第三十七話 異世界貿易、始めます
翌朝。
始まりの町にある宿屋の一室には、朝の光が薄いカーテンの隙間から差し込んでいた。
地球であれば、奏はとっくに起きていただろう。研究所へ出勤するために身支度を整え、眠気を抱えたまま電車に揺られ、職場へ向かっていたはずだ。琴子も同じように会社へ出勤し、数字と資料と人間関係に囲まれながら一日を過ごしていたに違いない。
けれど、今の二人には、出勤するべき会社もなければ、満員電車もない。
代わりにあるのは、魔物が存在し、魔法が存在し、剣と冒険者が当たり前のように存在する異世界だった。
しかも、その世界で二人は、ただ生き残るだけではなく、世界そのものの謎に足を踏み入れようとしている。
自分たちを召喚した自称神。
この世界で語られる邪神。
過去に召喚された異世界人。
そして、レオンが受けた神託。
それらが本当に一つの線で繋がっているのなら、二人がこれから調べることは、単なる冒険者としての情報収集では済まない。
下手をすれば。
この世界そのものを敵に回す可能性すらある。
そんな重大な問題を抱えているというのに。
「……」
奏は、机の上に広げた紙を眺めていた。
紙。
その上に描かれているのは、銃だった。
ただし、普通の銃ではない。
長い銃身。
複雑な歯車。
魔石を収めるための機構。
蒸気機関を思わせる外観。
そして、銃口部分には円形の魔法陣が描かれている。
さらに、その周囲には、三重の輪が重なるように設計されていた。
奏が昨夜からずっと考えていた、魔法陣銃の設計図である。
「……」
琴子は、向かい側の椅子に座りながら、その設計図を眺めていた。
「奏」
「何?」
「これは」
「うん」
「本当に銃ですか?」
「銃だよ」
「……」
琴子は、もう一度設計図を見た。
銃身の横に巨大な歯車があり、後方には魔石を装着するための円筒形の装置がある。銃口には魔法陣展開用の魔力回路があり、さらに魔力の流れを安定させるための補助回路まで描かれている。
もはや。
銃というより。
小型の魔導兵器だった。
「これ」
「うん」
「重くないんですか?」
「重いと思う」
「……」
「でも」
「……」
「格好いい」
奏は真顔で言った。
琴子は。
黙った。
「……」
「……」
「奏」
「何?」
「あなたは」
「……」
「本当に」
「……」
「昔から変わりませんね」
「そう?」
「はい」
琴子は深々と息を吐いた。
姉である琴子から見れば、妹の奏は昔からそうだった。
奏は、何かを作ることが好きだった。
幼い頃には、壊れた玩具を分解していた。
小学生になると、家電を分解して怒られた。
中学生になれば、古いパソコンを改造し始めた。
高校生になる頃には、もはや家の中に見たこともない工具が増えていた。
そして大学では電子工学を専攻し、研究所に勤務するまでになった。
その一方で、歴史や軍事戦術にも異様なほど詳しい。
本人曰く、趣味の一環らしい。
琴子からすれば、どう考えても趣味の範囲を超えている。
そんな妹が。
異世界に来た。
魔法という未知の技術を知った。
そして。
魔法と科学を組み合わせた武器を作ろうとしている。
止まるわけがなかった。
「まあ」
琴子は、諦めたように言った。
「作るなとは言いません」
「本当?」
「ええ」
「やった」
「ただし」
「……」
「予算管理は私がします」
「……」
「材料費も」
「……」
「魔石の購入費も」
「……」
「工具の購入費も」
「……」
「そして」
「……」
「あなたが勝手に作る試作品の費用も」
「……」
奏の顔が。
少しだけ曇った。
「……」
「琴子」
「何です?」
「異世界貿易って」
「……」
「儲かるかな?」
「儲けます」
琴子は即答した。
その言葉には。
金融会社で働いていた人間としての、妙な迫力があった。
「……」
「私たちは」
琴子は、机の上に並べた物を見た。
そこには、昨夜のうちに整理した異世界産の素材が並んでいる。
魔石。
薬草。
魔物の素材。
鉱石。
そして、ゲーム内で入手したアイテム。
さらに、二人がサイエスで実際に手に入れた物資。
それらを一つ一つ眺めながら、琴子は静かに考えていた。
「地球では」
「……」
「これらの多くが存在しません」
「うん」
「少なくとも」
「……」
「私たちが知る限りでは」
「……」
「魔石なんて」
「……」
「売り物として存在しませんからね」
「……」
奏も。
魔石を見つめた。
半透明の結晶。
内部には、まるで液体のような光が閉じ込められている。
魔力を持つ鉱物。
サイエスでは、珍しいものではない。
しかし。
地球に持ち帰れば。
話は変わる。
「……」
「問題は」
琴子が言った。
「どうやって売るかです」
「普通に売れば?」
「普通に?」
「うん」
「どこで?」
「……」
奏が。
黙った。
「……」
「ですよね」
琴子はため息を吐いた。
「異世界の魔石です、なんて言って」
「……」
「誰が信じます?」
「……」
「それに」
琴子は。
魔石を指先で持ち上げた。
「これは」
「……」
「地球の法律上」
「……」
「何に分類されるんでしょう?」
「……」
「鉱物?」
「……」
「新種の物質?」
「……」
「危険物?」
「……」
「それとも」
「……」
「そもそも」
琴子は。
魔石をじっと見た。
「地球に存在してはいけない物質?」
「……」
奏は。
少しだけ。
真剣な顔になった。
「それは」
「……」
「面倒だね」
「はい」
「じゃあ」
「……」
「どうする?」
琴子は。
静かに笑った。
「だから」
「……」
「専門家に売ります」
「……」
「専門家?」
「はい」
「誰?」
「……」
琴子は。
少しだけ。
考えた。
「久世さん」
「……」
「真奈美?」
「そうです」
「……」
「久世真奈美さん」
その名前が出た瞬間。
奏の顔が。
僅かに緩んだ。
久世真奈美。
二人が幼い頃から世話になってきた人物。
祓い屋。
そして。
異常なほど広い人脈を持つ人物。
表向きには、怪異や霊障を扱う祓い屋として知られている。
しかし、その実態は。
金持ちだった。
しかも。
ただの金持ちではない。
古くから続く家系。
広い人脈。
企業関係者。
研究者。
政治家。
宗教関係者。
裏社会に近い人間。
そして。
表には出ない特殊な業界。
ありとあらゆるところに。
久世真奈美の人脈が存在している。
「真奈美さんなら」
琴子は言った。
「売却先を見つけてくれる可能性があります」
「……」
「それに」
「……」
「私たちが異世界にいることを知っている数少ない人間ですから」
「……」
奏は。
少し考えた。
「……」
「でも」
「……」
「真奈美さん」
「何です?」
「怒らないかな?」
「何に対して?」
「私たちが勝手に異世界へ行って」
「……」
「勝手に帰ってきて」
「……」
「また勝手に異世界へ行くこと」
「……」
琴子は。
無言になった。
そして。
ゆっくり。
奏を見た。
「……」
「何?」
「奏」
「うん」
「怒られますよ」
「……」
「確実に」
「……」
奏は。
視線を逸らした。
「……」
「ですよね」
「はい」
その瞬間。
『お二人とも』
アイリスの声が響いた。
奏と琴子が。
同時に。
顔を上げる。
『提案があります』
「何?」
『異世界貿易についてです』
「……」
琴子が。
興味深そうに。
アイリスへ意識を向けた。
「続けてください」
『サイエスの物品を地球へ持ち帰り、地球で販売する場合、問題が発生する可能性があります』
「……」
『しかし』
「……」
『逆方向の取引も可能です』
奏が。
瞬きをした。
「……」
「逆?」
『はい』
「地球からサイエスへ」
『その通りです』
「……」
琴子の目が。
変わった。
『地球の物品をサイエスで販売する』
「……」
「……」
「……」
奏と琴子は。
互いに顔を見合わせた。
そして。
ほぼ同時に。
「……」
「それだ」
奏が。
呟いた。
琴子の口元には。
笑みが浮かんでいる。
「なるほど」
「……」
「そういうことですか」
『はい』
「……」
『お二人は、地球の物品を大量に購入することが可能です』
「……」
『そして』
「……」
『アイテムボックスを利用すれば』
「……」
『大量輸送が可能です』
「……」
「……」
琴子は。
机の上に置かれた魔石を見た。
そして。
地球側にある物を思い浮かべる。
服。
食品。
医薬品。
調理器具。
文房具。
工具。
電化製品。
日用品。
化粧品。
キャンドル。
そして。
武器。
ただし。
武器については。
日本国内の法律が絡む。
簡単には入手できない。
しかし。
サイエスでは。
武器は普通に売られている。
剣。
槍。
弓。
魔法杖。
魔道具。
地球では。
手に入らない物が。
いくらでも存在する。
「……」
「琴子」
「はい」
「これ」
「……」
「めちゃくちゃ儲かるんじゃない?」
「……」
琴子は。
妹を見る。
「……」
「奏」
「うん」
「あなた」
「……」
「やっと気づきましたか」
「……」
「……」
「え?」
「私たち」
「……」
「ものすごく」
「……」
「商売に向いていますよ」
「……」
「……」
奏は。
目を丸くした。
琴子は。
さらに続けた。
「私には」
「……」
「金融の知識があります」
「……」
「あなたには」
「……」
「電子工学の知識があります」
「……」
「そして」
「……」
「私たちは」
「……」
「異世界の品を」
「……」
「自由に売買できる」
「……」
「……」
琴子の目が。
完全に。
商人の目になっていた。
「これ」
「……」
「本気でやれば」
「……」
「私たち」
「……」
「大金持ちになれますね」
「……」
奏は。
少しだけ。
考えた。
「……」
「お金持ち」
「はい」
「……」
「研究設備」
「……」
「買える?」
「買えます」
「……」
「魔法陣銃」
「……」
「作れる?」
「作れます」
「……」
「じゃあ」
「……」
奏は。
にっこり笑った。
「やろう」
「……」
琴子も。
笑った。
「ええ」
「……」
「やりましょう」
『異世界貿易事業の開始を推奨します』
「……」
アイリスまで。
妙に乗り気だった。
その日の午後。
二人は。
地球へ戻った。
白い世界を経由することもなく。
特別な魔法陣を使うこともなく。
ただ。
奏が。
ポケットから。
自宅の鍵を取り出した。
「……」
奏は。
それを。
目の前にある空間へ向けた。
鍵穴など。
存在しない。
扉も。
存在しない。
それでも。
奏は。
何の迷いもなく。
鍵を回した。
カチャリ。
小さな音がした。
次の瞬間。
空間に。
見慣れた扉が現れた。
「……」
奏は。
その扉を。
ゆっくり開けた。
向こう側には。
見慣れた。
日本の自宅がある。
そして。
「……」
「……」
「帰ってきた」
奏が。
呟いた。
琴子も。
扉の向こうを見つめる。
日本。
自分たちが。
二十五年間生きてきた世界。
たった一日。
いや。
サイエス時間では。
すでに。
三十日以上が過ぎている。
それでも。
地球では。
ほんの短い時間しか経過していない。
不思議な感覚だった。
奏は。
自宅へ入った。
靴を脱ぐ。
見慣れた玄関。
見慣れた廊下。
見慣れた家具。
何も変わっていない。
「……」
「奏」
「うん?」
「まず」
「……」
「久世さんに連絡しましょう」
「……」
「……」
「……」
「奏?」
「……」
「どうしました?」
「……」
「私」
「……」
「ちょっとだけ」
「……」
「寝たい」
「……」
「……」
琴子は。
呆れた。
「あなた」
「……」
「サイエスに戻って」
「……」
「一日も経っていないんですよ?」
「……」
「でも」
「……」
「気持ち的には」
「……」
「一ヶ月くらい」
「……」
奏は。
真剣だった。
琴子は。
少しだけ。
考えた。
「……」
「まあ」
「……」
「分からなくもありません」
「……」
実際。
サイエスで過ごした時間は。
決して短くない。
戦闘。
レベリング。
ゲーム世界での経験。
ボス戦。
異世界での生活。
そして。
邪神の存在。
濃密すぎる時間だった。
「……」
「でも」
琴子は。
スマートフォンを取り出した。
「久世さんには」
「……」
「連絡します」
「……」
「はい」
「……」
「それから」
「……」
「貿易の準備です」
「……」
「……」
「奏」
「何?」
「あなた」
「……」
「寝る前に」
「……」
「一つだけ」
「……」
「聞いてください」
「……」
「魔法陣銃」
「……」
「作るのは」
「……」
「いいです」
「……」
「でも」
「……」
「その前に」
「……」
「売れる物を探してください」
「……」
奏は。
しばらく。
黙った。
「……」
「分かった」
「本当ですか?」
「うん」
「……」
「じゃあ」
「……」
「魔石を」
「……」
「解析する」
「……」
「……」
「奏」
「何?」
「話を聞いていましたか?」
「聞いてるよ」
「……」
「解析して売る」
「……」
「それ」
「……」
「一番効率良くない?」
「……」
琴子は。
頭を抱えた。
しかし。
その一方で。
確かに。
妹の言うことも間違っていない。
異世界の物をそのまま売るのではなく。
地球の技術で解析し。
価値を付加してから売る。
それなら。
ただの魔石ではなく。
新素材として。
研究機関などに売却できる可能性もある。
「……」
「奏」
「うん」
「あなた」
「……」
「やっぱり」
「……」
「商売向きかもしれませんね」
「……」
「本当?」
「はい」
「……」
「ただし」
「……」
「あなた一人に任せると」
「……」
「確実に」
「……」
「研究費で破産します」
「……」
「……」
「それは」
「……」
「否定できない」
「……」
こうして。
二人の異世界貿易計画は。
静かに。
始まった。
しかし。
この時。
二人はまだ知らなかった。
異世界の魔石を。
地球の研究機関へ持ち込むということが。
どれほど大きな騒ぎを引き起こすのか。
そして。
それ以上に。
異世界の品物を。
地球へ持ち込むだけではなく。
地球の品物を。
サイエスへ持ち込むことが。
どれほど世界を変えるのか。
サイエスには。
まだ。
電気が一般的ではない。
銃も。
存在はするが。
地球の現代兵器とは比較にならない。
科学技術も。
地球とは違う方向へ進んでいる。
魔法があるからこそ。
科学が発展しなかった分野も多い。
なら。
そこへ。
地球の知識を。
持ち込んだら。
どうなるのか。
琴子は。
すでに。
その可能性に気づいていた。
そして。
奏は。
別のことを考えていた。
「……」
机の上。
そこには。
魔石が一つ。
置かれている。
奏は。
それを見つめる。
「……」
魔力を。
電気に変換できるか。
あるいは。
電気を。
魔力に変換できるか。
もし。
その二つを。
相互変換できるなら。
魔法と科学の融合は。
ただの武器開発では終わらない。
エネルギー革命。
通信技術。
医療。
輸送。
製造。
そして。
軍事。
世界そのものを。
変えることができる。
「……」
奏は。
ゆっくり。
笑った。
「……」
「楽しそうですね」
琴子が。
呆れたように。
言う。
「うん」
「……」
「ものすごく」
「……」
その時。
奏のスマートフォンが。
鳴った。
「……」
奏が。
画面を見る。
「……」
「誰ですか?」
「……」
「真奈美」
「……」
「え?」
「……」
「久世さんから?」
「うん」
奏は。
通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『奏ちゃん?』
「うん」
『……』
「……」
『帰ってきたわね?』
「……」
「……」
「……」
奏と琴子は。
互いに顔を見合わせた。
『二人とも』
「……」
『今すぐ』
「……」
『私のところに来なさい』
「……」
『話があります』
「……」
通話が。
切れた。
「……」
「……」
奏は。
スマートフォンを見つめる。
「……」
琴子も。
同じように。
見つめる。
「……」
「……」
「怒ってる?」
奏が。
恐る恐る。
尋ねた。
「……」
「間違いなく」
琴子が。
答えた。
「……」
「……」
そして。
二人は。
ほぼ同時に。
ため息を吐いた。
異世界へ行くよりも。
邪神と戦うよりも。
魔物と戦うよりも。
もしかすると。
二人にとって一番恐ろしい戦いが。
今。
始まろうとしていた。
久世真奈美。
双子の後見人。
祓い屋。
そして。
異常なほどの人脈と財力を持つ。
最強の保護者。
その人物に。
異世界へ行っていたことを。
どう説明するのか。
「……」
「琴子」
「何です?」
「一緒に怒られてくれる?」
「……」
「当たり前でしょう」
「……」
琴子は。
静かに。
妹の頭を。
軽く叩いた。
「私たちは」
「……」
「双子なんですから」
「……」
「怒られる時も」
「……」
「一緒ですよ」
奏は。
少しだけ。
笑った。
「うん」
そして。
二人は。
久世真奈美のもとへ向かう。
その手には。
異世界から持ち帰った。
魔石が一つ。
そして。
これから始まる。
異世界貿易の。
最初の商品候補が。
握られていた。
しかし。
久世真奈美が。
二人から聞かされる話は。
彼女がこれまで知っていた。
どんな怪異よりも。
どんな呪物よりも。
遥かに。
規格外のものだった。
異世界。
魔法。
神。
邪神。
そして。
誤召喚。
そのすべてを聞いた時。
久世真奈美は。
果たして。
どんな反応をするのか。
二人は。
まだ。
知らなかった。




