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第7話/通算27話 「商売を始めたら、国が壊れ始めた」

第3シーズン「商売のない国編」




世界一の百貨店を、小さくした。




それは、直人にとって一つの答えだった。




店を増やすことだけが成功じゃない。


全部を自分の店にする必要もない。




小さな店を残す。


それぞれの商人が、それぞれの看板を守る。


百貨店は、その間をつなぐ。




ようやく。




「世界一」の意味が分かった気がしていた。




けれど。




世界は、すぐに次の問いを突きつけてくる。




《第三実験地域》




そこには。




店がない。




値札がない。




広告がない。




商人すらいない。




なのに。




人々は飢えていない。




必要な物は届いている。




誰も財布を持たず。




誰も「いくらですか」と聞かず。




それでも。




人々は笑って暮らしている。




世界一のバイヤーにとって。




それは、魔王より理解できない相手だった。




これまで直人は。




届かないなら、届けてきた。




高いなら、買える方法を考えた。




店がないなら、作ってきた。




選べないなら、選べるようにしてきた。




そして。




商売には、人を幸せにする力がある。




そう信じてきた。




でも。




もし。




商売をしないほうが幸せな世界があるとしたら?




欲しい物を増やすことが。




選択肢を増やすことが。




人を豊かにするとは限らないとしたら?




それでも。




百貨店は必要なのか。




それでも。




商売は、人を幸せにできるのか。




第3シーズンは。




世界一のバイヤーが、商品ではなく。




「商売そのもの」を査定する物語。




そして。




直人が初めて。




「売らない」という選択肢と向き合う物語です。




リリスとの距離も、少しずつ変わっていきます。




何かを買うから楽しいわけじゃない。




店があるから一緒にいるわけでもない。




何も買わなくても。




何も売らなくても。




隣にいるだけで楽しい時間がある。




そんな当たり前のことを。




商売ばかり見てきた直人は。




たぶん。




まだ知りません。




世界一の百貨店が。




店のない国へ行く。




そこで待っているのは。




新しい商売ではない。




商売がなくても成立している幸せ。




第3シーズン。




「商売のない国編」




ここから。




直人の一番大きな敗北が始まります。

「私も、自分が欲しい物を選んでみたい」


その一言を聞いたとき、俺は嬉しかった。


昨日まで誰も来なかった小さな売場の前に、人が集まっている。


「これ、触ってもいいですか?」


「もちろん」


女性が手に取ったのは、小さな手鏡だった。


腹は満たせない。畑も耕せない。たぶん、生きるためには必要ない。


それでも女性は鏡をのぞき込み、笑った。


「……きれい」


胸の奥に、懐かしい感覚が戻ってきた。


これだ。


商品を手にした人が、昨日より少し嬉しそうになる瞬間。


「直人」


隣でリリスが俺を見る。


「ああ。やっぱり、商売って悪くないだろ」


リリスは答えなかった。


ただ、人々の目を静かに見ていた。


その視線の意味を、このときの俺はまだ知らなかった。


お金のない国で、商売を始める


「で、これはどうやってもらえばいいんですか?」


手鏡を持った女性に聞かれて、俺は固まった。


この国には金がない。値段もない。


無料で渡せば共同倉庫と同じだ。だが、俺が持ち込んだ商品には限りがある。


「交換にするか」


「交換?」


「自分で作った物と、欲しい物を取り替える」


女性が首をかしげた、そのときだった。


「簡単ではないか!」


バルグがパンを山ほど抱えて現れた。


「我がパンを差し出す! 代わりに、この巨大な鍋をもらう!」


「そのパン、どうした?」


「共同倉庫から持ってきた!」


「戻してこい!」


「なぜだ!」


「それ、お前のじゃないだろ!」


「皆の物だ!」


「だから交換に使うな!」


開始三分。


貨幣経済以前の問題が発生した。


リリスが額を押さえる。


「直人。まだ三分です」


「言うな」


結局、ルールは三つにした。


欲しい物を選ぶ。自分で作った物、あるいは自分の労働で得た物を出す。互いに納得したら交換成立。


それだけ。


俺はそう思っていた。


初めての「自分の物」


最初の交換は、あの女性だった。


彼女が差し出したのは、花模様を彫った小さな木箱。


「私が作りました。これでは足りませんか?」


足りる。足りない。


もう、そんな考え方が生まれている。


一瞬だけ引っかかったが、俺は木箱を受け取った。


「交換成立だ」


手鏡を渡す。


女性は宝物みたいに抱えた。


「これ……私の物なんですよね?」


この国では、多くの物が共有されている。


必要なら使い、必要がなくなれば戻す。


だから「自分だけの物」という感覚が薄い。


「そうだ。あなたの物だ」


女性は鏡を見て、子どものように笑った。


「嬉しい」


その一言で、俺は完全に油断した。


選べることは、人を幸せにする。


そう思った。


小さな市場


噂は一日で広がった。


昼には二十人。夕方には五十人。翌朝には列ができた。


住民たちは、自分で作った物を持ち寄った。


木工品。織物。果物。保存食。陶器。玩具。


やがて、俺の売場を介さず住民同士でも交換が始まる。


「その籠、いいですね」


「では、その布と交換しますか?」


「いいんですか?」


「もちろん」


笑顔が増えた。


必要な物を受け取るだけだった国に、「選ぶ」という楽しさが生まれた。


「直人さん!」


ミアが走ってきた。


足元には、あの赤い靴。


「見て!」


くるりと回る。


「似合う?」


「最高だ」


母親が笑う。


「自分で刺繍した布と交換したんです」


「三日かかった!」


ミアが胸を張った。


必要だから働いたんじゃない。


欲しいから頑張った。


その顔を見た瞬間、俺は思った。


やっぱり。


これは正しかった。


少なくとも、その瞬間までは。


二つ欲しい


最初の異変は、小さかった。


「これを二つください」


男が指したのは、小型ナイフ。


「二つ?」


「一つは使う。もう一つは、あとで交換する」


俺は少し迷った。


だが、男が差し出した上質な革には十分な価値がある。


ルールにも反していない。


二本渡した。


夕方。


別の男が来た。


「ナイフは、もうないんですか?」


「悪い。売り切れた」


「畑で使いたかったんですが……」


男は肩を落として帰っていった。


必要な人間には届かなかった。


けれど、最初の男も何も破っていない。


欲しい物を選んだだけだ。


俺はそう自分に言い聞かせた。


値段のない国に、値段が生まれた


三日目。


市場の中央で言い争いが起きた。


「この人、おかしいんです!」


見ると、あのナイフが置かれている。


「交換するなら、パン十個必要だと言うんです!」


「十個?」


俺は男を見る。


「お前、革一枚で手に入れただろ」


「そうだ」


「じゃあ、なんで十個なんだ?」


男は当然のように答えた。


「欲しい人が多いから」


言葉が止まった。


商売としては正しい。


需要が高く、数が少ない。


なら価値は上がる。


「昨日までは、必要なら道具を使えたんです!」


女性が訴える。


男はナイフを手に取った。


「これは共同倉庫の物じゃない。俺の物だ」


昨日は嬉しく聞こえた言葉が、今日は違って聞こえた。


「嫌なら交換しなければいい。欲しい人は他にもいる」


女性は黙った。


俺も、何も言えなかった。


金はない。


それでも。


値段は生まれた。


持っている人、持っていない人


市場は急速に変わった。


保存食。上質な布。丈夫な革。珍しい工芸品。


交換されやすい物を持つ人は、欲しい物を手に入れやすい。


そうでない人は、選べない。


「これでは駄目ですか?」


老人が差し出したのは、小さな木彫りの鳥だった。


丁寧な仕事だった。


だが、相手は首を振る。


「いらない」


「では、二つなら?」


「いらない物が二つになっても困る」


老人の手が止まった。


昨日までこの国にはなかった。


自分が作った物には価値がない。


そう思わされる瞬間が。


夕方。


ミアが市場の端に立っていた。


赤い靴を履いている。


でも、笑っていない。


視線の先で、三人の子どもが話していた。


「私の髪飾りのほうがいい物なんだって」


「でも、この玩具のほうが交換しにくいよ」


もう一人の子は、何も持っていなかった。


「直人さん」


ミアが小さく聞く。


「私、靴を持ってるから、あの子よりすごいの?」


「違う」


即答した。


「絶対に違う」


「じゃあ、どうしてみんな、持ってる物を比べるの?」


答えられなかった。


昨日とは違う距離


夜。


売場の前に立っていると、リリスが来た。


何も言わず、俺の隣に立つ。


昨日、川辺で初めて手をつないだ。


だからだろうか。


腕が触れそうな距離に彼女がいても、もう離れようとは思わなかった。


「成功ですね」


「皮肉か?」


「いいえ。笑顔は増えました」


「ああ」


「選ぶ人も増えました」


「ああ」


「困っている人も増えました」


拳を握る。


「俺は、何を間違えた?」


「分かりません」


慰めない。


それがありがたかった。


「交換するだけだった。誰からも奪ってない。無理やり欲しがらせてもいない」


「はい」


「なのに、なんで持ってる奴と持ってない奴ができる?」


リリスは少し考えてから言った。


「選べる物が増えたから、選べないことも見えるようになったのかもしれません」


胸に刺さった。


選べる自由。


俺がずっと信じてきたもの。


選べる物が増えれば、人は豊かになると思っていた。


でも。


選べる物が増えれば、選べない人も見える。


「直人」


リリスが俺を見る。


「市場を閉じますか?」


答えられない。


閉じれば自由を奪う。


続ければ差はもっと広がるかもしれない。


どちらが正しい?


世界一のバイヤーを目指してきた俺にも、分からなかった。


最初に壊れたもの


その夜。


「直人!」


バルグの声が響いた。


市場へ走る。


二人の男が掴み合っていた。


地面には、鮮やかな青い布。


「離せ!」


「先に約束したのは俺だ!」


「まだ交換してなかっただろ!」


周囲から声が飛ぶ。


「俺なら食料を出す!」


「私は革を!」


「その布は私も欲しい!」


交換価値が上がっていく。


金なんてないのに。


欲しい人が増えれば価値は上がる。


誰かが手に入れれば、誰かは手に入れられない。


「ふざけるな!」


拳が飛んだ。


鈍い音。


一人が地面に倒れる。


頬から血が流れた。


市場が静まり返った。


昨日まで、この国では誰も必要以上に物を取らなかった。


それなのに。


俺が「欲しい」を選べるようにした。


交換できるようにした。


自分の物を持てるようにした。


その結果。


初めて、物を巡って人が人を殴った。


誰も最初から悪かったわけじゃない。


欲しいと思った。


手に入れたいと思った。


ただ、それだけだ。


なのに俺は。


商品だけじゃない。


価値を持ち込んだ。


比較を持ち込んだ。


そして。


「持つ者」と「持たざる者」を作った。


俺が始めた市場は、人を笑顔にした。


その同じ市場が。


この国を壊し始めていた。


俺が持ち込んだもの


翌朝。


共同倉庫の扉が開いていた。


嫌な予感がした。


中へ入る。


「……嘘だろ」


棚が荒らされている。


食料。布。道具。


交換価値の高い物だけが消えていた。


昨日まで誰も必要以上に取らなかった場所から。


「直人!」


リリスが駆け込んでくる。


その後ろに、ミアがいた。


泣いている。


赤い靴を履かず、胸に抱えていた。


「ミア?」


少女が顔を上げる。


「私……」


涙が赤い靴に落ちた。


「靴なんて欲しいって言わなければよかった」


息が止まった。


違う。


そう言いたかった。


欲しいと思ったミアは悪くない。


でも。


じゃあ、何が悪かった?


「欲しい」が悪かったのか。


商売が悪かったのか。


それとも。


それをこの国へ持ち込んだ俺が、間違っていたのか。


答えは出なかった。


ただ、一つだけ分かった。


昨日まで、この国には「貧しい人」はいなかった。


今日。


俺は初めて。


「持っていない人」を作った。


第27話 完


次回 第28話


「俺が、この国を貧しくした」


共同倉庫が襲われ、争いは市場の外へ広がっていく。


被害を止めるため、直人は自ら物流を止める決断をする。


だが商品が届かなくなった人々を前に、これまで信じてきた商売そのものが揺らぎ始める。


そしてミアは、赤い靴を脱ぐ。


「こんなの、欲しがらなければよかった」


直人にとって、これまでで最大の敗北が始まる。





続きやほかの作品は、note「momokun」で公開しています。


作品紹介・最新情報はMomokun Officialへ。

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