第三十四話 追跡者の正体
始まりの町の朝は、思っていたよりも静かだった。
もちろん、完全な静寂というわけではない。窓の外からは、朝早くから開店準備を始める商店の店主たちの声が聞こえ、石畳の大通りを荷馬車が進むたびに車輪が一定の間隔で音を立て、冒険者ギルドの方角からは、昨日の夜に酒を飲み過ぎた冒険者らしき男が、二日酔いの頭を抱えながら何やら文句を言っている声まで聞こえてくる。
そんな、ごく普通の朝だった。
少なくとも。
町の中だけを見ている限りは。
しかし。
有平奏と有平琴子の二人だけは。
その平穏な朝の裏側に。
明らかな違和感を感じ取っていた。
「……」
奏は、宿屋の窓際に立ったまま、じっと外を見ていた。
昨日までならば、ただ何気なく町の風景を眺めていただろう。しかし、今の奏には、以前とは違う感覚がある。
【気配察知】。
そして。
【探索】。
昨日、ボーナスポイントを使って取得したばかりの二つのスキルだった。
それらのスキルは、まるで奏の感覚そのものを拡張するかのように、周囲の情報を脳へ送り込んでくる。
人の気配。
魔力の流れ。
生き物の存在。
そして。
自分たちに向けられた視線。
以前の奏ならば、そんなものを感じ取ることなどできなかった。
だが今は違う。
窓から見える景色の中に、明らかに異質なものが混ざっている。
「……まだいる」
奏が呟く。
その声に、部屋の中で準備をしていた琴子が顔を上げた。
「同じ人物ですか?」
「たぶん」
「位置は?」
「町の外」
「どの方向です?」
「……東」
奏は目を細めた。
「昨日の森とは逆」
「……」
「始まりの町に入ってきたのかな」
「その可能性はありますね」
琴子は、静かに窓へ近づいた。
奏の隣に並び、外を見る。
しかし。
琴子には。
普通の町の景色しか見えない。
行き交う人々。
商店。
冒険者。
荷馬車。
そして。
町の門。
それだけだった。
「……私には見えません」
「うん」
「ですが、奏には分かるんですね?」
「気配は分かる」
「姿は?」
「分からない」
「……」
琴子は少し考えた。
「なら」
「うん」
「追跡されているということは確定でしょうか?」
「……」
奏は黙った。
そして。
少しだけ。
首を傾げる。
「……たぶん」
「たぶん?」
「いや」
奏は自分の感覚を確認するように、ゆっくりと目を閉じた。
「……」
町の中に。
多くの気配がある。
宿屋の客。
店員。
冒険者。
通行人。
それらの気配とは。
明らかに異なる。
一つだけ。
こちらを意識している存在がいる。
その人物は。
奏たちが動くたびに。
距離を変えている。
遠すぎず。
近すぎず。
一定の距離を保っている。
「……追ってる」
「分かりますか?」
「うん」
「どうして?」
「私たちが動くと、向こうも動く」
「……」
「私たちが止まると、向こうも止まる」
「……」
「だから」
奏は。
目を開いた。
「追跡してると思う」
「……なるほど」
琴子は腕を組んだ。
「問題は」
「うん」
「目的ですね」
「……」
「私たちが異世界人だから?」
「それなら」
「はい」
「もっと早く襲ってくると思う」
「……」
「ギルドで鑑定されたから?」
「可能性はあります」
「でも」
奏は。
窓の外を見ながら言った。
「それなら、ギルドから出た直後に来るはず」
「……」
「なのに」
「……」
「昨日の夜から今日まで」
「……」
「ずっと距離を取ってる」
「……」
琴子は。
黙って考え込んだ。
確かに。
奏の言う通りだった。
敵意を持っているなら。
なぜ。
直接接触してこないのか。
尾行する必要があるのか。
それとも。
敵意そのものが。
まだないのか。
「……」
琴子は。
静かに口を開いた。
「奏」
「うん」
「【鑑定】を使ってみてください」
「……」
「対象を鑑定できるかどうか」
「……」
「確認してみましょう」
「分かった」
奏は。
意識を集中させた。
【鑑定】。
そのスキルを発動する。
視界が。
一瞬。
変わった。
普段ならば。
ただの町並みとして見えていた景色の中に。
さまざまな情報が重なって表示される。
人間。
冒険者。
商人。
子供。
老人。
魔力反応。
装備。
種族。
レベル。
その中で。
奏は。
一つの存在を探した。
「……」
見つけた。
「……いた」
「どこです?」
「東門」
「……」
「今、門を通った」
「……」
「こっちに向かってる」
「……」
琴子の表情が。
少しだけ。
険しくなる。
「こちらへ?」
「うん」
「直接来るつもりでしょうか」
「……」
「奏?」
「……」
奏は。
じっと。
対象を見ていた。
鑑定によって。
その人物の情報が。
少しずつ。
表示されていく。
名前。
種族。
年齢。
職業。
レベル。
装備。
スキル。
そして。
称号。
しかし。
「……」
奏の表情が。
次第に。
変わっていく。
「……どうしました?」
「……」
「奏」
「……」
「鑑定できない」
「え?」
「いや」
奏は。
画面を確認する。
「できるんだけど」
「はい」
「名前が」
「……」
「表示されない」
「……」
「レベルも」
「……」
「職業も」
「……」
「全部」
奏は。
ゆっくり。
言った。
「???」
「……」
琴子は。
眉をひそめた。
「鑑定阻害ですか?」
「分からない」
「なら」
「……」
奏は。
さらに。
鑑定を深くする。
しかし。
結果は。
同じだった。
名前。
不明。
種族。
不明。
レベル。
不明。
職業。
不明。
スキル。
不明。
装備。
不明。
ただ。
一つだけ。
表示された。
「……」
「何か分かりました?」
「……」
「奏?」
「称号」
「……」
奏は。
ゆっくり。
画面を読む。
「……」
そして。
その顔から。
表情が消えた。
「……」
「どうしました?」
「……」
「奏」
「……」
「何が見えたんです?」
「……」
奏は。
琴子を見る。
「……」
「……」
「……」
「琴子」
「はい」
「これ」
「……」
「私たち」
「……」
「ヤバい人に目を付けられたかもしれない」
「……」
琴子の顔からも。
笑顔が消えた。
「……何と表示されています?」
「……」
奏は。
もう一度。
画面を見る。
そして。
表示された文字を。
読み上げた。
「……」
「【神託を受けし者】」
「……」
琴子は。
黙った。
「……」
「……」
「……」
部屋の中に。
重い沈黙が落ちる。
神託。
その言葉が。
二人にとって。
ただの宗教的な意味を持つ言葉ではない。
なぜなら。
二人は。
神を知っている。
いや。
正確には。
自称神。
邪神。
あの発光体。
あの存在に。
召喚された。
そして。
あの存在は。
MMORPG【フロンティア】の神だと。
自称していた。
それが。
このサイエス世界と。
どのような関係にあるのか。
二人は。
まだ。
何も知らない。
「……」
琴子が。
静かに口を開く。
「奏」
「うん」
「その称号」
「……」
「本当に表示されたんですね?」
「うん」
「見間違いでは?」
「……」
「ありませんか?」
「ない」
「……」
琴子は。
考える。
「神託を受けし者」
「うん」
「つまり」
「……」
「この人物は」
「……」
「何らかの神から」
「……」
「指示を受けている?」
「たぶん」
「……」
琴子は。
窓の外を見る。
「なら」
「……」
「問題です」
「うん」
「私たちは」
「……」
「この世界の神と」
「……」
「敵対する可能性があります」
奏は。
少し考えた。
「……」
「そうかも」
「……」
「でも」
「……」
奏は。
静かに。
銃を手に取った。
「まだ」
「……」
「敵だって決まったわけじゃない」
「……」
「そうですね」
「うん」
「なら」
「……」
「どうします?」
琴子は。
奏を見る。
奏も。
琴子を見る。
二人は。
同時に。
ほとんど同じ結論に。
辿り着いた。
「会う」
「……」
琴子が。
静かに言う。
「会ってみましょう」
「うん」
「目的を確認します」
「うん」
「敵意があるなら」
「……」
「その時は」
「……」
奏が。
銃を握る。
「倒す」
「……」
「ただし」
「はい」
「殺すとは限りません」
「……」
「情報を聞き出す必要があります」
「……」
琴子の目が。
鋭くなる。
「その通りです」
「……」
「それに」
「うん」
「もし」
「……」
「本当に神託を受けた人物なら」
「……」
「この世界の神について」
「……」
「何か知っている可能性があります」
「……」
「なら」
琴子は。
微笑んだ。
「利用しましょう」
「……」
「……琴子」
「何です?」
「今」
「はい」
「すごい悪い顔してる」
「……」
「気のせいです」
「……」
「絶対違う」
「……」
「気のせいです」
奏は。
妹の顔を見ながら。
小さく笑った。
こういう時。
琴子は。
怖い。
外面だけなら。
誰が見ても。
礼儀正しく。
上品で。
落ち着いた女性だ。
しかし。
その内側。
特に。
奏の前では。
別人になる。
そして。
琴子が。
本気で何かを企んでいる時。
奏は。
昔から。
そのことを。
よく知っていた。
「……」
琴子は。
机の上に。
自分の装備を並べた。
ゲームから引き継いだ装備。
そして。
地球から持ち込んだ品。
それらを確認する。
「奏」
「うん」
「念のため」
「……」
「【アイテムボックス】の中身を確認しておきましょう」
「分かった」
二人は。
同時に。
自分たちの装備を確認する。
ゲーム内で入手した武器。
防具。
回復アイテム。
食料。
ポーション。
魔石。
素材。
そして。
地球から持ち込んだ。
様々な物品。
それらは。
すべて。
現実のサイエスへ。
引き継がれている。
「……」
「……」
「……」
奏は。
アイテムボックスの中身を確認しながら。
少しずつ。
表情を変えていった。
「……」
「どうしました?」
「……」
「奏?」
「……」
「……」
「琴子」
「はい」
「……」
「何です?」
「……」
「これ」
奏が。
一つのアイテムを。
取り出した。
「……」
「それは?」
「……」
「ゲームで手に入れたやつ」
「……」
「見覚えあります?」
「……」
琴子が。
そのアイテムを見る。
それは。
ゲーム内では。
何気なく使っていた。
ただの。
小さな魔石だった。
しかし。
鑑定を使用する。
「……」
「……」
鑑定結果が。
表示された。
【高純度魔力結晶】
【品質:A】
【用途:魔道具・魔法武器・魔法陣】
【備考:高密度の魔力を内包】
「……」
奏の目が。
輝く。
「……」
「奏」
「……」
「嫌な予感がします」
「……」
「その顔」
「……」
「何か思いつきましたね?」
「……」
「……」
「魔法陣」
「……」
「やっぱり」
「だって」
奏は。
魔石を握りしめた。
「これ」
「はい」
「魔法陣を作るのに」
「……」
「使えるんじゃない?」
「……」
「魔力を蓄えて」
「……」
「銃から魔力を送って」
「……」
「魔石を起動して」
「……」
「魔法陣を展開する」
「……」
「それなら」
奏の頭の中で。
すでに。
新しい銃の構造が。
完成しつつあった。
「銃の内部に魔石を組み込む」
「……」
「魔力を充填する」
「……」
「トリガーを引く」
「……」
「魔力が流れる」
「……」
「魔石が起動」
「……」
「魔法陣を投影」
「……」
「その魔法陣を通して」
「……」
「魔法を発射する」
「……」
「……」
琴子は。
黙っていた。
「……」
「……」
「……」
「……琴子?」
「……」
「どう?」
「……」
「……」
「……」
「作れるんですか?」
「……」
奏は。
少し。
考えた。
「……」
「たぶん」
「……」
「私」
「はい」
「鍛冶師だよ?」
「……」
「ゲームのステータスだけど」
「……」
「鍛冶スキルあるよ?」
「……」
「それに」
奏は。
魔石を見る。
「地球の知識もある」
「……」
「電子工学も勉強した」
「……」
「銃の構造も」
「……」
「機械の改造も」
「……」
「魔法も」
「……」
奏の目が。
完全に。
研究者の目になっていた。
「……」
「……」
「これ」
「……」
「絶対作れる」
「……」
琴子は。
長い間。
奏を見つめた。
そして。
ゆっくり。
口を開く。
「……」
「……何?」
「奏」
「うん」
「先ほど」
「……」
「追跡者が」
「……」
「こちらへ向かっていると言いましたよね?」
「うん」
「そして」
「……」
「その人物が」
「……」
「神託を受けた者である可能性がある」
「うん」
「さらに」
「……」
「その人物が」
「……」
「私たちを追跡している」
「うん」
「なのに」
「……」
「あなたは」
「……」
「今」
「……」
「新しい銃を作ろうとしている」
「……」
「うん」
「……」
「……」
「……」
琴子は。
額を押さえた。
「……」
「何?」
「いえ」
「……」
「あなたは」
「うん」
「本当に」
「……」
「自由ですね」
「……」
「褒めてる?」
「いいえ」
「……」
「呆れています」
「……」
その時。
突然。
奏の【気配察知】が。
強く反応した。
「……!」
「どうしました!?」
「来た」
「……」
「近い」
「……」
「宿屋の前」
「……」
「今」
「……」
奏が。
窓を見る。
そして。
琴子も。
同時に。
立ち上がった。
「……」
階下から。
宿屋の扉が開く音が聞こえた。
続いて。
誰かが。
受付の店員に。
何かを尋ねる声。
声そのものは。
聞き取れない。
しかし。
奏には。
分かる。
その人物だ。
「……」
「奏」
「うん」
「どうします?」
「……」
奏は。
少しだけ。
考えた。
「ここで待つ」
「……」
「向こうが来るなら」
「……」
「会う」
「……」
「でも」
奏は。
銃を。
腰のホルスターへ戻した。
「戦う準備はする」
「分かりました」
「琴子」
「はい」
「縁結び」
「……」
「使える?」
「……」
琴子の表情が。
変わった。
「必要なら」
「うん」
「使います」
「……」
「ただし」
「……」
「今はまだ」
「……」
「使わない方がいいでしょう」
「……」
「相手の意図を」
「……」
「確認してからです」
「……」
奏は。
頷いた。
そして。
二人は。
静かに。
部屋の中央に立った。
数分後。
階段を上る音が聞こえてきた。
一歩。
また一歩。
ゆっくりと。
こちらへ。
近づいてくる。
「……」
奏の【気配察知】が。
その存在を。
明確に捉えている。
強い。
少なくとも。
一般的な冒険者ではない。
しかし。
敵意は。
まだ。
感じられない。
「……」
足音が。
二人の部屋の前で止まった。
そして。
ノック。
「……」
コン。
コン。
コン。
奏と琴子は。
顔を見合わせた。
「……」
琴子が。
小さく頷く。
奏が。
扉へ近づいた。
「どちら様ですか?」
返事は。
すぐにはなかった。
数秒後。
扉の向こうから。
男の声が聞こえた。
「突然の訪問をお許しください」
低く。
落ち着いた声。
「私は」
「……」
「あなた方に」
「……」
「少し」
「……」
「お尋ねしたいことがあります」
奏は。
琴子を見る。
琴子は。
静かに。
頷いた。
「何でしょう?」
奏が返す。
すると。
扉の向こうの男は。
少しだけ。
間を置いた。
「……」
そして。
告げた。
「あなた方は」
「……」
「神に召喚された者ではありませんか?」
「……」
「……」
空気が。
凍った。
奏と琴子の表情が。
同時に。
消える。
誰にも。
話していない。
地球での召喚。
白い世界。
発光体。
自称神。
邪神。
そのすべてを。
二人は。
誰にも。
話していない。
それなのに。
目の前の男は。
知っている。
「……」
奏は。
ゆっくり。
銃に手を添えた。
琴子も。
同時に。
自分の能力を。
意識する。
そして。
扉の向こうから。
さらに。
男の声が響いた。
「ご安心ください」
「……」
「私は」
「……」
「あなた方の敵ではありません」
「……」
「むしろ」
「……」
男は。
静かに。
言った。
「あなた方と同じく」
「……」
「邪神を探しています」
その瞬間。
奏と琴子は。
互いに。
顔を見合わせた。
そして。
琴子が。
ゆっくり。
笑った。
「……」
その笑顔は。
普段の。
外面用の。
穏やかなものではない。
家族の前でしか見せない。
腹黒い。
何かを企んでいる時の。
あの笑顔だった。
「……奏」
「うん」
「どうやら」
「……」
「予定が」
「……」
「一つ増えましたね」
「……」
奏は。
銃から手を離した。
「そうだね」
「……」
「じゃあ」
「……」
「話を聞こう」
奏は。
扉へ手を伸ばした。
そして。
ゆっくり。
扉を開く。
そこに立っていたのは。
一人の青年だった。
黒い髪。
旅装束。
腰には剣。
そして。
首元には。
見覚えのない。
小さなペンダント。
奏の【鑑定】が。
自動的に。
発動する。
しかし。
またしても。
大部分が。
???
に覆われていた。
ただ。
今度は。
新しい情報が。
一つ。
表示される。
【称号:神託を受けし者】
そして。
もう一つ。
【加護:???】
奏は。
その表示を見た瞬間。
確信した。
この青年は。
邪神について。
何かを知っている。
そして。
もしかすると。
自分たちが倒そうとしている存在と。
この世界の神々との間にある。
巨大な秘密を。
知っているかもしれない。
「……」
琴子が。
青年を見た。
「どうぞ」
琴子が。
部屋へ招き入れる。
「お話を伺いましょう」
「……」
青年は。
一瞬だけ。
二人を見た。
そして。
部屋へ入る。
扉が閉じられた。
その瞬間。
アイリスが。
二人の頭の中に。
静かに告げた。
『警告』
『対象人物の情報を解析中』
『解析不能領域を確認』
『対象人物は』
『現在のカナデ様、コトコ様より』
『推定戦闘能力が高い可能性があります』
奏は。
小さく。
息を吐いた。
「……」
琴子は。
微笑んだ。
「……」
そして。
二人の前に。
新たな謎が。
現れた。
この世界の神とは。
何なのか。
邪神とは。
何者なのか。
そして。
なぜ。
自分たちは。
この世界へ。
召喚されたのか。
その答えへと続く道が。
今。
初めて。
目の前に。
姿を現したのだった。




