第二十八話 ゲーム世界でパワーレベリング
それからというもの、有平双子の行動は早かった。
あまりにも早かった。
先ほどまで二人が立っていたのは、ゲーム【フロンティア】の初心者フィールドにある小さな草原だった。見渡す限り柔らかな緑の草が広がり、遠くには初心者用の街らしき建物が見えている。空には青空が広がり、雲がゆっくりと流れていた。
VRゲームとして見れば、実に美しい光景である。
かつて地球で多くのプレイヤーを魅了しただけのことはあり、ゲームとしての完成度は非常に高い。風が吹けば草が揺れ、遠くからは鳥の鳴き声が聞こえ、太陽の光が肌を照らしているような感覚まで再現されている。
しかし。
今の奏と琴子にとって、そんな美しい景色を堪能している余裕はなかった。
何しろ、目的が違う。
二人は観光に来たわけではない。
ましてや、のんびりとVRゲームを楽しむためにログインしたわけでもない。
彼女たちが求めているもの。
それは。
レベル。
装備。
そして。
邪神を殺すための力だった。
「琴子」
「はい」
「もう一回、確認しよう」
奏は目の前に浮かんでいるステータス画面を見ながら、真剣な表情で言った。
「ここはゲームの【フロンティア】で間違いない」
「ええ」
「でも、私たちの能力がゲームに反映されている」
「そうですね」
「ゲームの中で獲得した経験値は、私たちのステータスに反映される」
「今のところは、そう判断していいでしょう」
「そして」
奏は拳を握った。
「私たちには経験値倍化がある」
「ありますね」
「つまり」
「パワーレベリングです」
琴子が即答した。
その言葉を聞いた奏の顔が、ぱっと明るくなる。
「そう!」
「……奏」
「なに?」
「その顔は、ろくでもないことを考えている顔ですよ」
「失礼だな」
「妹のことですから分かります」
「私はただ、効率よくレベルを上げたいだけだよ」
「その『効率よく』という言葉の後ろに、必ず何か余計なものが付いてくるんですよ」
「そうかな?」
「そうです」
琴子は深々とため息を吐いた。
しかし、そんな琴子も、内心では奏と同じことを考えていた。
効率。
それは、今の二人にとって非常に重要な問題だった。
サイエスには時間制限がある。
正確には、地球とサイエスの時間の流れが違うため、地球側から見れば余裕があるように思える。
しかし、だからといって無限に時間があるわけではない。
何より。
二人には明確な目的がある。
邪神を倒す。
そのためには、まず自分たちが強くならなければならない。
レベル八。
現在の二人のレベルは、そこまで上がっている。
普通の冒険者として考えれば、十分に高い。
しかし。
相手は邪神である。
しかも、世界そのものをゲームとして管理している存在だ。
そんな相手に対して、レベル八程度で勝てるとは到底思えない。
ならば。
少しでも効率よく強くなる必要がある。
「アイリス」
『はい』
「攻略サイトの情報を整理して」
『承知しました』
「このゲームで、最も効率よくレベルを上げられる場所」
『検索を開始します』
奏の視界に、いくつもの情報が表示された。
それは攻略サイトやプレイヤー掲示板に掲載されていた情報だった。
初心者向けの狩場。
中級者向けの狩場。
高レベルプレイヤー向けの狩場。
経験値効率。
モンスターの出現率。
移動時間。
死亡リスク。
ドロップアイテム。
それらの情報が、まるで膨大なデータベースのように整理されていく。
「……うわ」
奏が思わず声を漏らした。
「何ですか?」
「いや、ゲームって便利だなって」
「今さらですか?」
「だって、攻略情報が全部残ってるんだよ?」
「ゲームですから」
「サイエスでは誰も教えてくれなかったのに」
「……」
琴子が黙る。
「どうしたの?」
「いえ」
「何?」
「少し複雑な気持ちになりまして」
「何が?」
「私たちが命懸けで戦ったモンスターの攻略情報を、地球のゲーム攻略サイトが普通に公開していることにです」
「あー……」
奏も黙った。
確かに。
ゲームとして考えれば当たり前のことだ。
しかし、現実にモンスターと戦った二人からすれば、攻略サイトに掲載されている情報の意味がまったく違って見える。
そこには。
誰がどのモンスターを倒した。
どの武器が有効だった。
どの魔法が効いた。
どの場所に出現する。
どの時間帯に増える。
そんな情報が、まるで攻略本のように整理されている。
そして何より。
「……この情報」
琴子が画面を見つめる。
「サイエスの情報と一致しています」
「やっぱり?」
「ええ」
「じゃあ、使えるね」
「使えます」
琴子の声が低くなる。
「徹底的に利用しましょう」
奏が笑った。
「さすが琴子」
「何がです?」
「腹黒い」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてないけど」
「そうですか」
琴子は微笑んだ。
その笑顔は、妹である奏には見慣れたものだった。
外面だけを見れば、上品で礼儀正しい女性。
しかし。
妹の前では、その仮面は簡単に剥がれる。
そして、今の琴子は完全に腹黒い顔をしていた。
「奏」
「ん?」
「一つ、気になることがあります」
「何?」
「私たちのアバター」
「うん」
「ゲーム内で作成したものと、現在の私たちの姿が一致しています」
「そうだね」
「そして」
琴子は自分の手を見た。
「ステータスも一致しています」
「うん」
「ということは」
琴子の視線が、奏へ向く。
「このゲーム内で得た経験値が、現実の私たちに反映される可能性があります」
「……」
奏の表情から笑みが消えた。
「つまり」
「ええ」
「ゲームでレベルを上げれば」
「現実でも」
「強くなる」
「その可能性があります」
その言葉を聞いた瞬間。
奏の目が輝いた。
「……やるしかないね」
「ええ」
双子は同時に立ち上がった。
「パワーレベリング開始」
「はい」
それが。
有平双子の本格的なゲーム攻略の始まりだった。
最初に向かったのは、初心者向けのフィールドだった。
攻略サイトによれば、ここでは弱いモンスターが大量に出現する。
しかし。
弱いモンスターとはいえ。
奏と琴子にとっては、非常に重要な存在だった。
何しろ。
経験値倍化がある。
「奏」
「なに?」
「このモンスター」
琴子が指差した先。
そこには、小さなウサギのようなモンスターがいた。
しかし。
その姿は、地球のウサギとはまったく違う。
額に小さな角が生えている。
赤い瞳。
鋭い牙。
そして。
身体の大きさは大型犬ほどもある。
「ホーンラビット」
琴子が呟いた。
「初心者向けモンスターです」
「見た目は可愛いのに」
「攻撃力はそこそこあります」
「へえ」
「油断すると噛みつかれます」
「じゃあ」
奏が一歩前に出る。
「私がやる」
「奏」
「大丈夫」
奏は手を前に出した。
「縁切り」
その瞬間。
空気が変わった。
ホーンラビットが奏へ飛びかかる。
しかし。
奏の指先が、空中をなぞった。
まるで目に見えない糸を切るように。
何かが断ち切られる。
ホーンラビットの攻撃と。
奏の間に存在していた。
あらゆる関係が。
切れた。
ホーンラビットの身体が空中で止まる。
「え?」
奏自身が驚いた。
次の瞬間。
ホーンラビットが地面に落下した。
HPが。
ゼロになった。
『モンスターを討伐しました』
『経験値を獲得しました』
『経験値倍化が適用されます』
『パーティボーナスが適用されます』
『レベルアップ』
「……」
「……」
琴子が黙って奏を見る。
「奏」
「なに?」
「あなた」
「うん」
「ゲーム内でもそれを使えるんですね」
「私も今知った」
「……」
「便利じゃない?」
「便利すぎます」
琴子が呆れたように言う。
「これではゲームバランスが完全に崩壊しています」
「でも、ゲームなら普通じゃない?」
「普通ではありません」
「そう?」
「∞ですよ」
「……」
「縁切り∞」
「……」
「ゲームの運営が想定していないでしょう」
「……」
「絶対に」
奏は少し考えた。
「まあ」
「はい」
「邪神が作ったゲームだし」
「……」
「バランスなんて気にしなくていいんじゃない?」
「それもそうですね」
琴子は頷いた。
「では、遠慮なく利用しましょう」
「うん」
そこから先は。
完全な作業だった。
ホーンラビット。
ゴブリン。
スライム。
ウルフ。
低レベルモンスターを。
二人は次々と倒していく。
奏が【縁切り∞】で敵の存在を切断する。
琴子が【縁結び∞】で敵を拘束する。
そして。
経験値倍化。
パーティボーナス。
さらに。
攻略サイトで調べた経験値効率の良いルート。
それらを組み合わせる。
普通のプレイヤーなら、数日。
場合によっては数週間かけて上げるレベルを。
二人は恐ろしい速度で駆け上がっていった。
『レベルアップ』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
奏の視界に、何度も文字が表示される。
「……」
「……」
二人とも。
途中から無言になっていた。
何しろ。
敵を倒す。
経験値を得る。
レベルが上がる。
敵を倒す。
経験値を得る。
レベルが上がる。
それを繰り返しているだけなのだ。
「琴子」
「なんですか?」
「私たち」
「はい」
「ゲームを楽しんでるのかな」
「……」
「それとも作業してるのかな」
「……」
琴子が考える。
「後者でしょうね」
「だよね」
「完全に作業です」
「でも」
奏が笑った。
「楽しい」
「……そうですね」
琴子も微笑む。
何だかんだ言って。
二人はゲームが好きだった。
それも。
普通に遊ぶだけではない。
効率を求める。
最適解を探す。
システムの穴を見つける。
そして。
想定外の方法で攻略する。
そういう遊び方を。
二人は昔から好んでいた。
「奏」
「なに?」
「次の狩場に行きましょう」
「もう?」
「ええ」
「まだレベル三十だけど」
「十分です」
「早くない?」
「攻略サイトによれば、次の狩場の推奨レベルは三十です」
「……」
「行きましょう」
「はい」
二人は次の場所へ向かった。
そして。
さらに。
次の場所へ。
さらに。
その次へ。
気がつけば。
初心者向けのフィールドは、二人にとって完全に経験値の供給場所と化していた。
モンスターが出現する。
倒す。
経験値を得る。
レベルが上がる。
その繰り返し。
そして。
ゲーム内時間で数日が経過した頃。
二人のレベルは。
五十を超えていた。
「……」
「……」
奏と琴子は。
並んで立っていた。
目の前には巨大なモンスター。
初心者フィールドに存在するはずのない。
高レベルモンスターだった。
「奏」
「なに?」
「攻略サイトに、こんなモンスターいました?」
「……いない」
「ですよね」
「うん」
「では」
琴子が杖を構える。
「これは何でしょう?」
「分からない」
奏も武器を構えた。
「でも」
「はい」
「倒せば経験値が入る」
「……」
「たぶん」
琴子が呆れた顔をした。
「奏」
「なに?」
「あなた、本当に脳筋になりましたね」
「失礼な」
「では聞きます」
「うん」
「この状況で、他に何を考えるんです?」
「……」
「……」
「倒そう」
「はい」
その瞬間。
巨大モンスターが咆哮した。
大地が揺れる。
空気が震える。
そして。
二人の視界に。
赤い文字が浮かんだ。
『緊急クエストが発生しました』
『未確認モンスターを討伐してください』
奏が目を細める。
「……」
「奏?」
「これ」
「はい」
「ゲームのイベント?」
「おそらく」
「じゃあ」
奏は銃を構えた。
スチームパンクガン。
それは以前、地球で久世真奈美に協力してもらい、奏自身が改造を施した武器をベースにしたものだった。
ゲーム内でも。
奏のアバターに合わせて再現されている。
しかし。
今の奏は。
以前の奏とは違う。
レベルが。
五十を超えている。
そして。
スキルも。
ステータスも。
大幅に強化されている。
「アイリス」
『はい』
「魔法陣投影機能」
『使用可能です』
「出して」
『了解しました』
銃身の周囲に。
いくつもの魔法陣が展開された。
青白い光が渦を巻く。
それを見た奏の顔が。
満足そうに緩んだ。
「やっぱり」
奏は笑った。
「魔法を撃つなら、こうじゃないとね」
琴子が隣でため息を吐いた。
「また始まりましたね」
「何が?」
「奏の魔法陣への執着」
「大事だよ」
「そうですか」
「大事」
「はいはい」
巨大モンスターが。
二人へ突進する。
「琴子!」
「分かっています!」
琴子の【縁結び∞】が発動した。
巨大モンスターと地面。
巨大モンスターと空気。
巨大モンスターと周囲の空間。
ありとあらゆるものが。
無理やり結びつけられる。
動きが止まる。
そこへ。
「私の番!」
奏が引き金を引いた。
魔法陣が輝いた。
そして。
巨大な光線が。
モンスターを貫いた。
『モンスターを討伐しました』
『経験値を獲得しました』
『経験値倍化が適用されます』
『パーティボーナスが適用されます』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
視界が。
光で埋め尽くされた。
「……」
「……」
奏と琴子は。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
奏が。
ぽつりと呟く。
「……ねえ」
「はい」
「これ」
「はい」
「もしかして」
「……」
「私たち」
「……」
「ゲーム内でレベル上げするだけで」
「……」
「邪神より強くなれるんじゃない?」
琴子は。
しばらく考えた。
そして。
ゆっくりと笑った。
「……可能性はありますね」
「だよね」
「ですが」
「うん」
「一つ問題があります」
「なに?」
「私たちがゲーム内で強くなった結果」
「うん」
「現実のサイエスにも反映されるのか」
「……」
その問いに。
二人は黙った。
そして。
奏が。
恐る恐る。
ステータス画面を開いた。
「……」
「……どうです?」
「……」
「奏?」
「……」
「何か言ってください」
奏は。
震える手で。
ステータス画面を琴子へ向けた。
そこに表示されていたのは。
ゲーム内のレベルだけではなかった。
その表示の片隅。
小さな文字で。
『現実世界との同期を確認』
そう表示されていた。
「……」
「……」
「琴子」
「はい」
「これ」
「……」
「私たち」
「……」
「ゲームでレベル上げたら」
「……」
「現実でも」
「……」
琴子の顔から。
すっと笑みが消えた。
「……レベルが上がっています」
その瞬間。
二人は。
同時に。
理解した。
このゲームは。
ただのゲームではない。
そして。
この世界は。
ただのVRゲームでもない。
地球とサイエス。
現実とゲーム。
その二つを繋ぐ何かが。
確かに存在している。
奏が。
ゆっくりと拳を握った。
「……琴子」
「はい」
「これなら」
「……」
「勝てるかもしれない」
琴子は。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
ゆっくりと。
口元を上げる。
「ええ」
その目に。
かつてないほど強い光が宿る。
「勝ちましょう」
そして。
二人は再び。
ゲームの世界を歩き始めた。
ただし。
今度の目的は。
単なるレベル上げではない。
邪神を倒すための。
最強の力を手に入れるための。
パワーレベリング。
それが。
有平姉妹の。
新しい戦いの始まりだった。




