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配置された成功  作者: Koji Townsend


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第2話 登板順の話

2025年6月14日 22:18

東京都渋谷区 成瀬遥の自宅。


ワンルームの部屋は静かだった。

エアコンの風が、カーテンをわずかに揺らしている。

成瀬遥は、ベッドに腰掛け、スマートフォンを眺めていた。


スポーツニュースアプリ。

《東京フレアーズ、新人右腕・水原が炎上》

《遠野、完璧救援で試合を締める》


「ふーん……」

缶ビールを開け、ポテトチップスをかじった。


「数字は悪くないんだけどね……水原選手」

画面をスクロールしながら、独り言のように続ける。

「彼は、このタイミングで出しちゃダメなの。緊張が、顔ににじみ出てる」


遥にはその試合の想定シナリオが前日の時点で共有されていた。


登板予定の投手、各回の起用予想、試合の展開予測と想定リスク。

会社が運営するスポーツ系アプリで、

翌日の試合解説特集の構成と記事掲載順を決める会議に遥が関わっていたからだ。


先発投手の分析を最初に載せるか。

継投の分岐点を冒頭に持ってくるか。

どの順番なら、読者が考えずに楽に読めるか――そういうことを考えるのが、

遥の仕事の核心だった。


「この人、下位打線からロングリリーフで使えばよかったと思うんだけどな〜」

と、遥は独り言のように言った。


「判断材料が、技術力と数字だけに偏り過ぎなのよね。まあそれは大事よ?

ベースではあるし」

少し笑う。


「でも、それだけで決めるならAIでよくない?人間がやる意味ってさ、

“どうやったら楽にできるか”を考えることじゃないの?」

スマートフォンを置き、天井を見上げる遥。


「配置と順番って大事なのに、それを軽く見過ぎ……もったいなーい」

その言葉と同時に、ふと、昔の光景がよみがえった。


――小学生の頃の兄。

通知表を受け取る日、学校の廊下でなぜかご機嫌だった。


「おれの作文って読むの、楽なんだぜ?」

と兄は作文を遥に手渡した。


内容が特別良いわけではない。正解を積み上げたわけでもない。

ただ、字が大きくて、改行が多くて、最後に一行だけ感情があった。


兄は得意げに言った。

「“楽”って字はさ、“楽しい”って意味もあるだろ?」


そのとき、遥は知ってしまった。

人は、正しさより楽さを選ぶ。


遥は小さく呟いた。

「そうなのよ……みんな、正しい順番でやろうとするのよね」


ビールを一口飲む。

「でもさ、楽な順番の方が、人間って好きなのよね」



翌日。オフィスでは、昨夜の試合の話題でもちきりだった。


「昨日の継投、失敗でしたよね」と後輩の桐山が言った。


「うん、順番が逆だったね」と遥は即答する。


「え、でも実力的には――」と桐山。


桐山が言い終わる前に、遥は返す。

「実力はあるよ、めちゃくちゃある。だから余計に、かわいそうだった……

でも、水原選手はあのタイミングで出していいタイプじゃなかった」



桐山は首を傾げる。

「え?どうしてですか?」


遥はスマートフォンの水原の記事を見ながら言った。

「彼は出てすぐは、身体が固まるタイプだもん。

ほら、専門家が書いてる。肩が少し上がってるし、リリースポイントもバラけてるってさ。

最初の五球くらい、完全に”様子見モード”になってる……伸びあぐねてる感じ、わかる?」


遥は少し間を置いて、はっきり言った。

「だからさ、あのタイミングで出しちゃダメなのよ」


遥は天井を見上げる。

「“流れを止めろ”とか”空気を変えろ”とか、

そういう役割を最初から背負わせると、このタイプは縮こまる……

下位打線からがちょうどいいの。

点差はついててもいい。とにかく、一回、慣れさせなきゃ……」


「投げてるうちに、だんだん緊張の表情が消えてる……そこからが、この人の時間なのよ」

遥は射貫くような視線を桐山へ送った。

「数字の問題じゃないのよ……配置と順番の問題なの、完全に。

こういう人は準備する時間を与えると楽なのよ。見る側も、やる側もね」


桐山はまた首を傾げる。

「そういうのって、データで分かるんですか?」


「うーん」と遥は少し考え、「顔」と答えた。


「……顔、ですか?」と桐山。


遥は少しだけ微笑んでこたえた。

「緊張するとさ、“今は見てほしくない顔”する人いるでしょ。

それが、NGサインなの」


桐山は苦笑する。

「そんな感覚で……?」


遥はにっこり笑った。

「ふふ……感覚ってさ……説明しなくていいから、みんな楽で大好きなのよ」



その日の夕方、遥が提案した試合解説特集の掲載順は、ほぼそのまま採用された。


勝ち投手のストーリーと継投の失敗分析、決定的場面を冒頭に置き、

専門的な先発投手の分析記事は後半へ回す構成だった。


会議では、上司の後藤がこうまとめただけだった。

「去年のヒット記事と構成が近い。

成瀬の担当した構成はいつも読者の離脱が少ない。これでいこう」

それ以上の議論はなかった。



三日後、東京フレアーズは別のカードに臨んでいた。

七回、点差は四点、下位打線。ベンチから呼ばれたのは、水原だった。


結果は二回無失点、八奪三振。ニュースの見出しはこうだった。

《水原、ロングリリーフで流れを作る》


遥はその記事を読み、静かに頷いた。

「ほらね……能力は何にも変わってない……ただ配置が変わっただけ」



帰り道。遥は横断歩道の前で立ち止まる。

赤信号。

「……そっか、また赤なのね」


そのとき、隣に、男が立っていた。

濃いグレーのコート――以前、どこかで見た気がする。

気配がない。気づけばそこにいた、という感じだった。


「順番は、大事です」と男は静かに言った。


遥は横目で見て、少し考える。

「……あの……前に会いましたっけ?」


男は答えず、信号を見つめたまま続ける。

「あなたは、選んでなどいない……ただ、置いただけだ」


「うん」と遥は頷きこたえる。

「それが一番面倒じゃない……楽でしょ?」


男は、わずかに口角を上げた。

「では、それでいい」


信号が青に変わる。

一歩踏み出し、振り向くと、男はいなかった。


遥は特に気にせず、歩き出した。

「……楽な配置だったわ」

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