第九話「ロロナ・ブラックウッド」
―――声がする。
―――暗い森の中。
―――奥では戦火が立ち上り、美しい森を焼いている。
―――誰かが、近づいてくる。
泥にまみれた軍靴。
下品な笑みを浮かべた兵士たち。
『お、ダークエルフか』
『こいつ……死にかけてるな』
『へへ、ちょうどいいや』
一人が近づいてくる。
顔を覗き込む。
薄汚い笑み。
目を逸らしたい。
でも。
身体が動かない。
『いいか、よく聞け……』
口元が歪む。
『おまえは今日から――奴隷だ』
「…………っ!!」
―――真夜中の、黒の騎士団宿舎。
ロロナは冷や汗まみれになりながら、勢いよく上体を起こした。
「はぁ……っ」
「はぁ……っ……」
息が速い。
胸が苦しい。
暗い部屋には、窓から差し込む月明かりが。
そう、ここは森じゃない。
火もない、兵士もいない。
分かっている。
分かっているのに。
「……」
ロロナは、自分の両腕を抱く。
また、あの夢。
あの時の。
もう終わったことなのに。
あの日、助けてもらった。
あの日から、人生は変わった。
なのに。
記憶だけが。
影のように。
いつまでも。
ついてくる。
―――翌日。
黒の騎士団本部の会議室。
「ぐわぁ~~……」
クレアが机に突っ伏す。
「ようやく、これでホーコクカイは終わりかぁ……」
ユリアは、そんなクレアの伸びきった様子に呆れながら。
「おいおいクレア……まだボク、締めの言葉を言い終えてないんだけど」
「もーいい!腹いっぱい!」
クレアは頭を抱える。
「あたしはもう頭パンクしてんだって!」
サファイア、冷静に書類をまとめながら。
「報告会で満腹になる人間を初めて見た」
「うるせぇな!」
レアは、いつものようにからかうような調子で。
「まあまあ~♪クレアは頭を使うとお腹が減るのでしょう~♪」
「それ庇ってねーだろ!?」
いつものやり取りだ。
いつもの会議、いつもの声。
でも、ユリアは気づいていた。
隣にいるロロナ。
いつも以上に静かだ。
いや、沈んでいると表現した方がいい。
「ロロナ」
「……ん」
「どうした?」
「何か気になることでも?」
ロロナは一瞬。
ユリアを見る。
でも、すぐ目を逸らした。
「……ううん」
「…なんでもない」
少し、間が空いて。
「……少し寝不足なだけ」
クレア、その発言に興味を持つ。
「へ~!お前が夜更かしなんて珍しいな!」
サファイアはクレアを睨む。
「いや、クレアは夜更かしで寝坊しすぎだ」
「普通は週に何度も遅刻しない」
グサッ。
痛いところを突かれてしまった。
「う、うるせーやい!」
クレアは、開き直るように胸を張る。
「あたしだってな!」
言葉に詰まり、少し考える。
「その……」
「アンニュイでノスタルジックな気分?ってやつになることだってあんだよ!」
「それ、本当に意味を分かって使っているのか?」
「たぶん!」
「たぶんで使うな」
「うるせぇぇ!」
二人のやりとりで皆が笑う。
ロロナもほんの少し。
口元を動かした。
でも、ユリアは気づいていた。
笑ったあと…すぐ、目が沈んだことを。
―――黒の騎士団本部から、少し離れた場所。
町、基地、遠くの山など。
それら全部を見渡せる、小さな丘にロロナは来ていた。
ロロナは、昔からこの場所が好きだった。
黒の騎士団へ来てからは、何度もここへ来た。
嬉しい時、悲しい時。
何か特別なことがあった時。
嫌なことがあった時。
理由もなく、一人になりたい時。
草原へ腰を下ろして、景色を見る。
風に吹かれ、その身を任せる。
それだけでも、自分に戻れるような気がした。
「……」
ロロナは、膝を抱える。
遠くに見えるは、騎士団本部。
その向こう、広がる大きな町。
建物の煙突から上がる、穏やかな煙。
「………」
「ロロナ」
後ろから声がする。
振り返ると、そこにはユリアの姿。
「……ユリア」
「…なぜ、ここに?」
ユリアは静かに笑う。
「となり、座ってもいいかな?」
ロロナは少し戸惑うが、頷く。
「……うん」
ユリアは隣に座る。
何も言わない。
ただ、ロロナと同じように景色を眺める。
風に吹かれて、揺れる草。
遠くでは、鳥が仲間と飛んでいる姿。
しばらく、二人とも黙っている。
そしてユリアは。
静かに。
「ロロナ」
「……ん」
「また」
ユリアは、慎重に言葉を探す。
「…例の夢を見たのかい?」
「……!」
ロロナは驚いて、一瞬、固まる。
「……なんで」
「…ロロナ、何も言ってないのに……」
ユリアは、少しだけ困ったように。
優しく笑う。
「ボクと君は、長い付き合いだろ?」
「親友の様子は」
「なんとなく分かるものだよ」
ロロナは前を向く。
しかし、もう景色は見ていない。
そのまま、うつむいてしまう。
「……ユリアが」
小さな声。
「…あの時、助けてくれて」
「黒の騎士団に入って」
「たくさん」
「大切な人ができて」
ロロナは少しだけ。
唇を噛む。
「ロロナは」
「心から、救われたはずなの」
「……」
「なのに」
拳を握る。それは強く、強く。
「なんで」
「まだ、あんな夢を見るのかな……」
それを聞いて、ユリアも下を向く。
「………」
「ロロナは」
「幸せになる資格なんて」
「ないのかな……」
その声は、悲痛に震えている。
秋を告げる冷たい風が。
二人の頬を撫でる。
ユリアは、すぐには答えない。
ロロナの思いに対して。
軽々しく。
「そんなことない」
とは、言えなかった。
それでも…しばらくの間、隣にいる。
そして…
「ロロナ」
「……ん」
ユリアは、懐に手を入れる。
丁寧に折りたたまれた、一枚の紙を取り出した。
「君にね、渡したいものがあるんだ」
ロロナは、何のことか想像がつかない。
不思議そうに、その紙を見つめている。
「……?」
「この前さ」
「皆で、マーシャルハウスの妖精祭に参加しただろ?」
ロロナは、先日のその出来事を思い出す。
そして少し顔を上げる。
「……うん、楽しかったね」
ユリアは、優しく微笑みながら続ける。
「ちょうどね、今日のことだったんだ」
「子どもたちから、お礼の手紙と」
そして、手にある紙を差し出した。
「これが届いた」
ロロナは両手で受け取る。
ゆっくりと、折られた紙を開く。
「………!」
それは、絵だった。
子どもの描いた、少し歪んだ。
色でいっぱいの、妖精祭の様子の絵。
怪獣役のクレア。
猫耳を付けたサファイア。
衣装作りをするレア。
騎士団長役で、皆をまとめるユリア。
妖精役の、たくさんの子どもたち。
そして、その中央。
大きな木の下には。
大妖精の衣装を着たロロナ。
花冠、羽、長い衣装。
そして、その周りを小さな妖精たちに。
たくさん、囲まれている。
絵の中のロロナは、笑っていた。
とても、楽しそうに。
「………」
視界が滲む。
一粒の涙が。
紙に落ちる。
「……あ」
二粒。
三粒。
「……」
止まらない。
ぼろぼろと、涙が落ちる。
ユリアは、何も言わない。
ロロナは。
その絵を、胸に抱く。
「……ロロナ」
喉が詰まる。
「こんな顔、してたんだ……」
ユリアは、ゆっくりと話す。
「うん、ずっと笑ってたよ」
ロロナ。
首を振る。
「知らなかったの」
「ロロナ……こんなに、楽しそうに」
声が、震える。
「笑えるんだ……」
ユリアも、声を絞るように。
「……笑えるよ」
ロロナは泣きじゃくる。
でも、笑ってもいる。
「……昔ね」
「ロロナは、笑うと、怒られた」
ユリアは視線を、少し下げる。
「話すと」
「黙れって言われた」
「目を合わせると」
「何を見てるって」
「……」
「何しても、怒られる気がして」
「何もしないようにして」
「誰にも」
「興味持たないようにして」
「何も」
「欲しがらないようにして」
「……」
絵を、より一層抱きしめる。
「そうしたらね」
「少しだけ、楽だったの」
ユリアは、静かに。
「そっか」
ロロナは、再び絵を見る。
「…でも、今はね」
「みんな、ロロナに笑ってくれる」
「名前を、呼んでくれる」
「またねって」
「言ってくれる」
「……」
涙は、止まらないまま。
「怖いの」
「……何がだい?」
「なくなるのが」
「……」
「こんなに、大切になったら」
「また、全部なくなった時」
声を振り絞るように。
「耐えられないの」
それを聞いて、ユリアの目も潤む。
少し、息を吸う。
「ロロナ」
「……ん」
「ボクは」
少し、空を見上げる。
「君が、幸せになる資格があるかどうか」
「そんなことを決められる立場じゃない」
ロロナは、黙って聞いている。
「……」
「たぶん、誰にも決められない」
ロロナは、顔を上げてユリアを見る。
「でもね、一つ確かなことがある」
「……?」
ユリアは、ロロナが大事に抱えている絵を指す。
「あの子たちは」
「君がそこにいたことを、嬉しかったと思ってる」
「……」
「あの子たちにとっての君は」
「怖いダークエルフでも」
「過去に何かあった人でもない」
「……」
「大妖精をやってくれた」
「ロロナお姉ちゃんだ」
「……!」
ロロナの涙が、また溢れる。
「クレアにとっては」
「一緒に笑ってくれる仲間」
「サファイアにとっては」
「黙っていても隣に居られる仲間」
「レアにとっては」
「からかうと可愛い妹みたいな仲間」
「ボクにとっては」
ユリアは、まっすぐにロロナの目を見る。
「大切な、親友だ」
ロロナの目が、見開く。
「あの日、君を助けたのは」
「君が将来役に立つと思ったからじゃない」
「騎士団に入れようと思ったからでもない」
「ただ、助けたかったんだ」
「……ユリア」
「今も同じだ」
ユリアは、続ける。
「君が強いから、優秀だから」
「守る価値があるから」
「隣にいるんじゃないんだ」
「……」
「大切な、ロロナだから」
「それだけなんだよ」
優しい風が撫でるように。
ロロナのおさげが、揺れる。
「……ずるい」
「えっ?」
「…ユリアって」
ロロナは、涙を拭いながら。
「そういうことを、突然言う」
ユリアは、困ったように笑う。
「ご、ごめんごめん!」
ロロナもつられて、少しだけ笑う。
「……でも、嬉しい」
ユリア、深く頷く。
「うん」
またしばらくの間、二人は座っている。
ロロナは、絵を膝の上に乗せて眺めている。
「…ユリア」
「ん?」
「…あの夢」
「…また、見ると思う」
ユリアも、少しだけ肩を寄せて絵を眺める。
「うん」
「……たぶん」
「すぐには、消えない」
「うん」
「…それでも」
ロロナは、少し言葉に迷う。
「……いいのかな」
ユリアは、優しく尋ねる。
「何がだい?」
「…笑っていても」
「いいよ」
「…楽しんでも」
「いい」
「……幸せになっても」
ユリアは、より力強く。
「いいさ」
ロロナ、声が少し小さくなる。
「……怖がっていても」
ユリアは一瞬、困ったような顔をするが。
最後は、少しだけ笑いながら。
「それもいい」
ロロナは、ユリアに視線を移す。
ユリアは続ける。
「たとえ、怖いままでも」
「嬉しい日は、嬉しく感じていい」
「決して、忘れられないことがあっても」
「新しい思い出を、作っていい」
「……」
「過去が消えないことと」
「今を大切にすることは」
「別の話だよ、ロロナ」
ロロナは、少し戸惑いながら。
ゆっくりと、頷いた。
「……うん」
その時、遠くから声がする。
「おーーーい!!」
二人が振り向くと、丘から降りる坂の下。
三人の団長達の姿があった。
クレアは手を激しく振っている。
「ロロナーー!!」
サファイアはその横で少し呆れながら。
「クレア、声が大きい」
レアは少しなだめるように。
「まあまあ~♪」
クレアは構わず続ける。
「飯行くぞーー!!」
「今日はあたしが奢ってやる!!」
「昨日もそう言って、結局財布を忘れていただろう」
クレアは食い下がる。
「今日は持ってるし!!」
レアは、いつものからかうような笑顔でクレアを覗く。
「本当に~?」
「あるって本当に!!」
ロロナは、そんなみんなの様子を見て。
久しぶりに柔らかい笑顔が戻った。
「……ふふ」
ユリアは立ち上がり、ロロナを見ながら。
「行く?」
ロロナはもう一度、手元の絵を見つめる。
「…うん」
立ち上がり、二人は歩き出す。
少し前にユリア。
その後ろにロロナ。
「……ユリア」
「ん?」
ロロナ、小走りで駆け出して。
少し前だった、ユリアの横に並ぶ。
「…今日はロロナも」
少し恥ずかしいのだろう。
目線は合わせずに。
「…隣、歩く」
ユリアは少し驚いたが。
すぐに、嬉しそうに笑う。
「…うん!」
そして、いつもの五人が合流。
クレアは二人を見比べながら。
「もう、おせーぞ二人とも!」
「…クレア、声うるさい」
サファイアは、少し気遣うように。
「体調はもういいのか?」
ロロナは微笑む。
「…うん」
そして、レアがロロナの顔を覗く。
「あら~?」
レアの観察眼は鋭い。
「目が、赤いですわよ~?」
すぐに見抜かれてしまい、ロロナは驚く。
「……」
レアはいつものからかうような。
それでも、どこか心配しているような口調で。
「…泣きました?」
ロロナ、少し顔が赤くなる。
「…レア」
「はい~?」
「…燃やしていい?」
レアはニコニコ笑いながら。
「まあ怖い♪」
クレアはそんなやり取りを見て、豪快に笑い出す。
「あっははは!!いつものロロナじゃねーか!」
「……ふふ」
ロロナも少し笑う。
ユリアはそれを見ながら、何も言わない。
ふと、ユリアは丘の上を振り返る。
鳥たちが、共に確かめ合うように。
茜色の空に消えて行った。
――その夜、ロロナの自室。
マーシャルハウスの絵を、壁に貼る。
位置としてはベッドの横あたり。
一番よく見える場所。
ロロナは、少しの間眺める。
絵の中で、笑う自分を。
「……」
そして、ゆっくりと横になる。
灯りを消すと、暗闇が訪れる。
でも、壁の絵は月明かりに照らされて。
少しだけ見える。
静かに目を閉じる。
―――暗い森。
―――炎。
―――兵士。
『おまえは今日から――』
また、あの夢だ。
「……」
あの声が、また聞こえる。
でも、反対の方から。
別の声がする。
『ロロナお姉ちゃん!』
『大妖精さん!』
『また来てね!』
そして、また別の声も。
『大切な、親友だ』
ロロナは夢の中で。
目を開く。
燃える森と、兵士たち。
やはりそこにいる。
過去は消えない。
でも、振り返ると少し遠くで。
光が見える。
ロロナは光の方へ。
一歩を、踏み出した。
――翌朝の会議室。
クレアが、やはり眠たそうにうなだれている。
「ふわぁぁ……」
ユリアは呆れながら笑う。
「クレア…少し寝坊したでしょ」
「いやいや!時間は十分間に合ってんだろ!」
サファイアは書類をまとめながら、クレアの跳ねた髪を見る。
「寝癖が酷いぞ、寝坊したのが丸わかりだ」
「細けぇなぁ!」
すると、レアが入室。
いつもの優雅な足取りと笑顔で。
「おはようございます~♪」
その後ろから、ロロナも入る。
「……おはよう」
ユリアは、いつものように微笑みながら。
「おはよう、ロロナ」
ロロナ、少し間を置いて。
「……昨日」
「…久しぶりに、よく眠れたよ」
ユリアは、それを聞いても大げさには喜ばない。
ただ、いつものように優しく微笑む。
「うん、そっか」
「…うん」
ロロナも、小さな笑みを浮かべていた。
――ロロナ・ブラックウッド。
黒の騎士団、唯一のダークエルフ。
その過去は今も、彼女の中にある。
忘れることも、消すこともできない。
でも、誰もが過去だけでできているわけではない。
今日、誰と笑ったか。
誰の隣に座ったか。
誰に名前を呼ばれたか。
誰を大切だと思ったか。
そうした、新しい記憶も少しずつ。
少しずつ、自分自身になっていくのだろう。
壁に飾られた一枚の絵がある。
そこには今日も。
たくさんの妖精たちに囲まれて。
大妖精のロロナ・ブラックウッドが。
幸せそうに、笑っていた。
【プチ後日談】
黒の騎士団本部から丘までは、大体10分足らずで着く。
しかし、ユリアは一人でそこに辿りつくのに30分は要していた。
ユ「おっかしいな…ここを右で…次も右?」




