第8話 半額にしたら、店が潰れました
前書き
世界を救った百貨店に、今度は**「倒産」**の危機がやってきました。
剣も使えない。
魔法も使えない。
それでも直人には、バイヤーとして培ってきた**「商売」という武器**があります。
第Ⅲ部のテーマは、「豊かさとは何か?」
世界最大の商業国家を相手に、直人とリリス、そして四天王たちの新しい戦いが始まります。
笑いあり、恋愛あり、そして今回は百貨店同士の本気の商売バトルあり。
第1話「魔王城百貨店、倒産します」
新章、開店です。
半額にします
「半額にします」
会議室が静まり返った。
ガルドが首を傾げる。
「……何をだ?」
「全部」
「敵を?」
「商品を!」
朝から物騒すぎる。
俺は机の上へ、一枚の給与明細を置いた。
昨日、港湾労働者から見せてもらったものだ。
給料そのものは、決して安くない。
なのに税、家賃、保険料、商会手数料、借金返済、利息。
引かれて、引かれて。
最後には何も残らない。
足りないから借りる。
返すために働く。
働いても返せない。
この国では、それが当たり前になっていた。
世界一豊かな商業国で。
働けば働くほど、借金が増える。
「みんな働いてる。それなのに、必要な物が買えない」
俺は立ち上がった。
「だったら、買える値段にする」
ゼファーが眼鏡を押し上げる。
「店長。利益は?」
「減る」
「仕入れ代金は?」
「変わらない」
「人件費は?」
「払う」
「工房への支払いは?」
「もちろん払う」
「では、どこで利益を?」
「客数だ」
即答した。
「今まで買えなかった人が買える。客数が増えれば補える」
ゼファーは何も言わなかった。
納得した顔ではない。
それでも俺は続けた。
「まず一日、やってみよう」
必要な物を、必要な人へ届ける。
俺はずっと、それをやってきた。
買えないのなら。
買える値段にすればいい。
単純な話だ。
その時は、本気でそう思っていた。
「店長」
リリスが俺を見た。
「本当にやるんですね?」
「ああ」
数秒。
彼女は何か言いたそうにしていた。
けれど。
「分かりました」
それ以上は言わなかった。
俺は赤いペンを取る。
最初の値札。
半額。
次も。
半額。
さらに次も。
半額。
魔王城百貨店の値札が、次々と書き換わっていく。
俺はまだ知らなかった。
その赤い線が切ったのは。
値段だけではなかったことを。
開店三分で、大成功
開店前。
店の外を見て。
俺は固まった。
「……何人いる?」
「数えるのを諦めました」
「ゼファーが!?」
数字の男が数字を放棄した。
それほどの行列だった。
港湾労働者。
漁師。
職人。
子どもを連れた母親。
老人。
今まで百貨店の前を通り過ぎるだけだった人たちが並んでいる。
「半額って本当か?」
「鍋も?」
「靴も?」
「パンも?」
期待に満ちた声。
胸が熱くなる。
これだ。
これが見たかった。
「開店します!」
扉を開いた。
三秒後。
「うおおおおおお!」
人の波が押し寄せた。
「走らないでくださーい!」
「任せろ!」
ガルドが入口へ立つ。
「止まれぇぇぇ!」
全員が止まった。
別の意味で。
「怖い! 接客で威圧するな!」
「なら笑うか?」
「それはもっと駄目!」
以前、子どもを泣かせた男だ。
バルグはパン売場。
「一人三個までだ」
「子どもが四人いるの!」
「……四個」
「うちは五人家族!」
「五個」
「ルールどこ行った!?」
ゼファーは会計整理。
リリスは魔糸で客の流れを誘導。
そして俺も売場へ飛び込んだ。
売れた。
とにかく売れた。
パン。
鍋。
工具。
衣服。
生活雑貨。
次々と棚が空になる。
「これ、娘に買ってやれる」
港湾労働者の男が、小さな靴を抱えて笑った。
「ずっと同じ靴を履かせてたんだ」
別の女性は鍋を抱えていた。
「底に穴が開いてたの。これでやっと替えられる」
老人は毛布を買った。
「今年の冬は暖かく眠れそうだ」
そして。
一人の子どもが木工玩具を抱えて走っていく。
その玩具を作ったのは。
十年間、仕事を失っていた老職人だった。
笑顔。
笑顔。
また笑顔。
俺は空になっていく棚を見た。
「……間違ってなかった」
商品が必要な人へ届いている。
それ以上に。
何が必要だ?
「店長!」
ゼファーが帳簿を持ってくる。
「客数、過去最高です」
「売上は?」
「伸びています」
「ほら!」
思わず拳を握った。
「いけるじゃないか!」
その時。
「ずいぶん楽しそうね」
セレナ・ヴェルガ。
黄金宮殿総支配人が立っていた。
「敵情視察?」
「ええ」
正直だ。
彼女は空になった棚を見る。
「本当に半額にしたのね」
「見れば分かるだろ」
「商売を壊す気?」
「逆だよ」
俺は客たちを見る。
「買えなかった人が、買えるようになった」
「それで?」
「売れてる」
セレナは笑わなかった。
「その商品」
「ん?」
「誰が作ったの?」
「この街の職人たち」
「いくらで?」
一瞬。
言葉に詰まった。
「契約した金額で払う」
「そう」
彼女は工房へ続く搬入口を見る。
そして。
「明日も同じ値段で売れるといいわね」
それだけ言って去っていった。
「何なんだ?」
隣にいたリリスも、セレナの背中を見ていた。
「……さあ」
その日の閉店時刻。
最後の商品が売れた。
「完売!」
店内から拍手が起こる。
ガルドが拳を上げた。
「勝利だ!」
バルグも頷く。
「パンも全部売れた」
ゼファーが帳簿を見る。
「客数、過去最高です」
俺は空っぽの棚を見渡した。
勝った。
そう思った。
本気で。
翌朝までは。
「もう、作れません」
翌朝。
俺は工房の扉を開けた。
「おはようございま……」
声が止まった。
静かだった。
木を削る音がない。
金槌も。
織機も。
職人たちの声も。
何も聞こえない。
「……誰もいない?」
作りかけの商品。
工具。
材料。
すべて昨日のまま。
「ゼファー」
「連絡はしています」
「返事は?」
首を振った。
嫌な予感がした。
昨日のセレナの言葉が蘇る。
明日も同じ値段で売れるといいわね。
その時。
入口に一人の職人が現れた。
「店長」
「どうした?」
男は帽子を握りしめていた。
「もう、作れません」
「え?」
「材料が買えないんです」
意味が分からなかった。
「昨日の商品代なら、契約通り払う」
「昨日は」
男が言った。
「じゃあ、次は?」
「……次?」
「次の商品も半額で売るんですよね?」
「ああ。そのつもりだけど」
「その値段で」
男が俺を見る。
「百貨店は、俺たちに今までと同じ金額を払い続けられるんですか?」
言葉が出なかった。
「店長」
ゼファーが帳簿を開く。
声が硬い。
「昨日の数字を再計算しました」
「黒字だっただろ?」
「売場だけなら」
ページをめくる。
「工房への支払い」
もう一枚。
「材料費」
さらに。
「輸送費、人件費、保管費」
帳簿が俺の前へ置かれる。
数字を見た。
赤字。
「……嘘だろ」
「いいえ」
「客数は過去最高だぞ」
「はい」
「完売した」
「はい」
「売上も増えた」
「はい」
「なのに?」
ゼファーが答えた。
「売れば売るほど、損失が増えています」
心臓を。
掴まれた気がした。
昨日。
俺が見ていた給与明細。
働けば働くほど。
借金が増える。
「……同じだ」
「店長?」
「俺がやったこと」
喉が乾く。
「この国と同じじゃないか」
誰も答えなかった。
答えなんて。
必要なかった。
客が払わなかった分を、誰が払った?
その後。
職人たちが一人ずつやって来た。
怒鳴る者はいなかった。
それが余計につらかった。
「材料が買えません」
「この価格では続けられません」
「昨日は売れたのに、赤字です」
服を作っていた女性が言った。
「売れたのは嬉しかったです」
「……うん」
「自分の作った服を、あんなに喜んでもらえたのは初めてでした」
少し笑う。
でも。
すぐに俯いた。
「次を作る布が、買えません」
何も言えなかった。
俺は。
客を救ったつもりだった。
違った。
客が払えなかった分を。
作り手に払わせただけだった。
「……最低だな」
「店長」
リリスが俺を見る。
「昨日、俺は」
空っぽの棚を見る。
「いいことをしたと思ってた」
客は喜んだ。
商品は売れた。
数字も伸びた。
だから。
成功だと思った。
日本にいた頃。
俺は数字ばかり見ていた。
売上。
粗利。
在庫回転。
客数。
商品を見て。
その向こうにいる人間を見失った。
この世界へ来て。
変わったつもりだった。
作る人。
運ぶ人。
売る人。
買う人。
全部を見る。
そう決めたはずだった。
なのに。
焦った。
この街の人を救いたい。
その気持ちだけで。
答えを急いだ。
「俺は客を救おうとして」
拳を握る。
「作り手を犠牲にした」
リリスは。
否定しなかった。
それでよかった。
この失敗だけは。
誰かに優しく否定してもらってはいけない。
値札の裏側
昼の会議。
いつも騒がしい四天王まで静かだった。
最初に口を開いたのはガルドだ。
「分からん」
「何が?」
「客は喜んだ」
「ああ」
「職人は困った」
「ああ」
「なら、どちらを救えばいい?」
答えられない。
すると。
バルグが言った。
「両方」
「それができないから聞いている」
「でも」
バルグは少し考えて。
「パンを買う人がいなければ、パン屋は困る」
「うん」
「パン屋がいなくなれば」
俺を見る。
「買う人も困る」
単純だった。
だからこそ。
核心だった。
ゼファーが帳簿を閉じる。
「値下げ自体が悪いわけではありません」
「分かってる」
「理由があれば成立します。在庫処分、期間限定、仕入れ条件の改善」
「ああ」
「ですが今回は」
「理由もなく半分にした」
俺が言った。
「はい」
痛い。
でも。
目を逸らしたら駄目だ。
俺は机の上の値札を見る。
「客が払わなくなった分は」
ゆっくり言った。
「消えるわけじゃない」
材料。
技術。
時間。
運送。
人件費。
生活。
値段は。
ただの数字じゃない。
その裏側に。
人がいる。
「誰かが払うんだ」
全員が俺を見る。
「客じゃなければ、職人かもしれない。店員かもしれない。運ぶ人かもしれない」
昨日の俺は。
それを見なかった。
「百貨店が安さだけを売り始めたら」
値札を握る。
「最後には、誰かの生活を削って売ることになる」
それは。
俺が作りたい店じゃない。
明日も隣にいます
閉店後。
俺は一人。
空っぽの売場に座っていた。
昨日。
誇らしかった景色。
完売。
大成功。
そう思った。
今は違う。
俺は商品を売り切ったんじゃない。
次の商品を作る力まで。
売ってしまった。
足音がした。
リリス。
何も言わず。
隣に座った。
慰めない。
正論も言わない。
ただ。
隣にいる。
しばらく。
二人で空の棚を見ていた。
「リリス」
「はい」
「失敗した」
「はい」
即答。
思わず横を見る。
「そこ、否定してくれないの?」
「店長」
真顔だった。
「本当に失敗しましたから」
「……そうだよな」
思わず苦笑する。
「優しくないな」
「優しいですよ」
「どこが?」
「失敗していないと言ったら」
リリスが俺を見る。
「店長は、また同じ失敗をします」
胸に刺さった。
「だから言います」
「うん」
「失敗しました」
「二回言わなくてもいい」
「大事なので」
「結構効くんだけど」
ほんの少し。
彼女が笑った。
そして。
「でも」
「ん?」
「明日も店を開けるのでしょう?」
俺は。
空の棚を見る。
職人たち。
昨日、商品を買って笑っていた客たち。
どちらも間違っていない。
買いたい。
作りたい。
働きたい。
暮らしたい。
ただ、それだけだ。
「……開ける」
「はい」
「何とかする」
「はい」
「まだ方法は分からないけど」
「それでいいです」
少しだけ。
彼女の肩が。
俺の肩へ触れた。
「なら」
静かな声だった。
「私は明日も隣にいます」
心臓が。
一拍。
妙な鳴り方をした。
「……それ」
「何です?」
「結構ずるい言い方だな」
「何がです?」
平然としている。
本当に分かってないのか?
「店長」
「ん?」
「一人で全部背負わないでください」
俺は。
少し笑った。
「ああ」
昨日までなら。
俺が何とかする。
そう答えていたかもしれない。
今日は違う。
「一緒に考えてくれる?」
リリスが。
俺を見る。
そして。
小さく笑った。
「もちろんです」
その距離が。
昨日よりほんの少しだけ。
近く感じた。
次に壊すのは、値札じゃない
翌朝。
俺は値札を書き直した。
半額。
その文字を全部消す。
元の価格へ。
ガルドが覗き込む。
「高くするのか?」
「戻すだけ」
「なら、また買えなくなる」
「ああ」
「意味がないではないか」
「だから」
俺は。
値札の横へ。
もう一枚の札を置いた。
《買えない方は、店員へご相談ください》
ガルドが読む。
「相談すると安くなるのか?」
「ならない」
「では何を相談する?」
「買い方」
「……買い方?」
昨日。
ようやく気づいた。
値段を下げれば。
作る人が苦しくなる。
値段を戻せば。
買えない人がいる。
なら。
変えるべきなのは。
値段じゃない。
一度に払えないなら?
新品でなくてもいいなら?
毎日必要でないなら?
壊れた物を直せるなら?
今まで。
「買う」しかなかった。
その常識から変えればいい。
「何してるの?」
入口にセレナが立っていた。
「昨日の半額は?」
「やめた」
「一日で?」
「ああ」
「客に怒られるわよ」
「かもな」
「売上も落ちる」
「だろうな」
彼女は隣の札に気づいた。
《買えない方は、店員へご相談ください》
「……何これ」
「新しい売り方」
「値段を戻して客を増やすつもり?」
「違う」
俺は答えた。
「昨日、間違えたんだ」
セレナの眉が上がる。
「認めるの?」
「間違えたからな」
「半額は失敗だった?」
「ああ」
迷わなかった。
「客を助けようとして、職人を苦しめた」
「…………」
「だから、もう安くして解決するのはやめる」
「じゃあ、どうするの?」
俺は。
新しい札を見る。
「値段じゃない」
「え?」
「買い方を変える」
セレナは。
しばらく俺を見ていた。
そして。
「あなた」
小さく息を吐く。
「昨日より面倒な商人になったわね」
「褒め言葉として受け取るよ」
「褒めてない」
背後から。
「店長」
リリス。
「開店時間です」
「ああ」
入口の外には。
もう客がいた。
昨日。
半額だから来た人たち。
今日は。
元の値段だ。
帰るかもしれない。
怒るかもしれない。
それでも。
扉を開ける。
最初に入ってきたのは。
昨日、娘の靴を買った港湾労働者だった。
男は値札を見る。
表情が曇った。
「……戻ったのか」
「ああ」
「そうか」
商品を棚へ戻そうとする。
俺は止めなかった。
代わりに。
隣の札を指差した。
男が読む。
《買えない方は、店員へご相談ください》
「相談したら」
男が俺を見る。
「どうなる?」
俺はカウンターの椅子を引いた。
「それを」
座るよう促す。
「今から一緒に考えませんか?」
男が。
俺を見る。
リリスも。
四天王も。
セレナも。
俺を見ている。
昨日。
俺は値段を半分にした。
失敗した。
だから。
今日は値札を壊さない。
次に壊すのは。
「買うか、諦めるか」
その二択だ。
魔王城百貨店は。
安売りをやめる。
それでも。
買える店を作る。
その方法を。
俺はまだ知らない。
だからこそ。
今日から探す。
客と。
職人と。
仲間たちと。
一緒に。
第8話 完
次回 第9話
「安くしない。それでも買える店を作る」
値下げはしない。
職人の利益も削らない。
それでも、買えない人へ商品を届ける。
「買う」以外の方法を作ればいい。
分割。
レンタル。
中古。
修理。
下取り。
百貨店の常識をひっくり返す、直人の新しい売場づくりが始まる。
しかし。
ヴェネリアで「買えない人」を救おうとした直人は。
やがて一枚の契約書にたどり着く。
そこに書かれていたのは。
商品よりも高く売られているもの。
人間の未来だった




