなんと電話の向こうから聞こえてきたのだ。

『おー届いたよ〜。わたし宛ての黒い伝票にミコちゃんの筆跡ねー。袋を開けて、ちゅうちゅうたこかいな……うん、幸先金貨24枚ねー。ちゃんと受け取ったよミコちゃ〜ん』

「え……? 今ミコさんが床に落とした袋がもう届いたんですか?」

 にわかには信じられないというキティの反応を見て取ったミコは、携帯電話を耳から遠ざけると、種明かしをしてくれた。

「そうよキティ。アイズも。見たでしょ今の超常現象。これこそわたしが極めた影の秘術で作り出した黒いアイテムのうちのひとつ、黒い伝票を貼り付けた荷物の届き方よ」

「黒い伝票……ですか? 姉様があれを貼付けて床に落としたら荷物はフッと消えてなんか真っ黒な稲妻みたいなのが走ったのしか確認できませんでした」

「あ〜キティ! あなたなんて可愛くて煌めいて聡明なのかしら! それだけわかれば十分よ。ねっ、電話口で実際受け取ったコスモスさん?」

 ミコはこの場にいない、でも話には参加している(いたのか?)電話先のコスモスに話を振り、自分では答えずにキティを自分の身体に締め付けるようにキツく抱きしめた。その行為を受けたキティの心中は『望外の歓喜』であった。愛し慕いしミコの身体に密着させてもらえるチャンス、何度あっても足りないと感じるくらいだからミコが抱きしめてくれたことが嬉しくてしょうがなかった。その匂い。その鼓動。その吐息。全てを肌で感じ取れる――もう答えよりも先に御褒美貰っちゃった、みたいな感じでキティは顔も思考も蕩けていく。それでも配置場所の勝利である。電話相手コスモスの解答こと、ミコの黒い伝票に関する解説はふやけた耳でもちゃーんと聞き取れた。

『そうだよー。そこにいる少女ちゃんに少年くん、ミコちゃんの影の秘術「黒い伝票」は元が影だからね〜、地面に落ちた途端元の影に戻って伝票に書いた相手のところに疾走るってゆー仕掛けなんだよー。影は光の狭間でしょ〜? その出現速度は光の速さそのものなのよー。ミコちゃんは影の秘術で黒い伝票を作ったとき、その点意識したみたいー。そしたら見事だよね〜、できた伝票の効果の程は見ていて充分わかったでしょ〜?』

「そうか、影は光速の光が差すことで瞬時に出現する。その速度を活かして作り上げたということですね、姉上!」

「あ、姉上?」『おね〜ちゃん?』

 ミコと電話先のコスモスがほぼ同時に反応する。アイズの突飛なミコにつけた呼称に、さすがに二人とも、当惑している様子だった。

 しかし、キティは驚かない。これもキティにとっては予想通り。今日からの姉であるミコでさえ分からなかった事実、八年間妹をしてきて見抜いた、兄アイザック=ノイマンの本質――。

(つまるところ、わたしと兄様は似ている。そういうことなのよね〜)

 キティは心中理解した結論に皮肉なものねと溜息をついた。個性ってなんなのかなって、思わずぼやきたくもなったが、さすがにそこまでアウトは取らない。自分とアイズは兄妹。同じ親から生まれ、同じ家に生まれ、同じ環境下で同じ教育を施されてきた。そりゃ性格や人格面で似ることもあるだろう――そこに個性の存在意義を問うたのだが、それも一瞬のこと。それでもキティは確かな『自分』をその身体その心その魂に感じていた。兄のアイズとは違う自分だけの個性。そう、同じように姉と尊称するミコ=R=フローレセンスへの懐きぶりは、自分でなければできはしない。女であり、妹であり、キティ=ノイマンという人間にしかできない所業。それこそ神の御業でも不可能な大業である。ミコと出会い、その数奇な改稿の中でキティはミコに甘えまくり、依存しまくり、終いには姉様と呼び姉妹ごっこを始めるまでに至ったのも、全てキティだけのミコへの愛情表現。アイズがミコを姉上と呼ぶようになったのも、キティがアイズを勝手に自分たちがやっている姉妹ごっこに組み込んで台詞にしていたから。目敏い兄がそこにつけ込んでごく自然なフリしてミコを姉上と呼んだ――キティにとっては単純明快、関数論より簡単な答え、当然の結末だったのだ。

「ふふふ」そこまで思い、思わず可笑しくなって笑い声を零すキティ。それと同時に少女はようやく本調子に戻った兄の突飛な言動をフォローすべく動く。再びミコにじゃれつき、甘ったるい声でミコ(と電話先のコスモス)に喜ばしい現実を報告する。

「よかったですね姉様。兄様もようやく納得したみたいです。ほんとに手間隙かかりましたが、家族ごっこの兄妹頭数が三人体制になりましたわ。これで姉様が希望したリバムーク・プロトタイプの種蒔きがスムーズに進められますわ」

「キティ? え? なに? そういうことなの、アイズ?」

「そうですとも従いますとも! ボクの上にいて然るべき姉は天上天下唯一人! ミコ姉上をおいて他にはありえません! さあ、輝ける家族(ごっこ)ロードを三人で共に駆け上がりましょう!」

 いきなりの超転回。アイズのゴーゴー持ち上げ発言にミコが一瞬固まったのを抱きついていたキティは見逃さなかった。というか見逃すはずがなかった。アイズの主張転回癖も妹として知っているキティである。その兄がいつものテンションでいきなりミコのことを持ち上げる方に変わったらミコだってぐうの音も出ずに唖然とするはず――キティの予想能力はその領域、「そこまでするか」とツッコまれる域にまで及んでいたのだった。

 そしてバッチリ見られたミコの呆け顔。キティは胸キュンときめきドキューンと、ミコへの慕情が募るばかり。しかも自ら望んだ結果に(自分換算だけど)利回りがついた形、平静を装っていても心の中では興奮しまくりだった。

(あ〜姉様のレアショットが脳内でリフレインしてわたしを絶頂へと誘ってくれる〜)

 恍惚の表情をミコにも向けず(そもそもミコに抱きかかえられているのだからミコが見られる道理はない)アイズにも見せず、一人うっとりするキティ。しかし相手はミコ=R=フローレセンス、自分が姉様と呼んだ女性。後ろ頭越しにこんなピシャリ忠告をいただいてしまった。

「はいキティ、エクスタシーを感じているのはそこまでよ。アイズも。わかったでしょう? それは紛れもなくリバムークの血統持ちだってこと。ボケっとしてないで。やることはたくさんあるんだから。荒れ果てた花畑の供養。ノイマン家の名誉回復。お父様の現実逃避&育児放棄の阻止。そしてリバムーク・プロトタイプの開花――約2ヶ月ね、あなたたち兄妹の面倒見るのと併せて、わたし、この家にお世話になるから。いいわね?」

「はいっ!」キティとアイズが嬉しそうに返事を返す。同時に携帯電話で遠くガデニアから話に加わっていたコスモスも『あ、スイートピーの人格改造終わったみたいー。用件も済んだことだし、わたしはここでさよならするね〜。キティちゃんもアイズくんもバララーイ♪ さーて、サクラに萌枝ちゃん、人格改造の成果は出たかなー?』と妙に聞き手を惹き付ける話術と挨拶でもって電話を切った。用済みとなった携帯電話、及び黒い腕と手たちは御役御免となり、ミコの被っている影帽子、そのクラウン(山)とブリム(つば)の継ぎ目にある開いたままの、特徴的ながま口チャックの中へと戻していく。その光景の面白さ楽しさ美しさもさておき、その過程でアイズに渡していたリバムーク・プロトタイプの種をちゃっかり回収し、キティに預けるというミコの華麗なる愛情表現に、キティはときめくばかりであった。

 そしてそれが終わるとミコは、自分自身の両手で抱きかかえていたキティを「名残惜しいわね……」と呟きながらも持ち上げ、引き剥がし、椅子から降ろす。そしてチャックの閉じた影帽子の鍔を片手でつまみながら立ち上がる。その姿は大きくて、可愛くて、とても、頼もしかった。

「早速、お父様へのあいさつね。キティ、アイズ、部屋まで案内して。お母様が死体となった今も眠ってる、お母様の部屋まで」

「かしこまりました姉様。ほら兄様、一緒に行きましょ」

「うん。キティも姉上もボクを置いてかないでよ。でもパソコン落とすのにもう少しだけ、時間が欲しい」

「まったくもう……むぐっ」至極当然のこととはいえ、流れを狂わせるアイズの言動にいわれなき反発でもしてやりたかったキティだが、その口は背後に回ったミコの両手に塞がれた。突然のことに赤面してしまうキティをもう何度目かと抱きとめて、ミコはアイズにこう告げた。

「いいわよ。いくらでも待ってあげる。限りある命。だけどわたし、急いでないから」

 それくらいは待つわ――そう言ったミコの顔は思慮深さと確固たる決意を感じさせ、面と向けられたアイズと下から盗み見ていたキティの両者をもう何度目かと感服させる。

 そしてしばらく時が過ぎ、パソコンの電源が安全に落ちる。

 アイズはアクロバティックな足さばきで座っていた椅子ごと踊るように回転させると向きをミコとキティに合わせ照準ロックオン。椅子から飛び出しひとっ飛びで、ミコとキティの目の前に着地してみせたのだ。その様子を見ていたミコは「へえ〜やるじゃん」と感心していたが、キティは全然驚かない。劇団ヘルプのときに身につけた小技で姉様の気を引く気なのねと、むしろ警戒感を高めていた。

(冗談じゃないわよ兄様。姉様がするのは姉妹ごっこ。兄様はオマケなんだから)

 心の中でそう吐き捨てて、でも外にはおくびにも出さず、キティは復活したアイズに社交辞令のような営業スマイルで応じた。そして面倒臭かった兄への対応を早々に切り上げ、自分をだいてくれているミコの手を取りドアへと向かう。ミコもそれを受け入れ引っぱられるままにドアに向かう。そんな二人の様子を見ていたアイズもつられてドアへと向かう。

 仮初めの姉妹姉弟になった三人はその事実を報告すべく向かう。

 育児放棄した父の元へと。

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