第3話/通算23話「百貨店を作ったら、誰も来なかった」
第3シーズン「商売のない国編」
世界一の百貨店を、小さくした。
それは、直人にとって一つの答えだった。
店を増やすことだけが成功じゃない。
全部を自分の店にする必要もない。
小さな店を残す。
それぞれの商人が、それぞれの看板を守る。
百貨店は、その間をつなぐ。
ようやく。
「世界一」の意味が分かった気がしていた。
けれど。
世界は、すぐに次の問いを突きつけてくる。
《第三実験地域》
そこには。
店がない。
値札がない。
広告がない。
商人すらいない。
なのに。
人々は飢えていない。
必要な物は届いている。
誰も財布を持たず。
誰も「いくらですか」と聞かず。
それでも。
人々は笑って暮らしている。
世界一のバイヤーにとって。
それは、魔王より理解できない相手だった。
これまで直人は。
届かないなら、届けてきた。
高いなら、買える方法を考えた。
店がないなら、作ってきた。
選べないなら、選べるようにしてきた。
そして。
商売には、人を幸せにする力がある。
そう信じてきた。
でも。
もし。
商売をしないほうが幸せな世界があるとしたら?
欲しい物を増やすことが。
選択肢を増やすことが。
人を豊かにするとは限らないとしたら?
それでも。
百貨店は必要なのか。
それでも。
商売は、人を幸せにできるのか。
第3シーズンは。
世界一のバイヤーが、商品ではなく。
「商売そのもの」を査定する物語。
そして。
直人が初めて。
「売らない」という選択肢と向き合う物語です。
リリスとの距離も、少しずつ変わっていきます。
何かを買うから楽しいわけじゃない。
店があるから一緒にいるわけでもない。
何も買わなくても。
何も売らなくても。
隣にいるだけで楽しい時間がある。
そんな当たり前のことを。
商売ばかり見てきた直人は。
たぶん。
まだ知りません。
世界一の百貨店が。
店のない国へ行く。
そこで待っているのは。
新しい商売ではない。
商売がなくても成立している幸せ。
第3シーズン。
「商売のない国編」
ここから。
直人の一番大きな敗北が始まります。
第3シーズン「商売のない国編」
第3話/通算23話「百貨店を作ったら、誰も来なかった」
一時間。
客、ゼロ。
二時間。
客、ゼロ。
三時間。
「店長」
「言うな」
「まだ何も言ってません」
「顔が言ってる」
広場の一角に作った小さな売場には、誰もいなかった。
ガラス細工。異国の菓子。鮮やかな布。珍しい玩具。銀細工の髪飾り。
魔王城百貨店なら、足を止める客が必ずいる品ばかりだ。
しかも、ここでは値札すらない。
それなのに、人は通り過ぎる。
見もしない。
「……世界一の百貨店を作った男だぞ、俺」
「はい」
「千店舗連合とも戦った」
「はい」
「潰れかけの店も立て直した」
「はい」
「なのに客ゼロ」
「はい」
「最後だけ少し申し訳なさそうに言ってくれない?」
リリスが口元を押さえた。
笑っている。
少し離れた場所では、バルグが腕を組んでいた。
「撤収するか?」
「まだ三時間だ!」
「三時間客が来なきゃ普通は考えるだろ」
「ここは、その普通が通じないんだよ」
言って、自分で黙った。
昨日からずっとそうだった。
無料なら多く取る。
働かなければ怠ける。
得をするために人は動く。
俺の常識を、この国は静かに壊し続けている。
だったら、
珍しい物を置けば人は見たくなる。
その常識だって、通じるとは限らない。
それでも。
「一人くらい来いよ……」
世界一のバイヤーとして、かなり切実だった。
【必要な物は、もうある】
昼を過ぎたころ、俺はとうとう通りかかった老人に声をかけた。
「すみません。少し見ていきませんか?」
老人は売場を見て、俺を見る。
「何をです?」
そこからか。
俺は青い光を閉じ込めたガラス細工を手に取った。
「これ、きれいでしょう?」
「きれいですね」
「欲しくないですか?」
老人は首をかしげた。
「何に使うんです?」
「飾ります」
「なくても困りませんよ?」
「困るかどうかじゃなくて……」
老人は穏やかに笑った。
「必要な物なら、共同倉庫にありますから」
そして去っていった。
完封だった。
その後も同じだった。
「この布、隣国の新しい染め方で」
「服なら足りています」
「この工具、職人が一本ずつ仕上げた特注品で」
「今の道具で作れています」
「坊主、この玩具、動くぞ」
「木の枝で遊べるよ」
子どもにまで負けた。
俺は椅子に沈み込んだ。
「強すぎるだろ、この国……」
彼らは欲しくないのではない。
欲しいと思う前に、「必要か」と考える。
そして必要でなければ、そこで終わる。
俺の世界では逆だった。
便利そうだから。
かわいいから。
知らない味だから。
限定だから。
必要ではないものに心を動かされる。
百貨店は、そんな「まだ名前のない欲しい」に出会う場所でもあった。
でも、この国では。
その入口にすら、人が立たない。
【世界一のバイヤーが売れない理由】
「直人」
リリスが隣に座った。
「慰めなら要らないぞ」
「しません」
「即答するなよ」
「では一つだけ」
リリスは売場を眺めた。
「客がゼロでも、直人の価値は下がりません」
「そこまで落ち込んでない!」
「そうですか」
「……ちょっと効いたけど」
リリスが笑った。
最近、この笑顔を見ることが増えた。
魔王城では魔王。
戦場では誰より怖い。
なのに俺の隣では、ときどき普通の女の子みたいに笑う。
それを見るたび、俺の中の「魔王」という分類が少しずつ壊れていく。
「リリスは、欲しい物ってある?」
「ありますよ」
即答だった。
「あるの?」
「なぜ驚くんです?」
「この国にいると、欲しいって感覚まで変なものに思えてきて」
「私はこの国の人間ではありませんから」
「何が欲しい?」
今度は黙った。
視線だけが俺に向く。
「何?」
「聞くんですね」
「聞いたら駄目?」
「別に」
耳が、ほんの少し赤い。
「……何が欲しいの?」
「秘密です」
「そこまで引っ張って秘密なの?」
「はい」
「気になるだろ」
「では、気にしていてください」
ずるい。
俺たちは店長と魔王だった。
共同経営者で、同盟相手だった。
それが今は、名前で呼ばれ、二人で歩き、隣に座る。
前と同じではない。
けれど、何になったのかは、まだ言葉にできない。
【直人が選んだ物だから】
「一つ、見てもいいですか?」
リリスが立ち上がった。
誰も来なかった売場へ入り、一つずつ商品を見る。
そして、小さな銀色の髪飾りの前で止まった。
月をかたどった銀細工に、小さな紫の石がはめ込まれている。
「それ?」
「はい。きれいですね」
やっと今日初めて、誰かが商品を見て足を止めた。
「北方の職人が作ったやつだ。大量生産じゃない。俺が仕入れた」
「直人が?」
「うん」
リリスは髪飾りを指先でなぞった。
「では、これがいいです」
「え?」
「これ、欲しいです」
三時間以上、誰も口にしなかった言葉。
欲しい。
「必要なの?」
「必要ではありません」
きっぱり言った。
「なくても困りません」
「じゃあ、どうして?」
リリスは少し考えてから、俺を見た。
「直人が選んだ物だからです」
思考が止まった。
「……それ、商品の評価になってる?」
「私にとっては、なっています」
「俺が選んだから?」
「直人が世界中を歩いて、見つけて、誰かに届けたいと思って仕入れた物なのでしょう?」
「まあ……そうだけど」
「だったら私は、その誰かになってもいいです」
胸の奥を軽く殴られた気がした。
痛くないのに、残るやつだ。
「リリス」
「はい」
「それ、かなり恥ずかしいこと言ってる自覚ある?」
一瞬、リリスの表情が固まった。
「ありません」
「今できた顔だろ」
「ありません」
「耳、赤いぞ」
「夕日です」
「まだ昼だよ」
「魔王なので」
「魔王、便利すぎない?」
リリスは髪飾りを持ったまま背を向けた。
でも。
俺には分かった。
以前なら、分からなかったかもしれない。
【誰から選ぶか】
午後。
客は増えなかった。
正式な来店客は、リリス一人。
売上、ゼロ。
来店、一。
歴史的大惨敗だ。
なのに、朝ほど落ち込んでいない。
髪飾りをつけたリリスが売場の横に立っている。
似合っている。
かなり。
「直人」
「何?」
「さっきから見すぎです」
「見てない」
「見ています」
「売場全体を確認してるだけ」
「私は売場ですか?」
「違う!」
リリスが髪に触れた。
「似合いませんか?」
男にとって危険な質問だ。
でも今回は、答えが一つしかなかった。
「似合ってる」
リリスが黙る。
俺も黙る。
「……そうですか」
「うん」
「なら、よかったです」
それだけだった。
なのに、なぜか二人とも売場の方を見た。
目を合わせづらかった。
俺は並んだ商品を見る。
今日、誰も欲しがらなかった物たち。
でも価値がないわけではない。
同じ髪飾りでも、知らない棚にある一個と、誰かが選んだ一個では意味が変わる。
誰から受け取ったか。
誰と選んだか。
どんな思い出がついたか。
物の価値は、物だけでは決まらない。
俺はずっと、売れる商品を探してきた。
でも客が選んでいるのは、商品だけじゃない。
「誰から買うか」まで含めて、商売なのかもしれない。
「リリス」
「はい」
「ありがとう」
「何がです?」
「最初の客」
「無料なので、客ではないのでは?」
「そこは客ってことにしてくれ!」
今日唯一の心の支えなんだから。
【欲しい、という言葉】
夕方。
片づけを始めた時、小さな足音がした。
十歳くらいの少女だった。
茶色い髪を肩で切りそろえている。
少女は広場の端から売場を見ていた。
「見てく?」
少女は周囲を見た。
誰かに見られていないか確認するように。
「見るだけなら何もいらないよ」
一歩。
もう一歩。
今日、リリス以外で初めて売場へ入ってきた。
少女はガラス細工を見た。
菓子を見た。
玩具を見た。
どれにも触れない。
そして、一番端で止まった。
赤い靴。
小さな女の子用。
柔らかな革。
鮮やかな赤。
つま先には白い花の刺繍。
少女の足に、ちょうど合いそうだった。
「それ、気になる?」
答えない。
でも、目が離れない。
「履いてみる?」
肩が跳ねた。
「……いいの?」
「もちろん」
俺が差し出すと、少女は手を伸ばしかけて止めた。
「これ……必要?」
「必要かどうかは、俺には分からないな」
少女は自分の足元を見る。
古いけれど、きちんと手入れされた茶色い靴。
穴もない。
まだ履ける。
「靴、あるから」
「あるね」
「じゃあ……いらない」
そう言う。
なのに。
目は赤い靴から離れない。
そこで初めて思った。
この国の人は、欲しがらないんじゃない。
もしかして。
欲しがってはいけないのか?
俺は少女と同じ高さまでしゃがんだ。
「ねえ」
「……なに?」
「必要かどうかじゃなくて」
赤い靴を指した。
「君は、それ、欲しい?」
少女の瞳が揺れた。
後ろでリリスが息を止める。
「……欲し……」
声が震える。
「欲しい」
その瞬間。
広場の空気が止まった。
荷物を運んでいた男も。
話していた女も。
笑っていた子どもの母親も。
全員がこちらを見ている。
少女の母親らしき女性の顔から、血の気が引いた。
「ミア」
低い声。
少女が振り返る。
母親は怒っていなかった。
怯えていた。
「何を言ったの?」
少女の手が震える。
「わ、私……」
赤い靴を見る。
母親を見る。
そして、自分の口を押さえた。
まるで、言ってはいけない言葉を口にしたように。
俺は立ち上がった。
「待ってください」
母親が俺を見る。
「その言葉を」
震える声だった。
「この子に、教えたんですか?」
背中が冷えた。
赤い靴は、ただの靴だ。
なくても生きられる。
必要ではない。
だから、欲しい。
たったそれだけだ。
この国には、店がないんじゃない。
金がないんじゃない。
もしかすると。
「欲しい」という言葉そのものが、
あってはいけないのだ。
第23話 完
次回 第24話
「欲しいものがない国で、少女だけが欲しがった」
必要な物は、すべて与えられる。
飢えない。奪わない。誰も困らない。
そんな国で、一人の少女だけが赤い靴を「欲しい」と言った。
たった一言で、大人たちの顔が凍った。
豊かさとは、欲しい物が全部手に入ることなのか。
それとも、欲しいと思わなくなることなのか。
直人は初めて、この国の「豊かさ」の裏側を見る。
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