第十一話 始まりの町へ
翌日。
有平家の古民家、その広い土間には大小様々な荷物が並んでいた。
奏は工具箱を開き、中身を一つひとつ確認していく。
モンキーレンチ、ラジオペンチ、ニッパー、精密ドライバー、メジャー、水平器、耐熱手袋、作業用ゴーグル、ヘッドライト。
研究所や趣味で使っていた工具類ばかりだ。
琴子はその横でノートパソコンを開き、購入予定の一覧を作成していた。
「異世界に持っていく物資を整理するよ。」
「お願い。」
奏は頷きながら工具箱をアイテムボックスへ収納していく。
収納される度に、工具は光の粒子となって消えていった。
「アイテムボックスって便利だなぁ。」
『容量は実質無制限です。』
「最高。」
琴子は画面を見ながら淡々と入力していく。
---
【第一次搬入計画】
・工具一式
・丈夫なロープ
・折り畳みスコップ
・救急箱
・浄水器
・水筒
・調味料
・乾パン
・缶詰
・保存食
・テント
・寝袋
・携帯コンロ
・鍋
・フライパン
・着替え
・革手袋
・防寒具
---
「これくらいかな。」
奏は一覧を眺めて頷く。
「全部日本じゃ普通に買える。」
「だから異世界では価値がある可能性もある。」
「そう。」
琴子はペン先で表を叩いた。
「でも。」
「売るのは市場調査をしてから。」
「安易に流通させない。」
真奈美から何度も言われた言葉だった。
世界の技術水準が分からないうちは、地球の品を無闇に持ち込まない。
歴史が変わるほどの影響を与える可能性がある。
その慎重さは、金融の世界でリスク管理を叩き込まれた琴子らしい判断だった。
奏は満足そうに笑う。
「相変わらず慎重。」
「失敗したくないからね。」
その時。
アイリスが静かに報告する。
『提案があります。』
「何?」
『始まりの町へ向かう前に、周辺地図を作成します。』
「できるの?」
『可能です。』
ホログラムへ立体地図が浮かび上がる。
双子が転移した地点を中心に、森の一部が描かれていた。
しかし。
ほとんどが灰色だった。
「まだ見えてない。」
『未探索区域です。』
「なるほど。」
琴子は納得する。
歩いた場所だけが緑色へ変わっていた。
『探索率〇・〇三%』
「少なっ!」
奏が思わず叫ぶ。
「森どれだけ広いの!?」
『初心者の森全域を踏破するには、現在の速度で約百二十日必要と予測します。』
「百二十日。」
「地球なら四日くらい。」
「時間差って本当に便利。」
琴子は小さく笑った。
「じゃあ。」
「今日は始まりの町。」
「うん。」
「無理はしない。」
「依頼も受けない。」
「市場調査。」
「情報収集。」
「装備確認。」
「ギルド登録。」
奏が一つずつ指を折っていく。
「あと。」
「動物。」
「え?」
「前にアイリスが言ってたよね。」
「会話できるって。」
『確認。』
『初心者の森には高い知能を持つ動物が複数存在します。』
「案内してもらえるかな。」
『交渉次第です。』
琴子が微笑む。
「餌でも持っていこう。」
「そうだね。」
「いきなりお願いするより。」
「信頼関係。」
「大事。」
施設育ちだった二人は、人との信頼を築く難しさも、その価値もよく知っていた。
だからこそ、相手が人間でなくとも誠実に接するつもりだった。
◇◇◇
三十分後。
双子は再び古民家の玄関前へ立つ。
奏が鍵を差し込む。
空間が揺らぎ、異世界への扉が現れる。
木漏れ日。
森の香り。
昨日と変わらない景色だった。
奏は慎重に一歩踏み出す。
「今日は。」
「平和だといいね。」
その願いに答えるように、小鳥のさえずりが響く。
アイリスが索敵を開始した。
『周囲五百メートル以内に大型魔物反応なし。』
『安全を確認。』
二人は安堵の息を漏らす。
「昨日が異常だっただけか。」
『その認識で問題ありません。』
琴子は地図を見ながら歩き始めた。
「始まりの町までどれくらい?」
『現在地から徒歩約四時間です。』
「結構あるね。」
「でも。」
奏は森を見渡した。
「昨日より安心して歩けそう。」
その時だった。
近くの茂みがカサカサと揺れる。
二人は同時に身構えた。
しかし現れたのは魔物ではない。
一匹の小さな灰色の野ウサギだった。
赤い瞳をしたそのウサギは、じっと双子を見つめている。
アイリスが静かに告げる。
『対象は魔物ではありません。』
『森兎。』
『知能指数は人間の幼児程度。』
奏はゆっくり腰を下ろした。
「おはよう。」
穏やかな声で話しかける。
すると、そのウサギは長い耳をぴくりと動かし――。
「……おはよう?」
幼い子どものような声が、森の中へ響いた。
奏と琴子は揃って目を丸くする。
「「喋った。」」
双子が初めて出会った異世界の住人は、人ではなく、一匹の小さな森兎だった。




