第8話_『姉様』は空からやってきました
わたしはキティ、キティ=ノイマン。
トランスフェイクの町一番の資産家であるノイマン家の一人娘。
とはいっても一人っ子じゃない。大事で愛しい兄様がいる。
ノイマン家は、父様に母様、そしてわたしと兄様の四人家族で成り立っていた。
その家族の中心にいたのは母様だった。母様は太陽のような人だった。花を愛して家の外の丘に花畑を作って、咲いた花で幼いわたしと兄様に花の冠を作ってくれたりして遊んでくれた。お見合いとはいえ父様が惚れきっているのも納得。それくらい母様は魅力的な女性だった。
でも……母様は死んだ。病の兆候も刺された傷もなく、ベッドの中で眠るように死んでいて、一度も目を開けてくれなかった。町医者は言った。「寿命ですな」と。
突然の別れ、10歳にも届かないわたしや兄様は当然のように涙を流し悲しんだが、それ以上に凄かったのが父様の嘆き方だった。生涯唯一愛し抜くと決めた妻が死ぬはずないとかなんとか言って母様の現実を受け入れていなかった。起きてくれ、俺をひとりにしないでくれと医者の制止を撥ね除けて、母の死体に縋る父様の姿は、見ていられないほどの無様さと怖さでわたしたちを部屋から遠ざけた。愛情の振り子とでもいうのか、それが狂気と偏愛で傾くと人間とはあんな一面を見せるのかと、わたしと兄様はおののいた。
医者はすごすご去って行った。それを見送ったあと、わたしは玄関口にへたり込んで泣いた。兄様の慰めを受ける中、わたしたちに声をかけてきた一団がいた。女性だらけで、楽器やら絵筆やら持っていた、通りすがりの芸術家たち。名を伝承楽団といった。
彼女たちは兄様から事情を聞くと医者でもわからなかった死因を答えてみせた。あっちの方を見てごらんと言って指差した先には花畑の丘があった。が、花はすべて枯れていた。伝承楽団が言うところによると、花と母様は運命を共にした……らしい。つまり、花畑の花々が植物特有の病気で全滅したとき、花を愛でていた母様にもその余波が及び、死なせたのだと。普通じゃありえないこと、だけどないわけじゃないケースとその人たちは結論付けると、わたしと兄様に自分達を父様のところ――母様のところに連れて行くよう頼んできた。事の仔細を説明したい、そして出来るなら死体を腐らないように処置したいと、その人たちはそう告げたのだ。母様の死体が腐って見るも耐えない姿になるのはわたしも兄様もイヤだったから、言われるままに彼女たちを家の中に入れた。
そこからがすごかった。母様の死体に縋り付く父様になにやら耳元で囁くと大の大人を軽くつまみ上げて遠ざけて、母様の死体になんらかの術みたいな「処置」を施した。よしできた、見てごらん、美し過ぎるお母さんを――とその人たちは告げて一歩引く。すかさず父様が這い寄り、わたしと兄様も近付いた。そして驚いた――。
芸術品のような色褪せることのない、神々しさに通じる美しさを「与えられた」母様の身体は、朽ちかけた部分も、不快な腐臭も消え失せて、本当に生きているかのように、本物の人形なんじゃないかと疑わせるように、その安らかな死に顔をわたしたち家族に魅せていた……。
その精巧すぎる出来は、あんなに現実逃避していた父様に母様の死を納得させるほどだった。まるで憑き物が落ちたかのように父様は反転し母様の死を認め、「母さんを天国へ送ってやろう。棺を母さんの大好きだった花でいっぱいに埋め尽くして一緒に……」と物腰の落ち着いた穏やかな顔でわたしと兄様に告げた。ようやくまともに戻った父様の提案、子供が逆らうわけにもいかないので、わたしと兄様は大人しく頷いた。父様は母様を死化粧してくれた伝承楽団の面々に礼を言い、「報酬」を渡して花を探しはじめた。わたしたち家族自慢の丘に咲く花畑は母様とともに死んでいるから、母様の死を彩る最高の花が必要になった――父様がパソコンで調べ出すと、この味酒の月、花の都ガデニアで開かれる祭のコンベンションで新種の花、リバムークが競りに出されるらしい。動画で見たその可憐な七変化をする不思議な花に、父様だけじゃなく、わたしも兄様も惚れ込んだ。父様は「これだ! これしかない!」と父様は声を張り上げ立ち上がり、母様に口添えた。「この花を必ず君に送るよ、ベアト……」――ところが。
ネットワークも駆使した全世界規模での競りの結果、父様はリバムークの種を落札することができなかった。それもこれも第一落札者のミス・ブラックナチュラルが町すら買える大金をはたいて種の大半をかっさらったから、父様にはリバムークの種が届かなかった。
その受け入れ難い現実が、とうとう父様を狂わせた。父様は母様の死骸が眠る部屋に閉じこもり、「ごめん、ゴメンよベアト……」と泣き詫びるばかりでわたしと兄様を放ったらかしにした。目もくれない。育児放棄というものだった。
それはわたしと兄様にとってはとんでもない危機だった。わたしと兄様は料理が全くできなかった。そう、ノイマン家では家事は11歳になるまで親だけがするものというルールがあったからだ。兄様もわたしも11歳はおろか10歳にも届かない。料理ができないのは当然の成り行きだった。しかも蓄え自体も少なかった。母様に死化粧を施した伝承楽団の面々に父様が渡した「報酬」とは、当分の食料だったから。
料理のできないわたしたち兄妹、少ない食料、家事のできる父様は育児放棄――言われるまでもなく絶体絶命だ。ここで兄様が立ち上がった。町に行って食料を買ってこようとしたのだ。わたしも行くと言ったのだけど、兄様は「ひとりで大丈夫だよ」と自信満々に出かけて行った。そして能天気に帰ってきた。なにせ食料は全くその手にはなく、代わりに花の種袋が握られていた。「どうしたの」とわたしが訊くと、兄様は町の路上で出会った親切なおじさんにまずパンを食べさせてもらった後、そのおじさんに言われたらしい。「要はクェンティン氏に花を渡して正気に戻せば問題は解決されるよ」とそのおじさんが持っていた花の種を買わされたのだとのこと。わたしは直感した、これは町一番の資産を持つノイマン家を狙った詐欺だと。
「そんなの持って行ったら父様は怒っちゃう。兄様、やめたほうがいいわ」わたしなりの忠告だったが、兄様は兄様で頑固というか、思い込みが激しいところがある。「大丈夫だよ、町の人を信じなきゃ」と軽い根拠で意気揚々と母様の部屋にいる父様のところに行き、散々殴られぼろぼろにされて帰ってきた。手を出されたことなど一度もないわたしたち兄妹が初めて目にした虐待だった。それでもわたしにとっては予想の範疇ではあった。町で売られている十把一絡げの花の種が、父様の高すぎる要求に応えられるわけがなかったのだ。初めての折檻を受けた兄様の姿は見るに耐えなかったが、肝心の兄様自身はまるで懲りていなかった。「別の花を探さないと」――暴力を振るわれたのに平然としてそんな詞を宣う兄様は健気で、一途で、何者にも変え難い愛しい兄様だったけど、思考が完全に狂っている。さすが父様の息子と思ったものだ。わたしもその父様の娘なのだが。
正気を失い、狂気とか浅間の幻想に走る父様。
そんな父様を元に戻そうとする、愚直な兄様。
そんな家族を冷めた視線で観察する、わたし。
三者三様の家族模様。もうまとまることはなく、各々が勝手に家の中で詞も交わさずに動かなくなる――そりゃそうだ。おなかが空いては動けない。
わたしは(家族に関しては)もうダメだと決めつけていたので早い段階から自分の部屋に引きこもり、余計な体力を使わないようベッドで横になっていた。病人ではないけど、同じようなものだろう。そしてとうとう空腹のあまり、寝返りも打てない状態にまで追い込まれた。安静にしているはずなのに、息が荒い。私の部屋に備え付けのテラスの外、庭でのうのうと佇んでいる小鳥の群れが憎く感じた。これで終わりか。母様のところに行ってしまうのかと、死への恐怖も通り越した諦めの境地に達したわたしは、ただベッドに横たわりながらテラスが見せる庭を見ていた。そしたら……とんでもないことが起こった。
突如として小鳥の群れの頭上から大量の桜の花びらが落ちてきたのだ。飛び逃げることもできず、花びらに埋もれる小鳥たち。その後もどんどん桜の花びらは落ちてきて、終いには桜の木一本分くらいの花びらの山がわたしの部屋の、テラスの向こうの庭に出来上がっていた。
が、一番びっくりしたのはそこじゃない。その桜の花びらの山の中から人間ひとりが飛び出してきたのだ。見てみると妙齢の女性……いや、年頃の少女にも見える年齢の伺えない身体の少女、虹をあてがっているのだろう、白を基調に虹の七色をあてがった色鮮やかな服を着ている一方で、何よりも異様なのがその頭に被っている真っ黒で、魔女っぽくて、チャックのついた黒い帽子。それこそがその女性のトレードマークだった。
女性は花びらの山から顔を出して息を吸うと、中をもぞもぞ漁り、埋もれた小鳥たちを引っぱり上げていた。自由になった小鳥たちはなぜか逃げることをせず、その女性の肩や黒い帽子のつばに停まったりと、なぜか女性から離れなかった。懐いている?――ということなのだろうか。そんな小鳥たちとじゃれついていたその女性とずっとその一部始終を見ていたわたしの目が合った。時計の針が動かない、一瞬の出来事。でもその女性はなにやら勝手に察した様子で小鳥たちを空へと帰すと奇妙なアクションを起こした。被っていた黒い帽子のチャックを開けたのだが、その途端、その女性を取り囲んで埋めていた桜の花びらがまるで口に飲み込まれる水のようにチャックを開いたことで開いた「口」に吸い込まれていったのだ。そして桜の花びらはひとつも残さず黒い帽子の中へと消えた。
「よっころしょっと……」その女性はそう呟くと腰を持ち上げ起き上がり、改めてその整った美貌と異様さをわたしに見せつけると、こっちに向かってきた。途中のテラス? いとも簡単に開けられた。そうして女性はわたしの部屋の中に入ってきて、横たわって顔も動かせないわたしの直ぐそばにまでやってくると、シーツに隠してあった手を探し出しぎゅっと握ってこう言ったのだ。
「可哀想に。おなかが空いて動けないのね。勝手だけど台所借りるわね。いまお姉さんがふかふかのパンを焼いてきてあげるから。お腹いっぱいになるパンを」
それがわたし、キティ=ノイマンと頼りになるちょっと変な旅人さん、ミコ=R=フローレセンス姉様との出会いだった……。




