第七話 最初の投資
応接間には静かな空気が流れていた。
真奈美の言葉を聞いた奏は、紅茶のカップを手に取りながらゆっくりと考えを巡らせる。
異世界サイエス。
邪神。
地球との時間差。
そして異世界貿易。
どれも常識では考えられない話ばかりだ。しかし、実際に体験してしまった以上、現実として受け止めるしかない。
琴子はテーブルに置かれたメモ帳へ、今までの情報を整理し始めていた。
癖だった。
投資案件でも、新規事業でも、まずは情報を書き出し、整理する。
感情ではなく、数字と事実で判断する。
「現状をまとめるね。」
真奈美が頷く。
「お願い。」
琴子はペンを走らせた。
---
【現状】
・異世界サイエスへ自由に往復可能
・時間比率 一対三十
・異世界貿易が可能
・複製能力あり
・アイテムボックスあり
・サポートAIあり
・邪神討伐が最終目的
---
「まず必要なのは。」
琴子は一つずつ丸を付けていく。
「生活基盤。」
「武器。」
「資金。」
「情報。」
奏も補足する。
「あと経験。」
「いきなり邪神なんて無理。」
「まずは生き残らないと。」
真奈美は満足そうに頷いた。
「二人とも焦ってないのがいいわ。」
「勝負は長期戦になるもの。」
「一年でも。」
「十年でも。」
「時間を味方につければいい。」
時間。
その言葉に奏が笑う。
「サイエスなら十年いても、地球じゃ四か月くらいだもんね。」
「そういうこと。」
真奈美も笑みを浮かべた。
「なら、その時間を最大限利用しましょう。」
琴子がメモへ新たな項目を書き込む。
---
【優先順位】
第一 安全確保
第二 収入源
第三 装備強化
第四 仲間集め
第五 邪神対策
---
「これで行こう。」
「異論なし。」
奏も頷く。
すると真奈美が指を一本立てた。
「その前に。」
「うん?」
「資金はいくらあるの?」
双子は顔を見合わせた。
「貯金は。」
「二人合わせて一千二百万くらい。」
「住宅ローンなし。」
「車なし。」
「奨学金も完済。」
真奈美は少し驚いた。
「しっかり貯めたわね。」
「施設育ちだから。」
奏は肩を竦める。
「お金がない怖さは知ってる。」
「無駄遣いもしないし。」
「投資はしてるけど。」
琴子が付け加える。
真奈美は嬉しそうに笑った。
「いい心掛けね。」
「でも。」
「そのお金は極力使わないこと。」
「え?」
「どうして?」
琴子が首を傾げる。
「異世界貿易が成功したら。」
「日本円なんて、すぐ稼げる。」
「なら。」
「最初の元手だけ用意して。」
「後は商売で回す。」
奏が納得したように頷く。
「事業資金か。」
「そう。」
「会社を作る感覚。」
真奈美はそう言うと立ち上がった。
「ちょっと待ってて。」
応接間を出て数分。
戻ってきた真奈美の手には、一冊の分厚い通帳と封筒があった。
それを双子の前へ置く。
「え?」
「真奈美さん?」
「これは。」
「投資。」
あまりにも自然に言われ、二人は固まる。
「投資?」
「そう。」
真奈美は穏やかに微笑む。
「あなた達なら。」
「きっと成功する。」
「だから先行投資。」
封筒を開ける。
中には一枚の小切手。
金額を見た奏は思わず二度見した。
「…………。」
「一。」
「十。」
「百。」
「千。」
「一億。」
「一億円!?」
思わず立ち上がる。
「ちょっ、真奈美さん!?」
「多すぎる!」
琴子も慌てる。
「受け取れません!」
「返済計画も立ててません!」
「返さなくていいわ。」
「え?」
「出資だから。」
真奈美はさらりと言った。
「あなた達の異世界商会へ出資。」
「利益が出たら、その時に考えましょう。」
琴子は額へ手を当てた。
「そんな簡単に一億……。」
「簡単じゃないわ。」
真奈美は静かに笑う。
「でもね。」
「私は。」
「人を見る目だけは自信がある。」
双子を見る。
「あなた達は。」
「絶対に途中で逃げない。」
「だから投資する価値がある。」
奏は言葉を失った。
施設を出てから。
ここまで信じてもらえたことは、そう多くない。
真奈美は続ける。
「もちろん。」
「全部使えとは言わない。」
「必要な分だけ使いなさい。」
「残りは私が管理する。」
「それなら。」
琴子は少し考えた後、小さく頭を下げた。
「お預かりします。」
「ありがとうございます。」
「その代わり。」
「必ず結果で返します。」
真奈美は満足そうに頷いた。
「期待してる。」
そこへアイリスが割って入る。
『提案があります。』
「何?」
『現時点で一億円を武器へ使用することは非推奨です。』
「理由は?」
『奏様は鍛冶師です。』
その一言で。
三人ともアイリスを見た。
『高額な完成品を購入するより。』
『設備へ投資した方が、長期的利益は大幅に向上します。』
奏が目を見開く。
「設備……。」
『鍛冶場。』
『加工設備。』
『素材。』
『工作機械。』
『計測機器。』
『これらは地球側で準備可能です。』
研究者だった奏の思考が、一気に切り替わる。
「なるほど。」
「私は作る側か。」
『はい。』
『現代工学と異世界鍛冶技術の融合。』
『これが奏様最大の強みになります。』
真奈美は楽しそうに笑った。
「ふふ。」
「面白くなってきたわね。」
琴子も頷く。
「私は資金管理。」
「奏は開発責任者。」
「異世界で販路を作る。」
「役割分担も決まったね。」
奏は大きく頷いた。
幼い頃から、二人はそうやって生きてきた。
考える姉。
作る妹。
互いに足りない部分を補い合いながら歩んできた。
そして、その才能は異世界でも変わることはない。
真奈美はそんな二人を見つめ、小さく微笑んだ。
(……きっと、この子たちなら。)
(神すら予想できない未来を作る。)
その確信は、不思議と揺らぐことがなかった。




