第二十五話 初心者の森の守護者と、双子のレベリング計画
初心者の森という名前を聞いた時、奏は勝手に、もっと平和な場所を想像していた。
例えば、森の中を歩いていると小さな兎型の魔物が現れたり、少し進めば角の生えた猪のような魔物が出てきたりして、初心者冒険者が木の棒や安物の短剣を手にしながら、恐る恐る魔物と戦闘経験を積んでいく。そんな、いかにも異世界ファンタジーの序盤らしい光景を想像していたのである。
実際、サイエスという世界がMMORPG【フロンティア】を基礎として作られた世界だというのなら、初心者の森という名称から考えても、そこは本来、ゲームを始めたばかりのプレイヤーが安全にレベルを上げるための場所なのだろう。
だからこそ。
奏は、目の前にそびえ立つ巨大な魔物を見上げながら、何とも言えない気持ちになっていた。
「……ねえ、琴子」
「何でしょうか、奏」
「これ」
「はい」
「初心者の森って書いてあるよね」
「書いてありますね」
「……なのに」
奏は、ゆっくりと首を上げた。
そこにいる魔物は、どう見ても初心者が相手にしていい存在ではなかった。
巨大だった。
あまりにも巨大だった。
四本の脚は一本一本が丸太どころか大木のように太く、身体を覆う外皮は岩石を思わせるほど硬そうで、その表面には青黒い光が脈打つように流れている。頭部から伸びた二本の角は鋭く湾曲し、口から漏れる吐息だけで周囲の空気が震えていた。
その巨体を見上げているだけで、奏の身体には、地面を通して伝わってくる低い振動が感じられた。
まるで森そのものが、その魔物の存在を恐れているかのようだった。
そして何よりも。
その魔物の頭上には、これでもかというほど分かりやすく、赤い文字が浮かんでいた。
【初心者の森・守護者】
【推奨レベル:10】
「……。」
奏は黙った。
隣に立っていた琴子も黙った。
少し離れた場所では、二人についてきたピピが小さな身体を震わせながら、奏の足元に隠れている。
先ほどまで、これから始めるレベリングについて楽しそうに話していた空気は、すでにどこかへ消えていた。
「奏」
「何?」
「私たちの現在のレベルは?」
「……八」
「はい」
琴子は、確認するように自分のステータスを見た。
そこには、確かにレベル八と表示されている。
サイエスへ召喚された当初はレベル一だった二人だが、これまでの戦闘や魔物討伐によって、現在は二人ともレベル八まで上昇していた。
決して弱い数字ではない。
むしろ、二人がこの世界にやってきてから経験した戦闘回数を考えれば、かなり順調に成長していると言ってもいい。
しかし。
「相手の推奨レベルは?」
「十」
「私たちは?」
「八」
「……。」
「……。」
琴子が、静かに奏を見る。
奏も、静かに琴子を見る。
「奏」
「はい」
「レベル差は二です」
「うん」
「一応、数字だけを見れば、絶対に勝てないという差ではありません」
「そうだね」
「ですが」
「うん」
「相手はボスです」
「……」
「しかも、私たちは二人ともレベル八」
「うん」
「つまり」
琴子は、目の前の巨大な守護者を指差した。
「これを倒すことは、今後のレベリング計画を完全に無視した行為になります」
「……」
「私たちは本日、何をする予定でしたか?」
「レベリング」
「そうです」
「……」
「では、なぜ私たちは」
「……」
「初心者の森のボスと対峙しているのでしょうか?」
奏は、黙った。
そして。
ゆっくりと。
自分の背後を振り返った。
そこには、森の奥へ続く道がある。
さらに、その先には、初心者の森の入口へ戻るための道が続いている。
奏は、その道を眺めた。
次に、目の前の守護者を見る。
そして再び、背後の道を見た。
「……奏?」
「いや」
「何です?」
「帰れるよね」
「はい」
「じゃあ」
「はい」
「逃げようか」
「そうしてください」
琴子の返事は早かった。
あまりにも早かった。
まるで、最初からその答えしか存在していなかったかのような即答だった。
奏は、その反応に少しだけ肩を落とした。
「……」
「何ですか、その顔は」
「いや」
「私は間違ったことを言っていませんよ」
「分かってる」
「なら、どうしてそんなに残念そうなんです?」
「だって」
「だって?」
「せっかく作ったのに」
奏の視線が、手にした武器へ向けられた。
魔法陣銃・弐式。
それは、奏が自分自身の魔法に魔法陣が出現しなかったことへの失望から作り上げた、趣味と技術と浪漫の結晶だった。
魔法を使う。
それだけなら、奏にもできる。
しかし。
奏が想像していた異世界ファンタジーでは、魔法を使う時には魔法陣が現れるのが当然だった。
空中に幾何学模様が浮かび上がり、複雑な文字列が光りながら回転し、その中心から魔法が放たれる。
奏は、あれが見たかった。
どうしても見たかった。
だから作った。
自分の魔力を使い、銃という科学技術の産物を媒介にして、魔法陣を強制的に空中へ展開する武器を。
その結果として完成したのが、魔法陣銃・弐式だった。
「まだ」
奏は、銃を見ながら言った。
「実戦で使ってないんだよね」
「……」
「昨日、完成したばかりだから」
「……」
「一応、試射はしたけど」
「奏」
「何?」
「それは」
琴子が、じっと妹を見た。
「実戦で使いたい、という意味ですか?」
「うん」
「相手は?」
「守護者」
「推奨レベルは?」
「十」
「私たちは?」
「八」
「……」
「……」
琴子は。
ゆっくりと。
目を閉じた。
「奏」
「はい」
「あなたは」
「うん」
「本当に」
「うん」
「昔から」
「うん」
「変わりませんね」
「そうかな?」
「ええ」
琴子は、深いため息を吐いた。
「面白そうなことを見つけたら、危険性よりも先に興味が勝つところ」
「……」
「子供の頃もそうでした」
「そうだっけ?」
「そうですよ」
琴子の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
児童養護施設で育った二人にとって、姉妹二人だけで過ごす時間は、何よりも大切だった。
両親に捨てられた。
そういう過去を、二人は決して忘れてはいない。
けれど。
二人で生きてきた時間の方が、遥かに長い。
奏は、興味を持ったものに突っ込んでいく。
琴子は、そんな奏を止める。
止めながら。
結局は一緒についていく。
昔から。
ずっと。
それが二人だった。
「……」
琴子は、目の前の妹を見た。
奏は、今も魔法陣銃を見つめている。
その瞳は、子供の頃と変わらない。
未知のものを前にした時の、純粋な好奇心。
それを見てしまうと。
琴子には。
どうしても。
完全に止めることができなかった。
「……一発だけですよ」
「え?」
「試射」
「本当?」
「はい」
「やった」
奏の顔が、一瞬で明るくなる。
「ただし」
「うん」
「危険だと判断したら、すぐに撤退します」
「分かった」
「追撃もしません」
「……」
「奏?」
「分かった」
「本当に?」
「分かったって」
「では」
琴子は、自分の武器を構えた。
「一発だけです」
「うん」
奏も、魔法陣銃を構える。
その瞬間。
奏の周囲に、魔力が集まり始めた。
銃身に組み込まれた魔石が淡く輝き、内部の歯車が回転を始める。
カチリ。
カチリ。
カチリ。
小さな金属音が重なり、蒸気機関を思わせる音が森の中に響く。
奏は、その音を聞きながら、ゆっくりと息を吐いた。
魔法陣銃の銃口を。
守護者へ向ける。
「……」
そして。
引き金を引いた。
瞬間。
空気が変わった。
銃口の前に、一つの魔法陣が出現する。
「……」
奏の目が見開かれた。
「出た」
小さな声だった。
けれど。
その声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
魔法陣が回転する。
一つ。
二つ。
三つ。
それぞれの魔法陣が異なる速度で回転しながら重なり合い、その中心に青白い光が収束していく。
奏は、思わず息を止めた。
自分が。
ずっと。
見たかったもの。
それが。
目の前にある。
「綺麗……」
思わず、そんな言葉が漏れた。
琴子もまた、魔法陣を見つめていた。
正直なところ。
琴子も美しいと思った。
科学的な機械構造と、魔法という非科学的な現象。
その二つが混ざり合っている。
奏らしい。
そんな感想が、琴子の胸に浮かんだ。
しかし。
「奏」
「何?」
「一発ですよ」
「うん」
「一発だけですからね」
「分かってる」
「絶対に」
「分かってるって」
その直後。
魔法陣が。
さらに一つ。
展開された。
「……」
琴子の目が細くなる。
「奏」
「何?」
「魔法陣」
「うん」
「増えましたよね?」
「……」
「今」
「……」
「一つ増えましたよね?」
「……」
奏は。
黙っていた。
そして。
魔法陣が。
もう一つ。
増えた。
「奏」
「……」
「奏?」
「……」
「あなた」
「……」
「何を作ったんですか?」
奏は。
少しだけ。
気まずそうに答えた。
「……」
「自動展開機能」
「……」
「魔法陣を」
「……」
「連続で展開できるように」
「……」
「してみた」
琴子は。
ゆっくり。
空を見上げた。
「……」
「琴子?」
「……」
「怒ってる?」
「……」
「お姉ちゃん?」
「……」
「琴子」
「怒っていません」
「本当?」
「ええ」
琴子は。
にっこりと笑った。
「ただ」
「うん」
「あなたが作った武器の試射に」
「……」
「私まで巻き込まれる未来しか見えないだけです」
「……」
「だから」
「うん」
「撃つなら」
「うん」
「責任を持ってくださいね」
「分かった」
その瞬間。
守護者が咆哮した。
森が揺れた。
巨体が動く。
奏の目が。
輝いた。
「来る」
「逃げますよ」
「一発だけ」
「分かっています」
「最大出力じゃない」
「本当でしょうね?」
「……」
「奏?」
「……」
「最大出力ではありません」
「今、間がありましたよ?」
「気のせい」
「絶対に違います」
守護者が迫ってくる。
奏は。
魔法陣銃を構えた。
魔法陣が。
さらに増える。
「奏!」
「大丈夫!」
「何が大丈夫なんですか!」
「制御できる!」
「本当ですか!?」
「たぶん!」
「それは大丈夫とは言いません!」
そして。
魔法陣銃が。
光を放った。
轟音が森を震わせる。
青白い魔力弾が一斉に飛び出し、守護者へ殺到した。
無数の光が巨体へ突き刺さる。
爆発。
衝撃。
土煙。
奏は、思わず身を乗り出した。
「どう!?」
「見えません!」
琴子が叫ぶ。
土煙が晴れていく。
そこに。
守護者が立っていた。
傷はある。
外皮もいくつか砕けている。
しかし。
倒れてはいない。
奏は。
守護者の頭上に浮かんでいるHPゲージを見た。
「……」
「奏?」
「……」
「どうしました?」
「……」
「奏?」
「……」
「答えてください」
「……」
「何パーセントです?」
「……」
奏は。
正直に答えた。
「……十二パーセント」
「……」
「減った」
「……」
「十二パーセント」
「……」
「……」
琴子が。
妹を見る。
「奏」
「はい」
「私たち」
「うん」
「レベル八ですよね?」
「うん」
「相手は推奨レベル十ですよね?」
「うん」
「なのに」
「うん」
「一回の攻撃で」
「うん」
「十二パーセント」
「……」
「ということは」
「……」
「単純計算で」
「……」
「あと七回以上」
「……」
「攻撃しなければ」
「……」
「倒せませんよね?」
「……」
「そして」
「……」
「相手は」
「……」
「こちらに向かって」
「……」
「走ってきています」
「……」
奏は。
守護者を見る。
守護者が。
走ってくる。
地面が揺れる。
「……」
「奏」
「うん」
「逃げます」
「……」
「今度こそ」
「……」
「絶対に」
「……」
「逃げます」
奏は。
素直に頷いた。
「分かった」
二人は。
一斉に走り出した。
森の中を駆け抜ける。
奏の速度は二十四。
琴子は九。
明らかに差がある。
「琴子!」
「何ですか!」
「速く!」
「私は!」
「これが!」
「限界です!」
「遅い!」
「奏!」
「はい!」
「今!」
「私!」
「あなたに!」
「遅いと言われましたか!?」
「……」
「言いましたよね!?」
「……」
「私の速度!」
「あなたの半分以下なんですよ!」
「……」
「知っていますか!?」
「ごめん!」
「許しません!」
「ごめんって!」
「あとで覚えておいてください!」
走りながらも。
琴子の口調は。
完全に家族向けのものへ崩れていた。
普段の彼女を知る者ならば、まず聞くことのできない声音だった。
外では完璧な敬語を使い、穏やかな笑顔を浮かべ、何事にもそつなく対応する。
しかし。
奏の前では。
その仮面は。
簡単に剥がれる。
「奏!」
「何!?」
「魔法陣銃!」
「うん!」
「使える!?」
「魔力が足りない!」
「じゃあ逃げる!」
「了解!」
幸い。
二人のレベルは八まで上がっている。
以前よりも身体能力は上昇している。
さらに奏は、速度のステータスが二十四。
琴子は九。
普通なら大きな差があるが、二人はこれまでの経験から、逃走する時の役割を理解していた。
奏が先行して道を確保する。
琴子が後ろから周囲を警戒する。
ピピは奏が抱えている。
そして。
何より。
守護者は。
意外にも。
森の外までは追ってこなかった。
一定の距離を離れると。
守護者は。
立ち止まった。
「……」
「……」
「……」
二人は。
しばらく。
遠くから。
守護者を見ていた。
守護者も。
二人を見ている。
「……」
琴子が。
ゆっくり。
口を開いた。
「……戻りますか?」
「……」
「奏?」
「……」
「どうしました?」
「……」
「まさか」
琴子の顔が。
引きつった。
「まさかとは思いますが」
「……」
「もう一度」
「……」
「戦うつもりでは」
「……」
「ありませんよね?」
奏は。
しばらく。
黙っていた。
「……」
「奏?」
「……」
「返事をしてください」
「……」
「奏!」
「……」
「分かった」
「何がです?」
「今は。」
「……」
「戦わない。」
「今は?」
「うん。」
「……」
「レベリング。」
「……」
「先に。」
「……」
「普通の魔物。」
「……」
「倒そう。」
琴子は。
少しだけ。
安心した。
「そうしてください」
「うん」
「まずは。」
「うん」
「初心者の森の。」
「うん」
「普通の魔物からです」
「分かった」
こうして。
二人の。
本来のレベリング計画が。
ようやく始まることになった。
とはいえ。
二人の現在のレベルは。
すでに八。
初心者の森で出現する通常の魔物にとっては。
もはや。
初心者とは言えない領域に片足を突っ込んでいる。
そのため。
最初の一体目は。
驚くほど簡単だった。
森の中を歩いていると。
巨大な角を持つ猪型の魔物が現れた。
奏は。
魔法陣銃を構えた。
琴子は。
その横に立った。
「普通の魔物」
「うん」
「一体目」
「うん」
「これなら。」
「うん」
「安全ですね」
「……」
「奏?」
「魔法陣。」
「……」
「出す。」
「……」
「一つだけ。」
「……」
「いい?」
「……」
「琴子?」
「……」
「お姉ちゃん?」
「……」
「一つだけなら。」
「……」
「許可します」
「やった」
「ただし。」
「うん」
「最大出力禁止」
「うん」
「連射禁止」
「うん」
「新機能の追加禁止」
「……」
「奏?」
「分かった」
奏が。
魔法陣銃を構えた。
銃口の先に。
一つの魔法陣が浮かぶ。
その光景を。
琴子は。
じっと見つめていた。
そして。
ふと。
笑った。
「……」
「何?」
「いえ」
「笑った?」
「笑っていません」
「笑ったよ」
「気のせいです」
「……」
「何ですか?」
「嬉しそう」
「……」
琴子は。
少しだけ。
視線を逸らした。
「……」
「だって。」
「……」
「奏が。」
「……」
「楽しそうですから」
「……」
「……」
「琴子」
「何です?」
「ありがとう」
「……」
「何がです?」
「一緒に来てくれて」
琴子は。
少しだけ。
目を細めた。
地球に残ることもできた。
日本で暮らし続けることもできた。
異世界など知らないまま。
普通の人生を歩むこともできた。
けれど。
二人は。
もう。
戻れない。
邪神という存在を知ってしまった。
自分たちが、ただの偶然で召喚されたわけではないことも。
そして。
自分たちの人生を。
娯楽として眺めている存在がいることも。
知ってしまった。
だから。
いつか。
必ず。
決着をつける。
邪神を滅ぼす。
そのために。
今は。
強くならなければならない。
「……」
琴子は。
小さく。
笑った。
「当たり前でしょう」
「……」
「双子なんだから」
「うん」
「それに」
琴子は。
魔法陣銃を構える奏を見る。
「奏一人で異世界に放り出したら」
「……」
「何をしでかすか分かりませんからね」
「……」
「私が監視していないと」
「……」
「本当に。」
「……」
「世界を滅ぼしかねません」
「私。」
「そんなに信用ない?」
「ありません」
「即答……」
奏が。
少しだけ。
頬を膨らませた。
その様子を見て。
琴子は。
笑った。
そして。
奏も。
笑った。
姉妹二人。
地球から。
遠く離れた。
異世界。
その世界で。
二人は。
自分たちの未来を。
自分たちの手で。
切り開こうとしていた。
邪神を滅ぼすために。
生き残るために。
そして。
いつか。
地球へ帰るために。
「奏」
「うん」
「撃ってください」
「分かった」
奏が。
引き金を引いた。
一つの魔法陣が。
美しい光を放つ。
その光から。
一条の魔力弾が飛び出した。
猪型の魔物に命中する。
魔物が倒れた。
そして。
【魔物を討伐しました】
【経験値を獲得しました】
【レベル八のため、獲得経験値は微量です】
「……」
「……」
「……」
二人は。
同時に。
ステータスを確認した。
「……」
琴子が。
言った。
「……」
「全然。」
「うん」
「レベル。」
「上がりませんね」
「うん」
奏が。
魔法陣銃を。
見つめる。
「……」
「奏?」
「……」
「どうしました?」
「……」
「もしかして。」
「……」
「また。」
「……」
「何か。」
「……」
「作ろうとしてませんよね?」
「……」
奏は。
静かに。
魔法陣銃を見つめた。
「……」
「奏?」
「経験値。」
「……」
「少ない。」
「……」
「もっと。」
「効率よく。」
「……」
「倒したい。」
「……」
「一度に。」
「……」
「たくさん。」
「……」
「……」
琴子の顔から。
血の気が引いた。
「奏」
「はい」
「今。」
「何と?」
「効率よく。」
「……」
「レベリングしたい。」
「……」
「一度に。」
「……」
「たくさん倒したい。」
「……」
「……」
「奏」
「うん」
「あなた。」
「はい」
「それ。」
「……」
「また。」
「……」
「ボス戦へ。」
「……」
「行こうとしてませんよね?」
「……」
奏は。
少しだけ。
視線を逸らした。
「……」
「奏!」
「行かない!」
「本当に!?」
「行かないって!」
「絶対ですよ!?」
「絶対!」
「……」
その会話を。
少し離れた場所で。
ピピが聞いていた。
そして。
小さな身体を揺らしながら。
ため息を吐いた。
「……」
どうやら。
この異世界において。
一番苦労することになるのは。
邪神でも。
魔物でも。
ダンジョンでも。
ないのかもしれない。
――有平奏という。
好奇心旺盛な妹を。
暴走させないこと。
それこそが。
有平琴子にとって。
最大の難敵になる可能性が。
極めて高かった。
しかし。
そんな二人の目の前に。
次の瞬間。
新たな表示が。
静かに浮かび上がった。
【初心者の森・特殊クエストが発生しました】
【条件:守護者を討伐した者】
【特殊クエスト:森の奥に眠る者】
【推奨レベル:8】
【報酬:不明】
奏と琴子は。
同時に。
その文字を見た。
「……」
「……」
「……」
「奏」
「うん」
「これ。」
「うん」
「今度は。」
「……」
「推奨レベル。」
「……」
「八ですね。」
「うん。」
「私たちも。」
「……」
「レベル八です。」
「うん。」
「……」
「どうします?」
「……」
奏は。
ゆっくり。
魔法陣銃を。
構えた。
「奏?」
「行ってみよう。」
「……」
「推奨レベル。」
「……」
「私たちと同じ。」
「……」
「今度は。」
「……」
「ちゃんと。」
「……」
「レベリング。」
琴子は。
しばらく。
妹の顔を見た。
先ほどまでの。
無謀な笑顔ではない。
今度の奏は。
真剣だった。
未知の場所へ進むことへの好奇心。
そして。
邪神へ挑むために。
強くならなければならないという。
確かな意思。
琴子は。
小さく。
息を吐いた。
「……」
「分かりました」
「うん」
「ただし。」
「……」
「今度こそ。」
「……」
「慎重に進みますよ」
「分かった」
「罠を警戒します」
「うん」
「魔物の強さを確認します」
「うん」
「危険なら撤退します」
「……」
「奏?」
「……」
「返事は?」
「分かった」
「本当に?」
「分かったってば」
「……」
こうして。
レベル八となった双子は。
初心者の森の奥へと。
再び歩き始めた。
その先に何が待っているのか。
二人はまだ知らない。
ただ。
森の奥から漂ってくる魔力は。
先ほどの守護者とは。
明らかに違っていた。
もっと深く。
もっと古く。
そして。
どこか。
不気味な気配。
まるで。
誰かが。
ずっと。
二人を。
待っていたかのような。
そんな気配だった。
奏は。
その異変に気づいていない。
琴子も。
まだ。
その正体を知らない。
けれど。
二人が。
初心者の森の奥へ進むほど。
世界のどこかで。
何かが。
ゆっくりと。
動き始めていた。
そして。
それは。
かつて。
自称神によって。
このサイエスという世界へ。
送り込まれた者たちと。
深い関係を持つ。
古い記憶だった。




