第十 五話 商業ギルドと異世界貿易
商業ギルドの扉を開けた瞬間、冒険者ギルドとは明らかに違う空気が双子を包み込んだ。
剣を腰に下げた冒険者たちが集う場所とは違い、こちらは静かだった。
広い室内には木製のカウンターが並び、その奥では何人もの職員が書類を整理している。壁際には依頼書らしき紙が貼り出されていたが、冒険者ギルドにあるような討伐依頼よりも、商隊の護衛、商品の買い付け、倉庫の貸し出しなど、商売に関係する内容が多い。
奏は興味深そうに周囲を見渡した。
琴子はもっと露骨だった。
入った瞬間から、視線が忙しい。
掲示板。
カウンター。
商人。
商品の入った木箱。
帳簿。
建物の構造。
そして、職員の対応。
まるで証券会社へ初出勤した日のような顔をしている。
「琴子。」
「何ですか?」
「顔。」
「何が?」
「完全に仕事モード。」
「いつも通りです。」
「嘘つけ。」
奏が呆れたように言うと、琴子は妹にだけ見せる素の表情へ戻った。
「うるさいなぁ。こっちは商売の話をするんだから、当然でしょ。」
「はいはい。」
「何その顔。」
「別に。」
姉妹のやり取りを見ていたピピが、奏の肩の上で首を傾げる。
「仲悪いの?」
「「良いよ。」」
またしても声が重なった。
「そっか!」
ピピは何も疑わず、嬉しそうに笑う。
その様子を見ながら、琴子は小さく息を吐いた。
「さて。」
そして一瞬で外向きの顔へ戻る。
「行きましょう。」
「はいはい。」
琴子がカウンターへ向かう。
そこに座っていたのは、三十代半ばほどの女性だった。
栗色の髪を後ろでまとめ、細い眼鏡を掛けている。
書類から顔を上げた女性は、双子を見て微笑んだ。
「いらっしゃいませ。商業ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「商業ギルドへの登録を希望しています。」
「お二人ともですか?」
「はい。」
「商売を始められる予定で?」
「その予定です。」
琴子は笑顔で答えた。
女性職員は二人を見比べる。
「失礼ですが、商業経験は?」
「あります。」
「どのような?」
一瞬。
琴子の目が泳いだ。
地球の証券会社。
金融商品。
投資。
資産運用。
そんなものを説明しても、理解してもらえるとは思えない。
「金融関係です。」
「きんゆう?」
「お金を扱う仕事です。」
「なるほど。」
女性職員は納得したように頷いた。
しかし、奏が横から口を挟んだ。
「姉はお金を増やすのが得意です。」
「奏。」
「事実でしょ。」
「そうですけど。」
「私は物を作るのが得意です。」
「奏。」
「何?」
「余計なこと言わないでください。」
「なんで?」
「商売相手に余計な情報を与える必要はないでしょう。」
「そういうもの?」
「そういうものです。」
「ふーん。」
琴子は笑顔を維持しながら、妹の脇腹を肘で軽く突いた。
「痛っ。」
「黙っていてください。」
「はい。」
女性職員は二人を見ながら、微笑ましそうにしていた。
「仲がよろしいんですね。」
「「普通です。」」
また声が重なる。
「ふふ。」
職員は笑いを堪えながら、登録用紙を取り出した。
「それでは、こちらへ記入をお願いします。」
琴子が受け取る。
名前。
年齢。
種族。
出身地。
職業。
得意分野。
商売を行う目的。
いくつかの項目を埋めていく。
しかし。
最後の項目で琴子の手が止まった。
『主な取扱商品』
空欄。
奏が覗き込む。
「何書くの?」
「それが問題なんですよ。」
「異世界の商品を売るんでしょ?」
「そうですけど。」
琴子は小声で呟く。
「何を売るか決めてません。」
「え?」
「市場調査が先です。」
「……。」
奏は呆れた。
「商業ギルドに来てから考えるの?」
「違います。」
「じゃあ?」
「ここで情報を集めるんです。」
琴子は真剣な顔で言った。
「需要があって、供給が不足している商品。」
「利益率が高く、競合が少ない商品。」
「そして、私たちが安定供給できる商品。」
「それを探します。」
奏は納得した。
琴子はいつもこうだった。
勢いで商売を始めることはない。
まず情報を集める。
市場を見る。
需要と供給を確認する。
そして勝てると判断してから動く。
今回も同じだ。
「さすが知識魔女。」
「その呼び方、こっちでは禁止。」
「なんで?」
「恥ずかしいから。」
「昔は気に入ってたじゃん。」
「昔の話です。」
琴子は咳払いをした。
「それで。」
職員へ視線を戻す。
「いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。」
「この町で、現在不足している商品はありますか?」
「不足?」
「需要に対して供給が追いついていないものです。」
職員は少し考えた。
「そうですね……。」
そして、いくつか挙げていく。
薬草。
保存食。
魔道具。
日用品。
衣料品。
金属製品。
特に最近では、魔物の活性化によって冒険者が増え、回復薬の需要が高まっているらしい。
奏と琴子は顔を見合わせた。
「薬。」
「回復薬。」
「さっきのヒールグラス。」
琴子が小声で呟く。
奏も頷く。
「調合スキル。」
「私、持ってる。」
「レベル六。」
「素材は森で採れる。」
琴子の目が輝いた。
しかし、すぐに慎重な表情へ戻る。
「でも。」
「回復薬は既に商売になってる。」
「競合がいる。」
「そうだね。」
奏が考える。
「なら。」
「素材を売る?」
「それもあり。」
アイリスが静かに割り込んだ。
『提案があります。』
琴子が反応する。
「何?」
『サイエスの回復薬には、品質に大きな差があります。』
「品質?」
『初級回復薬でも、回復量に個体差があります。』
『製作者の技術力、素材の品質、調合環境により性能が変動します。』
「なるほど。」
琴子の目が細くなる。
『琴子様の調合スキル六は、現時点のサイエス基準では高水準です。』
「……。」
奏が琴子を見る。
「商材決まったんじゃない?」
「まだです。」
「何で?」
「製造コストと販売価格を確認してません。」
「はいはい。」
琴子は職員へ質問を続ける。
「回復薬の一般的な販売価格を教えていただけますか?」
「品質によりますが、初級なら一本銀貨三枚から五枚ほどです。」
「材料費は?」
「自作するなら銀貨一枚程度でしょうか。」
「なるほど。」
琴子は頭の中で計算する。
仕入れ。
人件費。
瓶。
輸送。
販売手数料。
税金。
利益。
証券会社で培った金融知識が、異世界でも存分に発揮されていた。
「悪くない。」
「何が?」
「利益率。」
奏が苦笑する。
「やっぱり商人だね。」
「私は金融屋です。」
「似たようなものじゃん。」
「全然違います。」
琴子は妹を睨む。
だが、すぐに職員へ笑顔を向けた。
「回復薬の販売を検討します。」
「それなら、商業ギルドへサンプルを提出していただければ、品質鑑定も可能です。」
「品質鑑定?」
「はい。」
職員が説明する。
商業ギルドでは、商品の品質を鑑定し、一定基準以上の商品には品質保証の証明を発行しているらしい。
これがあれば、無名の新人商人でも信用を得やすい。
琴子は即座に理解した。
「信用の可視化。」
「はい?」
「いえ。」
琴子はにっこり笑う。
「ぜひお願いします。」
その時。
奏が突然、何かを思い出したように言った。
「あ。」
「何ですか?」
「私たち。」
「商品、持ってきてない。」
「……。」
「……。」
琴子の笑顔が固まった。
職員も固まる。
奏は悪びれもせず続けた。
「だって。」
「今日、町に来たばっかりだし。」
「そうですね。」
「だから。」
「はい。」
「まずは登録だけして。」
「……。」
「明日、商品を持ってくれば?」
琴子は深く息を吐いた。
「そうしましょう。」
「うん。」
「ですが。」
琴子は妹を睨みつける。
「次からは事前に確認してください。」
「何を?」
「商談に商品を持っていくかどうか。」
「はい。」
アイリスが淡々と告げる。
『現在、アイテムボックス内に販売可能な商品が存在します。』
「え?」
琴子が振り向いた。
『日本製の乾燥果実。』
『調味料。』
『石鹸。』
『化粧水。』
『キャンドル。』
『保存食。』
『その他多数。』
「……。」
琴子の顔がゆっくり変わっていく。
「奏。」
「何?」
「なぜ今まで黙っていたんですか?」
「え?」
「日本から持ってきた物。」
「食料とか?」
「それです。」
「売るの?」
「売ります。」
「今?」
「今です。」
「でも。」
「市場調査が必要なんじゃ。」
「市場調査のために、サンプルを出すんですよ。」
琴子は即座にカウンターへ向き直った。
「すみません。」
「はい?」
「一つ。」
「商品鑑定をお願いしたいのですが。」
職員が微笑む。
「もちろんです。」
こうして。
双子の異世界貿易は。
当初の予定よりも、少しだけ早く始まることになった。
そして。
琴子がアイテムボックスから取り出した「日本製の石鹸」を見た瞬間。
商業ギルドの職員の顔色が変わることになる。
「……これは。」
異世界の商人たちが、まだ知らない。
地球の「当たり前」が。
この世界では。
とんでもない価値を持つことを。




