第三話 世界の欠片《アイリス》
青白い光が、静かな水面へ雫を落としたように揺らめく。
奏と琴子の前に浮かんだ光の粒子は、互いに引き寄せられながら渦を描き、一つの球体となっていった。
神を名乗る発光体とは違う。こちらの光は柔らかく、どこか温かみを感じさせる輝きだった。
白と薄い青が幾重にも重なり合い、まるで夜明け前の空を閉じ込めたような神秘的な色彩を放っている。
しばらくすると、その光球から澄んだ声が響いた。
『──初回起動を確認しました。』
落ち着いた、よく通る女性の声。感情は薄いようでいて、どこか耳に心地よい響きを持っていた。
奏は目を瞬かせる。
「AI……か?」
『回答します。私は個体識別名称。世界の欠片を基盤として構築された、異世界生活支援統合補助システムです。』
その瞬間、奏の脳裏に研究所で扱っていた人工知能の音声が浮かんだ。
しかし、それとは根本的に違う。こちらは単なるプログラムではない。
まるで人格を持った知性そのものだった。
琴子も興味深そうに光球を眺める。
「支援システムってことは、秘書みたいなもの?」
『概ね正しい認識です。』
「へぇ。」
琴子は満足そうに頷いた。
一方、発光体の神はどこか居心地悪そうに光を明滅させている。
『その子、本当に優秀だから。』
「さっきも言ってたね。」
『私より頭いいし。』
「神より?」
『うん。』
「……それ、神としてどうなの?」
『仕方ないじゃん。世界の欠片だし。』
発光体は開き直ったように答えた。奏は思わずため息をつく。
(神って、もっとこう……威厳があるものじゃないのか。)
その考えを読んだかのように、アイリスが淡々と告げる。
『補足します。管理神の知能指数は世界運営能力と必ずしも比例しません。』
「遠回しに馬鹿って言ってない?」
『事実を述べています。』
『えぇぇ!?』
発光体が激しく点滅した。
『酷い!』
『否定してください!』
『事実ではありませんか。』
『ぐっ……』
言い返せないらしい。奏は吹き出しそうになるのを堪えた。
琴子は真面目な表情のまま質問を続ける。
「アイリス。」
『はい。』
「あなたは何ができるの?」
『現在の主な機能を報告します。』
すると、二人の前に新たなホログラムが展開された。
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【アイリス 基本機能】
・ステータス管理
・スキル解析
・魔法解析
・素材鑑定
・危険生物探知
・地図作成
・言語補助
・アイテム管理
・戦闘支援
・生産支援
・市場価格分析
・世界情報検索(権限の範囲内)
・緊急回避提案
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「……多くない?」
奏が思わず呟く。
『必要最低限です。』
「最低限?」
『はい。』
「いやいや。」
市場価格分析まである。証券会社勤めの琴子は、その一文に真っ先に目を留めた。
「市場価格?」
『商品の相場を解析します。
需要・供給・地域差・季節変動を予測可能です。』
「……それ、商売で反則じゃない?」
『効率化です。』
琴子の口元が僅かに緩む。
「便利。」
奏は別の項目を見つける。
「戦闘支援?」
『敵の行動予測・弱点分析・最適な攻撃手段の提示・逃走経路の算出を行います。』
「ゲームの攻略サイトかよ。」
『より高性能です。』
発光体がぼそりと呟く。
『攻略本全部足したくらい。』
「神様。」
琴子が静かに問い掛ける。
「これ、本当に私たちに渡して良かったの?」
発光体は数秒黙った。
『……勢いで。』
「勢い。」
『その場のノリ。』
「へぇ。」
琴子はにっこり笑った。
その笑顔を見た発光体は、なぜか少し後ろへ下がる。
長年の金融業務で培われた営業スマイル。それを知る奏は、心の中で合掌した。
(あ、終わった。)
「つまり。」
琴子はゆっくりと言葉を並べる。
「神様は私たちに、世界最高峰の支援AIを勢いで渡した。」
『……はい。』
「しかも世界の情報まで検索できる。」
『権限内だけね。』
「異世界貿易もある。」
『うん。』
「複製能力もある。」
『そう。』
「アイテムボックスもある。」
『あるね。』
「経験値倍化もある。」
『……うん。』
「……馬鹿なの?」
その一言は、とても静かだった。しかし発光体は小刻みに震え始める。
『そ、その時は良いアイデアだと思ったんだよぉ……。』
奏は肩を竦めた。
「私もそう思う。」
「完全に配り過ぎ。」
『でも願い三つって約束したし……』
「契約は契約。」
琴子はきっぱりと言い切る。
「取り消しは認めない。」
『うぅ……。』
発光体はとうとう項垂れるように光を弱めた。そんな様子を見ながら、アイリスが再び口を開く。
『補足報告。』
「うん?」
『現在地は、惑星サイエス北東部。《初心者の森》最深部へ転移予定です。』
「予定?」
『あと三十秒で転移が開始されます。』
「え?」
奏と琴子が同時に発光体を見る。
『あ。言い忘れてた。』
「言い忘れた?」
『そこから冒険スタートだから。』
「……」
「……」
二人は無言になった。琴子が深く息を吸う。
「奏。」
「何?」
「殴っていい?」
「今回は俺も賛成。」
その言葉を最後に、白い世界が眩い光に包まれる。
神の慌てた声だけが、遠ざかっていった。
『ちょっ、待っ――』
景色が一変する。濃密な緑の香り、木漏れ日、鳥のさえずり。そして、見上げるほど巨大な樹木が立ち並ぶ原生林。
双子はついに、異世界サイエスへと降り立った。
しかもそこは、初心者が決して訪れることのない――初心者の森の最深部だった。




