第九話 最初の戦闘――森の主
翌朝。
久世真奈美から必要最低限の野営道具や救急用品、丈夫な衣類などを受け取った双子は、自宅の玄関へ立っていた。
奏は右手に古民家の鍵を握る。
「行こうか。」
「うん。」
カチリ、と鍵を回す。
昨日と同じように空間へ一枚の扉が現れた。
ドアを開けば、その向こうには日本ではなく、巨大な樹木が生い茂るサイエスの森が広がっている。
爽やかな風が吹き込み、草木の匂いが二人を迎えた。
奏は慎重に周囲を見回す。
「昨日と同じ場所だね。」
『座標固定を確認しました。』
アイリスが即座に報告する。
『周辺の大型魔物反応は消失しています。』
「移動したのかな。」
『可能性は高いです。』
琴子はほっと息をついた。
「じゃあ、まずは入口を目指そう。」
「レベル一のまま最深部にいる理由なんてないし。」
二人は頷き合い、アイリスが示す安全な方角へ歩き始めた。
森は静かだった。
鳥のような鳴き声。
木々を揺らす風。
小川のせせらぎ。
一見すれば平和そのものだ。
しかし、その静けさが逆に不気味でもあった。
十分ほど歩いた頃だった。
アイリスの声が鋭く響く。
『警告。』
『高エネルギー反応接近。』
「え?」
『速度、高。』
『右前方より接近。』
「奏!」
「分かってる!」
次の瞬間。
森の木々を薙ぎ倒しながら巨大な影が飛び出してきた。
全長は五メートル近い。
黒褐色の体毛。
額には一本の巨大な角。
鋭い牙を持つ四足獣。
その咆哮だけで空気が震えた。
「な……。」
奏が言葉を失う。
アイリスが即座に解析を開始する。
『対象解析。』
『《フォレストホーン》。』
『初心者の森最深部を縄張りとするボスクラス個体。』
『推奨レベル二十五以上。』
「……。」
「……。」
双子は固まった。
「レベル。」
奏が乾いた声で尋ねる。
『現在、レベル一です。』
「だよね。」
琴子は冷静に結論を出した。
「逃げる。」
「賛成。」
二人は踵を返した。
しかし。
ドゴォン!
背後で巨木が倒れる。
魔物は信じられない速度で距離を詰めてきた。
『逃走成功率。』
『九・七%。』
「低い!」
「低すぎ!」
奏は周囲へ視線を走らせる。
研究者として培った癖だった。
まず周囲を見る。
地形。
障害物。
利用できるもの。
全てを観察する。
「アイリス!」
『はい。』
「倒す方法じゃない!」
「時間を稼ぐ方法!」
『検索。』
『周辺地形解析。』
『前方二十七メートル地点に崩落した岩場を確認。』
『大型個体の進路が制限されます。』
「そこ!」
「走るよ!」
二人は全力で駆け出した。
巨体の魔物が猛然と追ってくる。
岩場へ飛び込んだ奏は、周囲を見回す。
大岩が幾重にも重なり、狭い隙間がいくつもできていた。
「この体じゃ入れない。」
「時間は稼げる。」
フォレストホーンは角を岩へ叩きつける。
轟音と共に石が砕け散る。
「力任せ!」
奏は息を整えながら呟く。
「なら逆に利用できる。」
彼女は落ち着いて岩の配置を観察した。
重心が偏った岩。
角が当たれば崩れそうな場所。
「琴子。」
「うん。」
「誘導する。」
「了解。」
琴子は魔物の注意を引くように反対側へ移動する。
その間に奏は岩陰へ身を滑り込ませた。
「今!」
魔物が突進する。
角が岩へ激突した瞬間、大きくバランスを崩した。
その衝撃で積み重なっていた岩が連鎖的に崩れ落ちる。
轟音。
土煙。
巨大な岩石が次々と魔物の上へ降り注いだ。
地面が揺れる。
森中へ響く衝撃音。
しばらくして静寂が戻ると、フォレストホーンは岩の下敷きとなり、動かなくなっていた。
『生命反応消失。』
『対象の討伐を確認。』
二人はしばらく動けなかった。
「……。」
「……。」
奏がその場へ座り込む。
「勝った……?」
『討伐判定を確認しました。』
『経験値を獲得。』
青い光が二人を包む。
身体が少し軽くなる。
『レベルアップ。』
奏は苦笑した。
「いきなりボス戦とか。」
「初心者に優しくない。」
「ゲームだったら炎上案件だよ。」
琴子も肩で息をしながら笑う。
「本当に。」
「邪神の性格がよく分かる。」
アイリスが冷静に告げる。
『推奨します。』
『本日の探索は終了してください。』
「私もそう思う。」
奏は立ち上がる。
「初戦でこれじゃ。」
「もっと準備が必要。」
「うん。」
「装備も知識も足りない。」
奏は古民家の鍵を取り出した。
鍵穴のない空間へ鍵を差し込むと、再び見慣れた玄関扉が現れる。
「今日は帰ろう。」
「反省会だね。」
「次は。」
奏は森を振り返る。
「もっと準備してから来る。」
双子は日本の自宅へ戻っていく。
初めてのレベリングは、予定外のボス戦という最悪の幕開けとなった。
だが同時に二人は学んだ。
この世界では、力だけでは生き残れない。
周囲を観察し、冷静に判断し、持っている知識を最大限活用すること。
それこそが、自分たち二人にとって最大の武器なのだと。




